1話目~
前に書いた短編作品の続きです。
改良は諦めました!!
清々しい程の快晴だ。
こんな日に窓際の席で外を眺めながらお茶というのはかなり人生を謳歌していると思うのだ。
今はカフェに数人の連れとお茶を飲みに来ていたのだ。
注文した品が全て揃い、気の許せる友人たちと束の間の休息を味わっていた。
だというのに……。
「どうして、こんなことになったんだろう……?」
目の前で繰り広げられるやりとりに付いていけず、思考することを放棄し放心していた。
確か途中までは楽しいお茶会だったはずなのだ。
それなのに、気がつけば僕は剣呑とした雰囲気の中に放り出されている。しかも、なぜか爆心地に。
間違いなく、僕は何もしていない。
そう、いつも通りの日常、そんな面白みのない日々を、特に不満に思うこともなく今日も過ごすはずだった。
それがこんなことになるとは……。
一体、どこで間違えたというのだろう?
こうなった原因はなんだったか……。
現実逃避気味に意識を頭の内側へと向かわせる。
そして記憶は、過去へと遡る―――。
◇
―――不愉快な音がしている。
僕の惰眠を貪るのを決して許さないとでも言いたいのだろうか。
親の仇と言わんばかりの大音量である。
近所迷惑になりかねないので静かにして欲しい。
ついでに僕のことも放っておいてくれ。しかし、その音は無慈悲にもあることを示していた。
「くそっ!」
僕は勢いよく布団から手を出すと、枕元で鳴り響いていた目覚まし時計を止める。
現在の時間は7時半。
朝食が必要ならば、もう起きなければ間に合わない。
高校2年生ともなると、朝食抜きで午前中を乗り切るのはかなり辛い。
惰眠を貪った結果、後悔したことも多々ある。
仕方なくベットから降りると、制服に袖を通した。
着替えを終え階段を降り、キッチンへと向かう。
扉を開けて中に入ると、そこにはいつも通りの光景があった。
「あ、お兄ちゃんおはよう。今日はちゃんと起きてきたんだね」
挨拶をしてきたのは僕の一つ下の妹だ。
身長は155cm弱、女性でも小柄なほうだろう。髪は肩口で切りそろえられており、全体的に淡い栗色なのだが、ところどころにルビーを思わせる赤色が含まれている。どこか幼さの残る顔立ちをしている。着ているものは僕と同じ学校の制服だ。
兄である僕と違い、両親のいない我が家で家事全般をこなしてくれるしっかり者だ。
妹には本当に頭が上がらない。
「おはよう舞。今朝も早いな」
佐藤舞。
学年首席という頭脳を併せ持つ。人当たりもよく、先生の受けも、学生からの受けもよい僕の自慢の妹だ。
「お弁当作らないといけないからね」
そう言うと舞は弁当を持ち上げる。もちろん僕と舞の二人分だ。
「いつもすまないねぇ~……」
僕がふざけてそんなことを言う。
「おとっつぁん。それは言いっこなしだよ」
舞は僕のおふざけに乗ってくれる。
返事をしない代わりに、サムズアップで返す。
心の中ではグッジョブ!と拍手喝采だ。
しかし、そんな妹にも極大の、それはもう大きな欠点がある。
「えへへ……。おにいちゃん」
『おにいちゃん』の部分が完全に猫撫で声になっている。
そう、舞は極度のブラコンなのだ。
昔から、いつも家にいなかった両親の代わりに、僕がずっと舞の世話をしていたのが原因なのだろう。
舞は僕の目の前で何かを期待するように、上目づかいで見上げている。
最近ではそろそろ兄離れしてもらわないと……などと考えるようになった。が、僕にかわいい妹を撥ね退けられるはずもなく。
「舞は甘えん坊だな~」
そう言いながら頭を撫でてやる。
妹は至福と言わんばかりの緩い表情をしている。舞のファンクラブの連中にはとてもじゃないが見せられない。こんな顔を見せたら悶え死ぬ奴が出かねない。
ちなみに僕はファンクラブの会員番号0000番だ。すなわちファンクラブの発足者ということだ。0001番と0002番は幼馴染が持っている。
その幼馴染二人からすると、僕は過保護なシスコン野郎とのことだ。
「……何か問題でも?」
「?おにいちゃん何か言った?」
「うん。舞は僕のものだって言ったんだよ」
さらっと爆弾を投下するが、この場に突っ込みは誰もいない。
舞は頭を撫でられながらただ照れている。
もちろん冗談だ。
下から「でも、おにいちゃんとなら……」とか「逃避行……」などとは聞こえていない。断じて!
