第八十一話:異世界で科学を教えます。
ほんのちょっと科学的な話をしようと思ったら、がっつり調べないと何もわからん。
小中学生レベルの理科しか覚えてないですけれど、それさえあやふやになってるものですね。
まぁ、ぼんやり生きていくだけなら、現象のメカニズムなんて気にしないものですから……。
でも改めて調べてみて、やっぱメカニズムを知るって面白いなって思います。
本来なら、魔法の訓練にも数カ月かけるはずだったようですが、初日の時点で魔法の天才からお墨付きをもらったので免除になりました。ある程度の練習は必要ではありますが、それはフラーディアで賄えることが1週間でわかったので、困ったことにはならなさそうです。
「はい、充填終わり」
「本当に、歴代の異邦人でもここまでの魔力操作ができる方はいませんでしたよ」
「スマホの充電と同じって思えば簡単だよ。無駄知識があるだけ」
現在、コンロ用の魔石に魔力充填が日課の一つになってます。歴代の異邦人ができなかったのは、充電っていう概念がなかったからだと思います。物を知っていることほど、強いものはないなって実感します。魔石を受け取って、ラルスはコンロにセットしていきます。このまま作業に戻ってもらいたいところですけれど、今日から理科の授業ができます。
「さて、みんなには待たせちゃったけれど、科学について教えるね」
同じ制服でこっちを見ているみんなは、なんだか学校の生徒みたいです。年代なんかバラバラですし、私は教師を目指してもなかったですけれど。楽しみって空気が伝わってきます。あんまりハードルは上げないでほしいものなんですけれど……。
「さて、ここにコップ一杯分の水があります。これの温度をだんだん下げていくと、最終的に氷になるね」
「当然の話ですね」
魔法で水を凍らせます。なんの不思議なことでもない、当然の自然の摂理。
「この、水が氷に変わる瞬間の熱を温度0度とします」
「熱がない、っていうこと?」
「端的に言えばね。逆に、この氷を温めて水にして、更に温め続けると、沸騰する。この沸騰する瞬間の熱を温度100度とします」
「わかりやすい目安ですわね」
「じゃあ、50度だとどれくらいの熱さだと思う?」
「氷と沸騰した湯の丁度真ん中ですから、少し温かいくらいの水、でしょうか」
「じゃあ、実際に50度にしてみましょうか」
手元で沸騰している水の温度を下げて、ちょうど50度にします。
「エルネスト、触ってごらん」
「……かしこまりました」
まだ湯気の立っている、どう見てもお湯にエルネストはそっと手を伸ばします。指先が触った瞬間に「あっづ?!」と大声を出して勢いよく手を引っ込めました。
「いい反応をありがとう」
「私を指名した時点で覚悟はしていましたが……。風呂の湯の方がまだ温いです」
「そう。50度だとまだ全然お湯なんだよね。人間が触れるくらいのお湯にするなら、40度くらいが最適。触ってごらん」
「……たった10違うだけでこんなに変わるものなのですか」
改めて触って、エルネストは感心したように言います。興味津々にノアが手を伸ばします。温かいコップに触っているので、そこからどんどん温度を下げていきます。
「つめたくなった」
「30度くらいかな。じゃあ、40度と30度の間で温かいから冷たいに変わった理由って、なんだと思う?」
「お湯が水になったからじゃねぇの?」
「お湯と水の違いって何?」
すぐに答えは出て来ません。しばらく考えて、カタリナが答えます。
「熱、です。温かいと感じるのが、お湯。冷たいと感じるのが、水」
「その通り。でも、見ての通り物体そのものは変わらない。『熱い』『冷たい』の違いって、どうして生まれて来ると思う?」
「……そう、感じるから、としか」
「大正解。人間も熱を持っている、その熱より高いか低いかで『熱い』『冷たい』の感覚が変わるんだ。じゃあ、人間の持つ熱はどれくらいだと思う?」
「40から30の間でノアさんが冷たいって言ったから、その間ですよね」
「ぴったり真ん中ではなさそうなので、34くらいでしょうか」
「エドガー、惜しい。人間の平熱は35度から37度くらい。子供だと高めで、年齢が上がるごとに低くなっていくんだって」
