23 女御と少将
楓が肩に燕を乗せて陰陽博士に言われた大量の書物を運んでいると、名虎がひょっこり顔を出した。
「おーい、半分持ってやるよ」
「え、ありがとう」
名虎が持ってくれたおかげでだいぶん軽くなる。彼は楓の肩を覗き込んで、珍しそうにしげしげと眺めた。
「燕じゃないか。まだ越冬に旅立っていないのか」
燕は渡り鳥。秋が来れば南の方へ冬を越すために旅立つ。長月も過ぎようという今の時期は、そろそろいなくなってしまう。
「この子は陰陽頭の式神だよ」
「え? まじ、よく見せて!」
うわーと感動の声をあげながらじろじろと見られて、飛燕が恥ずかしそうに翼で顔を隠す。
「かっわいい! 本物の燕そっくりじゃないか。さすが陰陽頭だな」
「すごいでしょ」
ひとしきり騒いだ名虎は、『やべ』と言って書物を抱え直す。
「早く運んでしまおう。楓、左近の少将様が呼んでいるんだ」
「え? 少将様が?」
朝イチで、利憲に報告した事がもう伝わったのだろうか。楓は名虎と仕事を片付け、斉彬が待っている左近衛府へと急いだ。
左近衛府で斉彬に呼ばれた事を告げた楓は、すぐに中へ通された。
「楓、来たね」
斉彬に手招きされて部屋に入った楓は、きょろきょろと周りを見る。誰もいないところを見ると人払いをしているようだ。
「少将様、御用だと聞きましたが」
「利憲から女御の話は聞いたよ。身代わりを頼んでおいてなんだけど、本当に大丈夫かい?」
斉彬は楓が桜子の姉だとは知らない。縁もない相手の身代わりをかって出た楓を心配しているのだろう。
「少将様、僕は女御様のお役にたてるのが嬉しいのです。なのでこのまま続けさせてください」
楓は利憲に言ったのと同じように斉彬にも言う。
斉彬は、そうか、と少し安心したように頷いた。
「利憲が今夜、結界を一時解くと言っていた。玄武を付けて塗籠に女御を避難させてくれ」
「はい」
「数日間、それを続ける。私と利憲も前庭で控えているから安心していい」
「ありがとうございます」
頭を下げる楓に、斉彬が気まずそうに頬をかいた。
「玄武も飛燕もいるから何もないとは思うが、くれぐれも女御には節度ある距離を保ってくれ。帝の女人だからね」
含みのある言葉に、楓は一瞬何を言われているのか理解できなかったが、ややあって斉彬の言わんとする事が何であるかを悟った。
楓を男性だと信じている斉彬は、弘徽殿の中へ入り夜を過ごしていることに懸念を持っているのだ。
楓の肩に乗っている燕が、嘴を開いてチチチ、と鳴いて笑った。
「少将様、女御様はそのような方ではございません。全く心配はいりません!」
でも……、と斉彬が目を泳がせる。
「楓は中納言殿の屋敷に勤めていたのだろう? わざわざ女御を救う為に陰陽寮に入ったと聞いたよ」
これはなんだかとっても誤解されているのでは? そう楓は思った。
「女御は女神に嫉妬されても仕方ないほど姿もすごく美しい人だと言うし、楓はその、入内される前の女御とそういう仲だったのだろう?」
やっぱり!
この誤解はまずい。
そう、女御と再会した時斉彬の目の前で抱き合ってしまった事を、楓は今更ながらに思い出した。
「違います! 女御様と僕は兄妹みたいな関係でして、決して少将様が恐れているような仲ではありません。神に誓って!」
斉彬は楓の必死の弁明に、そうなのか? とほっとした表情を見せる。どうやら囮の少年が女御と通じてしまってはどうしようかと心配していたようだ。
「大丈夫です!」
手をばたばたさせて否定する楓の肩から滑り落ちた燕は、翼で腹を抱え板の間の上で笑い転げていた。
その夜、再び飛燕によって女御の装束に着替えさせられた楓は、桜子を言われた通りに塗籠へと避難させた。
さて、そうすぐには妖虎が誘い出されてくれるとは思わないが、油断は禁物だ。そう考えながら一人母屋で座っていると、表から飛燕が呼ぶ声がする。
「女御様、こちらへ」
「なあに? 飛燕」
長い袴の裾をさばいて立ち上がった楓は、声がした方へ御簾を押して出る。
灯りはあるが人はいない。
女房達は女御のいる塗籠の周囲を囲むように休んでいた。母屋の周囲は妖虎が来ても被害が少ないようにと、あえて人は少なくしている。
飛燕の姿を探して楓は細殿から外を覗いた。しかし、外にも飛燕の姿はない。
(利憲様が来たのかと思ったのだけど)
昼間、前庭に来ると斉彬から聞いていたのだが。
妻戸から簀子へ出て、暗い庭をすかし見る。月は丸く明るく白砂を浮かび上がらせていた。しかし、師の姿はどこにもなく、庭はひっそりと静まり返っている。
「誰もいないの?」
飛燕もいない事にふと不安になって思わず声が漏れた。するとさらりと衣擦れの音がして、背後から声が掛けられる。
「女御様……?」
低い男性の声だ。
その声に聞き覚えのあった楓は、扇で顔を隠す事を忘れて振り返った。
「少将様」
利憲よりも先に斉彬が来たのだろう。飛燕はそれを知らせてくれたのだ。
そう考えていつものように駆け寄った楓は、常ならぬ様子の斉彬を見て足を止めた。
「どうかされましたか? 少将様」
斉彬は楓を見つめたまま突っ立っている。
こんな格好をしているもので、もしかして自分だとわからないのだろうか。楓はそう思って、もう一度斉彬を呼んだ。
「少将様?」
「もしかして……、貴女は楓かい?」
楓を見る斉彬の目が驚愕に見開かれている。
「はい。なんでしょう」
不思議に思いながら、楓は斉彬の問いに頷いた。
夜闇に釣燈籠の灯りが二人を照らす。
その灯りの中で、楓は斉彬の顔がいつもより紅く染まっているように見えた。