こういう時にだけ、幼馴染のありがたみを思い出す。
もちろん突っ込み要員として、だが。
「妹よ。兄はお腹が空いたよ」
僕はこのままだと天に召されてしまいそうな妹に現実を突き付ける。
「え、あ、うん。わかった。おにいちゃんが洗面所に行ってる間に準備しとくね」
「うん。任せたよ」
舞から手を離す。
尻尾と耳があったら完全に垂れているだろう落ち込みっぷりだが、そこは見えない振りだ。
視界に入らないように、すぐに背を向けて洗面所へと向かう。
歯磨きと洗顔を済ませてキッチンに行くと、舞の手によって朝食が並べられていた。
まだ準備は終わっていないが自分の座席へと座る。
だいぶ前に、舞にばかり家事をやらせるのはどうかと思い、食器を並べるくらいと無理矢理に手伝いをしたのだが、何故か号泣。結果、泣き止むまで付き添い、遅刻&朝食抜きのダブルパンチを食らってしまったことがある。
嬉しそうにやっているし、泣かれるのもあれなので、好きなようにさせている。
「今日のメニューは、あさりのお味噌汁、鯖の味噌煮、ポテトサラダ、納豆だよ」
「相変わらず、朝からしっかりしたメニューだな。さすが舞。」
褒めてやると照れ笑い浮かべる。
妹を見て和んでばかりいられないので、場を収める意味も含め勢いよく手を合わせる。
「さて、それじゃあ冷めない内に、いただきます!」
「いただきます」
こうしていつも通りの朝が始まった。
◇
「「いってきます」」
舞と一緒に家を出る。
誰もいない家だが、『いってきます』の挨拶は日課となっている。
現在は8時40分、舞が朝食の片付けを終わらせるとだいたいこの時間になる。
学校までは徒歩10分程度、授業は9時からなので今から行っても結構な余裕がある。家が遠い人は自転車で1時間という人もいる中、申し訳ないと思わないこともない。
僕と舞が家の敷地から出ると、ちょうど正面の家からも人が出てきた。
「舞ちゃん奏、おはよう!」
佐藤奏それが僕の名前だ。女の子っぽい名前の為、僕はあまり好きじゃなかったりする。
身長は172cm、中の上くらいの身長だ。
「おはよう」
「おはようございます。香菜先輩」
伊藤香菜僕ら兄妹共通の幼馴染で、家族ぐるみの付き合いがある。両親があまり家にいないことから、香菜の両親には妹が中学に上がるまではだいぶお世話になった。
身長は167cmと女性にしてはやや高めだろうか。
ボーイッシュな性格をしており、その性格の為か髪の毛は比較的短めで揃えられている。本人いわく長い髪の毛なんぞ邪魔ということらしい。
香菜は元気だけが取り柄で、幼少時から病気にかかったことがなく、学校への無遅刻無欠席は小・中と表彰されている。
「相変わらず無駄に元気だね」
「そういう奏は元気なさ過ぎじゃない?もう老後の心配でもしてるの?」
「いや、どうしたら舞と結ばれることができるのか考えてただけだよ?」
「うん。ごめん。あたしが悪かった」
茶々を入れてきたのでボケで返す。隣では舞が頬を染めているように見えなくもない。
……気のせいということにしておく。
「あー。朝一から惚気られたー。今日はいいことない日だー」
「あははは。香菜が余計なこと言わなければ良かったんだよ」
「くそー。明日は余計なこと言わないでおこう。」
「二日おきにその台詞聞いてる気がするんだけど?」
「気のせい気のせい。……それより、止めなくていいの?」
「なんのこと?」
とてもいい笑顔でそう答える。
決してそちらには目を向けない。
隣からピンク色な気配がするのだ。「ずっと一緒……」だとか「恥ずかしいけど……」など聞こえません。どうでもいい宗教の勧誘くらい聞こえませんとも!
「……いや、なんでもなかったわ。それより、学期末考査があるじゃない?」
「うん。あるね。それで?」
「えーと……。ここで赤点を取ると、夏休みの半分が補習で潰れてしまうんですよ」
「それは知ってる。で?」
「あたしは中間で赤点を半分取りました」
「そうだね。一人で平均点下げたものね。だから?」
僕は笑顔を崩さず目線を香菜から逸らない。香菜は僕と目線を合わせず、明後日の方向を見ている。
「つまり、その、ですね」
何故か敬語になった。何が言いたいのかわかってはいるが、普段怠けているからこその結果なので、僕は何も言わない。
「閣下!あたしに勉強を教えてください!」
「報酬は?」
僕はタダで動いてやるような心優しい性格をしていない。ちゃんとした見返りが無ければ、香菜の勉強など見ていられない。
僕にだって兄としての見栄というものがあるのだ。
頭脳明晰容姿端麗の八方美人を妹に持つ身としては、ある程度の点数を維持できないと、鬱陶しい先生に何を愚痴られるかわからないからだ。
「ぐっ!奏様、無償という訳には……」
「夏休みにまで勉強お疲れさまです」
「期待してなかったけど、それだけはいやーーーー!!!」
結局、放課後に僕と舞にケーキを御馳走させるということで決着した。
「くう……。あたしのなけなしの小遣いが……」などと言っていたが、そこに情けは入らないのである。
生徒玄関で舞と別れ、僕と香菜は教室へと向かう。
僕と香菜にはもう一人、共通の幼馴染がいる。
北原光幼稚園のころからの付き合いで、学校を挟んでちょうど反対側に家がある。
身長は163cmと男にしては背が低目だ。非常に騒がしいやつで、クラスのムードメーカー的なポジションに立っている。
クラス対抗の球技大会や文化祭などに率先して盛り上げている。
光はとてもいいやつではあるのだが、問題が一つある。
それは―――
◇
教室のドアを開ける。
ドアを開けたことでクラスメイトの数人がこちらを向いたが、すぐに近くの友人と取りとめのない会話に戻った。
