やっぱり続編の世界?
ブロンドの髪は少し癖毛があり、肩のあたりで切りそろえられている。
グレーがかったアッシュモーブの瞳はこぼれんばかりに大きくこちらを見ている。唇は赤く色づき、一見して美少年になる要素を感じた。
年はまだ十歳を超えたところだろうか。
「あ……あ……」
天使は声を震わせて泣きそうな顔でこちらを見ている。
「あ!驚かせてごめんなさい!私は、アドリアーヌ・ミスカルド。この家に使用人としてきたんだけど……あなたは……天使?」
「え……天使……?」
「なわけないよね。お名前聞いてもいい?」
「……クリストファー」
この屋敷にまさか使用人八人とムルム伯爵、それと自分のほかにもう一人いるとは知らなかった。
いや……そういえば以前、マーガレットとシシルが『旦那様の元に食事を届けるのですか?では私はクリストファー様のところにも届けます』とかいう会話をしていた気がする。
その時には「クリストファー?」くらいに思っていたため記憶の彼方だったが、彼のことだったのか。
それに「クリストファー様」と呼ぶからには、貴族階級でしかもムルム伯爵の関係者だろう。
「これまでも泣かれていたんですね。なにか怖い夢でも見ましたか?」
「……死んじゃう」
「え?」
「お父様とお母様が死んじゃう夢」
「それは怖い夢でしたね」
アドリアーヌはクリストファーの頭を撫でた。
少し落ち着いたようでクリストファーも撫でられるままであった。気持ちも落ち着いたようで、目をこすって涙を拭う。
それをアドリアーヌはハンカチで更に拭いてあげた。
不意にアドリアーヌはベッドサイドに置かれた食事に気づいた。ムルム伯爵と同じもの。だがほとんど手が付けられていない。
「食べたくない……」
見れば同じ年頃の子供に比べると少しほっそりしている気がする。いや、むしろ若干やつれているような気もする。
「もしかしてずっとあまり食べていないですか?」
「だって……お父様とお母様がいないから……」
「お父様とお母様はどこかに出かけたんですか?」
アドリアーヌが聞くとまた顔をクシャっと歪めて天を指さした。
「半年前に事故で死んじゃった」
「そうなんですか……。それはお辛いですね」
両親を一気に亡くしてしまい、ショックで毎晩泣いていたのだろうか?そしてご飯も喉を通らないかも知らない。
だが、このままでは餓死までは行かずとも健康には悪いし、栄養失調で倒れてしまうかもしれない。
「でも食べないと元気が出ないですよ。あぁ、でも料理冷めちゃいましたよね。少しおなかに何か入れたほうが眠れますし。……そうだ、ホットミルクを作ってきましょう。少し飲みましょうね」
アドリアーヌが顔を覗くと、クリストファーは一瞬間を置いてこくりと頷いた。
再びキッチンに降りて牛乳を温める。はちみつを用意して部屋へと急いだ。
(自分の両親が亡くなったら……やっぱり辛いだろうなぁ。でも立ち直るまでご飯を食べないっていうのも問題だし)
それに毎日泣き暮らしているのも違うような気がする。
ありきたりだが、息子がずっと泣き暮らしていたら親としては心配して成仏できないのではないかと思う。
「クリストファー様、どうぞ。甘いものお好きですか?はちみつを持ってきたので、たくさん入れて甘くしましょう」
「……うん」
差し出したホットミルクをおずおずとクリストファーは受け取ってくれた。
一口含むとほっとしたような少し柔らかい表情になったので、アドリアーヌは少し安心した。
「ちゃんと残さず飲めて偉いですね」
「偉い?」
「はい。食欲がなくても頑張って飲めて偉いです。さぁ、体は温まりましたか?」
「うん」
「じゃあ、寝ましょうか。ホットミルクには安眠効果もあるんですよ。今日はまずはゆっくり寝ましょう」
アドリアーヌが促すとクリストファーはベッドにもぐりこんだ。そして何かもじもじとしている。
「どうしましたか?」
「手を……握ってて欲しいなぁって」
「いいですよ。クリストファー様が眠るまでこうして傍にいます。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
目を瞑ったクリストファーは間もなく寝息を立て始めた。
(かわいいなぁ。やっぱり天使の寝顔だわ)
クリストファーの寝顔を見てほっこりしたアドリアーヌだったがその時、不意に思ったのだ。
またあの変な感覚に襲われる。
これは……前世の記憶を思い出す兆候だ。
(クリストファー様ってなんか知っているんだよね……)
うーんと考えてまた思い出す。そして気づいた。
(ああああああ、続編の世界の登場人物!)
クリストファーはゲームではやはり両親を亡くして孤独な人間だった。
それをゲームの主人公が優しく接することで心を開いていく。
そして攻略対象の一人であるこの国の第一王子クローディスとの仲を取り持つという重要な役どころだ。
クリストファーは攻略対象ではないが、脇役としてはショタポジションで大変人気があり、「なんで攻略できないんだぁ」と嘆く女子が多かった。
(確か続編の世界も悪役令嬢が出てきて主人公の恋路を妨害するのよね)
クリストファーが主人公に出会う前に彼に何かと辛く当たり、両親を亡くした傷をさらに深くするという非情な人間がいた。
それを見て「いたいけなクリストファーを虐めるなんて!!極悪非道!!」と憤慨したものだが……
(あれ?悪役令嬢の名前って……"アドリアーヌ"じゃない!?)
