第二十四話:異世界での身分証明は印鑑らしいです。
印鑑って不意に必要になるから、普段カバンの中にシャチハタが入りっぱなしになってるものですよね。
わたくしもこの間、不意に必要になったので使ったんですけれど、まさか軸の部分と印鑑の部分が壊れて分離するという事件が発生してました。
たまに外に出してやらないといけないみたいです。
皆さまもお気を付けください。
……なんの話や。
午後は、彫刻家の方との打ち合わせです。私達が使う蝋印のデザインについて、お願いします。蝋印は基本、貴族の家が各々ひとつずつ持っているもので、個人で持つものではありません。ですが私たち、異邦人は家、家族という単位の集まりではありませんし、身分証明を持ってません。なので異邦人には個人で作るそうです。蝋印は私たちの戸籍謄本みたいなものですね。いや、実印かな? だからこそ、1人ずつ好みのデザインをオーダーメイドしてもらえるのだとか。
そういうわけで、またも応接室です。またもというか、いまだというか。まぁ、直前の打ち合わせがギリギリだったので仕方ありません。
「ファブリシオ・フォン・ベナビデス。よろしくお願いします」
にこやかな若い男性。20代後半くらいですね。侯爵令息だそうです。現当主は彼のお祖父様だとか。ベナビデス侯爵家は歴代の英雄様、聖女様の蝋印のデザイン・作成を担当してきた家だそうです。偉大な彫刻家の血を引く家だそうで、領地は芸術の街だとか。絵画、彫刻、陶芸品、美術的価値を高めた刀も作られているとか。現在は20年ほど前に、聖女様の1人が行った国から輸入された映画文化がマストらしいです。俳優・女優という業種は舞台演劇があったので、新規開拓はそんなに難しくなかったみたいですね。街自体も映画の舞台に使うに相応しい華やかな場所だとか。彼自身も彫刻家だそうです。
「では早速、蝋印のデザインについて軽く説明させていただきます。蝋印はその家の象徴を表すもので、例えば王家なら異世界との繋がりを示す扉と、国の成長と繁栄を願う若木が意匠に盛り込まれています。我が家は彫刻に必須の鑿と、偉大なる彫刻家ホスエの代表作があしらわれております」
サンプルとして、ベナビデス家の蝋印を見せてくれました。その家、領地が何で栄えているのか一目でわかるんですね。それ故に証明になるっていう仕組み。直接見ると納得感が違います。
「結構、細かく掘るんですね」
「ええ、偽造しにくいように。偽造されてもわかるようにと作られているんです」
「へぇ、日本の貨幣みたいなものか」
みんなも納得したように、感心した声を出します。説明は以上、とのことで蝋印のデザインについて1人ずつ聞き取りになります。最初は相変わらず美雨です。事前に用意しておいたらしいメモをメイドさんから受け取って、それを見せます。
「猫とハートマークでかわいい感じがいいです。それに、自分の名前があったらいいなって思います」
「なるほど、いいですね。ではそのようにしましょう」
メモを受け取ると、ベナビデスさんは機嫌よく言い、それで終わります。次の方、と強制的に話が終わって「え?」と美雨が素っ頓狂な声を出します。
「なにか?」
「え、いや……、蝋印のデザイン、この場で描いたりしないのかなって……」
「ああ、僕はデザインは1人で集中して描きたいのです。人に見られているとどうにも集中できなくて。一度、案を持ち帰り、出来上がりましたらご連絡差し上げます」
にこやかに、スラスラと怪しげなことを言います。まぁ、そういう人もいるとは思うけれど……。美雨は納得してないような、したような曖昧な返事をします。ベナビデスさんは笑顔のままです。仕方なく、私以外のみんなは先に用意していたメモ紙をそのまま渡します。
「あなたは?」
「申し訳ないんですけれど、午前中の打ち合わせが長引いてしまって。私は事前に用意ができなかったんです」
「そうですか。では仕方ありませんね。使いたい図案をお聞かせください」
微妙に態度がでかい。仕方ないってなんだよ……。仕方ないのはこっちなんだよ。いや、こっちでもないか。挨拶の時も、あからさまに私にだけバカにした視線を向けて来ましたし。この人、権力を笠に着るタイプの古典的な人っぽいですね。どうしたものか。まぁ、本当にこもってデザインする人かもしれませんし、普通に行きますか。
「そうですね、まずは異邦人が使う蝋印について、どんなデザインが主流なのかお教えいただけますか?」
「動物や植物をあしらったものが多いです」