そんな中、一人だけ僕と香菜を見ると近寄ってくるやつがいた。
「おはよう光」
こちらに近寄ってきたのはもう一人の幼馴染だった。近寄ってきた幼馴染に声をかける。
「……」
返事がない。僕はどうかしたのだろうかともう一度呼びかける。
「光?どうかしたの?」
「……」
体調でも悪いのかと不安になってきた。
顔を覗き込むようにもう一度声をかける。
「光?」
「……ちっがーーーーーう!!」
唐突に叫び声を上げた幼馴染に、思わず体を引いてしまった。
顔を見ると目がつり上がっている。普通に怖い。
「奏君!いつも言ってるのにどうしてわかってくれないかな!」
「……何がでしょう?」
何を言っているのかわかってはいたが、わからない振りをしてみる。せめてもの抵抗だ。
「私のことは、光って呼んでって言ってるじゃない!!」
そう、今僕の目の前にいる幼馴染(男)は、あろうことか女性用の制服を着ており、髪の毛は腰に届くのほどだ。かわいらしく上目づかいで見てきたりしている。
それがとんでもなくかわいいのだからやるせない。
「しかしな、光……」
「光」
「……」
「ひ・か・り」
僕は助けを求めて香菜に目を向ける。
ばっちり目が合った後、何事もなかったかのように授業の準備(授業中は寝てるだけ)を始めた。
「……わかった。光、落ち着いてくれないか?」
「うん♪それでよし♪」
「……」
光はそれで満足したのか自分の席へと戻っていった。
僕は思わず、僕を見捨てた香菜に怒りの視線をやった。(ちなみに香菜は僕の隣の席だ)
「……や、あれは無理だって」
香菜は視線に耐えかねたのか1分も持たずに弁明する。
「だからって何も見捨てることはないんじゃない?」
「いやー。あたしに彼、じゃなかった、彼女の相手は荷が重いわー」
「僕には相手することすら叶わないよ……」
ぐったりしながら香菜に八つ当たりをする。しかし、精神的に参ってしまっているので、いつものように勢いがない。
「それにしても、いつからああなったんだっけ?」
「中2くらいじゃないか?確か、舞が同じ学校になった辺りからああなってしまったような……」
「あたしが覚えてるのは進路希望調査表だけかな」
笑いを堪え切れないとばかりに口元に手を当てる。
僕はそんな香菜を睨みつける。
「こっちは笑いごとじゃないんですが?」
「いや、ごめん。でも、あれは、思い出しただけで、っつ!」
爆笑寸前とばかりに大きく肩を震わせている。
香菜は肩を震わせながらも言葉を続ける。
「だって、お嫁さんになる!とか、大きく、書いて、あったんだもの」
「僕はおかげで、残りの中学時代は地獄だったよ……」
そう、光のやつが進路希望調査表に『私は奏君のお嫁さんになる!』と用紙いっぱいに書いてくれたおかげで、僕にまで多大な被害を与えてくれたのだ。
それから卒業するまで、男どもに「嫁さんがいるやつはいいよな」などとからかわれ続けた。
「いいんじゃ、ない。もらって、あげた、ら」
呼吸困難にでもなったかのように途切れ途切れそんなことを言ってくれた。
「嫌だよ!僕にだって選ぶ権利はあるだろ!」
香菜があまりにも酷いことを言うので、思わず怒鳴ってしまった。教室中に響くほどの声量で、だ。
もちろん、当の本人にもばっちり聞こえてしまった訳で……。
「奏君……。ううっ……」
クラスメイト達はもちろん僕ではなくムードメーカーの光の味方だった。
「泣かせるなんて最低ー」
「同じ男として嘆かわしい……」
「光ちゃんの気持ちも考えてあげなよ!」
「これは責任取るべきじゃね?」
そして、クラス中で責任取れコールが巻き起こった。
香菜はもちろん早々に戦線離脱している。
扉は完全に閉じられている。そして、光が涙に濡れた瞳でこちらを見ている。
頬が上気しており、とてもかわいらしい。
そんな時、僕の中で何かが囁いた。
『見た目だけなら学校内で五指に入るんだ。妥協しちまえよ』
しかし、どれだけかわいかろうが相手は男である。
譲れない一線というものはあるのである。
「……奏君。僕、卒業したら性転換することになってるんだ。だから……」
それを聞いて僕の中の何かが多いに揺らいだ。
『あんなかわいい子そうはいないぞ?卒業まで我慢できたら……』
そして、ついに僕は、光の気持に答えてしまった。
クラスメイト全員からの猛烈の熱狂。
当然のように巻き起こるキスコール。
―――そして僕は
―――皆に祝福される中
―――越えてはいけない一線を
―――越えてしまった
END―――
◇
「―――という夢を見たんだ」
僕が言い切った。とばかりに笑顔で言ってやる。
そしてネタにされたとうの本人、光はというと……。
「……へぇー。それはそれは。面白い夢を見れたようだな」
顔は笑っているが、目が笑っておらず、額に青筋が浮いている。
「あっはっはっは。そうだろうそうだろう。とっても面白いだろう」
二人して笑い合う。そしてどちらともなく席を立つ。
「奏ぇー。どうして逃げるんだよー」
「はっはっは。そういうヒカリちゃんこそ、どうして追いかけてくるんだ?」
そして競歩による追いかけっこが始まる。
「俺の名前はヒカリじゃなくて、コウだ。忘れちまったみたいだから思い出させてやるよー」
「はっはっは。遠慮しておくよヒカリちゃーん」
そこで、我慢の限界が来たらしく、ついに光が切れた。
「誰がヒカリだ!このブラコン野郎!!」
からかわれると簡単に切れる。光はとても沸点が低かった。
「妹思いの何がいけないというんだね?」
「うるせぇ!待ちやがれ!!」
「うふふ。こっちよー。私を捕まえてー?」
「そんな浜辺でカップルがやるような演出はいらねぇんだよ!しかも、あれはあり得ないだろ!!」
怒りながらも突っ込みは忘れない。
