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三つの月と、蜜色の。  作者: 桐月砂夜
第1話 はじまり
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Chapter2

 大きい狼はそれから、小さな焚き火を用意した。お互いの顔が、娘が此処に飛び込んだ時よりも、ぽわり、と浮かんだ。低い声とは反して、狼が想像よりふさふさの毛を纏っていたのに娘は少し和んだ。


「あやつらもしばらくは戻らないはずだ」

「夜明けまで此処にいればよい」


 ありがとうございます、と軽く頭を下げ、娘は大人しく狼の言うことを聞いた。


 狼は慣れた手付きで手元に置かれていた道具らしきものをまとめ、それらを全て詰め込んだ鞄を、ひょいと持ち上げた。そして最後に立てかけてあった先ほどの大きな剣を背負うと、じゃあなとだけ言って娘に背を向けた。


「あっ、あの」


 狼は立ち止まったまま、ちら、と目だけで娘を見た。娘は焦ってしまった。また鋭い瞳で睨まれたからだ。


「何だ」


 応えてくれたことに安心しながら娘はぺこりと頭を下げた。


出発(たた)れるのですね」

「時間をいただき、大変失礼致しました」

「改めましてこの度は、心より感謝いたします」


 少し早口になった。

 狼はそれには何も答えずに、廃墟の煉瓦を跨いだ。

 その背中が闇に消えてゆくのを何となく見届けたあと、娘はゆらり目の前にある、ちいさな火を見つめながら身体を丸めた。

 先ほど見上げたときに見えた、グリーンの光を湛えた彼の瞳をとても綺麗だと思った。屋敷のどんな宝石よりも。


 先ほどは触れることすら出来なかった、キャメルの革に包まれた小さなダガーを、鞄から出して眺めた。

あの草むらに上手く隠れたと思っていたのに。動悸のなかでは周りの音など、一切聞こえないのだな、と改めて思った。

 ああそれとも、娘は夜空を見上げた。


「月が明るすぎたからなのかも知れません」


 雲は少なく、月の傍だけ淡く流れているのがようやく分かるほどで、何よりあの月が眩しい。

 この世界には三つの月が存在する。きっと今夜は、一番明るい三つ目の満月なのだ、と娘は思った。


 目が慣れてくると、焚き火がなくとも辺りは良く見えた。だからきっと、あのおそろしい男たちに見つかったのかも知れない。

 娘は追われた理由を付けたかった。これからはひとりでも歩ける。進める。だいじょうぶ。


 焚き火は暖を取るために用意してくれたのだな、と気付いた。静かになった身体にはぬくもりが心地よかった。

 夜明けはいつ来るのだろう。早く来てほしい。でも、と娘は思う。このまま闇の中に溶けてしまえたら、楽になれるだろうか?

 先ほどのダガーをキャメルのケースから抜いた。ぴかぴかだったそれに、焚き火の炎が映りこんだ。次こそ使うときが来るのだろうか。そのときこれは一体何からわたしを護ってくれるのだろう。

 娘は手首を何度かひねって、握っている刃先の表と裏を確認するような真似をした。月はあれだけ明るいくせにうまく映らない。

 つまらなくなって、娘がダガーをキャメルに戻そうとしたとき、低い声が降ってきた。


「何をしている」


 娘は驚いて持っていたダガーを焚き火に落としそうになった。その瞬間、何者かは焚き火を蹴り上げると、それらは散らばって灯りを失ってしまう。

 その衝撃で先ほどまで娘が隠れていた幾つかの樽と木箱の山が崩れたらしい。あるいは壊れてしまったのか。からんからん、という音だけがして、娘はその姿勢のまま固まってしまった。目の端に木箱の枠が転がっている。


「また追われたいのか」


 声を失って焚き火があった場所から視線を動かせないでいると、ため息が聞こえた。恐る恐る顔を上げると、先ほどの狼が立っていた。そして、何をしている、と改めて言った。娘が答えられずにいると、より低い声で諭すように続けた。


「刃物のような光はより遠くまで届く」

「あれより敵を寄せつけるのだぞ」


 あれとは先ほどの足蹴りにより散らばって、今はほんのり燻っている焚き火だったものを指すようだ。

 娘のダガーだけはそのまま傍に落ちている。それが火の中に落ちてしまわないように、そして灯し火が消えてしまうように、狼は上手いこと焚き火を蹴り上げたのだった。

 彼女は慌ててそれを拾い上げ、両手で胸に抱えると、ごめんなさい、と謝った。


「俺に謝っても仕方がなかろう」


 狼は無機質な声で言い、娘はまた溢れそうになる涙を堪えて、はい、とだけ答えた。


「この場所に死体が転がるのは嫌なのでな」

「つい背中を確認してしまった」


 狼は廃墟の壁に身体を傾け、娘をまたも軽く睨みながら続けた。


「そうしたらどうだ」

「光を弄んでいる様子が見てとれた」


 娘は何も言えなかった。


「知らなくて」


 やっと蚊の鳴くような声で答えた。


「そのようだな」


 娘が答えなかったので、辺りがしん、となった。やはり火がなくとも明るい。

 ぱた、と音がするのに気付いて、娘はつい首を傾け、そちらを見た。そこは狼の膝裏あたりで立派に揺れる、尾であった。

 娘の表情が緩んだ。すると、狼が視線に気付いた。


「何を見ている」


「も、申し訳ございません」


 娘は慌てて視線を逸らした。失礼に思われてしまっただろうか。動悸が激しい。

 そして、先ほどから時間が経っていたと言うのに、もう此処まで戻って来られるなんて。すごい、と娘は単純に感激した。


「何をするか分かったものではないな」


 狼は言った。


「此処は俺にとって少ない」

「丁度良い場所なのだ」


 だから此処に着くまえに遠吠えをしていたのかも知れない。娘は納得した。

 誰も寄せ付けないように。或いは誰かを呼ぶように。


「少し歩いた先に小さな村がある」

「ついて来い」


 承知致しました、と娘は急に元気になって、ケースに戻したダガーを小さな鞄に突っ込むと、立ち上がった。

 夜明けが少しずつ近付いているのか、辺りが柔らかく光り出す。

 気が付けば、満月は淡く遠くなっていた。

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