「なるほど、やっぱり人気の動植物ってあるんですか?」
「え、ああ、はい。ありますよ」
「何が人気なんですか?」
その質問に、彼は言葉を詰まらせます。それでも沈黙は2,3秒でした。
「馬なんかは人気ですね」
「なるほど。植物は?」
「チューリップやカーネーションなんかが特に人気ですよ。華やかな花ですからね」
「……そうですか。他に、何か特徴的なデザインがあったりしますか?」
「そうですねぇ……。やはり、異邦に存在していたものをデザインに入れたがるようですよ」
「例えば?」
「……例えば、伝統的な工芸品とか。農作物なんかは、豊かさの象徴として好まれますね。やはり麦なんかは国の象徴で好まれますよ。異邦でもそうでしょう?」
あまりにも自信満々にベナビデスさんは言います。それが可笑しくて、思わず失笑が零れました。わかりやすく不服そうな顔をされます。
「何か可笑しなことを言いました?」
「ああ、失礼しました。いえ、よくもまぁ、そんな大ぼら吹けるものだなと思いまして」
めっちゃ眉間に皺を寄せてます。不機嫌になったのがわかりやす過ぎる。もうちょっと取り繕えないんでしょうかね……。いや、取り繕えるなら、こんな大嘘吐いて乗り切ろうなんて考える人じゃないですよね。第一印象は間違ってなかったみたいです。
「私達が元々いた場所、国を象徴する作物は麦じゃなくて米なんですよ」
「コメ?」
「ええ、知ってますか? 真っ白な粒で、炊くとふっくらする作物なんですけれど」
「それくらいは知ってる。高級品とは言え買い付けができない程我が家は困窮していない!」
片眉を跳ね上げて、彼は声を荒げました。別に、家をバカにした発言じゃないのに。横で成美が小さく「感じ悪……」なんて呟いてます。他のみんなも引いてますね。そんなことより、高級品なんですね。お米。基本が小麦製品だからかな。そう言えばお米って、寒暖差が大きい方がよく育つとかって聞いた気がします。この国では育てづらくて、他の場所で作ってるのを輸入してるのかな。そう考えたら、あまり食卓に出てこないのも納得です。
「ベナビデス家が困窮してるかどうかはどうでもいいんですよ。もう一つ、指摘したいのが歴代の異邦人が好んだ花にチューリップやカーネーションが出てくるなんてあり得ません」
「こちらの世界に来て1週間も経っていないでしょう。実際に蝋印を見た訳でもないのに、どうしてそんなこと……」
「異邦に古来からあった花じゃないんですよ。正確には、歴代の英雄様や聖女様がいて、私達が暮らしていた国にそれらが広まったのはつい最近です」
「は……?」
「光代さんたちが第二次世界大戦くらいの人。大正とか、明治あたり。その一つ前の世代は多分江戸時代半ばくらいかな。それくらいの時代に、チューリップやカーネーションが日本にあったと思う?」
「思わないわね」
みんなに話を振れば、成美が即答しました。それに他のみんなも頷きました。
「詳しくは知らないけれど、黒船で伝来したんだろうなってのは流石にわかるぞ」
「その前の人なら、桜とか梅とか、あとは菊? だよね」
「動物もさ、馬より鹿の方があり得ると思う」
「猪鹿蝶って言うからな。戦国時代くらいなら、馬に乗ってとかめっちゃあったと思うけど」
「平安時代くらいは移動は馬車じゃなくで牛車だし、馬って実はそんなに使われてないんじゃないか?」
「この人、めっちゃ嘘ついてるじゃん。なんで?」
わかりやすく蔑みの目で美雨は彼を見ます。ベナビデスさんは見事に怒りで顔が真っ赤です。不穏な空気を察知してか、護衛騎士の人達がそばに控えます。
「デザインなんかしたことがないし、それについて勉強もしてこなかったってことだね」
「さっき、自分でデザイン描くみたいなこと言ってたのに……」
「他の人に描かせて自分がやったって言うつもりだったんだよ。実際に描いてるところを誰にも見られてないなら、いくらでも誤魔化し利くし」
「い、言いがかりだ!!!」
明らかに図星を突かれた人の反応でした。力いっぱい机を叩いて、大きな音が響きます。
「この俺を誰だと思ってる!!! ベナビデスの当主になる男だぞ?! 俺が発表した作品がどれだけの価値になるか、知りもしないで好き勝手なこと言いやがって!!!!」
身を乗り出す勢いで怒鳴るベナビデスさん。護衛騎士の人が一応抑えているので、こっちに被害はこなさそうです。流石、優秀。明香里が不安そうに袖を引っ張ってきます。それに大丈夫だと言う意志を込めて笑いかけてから、私はベナビデスさんに向き直ります。怒りで顔を歪ませるベナビデスさんは、口を開けば怒鳴り散らしそうな勢いです。パワハラとか、モラハラとか、こういう人がするんだなぁ、なんて現実逃避に走りたくなりますけれど、ここはどうにか堪えます。