僕は逃げ回りながら光に尋ねる。
「そんなに嫌か?」
「ああ!嫌だね!」
「去年の文化祭で自分が言い出したことじゃない?性転換喫茶やろうとか」
「反省してんよ!だからもうその話題に触れるんじゃねぇ!!」
「いいじゃない。女子を差し置いて一番人気だったんだし」
「うるせぇ!欠片も嬉しくないわ!そんな実績!!」
そうなのだ。光は昨年度の文化祭で女装・男装喫茶なるものやろうと言い出し、その結果、言いだした本人がそこらの女子よりかわいいということが判明したのだ。そして、そんなこともあり、光にもファンクラブが結成された。
ちなみに、そのファンクラブは男のみで構成されている。
そんなこともあり、カメラを携えた同性に盗撮されるという現象を体験した光は、完全なトラウマとなり、女装ネタを持ち出すと怒り狂うようになったのだ。
そのネタを容赦なく突くのは僕だけだったが……。
「性転換したら、学校1の美少女になれるのに……」
「だ・か・ら、残念そうに言うんじゃねぇ!俺は男だ!」
「えっ!?」
「えっ!?じゃねぇ!わざとらしいんだよ!!」
これは最近では毎朝の日課となりつつあり、周りの反応は生ぬるい笑顔を向けるだけだ。
そんな中、このお約束を止めるために立ち上がった人物を視界の端に捉える。
「あなた達、いいかげんにしなさい」
本名は御子柴妃音。身長は170cmくらいだろう。髪は艶やかで黒曜石を思わせる黒色、腰まで届くその髪は川柳を思わせるほど滑らかだ。そして、どこぞの財閥のお嬢様なのだそうだ。姉御肌でクラス委員長だ。ちょっときつめの印象がある。
ちなみに光が惚れている。
委員長に叱られると、即座に光が噛みつく。
「俺は悪くねぇ!」
僕は立ち止まった光を無視して委員長に近づく。
「おはよう、委員長!」
「あら、おはよう奏君。で、なんで私の手を握ってるのかしら?」
「委員長」
「何?」
「僕と、結婚してください」
爆弾投下。後ろで光が慌てているのがわかる。
「絶・対・嫌」
即座に星でも飛び出しそうな笑顔でお断りされた。
「ですよねー」
僕も笑顔でそう返す。しかし、手は離さない。
「奏君。手を放してくれないかしら?」
「いいじゃん。減るもんでもないし」
「奏君相手なら、減るわ」
「僕なら減るのか……。なんだろう、地味に傷つくなこれ……」
手を離すと、地面に手を付く。
あれ、おかしいな?目からしょっぱい汗が……。
光が近寄って肩に手を置いた。
それにつられるように眼を向ける。
「光……」
「奏、何も言う――」
「触んな」
なぐさめようとしたのだろう光の手を払う。そして立ち上がると、睨みつけながら唾を吐く真似をする。
光は教室の隅で蹲ってしまった。
「うむ。やはり光をからかうのは面白いな」
「あんたねぇ……」
香菜が呆れたようにこちらを見ている。おまけに溜息など吐いてくれた。
片眉を上げ嫌味な上流階級のようなイメージで香菜に目を向ける。
明らかに間違ったイメージだが、突っ込む者はいない。
「何か、問題でも?」
「……ないとでも?」
視線を教室の隅にいる光に向ける。どうやら『の』の字まで書きだしているようだ。視線を香菜に戻す。
「何も問題なくね?」
「「……」」
近くで聞いていた妃音まで呆れ顔でこちらを見ている。
「あなた、友達なくすわよ?」
「大丈夫だよ。光はあれでいて実は喜んでるから」
根も葉もない冗談なのだが、当の本人が教室の隅に行っているため聞こえていない。
「あら、そうなの?」
「そうなんだよ」
もちろん即座に肯定する。事実は本人のみぞ知る。
「ちょっと付き合い方を考える必要があるわね……」
「いや、妃音、嘘だからね?」
その反応に危機感を覚えたのか、香菜が言及する。
香菜も光が妃音に惚れているのを知っているため、同情したのかもしれない。
「言われなくてもわかってるわ」
「妃音の場合はわかりにくいのよ……」
「委員長」
「何かしら、奏君」
俺は悪い笑みを浮かべると、妃音に耳打ちをした。
◇
未だに教室の隅でいじけている光の肩を叩く。
光が振り返ると、そこには妃音が立っていた。
どうやら違う人物を想像していたらしく、酷く動揺している。
おそらく僕が追い打ちをかけに来たとでも思ったのだろう。
遠目からでも体が強張っているのがよくわかる。隣で「やりすぎじゃない?」と、香菜が呟いていたが聞こえない振りだ。
「光君」
「ははははい。な、なな、なんでしょう」
余りの動揺っぷりに思わず吹き出す僕。香菜が責めるような目でこちらを見ている。もちろん無視だ。
「元気出して」
「よ、余裕ですよ!」
クラスメイト相手に何故か敬語になっているが、そこは気にしなくていいだろう。
妃音はここで気を使うような表情から笑顔に変わると……。
「このヘタレ野郎」
とんでもない追い打ちをした。
光が一瞬痙攣したように動いた後、完全に動きを止めた。若干、白くなって崩れているようにも見える。
二人の後ろで僕が机を叩いて爆笑している。隣では香菜は汚物を見るような目で僕を見ているが、今さらそんな視線を気にする僕ではなかった。
余りの出来事に気絶したらしい光は、委員長に指示され保健委員に連れていかれた。
委員長もまさか気絶するとは思わなかったらしく、付添いで保健室に向かった。
「あんたねえ……」
「What?」
「わざとらしく英語にするな!」
似非外国人らしく、HAHAHA!と大げさに笑ってやる。
溜息を吐くとこちらを睨みつけて来る。少し怖い。
「もう少しやり方があるんじゃない?」
「……なんのことかね?」
ちょっと動揺して間が開いてしまった。
他の連中ならばれなかっただろうが、そこは付き合いの長い幼馴染だった。
