第五十四話:異世界で生き物を飼うことになります。
猫が好きなので、飼ってみたいなぁって思うんですよ。
でも命を預かるって簡単なことじゃないし、いろんなものと引き換えにしなきゃならないじゃないですか。
どうにも自分には出来そうになくて、SNSで流れてくる動物の動画を眺めるに留めてます。
ちゃんとお世話して、一緒に生きてる人たちを尊敬します。本当に。
今日一日で解決する話ではないと思っていれば、あの子猫のことだけは即刻処遇が決まったそうです。宿舎に戻る前にオフィスに寄って、スヴァンテ様とテリーから報告を聞くことになりました。椅子に座れば、当然の権利とばかりに子猫は私の膝の上に乗りました。
「これは、主人認定されたって話ですかね?」
「そのようです。彼の魔力を覚えさせようとしたのですが、拒否されてしまいまして」
「つまり調査云々を抜きにして、この子猫は私の方で引き取る以外に選択肢がないということですね」
「そういうことになります」
頷いたスヴァンテ様の斜め後ろで、テリーが申し訳なさそうにしています。何もそこまで暗い顔しなくてもいいのになぁ、って思います。まぁ、魔獣っていうだけで散々言う人がたくさんいたってことなんでしょう。私自身は魔獣についての知識が乏しいから判断できないって話したはずなんですけどね。上手く伝わってなかったのか、色々いっぱいいっぱいで忘れてるのか。後者ですかね。
「引き取ることに関しては吝かじゃありません。むしろ嬉しいくらいです。猫、好きなので」
「それならよかったです。でも、ご存じの通りその子猫は魔獣で、普通の猫とは違いますよ」
「魔獣を理由に引き取らないって言うなら、最初から膝の上を許したりしないですよ」
「……それもそうだ」
品種改良された魔獣がどれくらいの危険生物であるかは聞いていないので、どうも言えない部分があるのは確かですが。積極的に害を為そうとしてくる様子もなければ、むしろ膝の上で安心しきったみたいに寝転がってるんだから、少なくとも敵意や悪意はないと確信できます。首元を撫でてやれば、嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らしてますし。その様子を見て、スヴァンテ様も納得してくれたみたいです。
「では、その子猫を引き取るにあたって様々な手続きが必要になります。必要な書類は全て揃えましたので、内容を確認してサインをお願いします」
「わかりました」
まぁ、異邦でもペットを飼うにはいろいろ手続き必要ですしね。飼うと決めてそのまま家に連れ帰れるわけでもないのはどの世界も同じようです。私はペットを飼ったことはありませんが。差し出された書類を一枚ずつ確認していきます。読み終えたものは一応、ブラッドにもチェックしてもらって不備も不審な点もないことを確認してもらいます。
「アレン様は用心深いので安心できますね」
「自分が一番信用できないだけの話ですよ。自慢することじゃないです」
感心したスヴァンテ様に、私は肩をすくめて見せます。スヴァンテ様が持って来た書類だから大丈夫だとは思いますが、一番信用ならないのは私自身ですからね。ええ、利用規約とか、ちゃんと読まずに「同意する」を叩く古典的な日本人です。こういう契約書類とかも読んだつもりで見落としてる、なんてことザラでしたよ。ゲームのチュートリアルも読み飛ばして遊び方わからなくなるなんてこともあったなぁ……。そう言えば、こういう契約書とか利用規約とか読まないから、日本人は騙しやすいとか聞いたことあります。なんか、心のどこかで人の善性を信じすぎなんでしょうね。全ての人類が信用で商売してると思ってるというか。
「はい、確認しました。問題ないかと」
「ありがとう、ブラッド。……では、これでお願いします」
「はい、確かに受け取りました」
私のサインを確認して、スヴァンテ様は頷きます。このまま書類は管理局の方に持って行ってくれるとのことで、ここは素直に甘えておきます。それから、子猫はこのまま連れて帰ってしまって大丈夫だそうです。既に主人を決めてしまった後なので、私以外の人間の言うことは聞かないのだとか。昼間は大人しくするように言いつけていたから、大人しくしていたのだろう、とのこと。オフィスを出るスヴァンテ様を見送って、あとは私たちも宿舎に戻るだけです。ああ、明香里と成美にはアレルギーないか聞いておかないと。魔獣とは言え、猫は猫ですしね。