「私だって、憶測だけで言ってるわけじゃないですよ」
「ふざけるな! 他所から来た小娘が……!」
「随分と奇麗な手、されてますよね」
「はっ……? 当然だろが! 仕事に使うんだ、それなり以上に気を遣う!!!」
「そうでしょうね。でも、おかしいんですよ。本当に彫刻家で、毎日鑿を持って作業しているのなら、どうしてその手に一切の癖がついていないんですか?」
「く、くせ……?」
激昂してたベナビデスさんが数舜、止まりました。自分の手を見下ろして、ぽかんとしています。
「国王陛下の手にはペンダコがありました。護衛騎士の方には手にマメがあります。メイドの手にはあかぎれの痕。先日お会いしたブティックの方は、針で刺してしまったらしい傷が。先ほどお会いしたアクセサリーデザイナーの方は黒檀で手だけが黒ずんでいました。真面目に努力した証。毎日、同じことを繰り返した痕跡。あなたにはそれがない。毎日、ちゃんと鑿を振るっていたのなら、マメやら傷跡やらがあるはずでしょう?」
「そ、れは……」
さぁ、と血の気が引いて行くのが傍目でもわかります。心当たりでもあったのかな。
「ねぇ、このままこの人に蝋印のデザイン、お願いする?」
「絶対ヤダ。嘘ばっかりで信用できないもん」
美雨の言葉は総意のようです。まぁ、当然の判断でしょう。パワハラとかモラハラとかって言葉で、こういう人たちが敵視される時代でしたからねぇ。
彼は弾かれたように顔を上げました。王家から依頼された大きな案件ですもんね。失敗したとか、断られたとか、絶対あり得ないのでしょう。信用問題とか、いろいろあるだろうし。言葉にならない声が幾らか漏れます。何かいい言い訳はないかと必死になって考えているようですが、何を言われても美雨たちだって意見を変えないと思いますよ。
「誠実な対応をしていただけなかった。それが全てです」
「ふ、ふざけるな!!!!! 貴様が!!!! 余計な事を言わなければ!!!!!!」
激昂した彼は、こっちに飛び掛かる直前にエルネストに拘束されました。その拍子に机は蹴り飛ばされましたが、いつの間に近くまで来てたブラッドが抑えてくれて私達には特に被害はありません。
「家名もないクセに!!!! どうせ、周りに媚びを売って!!!! 情けでそこにいるだけなんだろう!!?? この売女が!!!!!!」
「その口を閉じろ! 彼女を侮辱することは許されないぞ!」
「言いたい放題ね……、最悪」
「大丈夫? アレン」
「うん、大丈夫」
蔑む成美と、心配してくれる明香里。2人は睨んでくる彼から私を守るように庇ってくれます。猿轡をかまされ、彼はエルネストと他の騎士さんに連行されていきました。姿が見えなくなってやっと緊張した空気が消えます。
「あんな人もいるもんなんだな」
「権力を笠に着る古典的なヤツ? パワハラするヤツってどこにでもいるんだなぁ」
「本当に最低だと思う。人の友達悪く言わないで欲しいよね」
「それな。家名がないとか、そんなこと関係あんのかよ」
美雨や隼、宗士も怒りをあらわにしています。なんかごめん、って感じですね。私の所為ではないんですけれど。いや、半分くらいは私の所為ですかね。彼に突っかからなかったら、普通にデザインをお願いしてたでしょうし。美雨は机の上に取り残されたメモ書きを手に取って、大きくため息を吐きました。
「どんなデザインになるのかすっごく楽しみだったのに」
「これ、どうなるんだ? 別の人に頼むってことになるのか?」
「それならそれでいいけれど、今度はちゃんと信用できる人がいいなぁ……」
執事さんに聞いてみると、ベナビデス家の次男に来ていただけるよう早馬を出したそうです。今日、デザインの草案ができてないと、今後の予定的に厳しいのだとか。先程の彼、兄の影に隠れていてあまり名は馳せていない彫刻家だそうですが、当主のお祖父様には認められているらしい、との噂がある方だそうです。兄のゴーストやらされてた可能性がかなり高いですねぇ……。ベナビデスの三番目の子供で、昨年アカデミーを卒業したばかりだそうです。タウンハウスで精力的に活動していたお兄さんを、姉と2人で支えていたという図だったらしいです。うん、傍から見てるんじゃわからない事ってあるよね。期待できるかどうかは実際に会ってからですね。