感心した声が上がります。こういう反応、ちょっと面白いですね。
「熱っていうのは、高い方から低い方へと移動するものなの」
魔力スクリーンでホログラム画面を出します。よくある図解ですね。高い方が赤くて、低い方が青い。赤い方から青い方へ矢印を向けます。不思議なのか、魔力に反応してか、ミヅキとセイカが画面に触ろうとするのをテリーが止めました。それから聞いてきます。
「この図が熱が移動する様子、ということですか?」
「そう、わかりやすいでしょ。この熱が移動することを熱伝導って言うの。熱が奪われていくことを『冷たい』。逆に、熱を受け取ることを『熱い』って感覚で私たち人間は感じてる」
「なるほど、ただの感覚でしかなかったものがそういう原理で起きていると知るのは、確かに少し面白いかもしれません」
「ですが、これは魔法と言うほどのものではないかと。この熱伝導、という原理は魔法に頼らずとも自然に起きることでしょう」
「そうだね。この程度じゃ確かに魔法ではないね」
考えるように言ったブラッドに笑って答えます。これはただ現象のメカニズムについて説明をしただけの話なので、魔法でもなんでもないです。っていうか、科学ってそういうものなので、全く魔法ではないんですけれどね。これを応用していろんなことを出来るようになったら魔法みたいに見えるってだけの話です。
「科学っていうのは、こうやって物事がどうやって成り立っているか、その根本的なメカニズムを突き詰めて考えていく分野って言えばいいかな」
「魔法研究とあまり変わらない」
「薬草研究にも通ずるものがありますわ。扱うものが違うというだけで、やっていることは変わらないものですわね」
目から鱗って感じでメリッサが言います。こっちの世界の人って、異邦を見に行けるわけではありませんからね。それこそ神々の世界みたいなものなんでしょう。
「異邦だって、世界を作ってるのはこの世界と同じ人類ってものだからね。生きる為の工夫は必ずするものだよ」
「それでも、異邦の世界の発達は目覚ましいものです。その恩恵を受けきれない程には、発達したものの違いが大きすぎる」
改めてスヴァンテ様が驚きを口にします。確かに、異邦と異世界では世界の発達度合がまるで違います。便利で豊かな現代社会で暮らしていた私達が、大きく困らない程度にはこの世界も発達していますが。それでも、まだ全然足りない。この世界にはないものが多すぎる。
「だから私が今、科学を教えているんですよ」
末端でしかなくて、小学生に教える程度の基礎教養でしかありませんけれど。でも、知識があることは強みです。知っていれば、できることが増える。知識があれば知恵を工夫してなんだってできる。
「私が科学を応用して、魔法を使っているのと同じです」
コップの中の水を浮かせます。それを分散させて、霧にして、窓際に展開。差し込む光が虹を作ります。それにみんなが目を丸くしました。
「マルソ様の微笑み……!」
「そんな風に言われてるんだ。これも簡単な科学だよ」
「……魔法と言われた方が、納得できます」
茫然と言ったエドガーに笑っちゃいます。塊に戻した水を袋状にして、一気に押し潰す。押しやられた空気が飛び出して空気砲になります。急な風にノアがびっくりして飛び上がりました。
「いまのなに?」
「空気砲。科学だよ」
空の瓶に少しだけ水を入れて沸騰させてから、密閉。それを周りを氷で囲んで一気に冷やします。大きな音がして、瓶が割れました。
「今のもカガクってやつ、か……?」
「そうだよ」
割れた瓶のガラスを魔法で溶かします。真っ赤になってドロドロになったガラスにみんな驚愕を口にしました。普段使っているものがどうやってできているか、本当に見たことないんですね。ドロップ型にして、冷たい水の中に落として一気に冷やし固めます。出来上がったのはオランダの涙ってやつです。ハンマーや銃弾の衝撃にさえ耐える、超硬度のガラス玉。実際に、エドガーが使ってる木槌を借りて思い切り殴りつけますけれど、全くもって無事です。
「へえ~……、本当に割れないんだ」
「なんで、アレン様が、感心してるんですか……?」
「知識としては知ってたけれど実際を見たことがなかったから」