「光が奥手だからって無理矢理くっつけようとしてるでしょ?」
「これくらいやらないと、光からは何もしないからなー」
「まあねー。あれだけわかりやすいのに、妃音も気が付いてないしね」
「ていうか、なんだってあれでわからないのかが僕にはわからないけどね」
「あー。確かに」
そんな会話をしていると、扉を開けて担任が入ってきた。
妃音と光は戻って来そうにない。(光を運んだ保健委員はすでに戻ってきている。)
「これで、ちっとは進展するといいんだがな……」
「これで進展するなら、だいぶ前に進展してると思うんだけど」
「それもそうか。光はヘタレだからな」
「それ聞いたら『シスコンには言われたくねぇ!』とか言ってくるよ」
「絶対に言うな」
声を出して笑い合うと、教壇に立った担任に睨まれた。
担任の名前は落合奈津美。身長は165cm。髪の毛は染めているらしく暁を思わせる赤みがかったブラウン、柔らかくカールしており眼鏡も相まって落ち着いた大人の魅力を醸し出している。
男連中の間では短めのスカートから覘く、粉雪を思わせるきめ細かく白い足が人気だ。
授業時間中に、奈津美の足を凝視していて鼻血を吹きだした強者もいるらしい。
「静かにしなさい。ホームルーム始めるわよ」
クラスのあちらこちらでやる気のない返事があがる。
奈津美はどうでもいい連絡事項と出欠の確認を取って行く。
たいていの連中はちゃんと聞いていないが、そこは担任、さすがに慣れたもので適当に流している。そうして着々とホームルームは進む。
「連絡事項はここまでね」
その言葉を聞くと同時に、僕はおもむろに手を挙げる。
背筋を伸ばし優雅に挙手する様はある種の芸術を思わせる。(あくまで奏主観)
奈津美には何か伝わったのか、顔が痙攣したように動いた。隣では香菜がまた始まったとばかりに溜息など吐いている。
「……それじゃあホームルームはここまで、先生とは授業の時に会いましょう」
あからさまに締めに入ったのでその場で立ちあがる。他の生徒は奏のことは気にも留めない。
手を挙げても無駄だと悟ったので、奈津美に近づいて行く。
「な、何か用かしら奏君?」
目に見えて動揺しているがわからない振りをする。
奈津美の前まで行くと停止する。そして目を見つめながら唐突に手を握る。
「僕と、結婚してください」
「うぇええええええ!!!?」
うむ。学校で会う度に言っていることなのだから、いい加減に慣れてもいいと思うのだが、奈津美の目線はあらぬ方向を行ったり来たりしている。顔どころか耳まで熟れた林檎を思わせるほど真赤に染まっており、何か言おうとしているのだが、言葉にならずに陸に打ち上げられた魚の様に開閉するだけだ。そして、僕はここでやめるような性格はしていない。追いうちは基本ですよ。バーロー。
「先生、卒業するまで待っていてください。必ず迎えに行きます。」
「あ、あう……」
追いうちしつつ、先生と生徒だからという逃げ道を塞ぐ一石二鳥の大技だ。
奈津美の頭から湯気が上っている。※イメージです
目には涙が滲んでいるように見える。恥ずかしいのだろう。
「奏ぇ~。そろそろやめなよ~」
香菜から奈津美を擁護する声が上がると、クラスのそこかしこからそれに賛同する声が上がる。
どうやら僕の見方はいないらしい。いるとも思っていないが……。しかし、背後が騒がしくなってきた。仕方がないので、魔法の呪文を唱えることにする。
「……蠅が言いました。『五月蠅い』」
決して大きくはない声で呟くと、背後は水を割った様に静まりかえる。
僕が唯一使える氷系の大魔法だ。下手に使うと世界に悪影響を及ぼすほどだ。
静まりかえる直前には亀裂の走る嫌な音が響いていた。
中にはわかっていないやつ(というか香菜だけだ)がいるが……。
「先生、今、返事をもらえませんか?」
邪魔者共が消えたところで、優しい笑みを浮かべ仕上げに入った。
「……駄目、ですか?」
逃げられないように徐々に顔を近づけて行く。
もう少しで接触する、というところで教室の扉が開かれる。
保健室に行っていた妃音と光が戻ってきたようだ。そして教室の惨状を見るなり現状を把握したようだ。
「奏君。遊び過ぎよ」
そうだそうだと光。
奈津美を開放する。あからさまな安堵の表情を作られたが、まあいいだろう。
「委員長。今から言うことをよく聞いて欲しい」
「何かしら?」
「やめられない止まらない」
妃音の表情が固まった。
何かが割れるような音がしたが気のせいだろう。そして妃音は笑顔を作る。目は笑っていないが……。
とても怖いものがある。
普段笑わないから余計にそう感じるのだろう。
笑顔を向けられている僕より、近くでその笑顔を見ている奈津美の方が怯えているほどだ。
「奏君」
「何かな?」
お互いに笑顔で向い合う。
教室に不穏な空気が漂っているが、止められる者などいるはずがなかった。
委員長が近寄って来る。
内心で危険信号がうるさいほど鳴っているが、今さらここで引くことはできないのである。
僕は気取った態度で、まだ近くにいる奈津美へと手を伸ばす。
腰に手を回し手繰り寄せる。
もう片方の手は腰に置く。
「愛の営みを邪魔しないでくれないか?」
「一方的な思い込みね。セクハラとストーカーは犯罪よ?」
「HAHAHA!同意の上なら問題なかろう!」
「先生は恥ずかしそうにしているけど、もの凄い勢いで横に首を振っているわよ」
「照れているのSA!全く、可愛いやつよ」
そう言いながら頭を撫でてやる。恥ずかしいらしく奈津美は俯いてしまった。
妃音が物体G(黒い昆虫で妙に黒光りしており、生理的に受け付けられない生き物)を見るような目でこちらを見る。
教師に対する態度ではないが、僕の性格は学校中に広まっているので、他の先生方ですら匙を投げた次第である。