「ふふっ、かわいい」
膝の上にいたのを抱き上げれば、子猫はみゃあ、と一声鳴きます。黒い毛に、銀色の瞳。毛の方はともかくとして、瞳の方は自然精製と思えないキレイな色。水面に映る月のよう、なんて言うとちょっと気障が過ぎるでしょうかね。
「本当に猫がお好きなんですね」
「うん。全生物の中で猫が一番かわいいと思ってるくらい好きだよ」
「ウォーリアが聞いたら拗ねてしまいそうです」
「あははっ、あの子の前では言わないようにするね」
冗談を言いながら、改めてテリーに向き直ります。ホッとしたようなしてないような、曖昧な表情です。
「テリー、シーキャットについて、どれくらいの情報がある?」
「え、っと……、厩舎の資料室に、纏めた本が一冊。宿舎に戻ったら、すぐに持って行きます」
「うん、ありがとう。それで相談なんだけれどさ、やっぱりフラーディアで魔獣研究、しない?」
「え……」
思ってなかった話の方向に、テリーは見事に目を丸くしました。あまりの丸っぷりに思わず笑ってしまいます。
「そこまで驚かなくてもいいじゃん。ウチにおいでって話、前にもしたし」
「た、確かに、お声がけはしていただきましたが……」
「魔獣について私は知らないから、この子のお世話をするのでもテリーがいてくれると安心するし。だったらいっそ、フラーディアで研究がてらの方が楽しいと思うんだよね。それとも、研究するほどではない?」
「……そう、いうわけじゃ、ありません、けれど……」
できるならやりたい。でも、肝心のあと一歩が足りない。ここまでくると、足を引っ張ってるのは自分自身ですね。散々に言われたことを言い訳に、自分を諦めさせようとしてる。その気持ちがわからないわけではありませんが、背中蹴っ飛ばしてやりたくなる気持ちにもなります。ちょっと踏み込んでみましょうか。
「やらない理由、あるの?」
やりたい理由なら存分にあるのに、それを選べない理由。単純に自信がないだけならいいんですけれど。それ以外にもなにかあるなら、それを覆さないとたぶんテリーは動けない。テリーは視線を彷徨わせて、幾らか迷って、やがて観念したようにゆっくりと息を吐き出しました。
「……両親が、大の動物嫌いなんです。兄妹もその影響を受けてて。特に魔獣はこれでもかと毛嫌いしてるんです」
「ご両親は、何か理由があって魔獣を含めた動物を嫌ってるの?」
「言葉が通じないとか、行動が読めないとか、家を汚すとか、そんな子供みたいな理由です。シーキャットやグラニーなどの改良種も、魔獣というだけで毛嫌いしてます。魔獣は人を襲う、と決めつけてるんです」
「そりゃまた過激なことで……」
いますよねぇ、表面上の情報だけで全部決め付ける人。んでもって思い込みも激しいから、一度イコールになると絶対意見曲げないんですよね。どんなに有用なのか、有害性がないかを説いても化学調味料を悪と決めつける“自称自然派”と同じだ。その中で魔獣好きは確かに、肩身が狭いでしょう。
「よく馭者になれたね」
「半ば縁を切っている状態です。向こうに都合のいい時だけ呼び出されて、見合いさせられます……」
「苦労してるね」
縁を切らせてもらえないのは、いい貴族の家に婿として取ってもらえる可能性があるから、でしょうかね。馭者という下っ端でも、人柄で取ってもらえなくはない、ということもあるでしょうし。思わずというように溜息を吐いたテリーは項垂れるように頷きました。その中でよくもまぁ、こんないい子に育ったものだと思います。反面教師にした結果ですかね。
「もし、呼び出された時に魔獣研究してるなんてわかったら、ご両親に何されるかわからないってことか」
「…………はい」
消え入りそうな声。なんで子供が大人の顔色伺って、自分の人生決めなきゃなんないんですかね。そういう星の巡りと言えばそれまでだし、世の中の人間みんなが恵まれてるとも限らないのはそうなんですけれど。与えられた手札で勝負する術を教えるのが大人の役目であって、与える手札を厳選するのは大人のやることじゃないと思います。むっかつくー。