結界の中に閉じ込めてから、尾の部分を折ります。その瞬間に破裂するみたいに粉砕しました。こっわぁ……。あんまり好奇心でなんでもやるものじゃないですね……。
「あ、あんなに硬かったのに……」
「これも科学だよ」
わなわなとコンチータが震えて、カタリナと身を寄せ合っています。流石に、今のはみんな怖かったみたいですね。粉々になったガラスを集めて、紙に包んでおきます。どうするか後で考えましょう。ともあれ、とみんなに向き直ります。
「今見せたものは全部、水やガラス、熱の操作以外で魔力は使ってない。水一つ、ガラス一つ、熱一つ、ちょっと操るだけで科学をいくらでも利用できる。科学を利用できれば、より一層、魔法は高度になる。神の領域にさえ手が届くほどの世界にもなる」
そこに、本当に神って存在がいるわけではありませんが。
「人類如きが神の領域になんて、到達できるはずもないんだけれどねぇ」
それでも人類が獲得した技術で、神の領域にさえ食い込んでいける。
「だからせめて、この世界が大きなおもちゃ箱になればいいなって思う」
「おもちゃ箱、ですか?」
「うん、世界にあるありとあらゆるものをおもちゃにして、世界で遊ぶの。魔法と科学を使えば、きっと今よりも楽しいことが増えると思うんだ。そうやって楽しいことが増えていって、その中に『空を飛ぶ』っていう神への冒涜さえ入ったなら、私は嬉しい」
「敬虔な信徒が聞けば卒倒しそうな言葉ですね」
「人のことは言えないのでは」
相変わらず容赦のないことを言ってくれるラルスに、ブラッドがすかさず突っ込みます。それにみんなが笑い出しました。
「アレン様の下に集まった時点で、神様への配慮なんて気にしてないものね」
「確かに。空を飛びたい、アレン様の幼いころの夢。そこからフラーディアは始まってる」
「お、畏れ多いですけれど、でも、とっても素敵なことだって、私も思います。実現できたら、きっと、楽しいですよね」
「そうですね。夢を叶えるのに、神への配慮なんてしていられないです」
「ちょっと、怖い気もしますけれどね。でも、夢を叶えたいからこうして集まってることに違いないですから!」
「畏れ多い話ですけれど、実際、そんなに神さまのことを気にして活動はしてませんね」
「でもアレン様は謙遜なさりますけれど、立派な信仰心をお持ちの方ですよ。だから大丈夫です!」
「ああ、そうだ。異邦にあるものを教えてもらって、この世界は発展してきましたから。きっと神様もお許しになってくれます」
「そもそも、異邦の方が持ち込んだものが神の冒涜であるのなら、異邦の人間を呼ぶべきではないと思います」
「それでも敬虔な信徒はいるものですよ。まぁ、そういう面倒を考えるより先に自分達にはすべきことがあるという話ですね」
「神様には見守っててもらうくらいで十分だ。ボクたちは自らの手で世界を発展させなければならないのだから」
口々に好き勝手に言います。本当に、敬虔な信徒がこの場に居たら卒倒しそうですね。っていうか、スヴァンテ様には影がついてるんじゃないでしたっけ。その人たちに聞かれるのはいいんだろうか……。いや、気にするだけ無駄ですね。異邦人召喚には教会だって噛んでるわけですし。今回に限ってはランダム召喚で、選べなかったわけですから。私の背信的な発言も、いくら取沙汰したところで、醜聞の傷口を広げるだけでしょう。
「かみさまっているの?」
いつかの質問をノアが改めてして来ます。あの時は笑って誤魔化しましたけれど、今度はちゃんと応えます。
「いるよ。都合のいい時にはね」
「都合が悪い時にはいないってことかよ」
「そうだよ。今は都合が悪いから、いないの」
「えぇ……」
怪訝そうな顔をしたカイに笑います。ノアも小首を傾げて、「よくわかんない」って言いました。みんなも笑ったり呆れたり、それぞれに反応します。ユエシン教の教えってそんなに緩いんだろうかって思っちゃいます。源流が日本人が持ち込んだものって考えたら、こんなものなんでしょうか。まぁ、とりあえず、科学を知ることに対する意欲はみんな十分みたいです。それなら、こっちも出来得る限りの知識を教えましょう。
「じゃあ、もう少し熱伝導についての話を続けようか」
本題に戻せば、元気な返事がされました。