城下町にあるタウンハウスにいるとのことなので、少し待っていて欲しいと言われました。その間、手持無沙汰もあれなのでメイドさんたちがお茶を用意してくれました。それを片手に談笑です。内容は、どう頑張ったってさっきのことですけれど。
「あの人、なんであんなにアレンにばっかり攻撃してたのかな……」
「そりゃ嘘暴かれたら気まずくもなるだろ。……まぁ、それにしたってあんなに言うことないと思うけどな」
「家名って、つまり苗字だよね? それがないのって、そんなに悪いことなの?」
「悪いことっていうか、イメージが悪いんだと思う。この世界で苗字がない人って、平民以下の人らしいから」
「じゃあ、アレンが苗字名乗らないから、平民以下の人だって思われてたわけ?」
「たぶんね」
「えー、なにそれ。酷すぎ」
率直すぎる美雨の感想に、眼の端にいたメイドさんたちが地味に俯きました。今更どうこうは言いませんけれど、なんだかなぁ、とは思います。
「アレン、それわかってて苗字名乗らないの?」
「うん、ちょうどいいフィルターだなって。さっきみたいな人はすぐわかるわけだし、そういう人と仕事したくないじゃん?」
「確かに。パワハラされるってわかってたら最初から避けられるものね」
「強かだなぁ~、流石アレンって感じがする」
「それ褒めてる?」
いつもみたいなノリに戻ってくれば、自然と笑顔が戻ってきます。このまま同じ話題を続けるつもりは誰もいないみたいで、すぐに別の話に逸れました。私はそれを聞きながら、みんなのモチーフを参考に自分の蝋印のデザインに使うモチーフを考えます。大体、みんなセオリー通りみたいですね。動物と植物、それに自分が好きなもの。できるなら他の誰とも被らない感じがいいなぁ。しばらく悩んでいれば、待ち人が到着したと連絡が入りました。もう少しで来るそうです。
「今度はちゃんとした人だといいな」
「そうだね」
今さっきのことなので、みんな緊張しているようです。控えめなノックが聞こえて、男性が一人入ってきました。兄弟と言われてそうだろうな、と思える容姿です。髪の色が全く一緒。でもしっかりと整えていたお兄さんと違って、彼は伸びた髪を邪魔にならないように後ろで結んでいるだけです。作業している途中で呼び出されたんですかね。申し訳ない。先にこちらが挨拶をしてから、彼に挨拶を促します。
「レグロ・フォン・ベナビデスです。兄が大変失礼なことをしてしまったようで、申しわけございませんでした」
緊張を含んだ悪い顔色を下げて、彼……レグロさんは挨拶しました。みんなは不安そうに彼を見ています。隼も声をかけるのをためらっているようなので、今回は私がレグロさんに声をかけました。
「顔を上げてください。今回のことはお兄様の非であって、あなたやベナビデスの非ではありません。とはいえ、ベナビデスの方が信用に足ると、私達はまだ判断できません。なのでこの仕事にしっかりと向き合うことで挽回してください」
「……っ! 寛大なお言葉、ありがとうございます! 誠心誠意、ベナビデスの名にかけても、しっかりと皆様の蝋印を作らせていただきます!」
感涙するレグロさん。まぁ、とりあえずこんなところですね。責は個人に押し付けつつ、一家の逃げ道は失くしておく。この人ならちゃんと仕事してくれるでしょうし、お兄さんの処遇に関してはベナビデス侯爵の判断次第です。ここから先は私達のあずかり知らぬ話。本題に入りましょう。
「よろしくお願いします。それじゃあ、デザインについて打ち合わせを始めましょうか。皆もいい?」
「もちろんいいよ」
「ああ、アレンが大丈夫だって言うなら」
「私の判断を全面的に信用されても困るけど……」
まぁ、最終的に自分がそれでいいって思うなら、私もそれでいいとは思いますけれど。今回に関しては判断基準は私なんでしょうね。あんな感じで攻撃してくる人じゃないって私が判断したならいい、ともなるでしょう。順番に聞く、と言いながらレグロさんはスケッチブックを取り出しました。最初はいつも通り美雨から。先ほども取り出したメモを手渡します。
「えっと、私は猫とハートで、可愛い感じにして欲しいなって思います。そこに、自分の名前が入ってたら嬉しいです」
「わかりました。名前は、こちらの異邦言語で入れる、ということでよろしいでしょうか」
「異邦言語?」
「日本語のことだよ。こっちの世界では異邦言語って呼ばれてるみたい」
「そうなんだ。はい、それでお願いします」
「かしこまりました」
