第七十九話:異世界でも転職活動はあるみたいです。
本日から春分です。
9つの鐘が遠くから聞こえてきました。辿り着いた魔獣研究所に、明香里と一緒に踏み入ります。研究所は普通に稼働してるみたいです。この前来た時と違って、たくさんの人が動いている気配がしています。前に来た時と様子が違うので、カイとノアは少しそわそわしてますね。物珍しそうにきょろきょろとしてるのを見て、微笑ましく思っちゃいます。
「ようこそいらっしゃいました、聖女候補様!」
ここの所長なんでしょう。壮年の男性が出迎えてくれました。ニコニコとした笑顔は人が好さそうですが、どことなく圧を感じます。日常的に魔獣を相手にするから、と思えばこんなものかとも思いますが。なんだか落ち着かないなぁと思います。
「はじめまして、聖女候補のアカリ・ヨシダです」
「同じく聖女候補のレナ・カミシロです。アレンとお呼びください。この子達は私の方で育てている子供達です。ほら、ご挨拶」
「……カイ」
「ノア」
「ご丁寧にありがとうございます。自分はこの魔獣研究所で所長をしております、ラデク・ヴァン・ノヘイルと申します!」
声が大きい。これも圧を感じる理由の一つですね。明香里は見事に引いてます。こういうタイプ、苦手だもんねぇ……。
傍に控えている青年は秘書かなにかでしょうか。それとも営業を任されてくれるんでしょうか。わかりませんが、紹介はしてくれないみたいです。
「この度はカーフェンの引き取りをしたいとお話を伺っております! こちらで聖女候補様をお守りするのに十分な能力を持つ個体を厳選いたしました! ささ、どうぞこちらへ!」
示されたのは事務所の方です。初めて来るなら言われるままについて行ったかもしれませんけれど、このちょっと胡散臭い感じが気に食わないのもあって、ちょっとした反抗心が生まれます。
「早速、その厳選していただいたカーフェンと会わせていただけるということでしょうか?」
できるだけにこやかに聞いてみます。反抗心はあっても、最初から喧嘩腰はいかんぞ。ノヘイルさんはこっちを見て目を丸くしました。
「何故?」
「何故って、命を預かるわけですから」
「わたしもできるなら、自分で選びたいです」
「こちらで厳選させていただきましたので、能力については申し分ない個体ですよ!」
「能力についてではなく、性格的な問題です」
「調教もこちらで行いますのでご心配なく!」
「わたし、ただの番犬を引き取りに来たわけじゃないんですけれど……」
「カーフェンほど優秀な番犬はございません! だからカーフェンを選んだのでは?」
あ、ダメだ。この人話が通じない。
好きで魔獣と関わる仕事をしてるんじゃなくて、譲り受けたものを理解せずにそのまま使ってる感じですね。中身なんてどうでもよくて、自分が誰よりも高い位置にいることが重要としか考えてなさそうです。そりゃチェレホヴァさんやベルントソンさんをはじめとした女性社員が苦労してるわけだ……。明香里もあんまりいい印象を持ってないみたいです。見るからに嫌悪感を露わにしてます。カイとノアも、警戒して張り付いてきました。
「如何なされました?」
「いえ……、チェレホヴァさん、いらっしゃいますか? 今回の契約をするにあたって、彼女を指名すると約束しているもので」
「ええ、もちろん、彼女も今日は出勤しておりますとも! アレン様は彼女と契約について話をなさってください。アカリ様は別のヤツを用意しております!」
「わたしもチェレホヴァさんがいいです」
「彼女より仕事のできるヤツですので!」
「…………人間って、ここまで人を馬鹿にできるんだね」
思わず、と言った様子で明香里が言います。おお、この子にここまで言わせるとは……。ノヘイルさんには才能があるかもしれません。人を怒らせる一点に特化した、はた迷惑極まりない才能ですけれど。ノヘイルさんは何を言われたのかわからないと言うようにきょとんとしています。
「こっちの世界で会った人の中で、一番ひどい」
これでもかって嫌そうな声。本当に明香里にここまで言わせるとは……。流石に焦ったのか、ノヘイルさんは下手に出始めました。
「も、申し訳ございません! お気に障ったようで……! では先にこちらでご用意したカーフェンを連れて参りますので」