「わかった。じゃあ、テリーには魔獣研究の功績で爵位を認めてもらおう」
「………………へっ?!」
「準男爵の息子なら賜るのは一つ上の男爵かな。だったらご両親より上の爵位だし、テリー個人で持つ爵位になるからいくら家族だろうと簡単に手出しできなくなる。間違ってはないよね?」
「その通りですが……」
また可笑しなこと言い出したと思われてますが、間違ってないなら行動あるのみでしょう。まずやるべきは、この世界の魔獣研究がどこまで進んでいるかを確認することです。
「図書室って何時まで開いてる?」
「12の鐘の頃までは鍵は開いてますが」
「今日はもう閉まってるってことか。くそぅ、また後日だな。とりあえず、テリーの名前はフラーディアに入れてしまおう。ブラッド、お願いできる?」
「かしこまりました。明日の朝一で手続きしてまいります」
「うん、よろしく」
呆れたブラッドの返事。そこまで露骨に呆れてくれなくてもよくない? とは思いますけれど。まぁ、今更だ。テリーは大分困惑していて、完全にフリーズしてます。私はそんなテリーに向って笑いかけました。
「私ね、今まで好きなことして生きてきたの」
「は、はぁ……」
「小学生の頃はピアノ習ってた。中学上がってからは物語を書き始めた。高校入って演劇部に入って、大きな大会に出た。大学入ってからも、いろんな本読んで、カラオケ行って歌ったり、バイト代でグッズ買ったり、ソシャゲに課金したり。とにかく、ずっとずっと、好きだと思うことをしてたの」
「そう、なんですね……。アレン様は、とても、精力的な方なんですね」
「違う、そういうことじゃないの。そうさせてもらえる環境だっただけ。親が好きにさせてくれてたから、目いっぱい好きなことができてた」
はぁ、って生返事。話の方向性が見えないみたいです。そりゃそうだ、と思います。傍から聞けばただの自慢話にしか聞こえないでしょう。こっちの世界に存在してない代物の話も出てるから、余計困惑してるんだと思います。首を傾げるテリーのライム色をした瞳を真っ直ぐ見つめ返します。今から言う言葉に、偽りはないのだと意志を込めて。
「だからね、今度は私の番だと思った」
今、この瞬間に、ですけれど。
フラーディアが設立したのは偶然が重なった結果で、夢に向かって頑張ろうって目標になったのはそこに合わせた結果です。楽しいことをしているみんなを見ているのが楽しい。好きだと思うことに真っ直ぐ向かう人を見ていると、こっちも頑張ろうって思える。だから、支援したい。漠然としたその想いの根幹を、やっと言葉にできたのかもしれない。
「今まで好きだって思うことを、好きなだけさせてもらった分の恩返しを、もっとたくさんの人に幸せだって思ってもらえる形で、還すべきだって」
直接返せない恩を、異世界で返すのもどうかとは思いますけれど。本人達に直接届かないのはもう諦めるしかないので。だったら、できることをしていくしかなくて。できることってやっぱり、やりたいこと、なんだと思います。
「私は、心から『好きだ』と思うことに出会えた人たちに、『好きだ』っていう気持ちを無駄にして欲しくないと思う。肩書や名前に縛られたものがあるのだとしても、テリーが『好きだ』と思ったものを奪う権利なんて誰にもない。テリーの人生は、テリーだけのものだよ。だから、」
お父さんとお母さんに何度も言われた言葉。私を一人の人間と認めてくれた言葉。
「あなたの好きにしなさい。ここはその為の場所だから」
問答無用でフラーディアに名前を入れた私が言えた台詞じゃないかもしれませんけど。でも細い一本道しかないその人生に、分かれ道は作ったはず。あとはテリーが選ぶかどうか。この大きな変化を、受け入れられるかどうかです。
「……そんなふうに言われたの、初めてです」
数舜、呆然としていたテリーはハッとしたように言います。
「だから、その……。正直、何て言えばいいか……、わからないんですけれど……」
しどろもどろのテリーは視線を一点で止めました。私の腕の中にいる子猫です。この状況をわかっているのか、いないのか。ずっと大人しくしてくれてしました。みゃあ、と呑気な一声を上げます。
「やってみます。魔獣研究」
頬が緩んで、テリーは今日、初めて笑顔を見せてくれました。