美雨の言葉に、レグロさんはすぐに筆を走らせます。その手を観察すれば、確かに長い間、鑿を振るっていたんだなって思うような乾いた手です。半分くらい、出まかせで手に癖がついてるとかって言ったけれど、事実としてそうなんだなぁって改めて思います。毎日、家事をしてた母の手を知っててよかった。
「こんなイメージでどうでしょう」
「わぁ、可愛い!」
5分程で描き上げたレグロさんはスケッチブックを見せてくれまました。ハートマークに寄り添うような形で猫が描かれています。そのハートの中に『美雨』と書かれていて、確かに可愛いです。ささっとこれだけのものが描けるなんて、純粋にすごいですね。
「ここから、もう少し細かい模様を入れたりします。なにか、こうして欲しいなどのご希望はありますか?」
「え~っと、うーん、でもこれだけでもう可愛いからなぁ……」
楽しそうに美雨は悩み始めました。どうやら、警戒はなくなったみたいです。その後も機嫌良さそうに打ち合わせを終えて、「完成が楽しみ!」と満面の笑みを浮かべました。まず、一人分のデザインをちゃんと任せて貰えて安心したのか、レグロさんは自信を取り戻した表情です。続けて先にメモを用意していた隼たちのデザインをすべて決めてしまって、最後に私の番です。
「では、最後にアレン様の蝋印ですね」
「よろしくお願いします。午前中の打ち合わせが長引いてしまって、メモなどは用意できなかったんですが……」
「わかりました。では、デザインに入れたい意匠を直接お聞かせください」
特に嫌がるわけでもなく、レグロさんは穏やかに言います。私も、みんなのデザイン案を聞きながらいくらか考えたので、困りはしません。
「からくりに使う歯車を大小幾つか組み合わせて、そこに蛇と、梅か桜の花が入ってたらいいなぁって思います」
「歯車、蛇、ウメやサクラは異邦にある花のことですね。それなら……」
レグロさんはどこか楽しそうに筆を走らせていきます。見せてもらったデザイン図は流石の出来です。ただ、慣れないモチーフだからかどう配置するか迷ったような感じがしますね。あと、蛇がコブラ系のちょっと怖い感じだし。
「えぇっと、蛇はコブラとかじゃなくて、ニシキヘビみたいなのがいいなぁって思います。あの、首? エラ? のあたりが膨らんでない細いヤツ。あと、眼はつぶらな感じでお願いします」
「わかりました。蛇と聞くと、どうにも魔獣のイメージが強くて……」
「なるほど、私達が元居た国には、割とその辺にいる動物で、毒を持たない種類を飼う人も結構いたんですよ。愛玩動物としては人気な方です」
「犬や猫はこちらの世界でも飼う人はそれなりにいますが、蛇は初めて聞きました」
「世界の違いですね」
魔獣っていう物が存在していて、それらが象るのが危険と一目でわかる動物であるならば、魔獣じゃない動物でも飼おうとか思いませんよね。あとは蛇って焼酎とかに漬け込んでお酒にするくらいでしょうか。書き直された蛇は記憶にある感じになりました。あの何考えてるかわからないぽやっとした表情が好きなんですよね。可愛い。
「こんな感じでしょうか?」
「はい! すごく好みな感じになりました!」
「よかったです。歯車の位置を少し調整して、ここに大きくウメとサクラを入れましょう」
ササッと修正が加わって、中々いい感じになりました。歯車と花の周りを囲む蛇、っていう図ですね。寄り添うように、守るように描かれているのが凄くいい感じです。
「如何でしょうか?」
「すごくいいです! これでお願いします!」
「かしこまりました、ではこの図案でお作りさせて頂きます」
上機嫌に言った私に、レグロさんは丁寧に頭を下げました。図案はこれで完成、というわけではなくてこれを元にもう少し精査していくそうです。まぁ、確かにこれはただのラフ画ですからね。来週中に清書した図案を送ってくれるとか。それで問題がなければ、実際に蝋印を掘る作業に移行するそうです。色々ありましたけれどこれも問題なく終わりそうですね。ホッとしながら挨拶を交わします。レグロさんを見送れば、全員が胸を撫でおろしたようです。明らかに緊張の糸が緩んだ顔をしてます。
「なんとか無事に終わったね」
「そうね、さっきの人がお兄さんみたいな感じだったらどうしようかと思った」
「優しそうな人でよかった。デザインのセンスもよかったし、楽しみだね」
笑顔で言う明香里にみんなも一葉に頷きます。とりあえずどうにかなったみたいでよかったですね。蝋印の完成も楽しみになってきました。