「だから、自分で選びたいんです。ただの番犬じゃなくて、家族として迎え入れたいから」
珍しいくらいに明香里は毅然と言い返します。そして明香里はパッと私の手を取りました。
「ごめん、アレン。お願いしておいてあれだけど、帰ろう。この人、嫌だ」
「ううん、大丈夫。そういう感性、大事にしたほうがいいと思う」
「ありがと」
生理的に受け付けないみたいです。握った手が少し震えてます。そんなに嫌なのか、この人。確かに、いい人とは言えませんが。明香里なりになにか感じるところがあったのでしょう。
「お、おおおお待ちください!! こ、困りますよ!! そちらからお願いしておいて、こんな仕打ち……!」
ノヘイルさんは慌てて道を塞いできます。間にエルネストと明香里の護衛騎士が入ってくれましたが、下手なことを言うと殴りかかって来そうな勢いです。明香里の勘、当たりですね。しれっと責任も非もこちらにあると言い出すあたり、自分の責任も非もわかってないようです。こういう無能がいるのは、能力より血筋に重きを置く人間が一定数いるからでしょうね。まぁ、能力ってある程度遺伝するものですし、性格や気質も遺伝します。優秀な親からは優秀な子供が生まれるはず、という理屈が成り立ってしまうのもわからなくもないですが。だからといって教育に手を抜いていい理由にはならないんですよねぇ……。
「こちらの話を一切聞いていただけないようなので、これ以上の話は不要かと」
「何を仰る! ご希望があればもちろん、お応えさせていただきますとも! おい、今すぐ彼女たちをカーフェンのユニットにお連れしろ!」
「だから、ここでの取引は控えさせていただきますと言っているんです」
「いえいえ! そんなこと仰らず!! ウチ以外での取引なんて、後悔しますよ! なんたって、国で一番優秀な個体を扱っているのですから!」
「個体の優秀さだけが価値ではないでしょう」
「魔獣なんてそんなものでしょう!」
……うーん、何を言っても無駄とはわかってるんですけれど。思わずでっかいため息が出てしまいます。
「実力が全部って話は、わからなくはねぇけど」
カイが口を開きました。一歩前に出てノヘイルさんを睨みつけます。
「アンタ自身がそう言えるだけの実力あんのかよ」
的確に煽るなぁって、少し感心しちゃいます。ノヘイルさんはカイを見下ろして、あからさまにバカにした目をしました。私は一応、聖女候補であるだけ、取り繕ってただけみたいですね。私は別にいいんですけれど、この子達が家名なしでこういう理不尽を受け続けるのはどうにも釈然としないなぁ……。戻ったらみんなと相談しよう、と頭の隅に置いておきます。
「聖女候補様といえども、子供の教育は不得手のようですなぁ。口の利き方がなっていないようです」
「ええ、それはこれから身に着けてもらうつもりのものですから。口の利き方については謝罪しましょう。申し訳ありませんでした。それで、ノヘイルさんは他人をジャッジできる程の優秀さをお持ちの方なのですか?」
逸らそうとした話を戻します。睨まれますが、怖くはありません。エルネストとカイが前に出てますし、ノアも一緒にいてくれます。明香里も様子を伺って、どう立ち回るか考えているようです。
「この人、自分があんまり優秀じゃない自覚あるみたい」
こっそりと教えてくれました。人の顔色伺うのが相当、上手くなっているみたいです。魔力のお陰なんでしょうかね。異邦人特典でしょうか。清一郎さんあたりに話したら、何かしらあったりしそうです。って、考えてる暇じゃないですね。彼との喧嘩、どうやって収めましょうか。
「いやはや、異邦の方は優秀とは聞き及んでおりますが、何も我々と比べることもないでしょう!」
「異邦から来たとはいえ、まだ成人前の小娘だと侮っていらっしゃるようですね」
「そんな畏れ多い! 皆さま大変優れた人物であると聞き及んでおります!!」
「今、私がしているのは異邦人の話ではなくて、ラデク・ヴァン・ノヘイルという人物についての話です。どうぞ、この子の教育の一環と思って、答えていただければ幸いです。実力主義を謳う人間として、誇りを持って頷けるほど、あなたは優秀な方なのですか?」