最終的に、僕と妃音が正面からの睨み合いへと移行(睨むと言ってもお互いに笑顔だ)した。
奈津美が慌て始めたところで予鈴が鳴り響く。
「お、授業の準備しないと」
「1限目は数学ね」
お互いに何もなかったかのように、席に戻り授業の準備へと入る。
呆気に取られている奈津美は総スルーだが、それもいつものことだ。
馬鹿なことばかりしているが他の先生方から何も言われないのは、何だかんだで成績が優秀だからということもあるのだろう。それに被害者が奈津美だけというのもあるのかもしれない。
「先生~。移動しなくていいんですか?」
「あんたのせいでしょ……」
僕の指摘と香菜の突っ込み。僕等の学校生活はこうして幕を開ける。
◇
時計の秒針が動く音の響く中、真面目にノートと取る。
隣では香菜が涎を垂らしながら幸せそうに寝ている。
一般女子(?)としてそれはどうかと思うのだが、言ったところで聞きはしないのがわかっているので何も言わない。
「ん~。奏~。」
寝言で僕の名前を呼んでいるが、完全スルー。何も聞こえませんでしたとばかりにノートに目を向ける。
先生が香菜に目を向け、青筋を浮かべているが、関わると巻き添えを食らうので無視だ。
後々教えることになる僕としては、これくらいの罰を受けてもらわないと、やってられない。何せ体育以外の全授業を爆睡しているのだ。1から全授業を教えていく僕の身にもなって欲しいというものだ。
先生が近づいてくる。手には分厚い辞書を持っている。
僕はノートを取る振りで目を向けない。
「の゛!?」
決してかわいくない、女の子として致命的とも言える唸り声を発した。その時に重い石を地面に落としたかのような嫌な音がしたが気のせいだろう。
そこで初めて目を向ける。
香菜は頭を押さえて涙目になっている。
幼馴染殿は何事かと周囲を見回すと、自分を見下ろしている先生に気がついたようだ。引き攣った笑みを浮かべながら『お、おはようございます』などとのたまっている。
二度目の制裁が下ったのは言うまでもないだろう。
◇
「相変わらず馬鹿だな~」
授業の間にある休み時間、僕が呆れたように言い、香菜へと向き直る。
まだ頭が痛いのか手で擦っている。
「仕方ないじゃない。眠いんだもの」
「……お前は何しに学校へ来ているんだ?」
僕のもっともな意見に、考える仕草をする。いや、考えるなよ。
「寝に?」
「はいそこ。疑問形でふざけた発言するんじゃない」
「奏にふざけたとか言われた!」
「僕のはただのスキンシップだ」
「過剰なような気がするんですけど?」
「そんなことはない。むしろ足りてないくらいだよ」
やれやれと両手を挙げる。
そこかしこで「あれで足りない!?」「どんだけー」と聞こえた気がしたが、都合が悪そうなので全てシャットアウトする。
「舞ちゃんにはもっと過剰だもんね~」
香菜が爆弾を投下してくれる。
男連中から怒りと憎しみに染まった視線を向けられた。
「むしろ舞が過剰なスキンシップを取ってくるんだけどな」
僕の愚痴にも似た呟きにより、怒りと憎しみの視線が悪化。殺気も混じっているが気のせいだろうか……。背後で「血涙出てるぞ!」という絶叫が聞こえたが、振り返って確かめる勇気はなかった。
「奏は冗談のつもりかもしれないけど……」
「どう考えても冗談だろ」
「いや~。舞ちゃんはどうなのかな~って」
「舞だって冗談でやってるよ。……たぶん」
「たぶんて、あんたね……」
「二人の時でも反応が変わらないからなぁ~。……香菜?どうして机ごと距離を取ろうとしてるんだ?」
「なんでもなーい」
机一つ分の距離を取られてその発言を信じろと?
しかも目線を僕と反対方向へと向けている。こちらを見ようともしない。
「おい。香菜」
名前を呼ぶと同時に肩を叩こうと手を伸ばす。
香菜は体を捻って回避すると、こちらを睨みつける。
「触らないでよ。この痴漢!」
「肩を叩こうとしただけで痴漢扱い!?」
「不満なの?じゃあ変態にしといてあげる」
「妥協しましたみたいな言い方してるのに全く妥協されてねぇ!!むしろ悪化してないか!?」
「大丈夫よ。奏のこと、あたしはよく知ってるからさ」
「どこが大丈夫なんだ!?この状況でその発言は追い打ち以外の何物でもないですよね!?」
「あたしの評価は、間違ってないと思ってる」
「思うなよ!その評価は幼馴染を社会的な死地に追いやってるよ!!」
「うん♪知ってる♪」
「確信犯!?」
「昔は……。……ううん。昔のことを言ってもダメよね……」
「何で思わせぶりなの!?昔も今も僕は大差ないよね!?」
「ううっ……」
「泣く要素はないはずですよねぇ!!」
「(笑)」
「変わり身早っ!そんなに僕が滑稽だったか!?」
「うん♪」
「ちくしょー!いい笑顔で返事しやがったー!」
僕は机に突っ伏して泣きだす。もちろん振りだが。
机を動かす音がして、隣に人の気配が戻る。
「奏……」
優しい呼びかけと共に、肩に手を置かれる。
「香菜……」
僕は呼びかけに応じて顔を上げる。
「ふっ……」
口元を押さえて顔を背ける香菜。
「うおおおい!まさかの追い打ち!?」
「大丈夫だよ。奏は変態で痴漢でどうしようもないシスコンだけど……」
「なあ。慰める気ないよな?それ慰める気なよな?」
「面白いから!!……顔」
「顔かよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
机に突っ伏し、マジ泣きに移行。
酷い。いくらなんでも酷過ぎる。
肩を叩かれる。おそらくまた香菜だろう。ここで顔を上げても再度追い打ちが来るのだろう。香菜、その手には乗らないZE!
「奏君?」
この声はっ!
