15 神の意思
漆黒の鱗の中に雲母の様な煌めく星を散りばめた大蛇が、ゆるりとその鎌首をもたげる。建物の柱と変わらぬその巨体がうねうねととぐろを巻き、攻撃の命を待つかのように三角の頭をゆらゆらと揺らす。
玄武——北を守護する水の将、十二天将の一神。
利憲が呼び出した式神の位の高さに楓は息を呑んだ。
玄武は陰陽寮で習った六壬神課の天盤に配される神。それは占術に名を借りてはいるが、大陸に伝わる四神の一柱。それを使役するとは。
若くして陰陽頭と認められるその実力は、到底他の者に真似ができるようなものではない。そして楓は自分を拾った陰陽師が、いかに常人とはかけ離れているかを思い知った。気安く年齢を聞いている場合ではない。
動揺する楓に対し、斉彬は妖虎から目を逸らすことなく淡々と利憲に問う。
「大物と交代させるか?」
「疫病の主ゆえに木性かと思いきや……。夜狐では相性が悪い」
夜狐は金性。疫神を斬り払う鋼の爪を持つ。しかし、火性の妖には逆に力を削がれてしまう。
「すまぬ。戻れ、夜狐」
利憲の言葉に狐はくるりと身をひるがえし、宙を舞うと煙を残して消えた。
利憲はそれを見届けると玄武の隣へと歩をすすめる。
虎は一触即発の風情で睨む大蛇の前で、じっと身構えたまま静止している。動かないのか、それとも動けないのか。
「さて、誰の命に従っているのか、そなたの主人は何処にいる」
陰陽師に問いかけられた虎は、その言葉を理解しているように口を開いて嘲笑う。その人間じみた表情に、珍しく素が出た斉彬が『げっ』と言って顔をしかめた。
「笑う虎とは気味が悪いのにも程がある」
「玄武を前にしてのその余裕……。余程の主に仕えているようだが、何故女御を狙う?」
毒づく相方を置いて、利憲は淡々と妖虎を尋問する。
玄武は少々誇りを傷つけられたのか、脅しが足りぬようだとばかりに、その尾をびたんびたんと板の間に叩きつけた。
『神の意志を人間が知る必要はない』
「神……? 荒御魂か」
式神の中でも荒ぶる神・荒御魂を調伏した悪行罰示神は、鬼神とはいえ神には違わない。故に力も強く気位も高い。この虎もそうであるのだろうか。
返答の代わりに虎は唸り、一層濃い瘴気をその身から噴き出した。
見えぬとも息苦しさからその邪気を感じた利憲は、左手を玄武に向けて指示をする。玄武は目をキロリと周囲に巡らせると、鋭い牙の生えた口をかぱりと開いた。
口を開いた蛇の周囲から白い霧が漂い始める。赤い瘴気が霧に取り込まれてゆく、その幻想的とも言える光景に楓は呆然と見惚れた。玄武から漂う神気が、虎の瘴気を浄化している。
追いつめられつつあるというのに、妖虎はまだ平然と利憲を眺めていた。
『手を出さぬのが己が得ぞ』
低い唸りのような虎の声が響く。
全てを知っているかのような声音に、利憲が眉をひそめる。
「貴人に手を出すそなたに非があろう」
女御に何の罪があるというのか。この内裏を騒がしこのような恐怖に突き落とすのに、正当な理由があるとは到底思えない。
虎の背後に隠れる身勝手な相手に怒りを込めてそう言うと、虎は自分を睨みつけている黒蛇の鼻先へ向けて、ボウッと大きな火球を吐きつけた。
すかさず蛇は自分達の周囲に水の膜を張り攻撃を受け止める。
ビシャ
楓が見守る中、水の散る音とともに火球は膜に包まれ消滅した。
実際に音は聞こえていないのかもしれない。
しかし幻影というにははっきりと見えすぎた。
『神は祟るもの。関わると命を失うぞ』
警告ととれる言葉を残し、いきなり虎は上へ飛び上がる。
「逃げるか!」
斉彬が刀を虎へ向けて投げつけた。
ストン、と虎がいた場所に刀が突き立つ。
しかし、すでに虎は赤い煙を残し、忽然と姿を消した後だった。
あっけない退場に三人はしばし無言で立ち尽くす。
玄武ですら首を傾げて利憲を見る。利憲は首を振って役目が終わったことを式神に告げた。
「逃げたようだ。帰って後で酒を準備させよう」
利憲がそう言うと蛇は頷き、しゅるりとその身体を床の中へ沈ませて消えた。
「虎の奴、言いたいことだけ言って逃げたな」
刀を鞘に戻し、斉彬がフンと鼻を鳴らして文句を言う。
「女御様、何処もお怪我はありませんか?」
顔を袖で隠したまま伏せる女御に斉彬が手を伸ばす。
すると、女御はすくっと立ち上がり、少将の隣をすり抜けると後ろで立ち尽くす人物の元へ走った。
「楓……!」
名を呼び頭を抱くようにしがみつく。
「桜子……、無事で良かった」
楓も桜子の背に手を回してぎゅっと抱きしめる。
綺麗で優しい妹姫、何より守りたかった彼女の危機を回避できたこと、それがなにより嬉しかった。
一方で、帝の臣下の前にも関わらず陰陽生の首をかき抱く女御の姿に、二人の男達は無言で顔を見合わせた。
唖然としていた斉彬が気を取り直し、少し気まずそうな表情で利憲に問う。
「もしかして、その、特別な仲であったとかかい?」
弟子を連れて来た陰陽頭なら、事情は知っていたに違いない。
楓が初めから身につけていた雅な物腰は、中納言家に仕えていたからなのか。そして、陰陽寮に入ったのも愛する女御を救う為?
そう判断した少将は、これは見てはならぬものと彼等からくるりと背を向けた。
利憲は横目で再会を喜び合う二人を見て、そして斉彬の袖をくいと引っ張る。
「野暮な真似はせず、ここはひとまず外で待つべきだろう」
その言葉に少将も頷いて、二人はそっと御簾の外へと出て行った。