子供をダシにするなって感じですが。ここはカイの質問に乗るのがいいでしょう。実力主義、大いに結構です。世の中っていうのはどれだけ実力を積んで来たかで変わりますから。それを上回る才能は確かにあるのかもしれませんが、それに託けて努力を怠ると、実力に追い抜かれる。まぁ、この人に才能というものがあったかどうかは知りませんが。
クツクツと笑う声が聞こえます。騒ぎを聞きつけたらしい従業員がこちらの様子を伺っているようです。その内の何人かが、所長が異邦人相手にやり込められてるのを見て嗤っているみたいですね。嫌われてるなぁ……。
「か、カーフェンを引き取るだけのことに、自分の話は不要でしょう。すぐに取引の手配をいたしますので……」
「コイツ、バカなのか?」
「カイ、言い方に気を付けなさい。この人に何度も謝りたくないんだけど」
「……バカ、なの、です?」
「んー、落第。帰ったらお勉強しよっか」
「ノアも?」
「ノアも」
「むぅ……」
余計なことを言ったって言わんばかりの顔をしたノアに、カイは流石に拗ねたみたいです。横で明香里が笑ってます。今更、おしとやかな喋り方になるとは思いませんけれど、せめてテリーやエドガーくらいの話し方はできるようになってもらう必要はあります。ノヘイルさんは顔を真っ赤にしてて、怒り心頭っていうのが目に見えてわかります。
「さて、ノヘイルさん。私達がカーフェンを引き取りに来たのは、確かに番犬として優秀だからという話を聞いたからです。でもそれが引き取る必須条件でも決め手でもなかった。ただ、その方が立場的に必要になるから。この世界における改良種の価値がどれ程かはまだわかっていませんが、私達からしてみれば、ちょっと不思議な力を持った犬、程度のものです。番犬としてより、これからを一緒に過ごす家族として迎え入れたかった。でもあなたはその気持ちをすべて無視してくれました。気持ちより実力だと謳った割に、ご自身にはそれを証明するだけの優秀さがないようですし。信頼を預けられないと判断するには、十分すぎる理由です」
「わたしたちのこと、『聖女候補』としか見てないですよね。自分よりも立場が上。でも女だから気に食わない。ずっとそんな感じで、話を聞く必要ないって最初からバカにしてました。そんな人と、わたしは話したくありません。そんな人と同じようにバカにしてくる人たちとも」
矛先が自分に向くと思ってなかったのでしょう。周りの従業員たちが静まりました。誰も何も言いません。少し待てば、チェレホヴァさんが進み出てきました。ひとつ会釈してきます。
「チェレホヴァさん、お久しぶりですね」
「はい、お久しぶりです。アレン様」
「はじめまして、アカリ・ヨシダです」
「ご丁寧にありがとうございます、アカリ様。この度はご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございません」
「いいえ、顔を上げてください。今、わがままを言っているのは私達ですから」
「こちらからお願いしておいて、やっぱりなしって言っているのは事実です」
「そう言われてしまうだけの無礼を働いたのです。我々の仕事は、信頼で数字が動くのですから」
穏やかにチェレホヴァさんは言います。顔を上げて、私達に笑いかけました。
「王都にはここ以外の魔獣研究所はありませんが、国には研究所を置いている領地もあります。そちらを紹介します」
「おい、何を勝手なことを言っている!! そんなことを貴様が勝手に決めていいわけがないだろう!!」
「私たちとしてはありがたい話です。詳しくお伺いしても?」
「ええ、もちろん」
「勝手に話を進めるな!!!!」
ものすごい勢いで割り込んできましたね。物理的に手が出そうになったのはエルネストがきっちり止めてくれます。捻りあげられて、ノヘイルさんは顔を顰めました。
「なにをする……っ!」
「聖女候補様に危害を加えるならば容赦はしない」
凄まれてノヘイルさんは見事に大人しくなりました。うーん、小物。本当に相手するだけ無駄ですね。
「とりあえず、お話を聞かせていただけますか?」
「そうですね。ここではゆっくり話もできませんので、こちらへどうぞ」
チェレホヴァさんの案内で、事務所の方に赴きます。通された部屋は商談用の個室みたいです。チェレホヴァさんをはじめとした女性従業員だけが中に入って、戸を閉められました。これで全員ですね。