「委員長ーーー!香菜が!香菜のやつがー!!」
顔を起こすと同時に妃音に泣きつく。
「ふっ」
僕の頭に落雷が降り注いだ。
◇
「……ちょっとやり過ぎたかな?」
「そうね。ちょっとだけやり過ぎたわね」
『ちょっと?』会話を聞いていた周囲のクラスメイトを心の中で突っ込んだ。
彼等の視線の先には真白に染まった奏の姿が移る。
目は虚ろで死んだ魚のようだ。擦ったら消えそうな儚さだ。
「まさか妃音が乗ってくるとは思わなかったわ」
「励まそうと思ったのだけど、面白かったから」
ついねなどと言っている。
腕を組んで『やっちゃった!テヘッ☆』とか言う訳でもなく、ただ事実を述べているようだ。
「……素で?」
「ええ、そうなるわね」
香菜は真っ白になっている幼馴染に目を向ける。
すぐにあまりにも哀れで見ていられなくなり目を逸らす。
自分は最初からからかっていたのを奏も理解していたのだろうが、予想外の人物に追撃を食らったのが相当効いているらしい。
奏の座っている椅子ごと床にめり込んでいるような錯覚を受ける。
そんな撃沈状態の奏に、もう一人の幼馴染が近寄って行く。
すでに結末は見えているが、まあ放置していいだろう。いつものことだし。
「元気出せよ奏」
「光……」
「光だ!全く、凹んでるなんてお前らしくな」
「黙れゾウリムシ。男に慰められても嬉しくもなんともないんじゃボケ!光に生まれ変わって出直してこい!」
奏が瞬時に持ち直すと、光に向って罵倒の言葉を投げつける。
今朝と同様、光は教室の隅で蹲ってしまった。
もしかしたら彼が一番かわいそうな位置にいるのではないだろうか。そんな考えも浮かんだが、懲りずに絡みに行くのでいいのだろうと考えるのを放棄する。
光を罵倒して持ち直した奏は、ターゲットを光に設定したらしく、光に向って罵詈雑言を浴びせ続けている。
「ぺっ!ゾウリムシの分際で人と同じ位置なんざ無理があるんだよ。わかったかこのフナ虫め!」
あちらでは光がゾウリムシからフナ虫に変えられている。妃音はそれをやれやれといった感じで見ると、奏を止めに向かっていった。
香菜はその背中を見送る。見送ることしか出来ない。
昔はこんな事態になれば必ず自分が行っていた。しかし、最近ではその役目は委員長である妃音にいってしまっている。
昔はただの幼馴染だった。立場的には今もそれは変わらない。そう、立場的には同じなのだ。
違うのは香菜の内面、精神的な面で自分が変ってしまった。
奏の方はずっと変わらない。今も自分のことをただの幼馴染だと思っているだろう。
登下校では舞を含めて一緒に帰っているが、奏との間に薄い空気の壁があるような気さえしている。
自分で作り出している壁なのだと理解している。どうしてそんな壁を感じるようになったのかも理解している。
香菜は奏に特別な感情を抱いている。
それが足かせとなって、昔のように接することができないのだ。
気持ちを伝えようと思ったことも何度かある。しかし、気持ちを伝えた結果、今の幼馴染という関係が壊れてしまうんじゃないかと思うと、怖くて伝えることができないのだ。
光のことをヘタレだと言ってからかうことがあるが、香菜にそんな資格がないのは香菜が一番わかっていた。
最近では、関係がおかしくなるくらいなら、一緒にいられるだけでいいと諦めてしまっている。
『奏は、あたしのことどう思っているんだろう……?』
いつものように馬鹿をしている想い人に目を向けながら、つらつらとそんなことを考えていた。
◇
「今日はこの位にしといてやらあ!」
猫背になり下端のヤクザのような動きで光に背を向けて席に向かう。
自分の席に向かう中、香菜の様子がおかしいことに気がつく。何か考えごとでもしているのか、視線が何もないところを彷徨っている。
「どうした香菜?大丈夫か?」
近づいたことにも気が付いていなかったのか、話かけた直後に体が跳ねる。
どうしたのだろうと、覗き込むような形で顔を寄せる。
「ボーっとしてるけど大丈夫か?」
「う、うん。ちょっと考え事してただけ」
「ならいいけど」
最後に本当に大丈夫かと確認する。顔色も悪くないし、本人も大丈夫というのだから大丈夫なのだろう。
「様子が変だったから心配しちまったじゃないか」
僕はそのまま自分の席へと腰を下ろす。
背後ではまだ立ち直れない光が妃音に慰められている。どうせ構ってもらいたくて、立ち直れない振りでもしているのだろう。
この程度の掛け合いなら昔からずっとやってきたのだ。今さら傷つくほど繊細なやつでもない。
今は俺と光を止めに入るのが妃音になっているが、入学当初はまだ香菜が突っ込み役だったのだ。
何故かわからないが、去年の中頃から香菜の替わりに妃音がこの馬鹿騒ぎを止める役になっていた。香菜が何を思ったのか、掛け合いに参加しなくなったからだ。
何か心変わりするような要因でもあったのだろうか。それとも男女とからかったのが悪かったのだろうか。しかし、それは遥か昔から言ってきたことなので今さらな気がしないでもないが……。
とにかく、昔のように香菜がこちらに絡んで来なくなったので、どう対応したらいいのかわからず、現状は様子見ということで、光とは話を付けてある。
話をしてもらえているし、登下校も一緒なので嫌われている訳ではないと思うのだが……。
「奏?どうしたの?」
「ん?ああ、ちょいと考え事してた」
「あんたも?」
苦笑混じりに香菜が訪ねて来る。
僕も苦笑いで返す。香菜は何もしゃべってはくれないが、なんとなくこれでいいのかもしれないと思った。
今は、まだ……。
◇
「んー!今日も疲れたなー」
長時間同じ姿勢でいた為に固まってしまった体を伸ばす。
背面から小気味いい音が聞こえ、隣にいた香菜が笑みを浮かべる。
「おはよ~」
「寝ているだけのやつから、戯言が聞こえた気がしたが?」
気のせいか?とばかりに目を向ける。
もちろん気のせいなどであるはずもない。
額には袖についているボタンの形が浮かび上がり赤くなっており、寝起きですよとばかりに目元は赤く、若干だが涎のあとが残っている。
実は女の子であるのを放棄したのではないか?と思わずにはいられない姿だった。
僕は溜息を吐くと、そのことを指摘してやる。
「香菜、今のお前、酷い顔だぞ……」
「……ええ!?」
本当に寝惚けていたらしく、僕の指摘により一気に目が覚めたようだ。
珍しく顔が真赤に染まっている。幼馴染の珍しい表情に驚き、まじまじと見つめてしまう。
香菜は僕が見ていることに気がつくと俯いてしまう。艶のある綺麗なブラウンの髪の影から、薄らとだけ見えている耳まで、林檎を思わせるほど真赤に染まってしまっている。
何か見てはいけない物を見てしまったような気がして、こちらまで恥ずかしくなってくる。表情を窺うことも出来ず、照れ隠しに頭を掻いて誤魔化す。
こちらを見て光がニヤニヤしている。
……どうやら明日は光に制裁を加える日になりそうだ。覚えとけ、ボッコボコにしてやんよ!