「改めて、ご無礼なことをしました」
チェレホヴァさんが頭を下げれば、他の方も倣いました。女性たちはしっかりしてる方が多いようですね。男所帯の中でどうにかやって来た人たちってことなんでしょう。とりあえず、改めて謝罪は受け取っておきましょう。
「先ほども言った通り、わがままを言っているのはこちらです。お気になさらないでください」
「あんな人が上司だと大変ですね……」
「そうですね。散々苦労させられてきました。それも今日で終わりにしますが」
顔を上げたチェレホヴァさんは悪戯っぽく笑います。どういうことかと思っていれば、資料を差し出してくれました。受け取って中身を確認します。どうやら、公爵領の一つにある魔物研究所についてのようです。
「こちらの研究所はここよりも規模は小さいですが、十分に信頼を置ける場所であると保証いたします。王都からは馬車で半日ほどかかってしまいますが、是非ともいらしてください。私どもがお相手させていただきます」
……なるほど。ここをやめて、こっちの研究所に入るということですね。で、その手はずも整っている、と。前に来たのが2週間前ですから、こんな短時間でそんな思い切ったことをするとは思いませんでした。でも、それだけの行動力がある人間であるから、多少の不正はしながらでもここで踏ん張って来たってことなんでしょうね。横から資料を覗く明香里は、既にこの研究所に行く方向で決めたみたいですね。
「片道半日なら、土曜に行って、1泊して日曜に帰るって感じかな」
「どうせだったら観光したいなぁ」
「まだお披露目されてないのにそれは無理だよ。領地の住民がびっくりしちゃう」
「そっか……。じゃあ、カーフェンの引き取りだけして、機会があったら旅行しに行こう」
「うん、いいよ。今月の終わりか、来月の初めくらいにしようか。移動した直後は向こうも大変だろうし」
「そうだね。あ、勝手に話を進めちゃいましたけれど、大丈夫ですか?」
「ええ、もちろん。落ち着いた頃合いに、こちらから一度ご連絡差し上げます」
「ありがとうございます。それじゃあ、その連絡が来たら、こっちの予定も調節して、わたしの方から連絡します」
「かしこまりました、お待ちしております」
にこやかにチェレホヴァさんは言います。それに明香里はホッとしたようです。話を進めるのってずっと隼の役目だったもんねぇ。本当に成長したなぁって謎の親目線になっちゃいます。
チェレホヴァさんたちはここを辞めるってなって本当に清々してますね。すっきりとした表情です。あの時、背を押した甲斐というものはあったようです。契約と言うほどのものではありませんけれど、紹介状のような物を作ってもらいます。色々と大変なことにはなるとは思います。そこは彼女達の気合を信じましょう。
お暇させてもらうと最後に挨拶した所長さんは明らかに不機嫌な態度でした。まぁ、これから困るのは彼なわけですから、知るか、って感じです。
「やめられたんなら、さっさとやめればよかったのに」
馬車に乗り込んで、カイが口を開きます。遠ざかっていく建物を眺めてるようです。対岸の火事だな、って思います。傍から見てれば出て来る言葉は、誰にだってあるものですから、咎める理由はありません。それに本人たちに言わなかっただけ、偉いと思います。スラムだけが酷いわけではないと知る前なら、きっとあの場で言っていたでしょう。
「スラムからそう簡単に抜け出せないのと同じ話だよ。あの人たちは運が良かったの。カイとノアと同じようにね」
「……結局、生き残るのって運のいいやつってことかよ」
「そうかもね。でも、運の良さだけで生き抜ける世界でもないから、自立して生きていくための力が必要なんだと思う」
「ふーん……」
生返事をして、カイは考えるみたいに黙りました。自分の中にちゃんと落とし込もうとしてる。偉いなって思います。そんなカイの様子を見てか、ノアも考えてみてるみたいです。決していいことではないですけれど、世界はキレイなだけじゃないっていうのも、この子たちは知っていますから。それがスラムじゃない場所でどう成り立ってるかも立派な社会勉強。また、これも何かの糧になればいいなって思います。
次に魔獣研究所に行く時には、最初から最後まで楽しい時間であったらいいなぁ。