心の中でもう一人の幼馴染に悪態をつく。今、声に出したら墓穴を掘ることになるだろう。それは非常に腹が立つので、気合いと根性で回避する。
「香菜、舞が待ってるから帰ろうぜ」
「え、う、うん。そうだね」
クラス中から向けられる好奇の視線に耐えられず、香菜を連れてさっさと離れることにした。
これは戦略的撤退である。断じて逃げる訳じゃない!舞が待ってるのも事実だしな!
内心で言い訳を並べ立てるが、決して声には出さない。教科書をカバンに入れるだけなので、すぐに香菜の帰り支度が終り、追い立てられるように退散していく。
香菜も居た堪れないのか、黙ってこちらのペースに合わせてくる。
お互いに無言で歩みを進める。階段を降りたところでペースを落とし、息を吐く。その際に、気取られない程度に香菜の顔を盗み見るが、完全に俯いてしまっているために表情を見ることはできなかった。
髪の隙間から覗く、小さくてかわいらしい耳は、先程から変わらずに林檎を思わせる赤に染まっている。
いつもならすぐに出てくる軽口も全く思い浮かばず、何と声をかけていいのかわからなかった。
『珍しく女の子みたいな反応されると、どう対応したらいいかわからないんだが……』
なんとも居た堪れない空気が二人の間に漂う。
「あー、その、なんだ。悪かったな」
「ぅえ!?な、何が?」
僕に話しかけられると思っていなかったのか、わかりやすく動揺したような声が上がった。
「いや、何か辱めてしまったようだから」
「その言い方はなんとかならない訳?」
「すまん!責任は取らないから!」
「無視か!しかも責任取らないのか!」
「責任、取って欲しいのか……?」
真面目な顔を作って香菜に問いかける。香菜は素っ頓狂な声を上げると視線をそこら中にやっている。相当動揺しているようだ。……面白い。
「香菜」
優しい声色を心がける。顔には微笑を浮かべ、視線はしっかりと香菜に固定する。見た目は真面目な表情になっているだろう。香菜と視線が交わる。呻き声に近い呟きが聞こえてくるが、僕の耳には届いてこない。恥ずかしいらしく、ようやく元に戻った耳の色は沸騰したように深紅に染まっている。僕は息を大きく吸い込むと、捲し立てるように言葉を並べる。
「僕が、責任を取る!……と思ったら大間違いだよ」
僕はいい笑顔でサムズアップして答えた。ここでは一瞬だけ間を開けるのがポイントだ!間を開けたほうがより面白い反応が返ってくるからな!
香菜は茫然とするが、すぐに何を言われたのか理解したようだ。先程までは照れて赤くなっていものが、今度は憤怒で真赤に染まっている。
……どうやら、僕は選択肢(からかい方)を間違えてしまったようだ。遺書を書く暇も貰えないようだ。
視界の端に、しっかりと踏み込んだ際、スカートの下から一般生徒より健康的な色をした太ももが覗く。おおっ!と感動する間もなく、僕の顎に斜め下から飛んで来た拳がめり込む。硬く握られた拳は僕の顎を打ち抜き、綺麗に振りぬかれた。身体のバネというバネを使い切った完璧な殴打だった。
後に、僕はこう語る。『世界を狙える!』と。
インパクトの位置が少し悪かったのか意識は紙一重で残っているが、僕は立っていることが出来ず、その場に崩れ落ちる。
「ぐ……。ナイス……パンチ……」
下から香菜を見上げると、顔が真赤に染まっており、目の端に涙が浮かんでいるようにも見える。怒りが限界突破したようだ。目は吊りあがり、口は固く結ばれている。手を振り抜いた姿勢で止まっている。
「そ」
僕が続きを言おうとすると、香菜が再度拳を振りかぶった状態で停止する。僕がまだ何かを言おうとしているのを見届けるつもりのようだ。……その選択を後悔するがいい。我はただでは負けぬ!
「そしてナイス○揺れ!ナイス○ンチラ!」
自主規制は忘れずに!もちろんサムズアップは忘れない。殴打により流れ出ている鼻血がいい感じだ。
追撃が来るのがわかっているので、早口で捲し立てた。
「きっ……」
数秒後に来るだろう衝撃を覚悟し、その上で決してガードは取らない。ガード?身体を張らなきゃ笑いは取れないんだぜ!
「きゃああああああぁぁ!!」
響き渡る絶叫。それと同時に振り下ろされる拳。香菜の拳は僕の顎をまたしても綺麗に打ち抜いた。
予想を上回る衝撃に、身体は床で1バウンドする。頭は2バウンドだった。
暗くなる視界の端で、縞模様をした布切れが見えた気がした。
続きはいつになるかわかりません!(ドーン
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