「悠久の時代の中で1」の世界でバッドエンドを迎えた悪役令嬢アドリアーヌは、その傲慢な性格そのままに2にも出てきて再び悪役令嬢のポジションになるのだ。
そしてまた断罪される。
(えっと……どんな断罪だっけ?)
ルート1:一生幽閉の身となる
ルート2:四肢を切られ、そのまま牢獄で死ぬ
ルート3:そもそも悪役令嬢は名前ばかりで本ルートには登場しない
死にエンドの場合、一応全年齢版であるこの作品ではナレ死で終わるという。
(1を流用して悪役令嬢のキャラデザを放棄するなんて!運営許すまじ!)
「ん……」
怒りに燃えたアドリアーヌだったが、目の前でクリストファーが寝返りを打ったので慌てて気持ちを落ち着けた。
自分が生き残るためにはルート3を選ばなくてはならない。
その場合、攻略対象との接触を断てば自分はモブキャラとしての扱いで終わるのだ。
ならば簡単だ。
登場人物たちとの余計な接触は避ければいいのだ。現在のところ攻略対象で自分に関わってきているのはリオネルとロベルトだけだ。
ロベルトとはもう会うこともないだろうし、リオネルとは今回の賭けが終わればそれまでの関係だ。
使用人の身分となった今、騎士であるリオネルとも接触する機会はないだろう。
残りの攻略対象も第一王子と、確かその側近が攻略対象だったので、絶対にお目にかかることはない。
(うん……何とかなるかも……)
アドリアーヌはそう算段すると、温かいクリストファーの手をそっとシーツにおいて部屋へと戻ることにするのだった。
※ ※ ※
アドリアーヌはあの後夜遅くまで仕事をしたため、悪役令嬢ポジのことはすっかり忘れて寝入ってしまった。
とは言うものの、さすがに体はしんどくて、思わず二度寝するのを何とか気力を奮い立たせて起きることにした。
(夜型人間だけど、朝はだめなのよね……でも仕事はしなくちゃ……)
使用人の朝は早い。
目を覚ますために窓を開け放つと少し肌寒くて身震いした。ちゅんちゅんと雀のさえずりが聞こえる。
(まぁ、プロジェクトの時には始発で仕事に行って始発で帰ることもあったし……もう少し頑張ろう)
そう思って支度を整えて、いつもの朝礼に参加する。
一通り終わった時にシシルにクリストファーのことを聞いてみることにした。
「あの……クリストファー様のことなんですけど……」
「どこでそれを?」
「昨日会ってしまって」
「会ったのですか?」
「はい。どうして隠していたんですか?何か問題でも?」
ここにきてクリストファーのことを誰も言わなかった。何か知ってはまずいことでもあるのだろうか?
だが、シシルは顔色一つ変えず淡々と答えてきた。
「クリストファー様は半年前のご両親を亡くされて、それ以来部屋から出ずに泣いてばかりなのです。人見知りも激しいので怖がってしまい……。そのために新人やお客人には接触させないように配慮していたということです」
どうやら隠しているようではなかった。
だが使用人の態度から腫物を扱うようで、扱いに困っているように感じられた。
「食事もとられていないようですが」
「そうですね。食べられるようにいろいろと工夫はしているのですが、やはり食べてらっしゃらず食事の度に交換するようにしています」
それで夜にもかかわらず食事が下げられることなくテーブルに置かれていたわけだ。
このままではクリストファーは立ち直ることは無理だろう。やはり気分転換と食事と睡眠は必要だ。
「でも……いつもお一人で過ごしていらっしゃるんですよね?それは誰か傍にいてあげたほうが……」
「本人も嫌がっておられますし、人員的にもなかなか手が回らないというのもありますからね。仕方ありません」
「嫌がっているんですか?昨日はそんな様子はなかったですよ」
確かにクリストファーは人見知りのようだったが、アドリアーヌが傍にいても嫌がる様子はなかった。
逆に傍にいてほしいと言ってきたのだから、寂しいのかもしれない。
だから放っておくというのは、アドリアーヌとしては見過ごせない。少しでも力になれるならクリストファーの力になりたかった。
(あんなに可愛らしいクリストファー様が、やつれて暗い顔をしているなんて……)
思い出すのは続編のゲームのスチルで満面の笑みを浮かべて主人公に花束を渡すスチルだ。
絶対にあの笑顔を取り戻してやる!
そう思っているとさっきのアドリアーヌの言葉に疑問を持ったシシルが尋ねてきた。
「昨日とは……どうゆうことですか?」
シシルの疑問に、アドリアーヌは昨日ホットミルクを出したことや、寝るまで傍にいたことを説明した。
「じゃあ、クリストファー様のお世話は私がします!」
「しかし、あなたは十分忙しいのでは?」
「大丈夫です。仕事はだいぶ慣れてきましたし、休憩時間を削れば。あとは念のために予備時間も組み込んでいるのでそこをうまく使えば何とかなります」
「さすがにアドリアーヌ様にそこまではさせられません。そうですね……アドリアーヌ様のおかげで皆だいぶ労働時間が減りましたから、少しシフトを調整します」
「そんな……無理言っているのはこちらなのに」
「いいのです。実は皆クリストファー様には元気になってもらいたいのですが、どう接すればいいのか悩んでいたのが本音です。ですが、昨夜がその調子なのであればお世話をお願いします」
「わかりました!頑張りますね!」
こうしてアドリアーヌはクリストファーの世話係も兼任することになったのだった。
朝の朝食の準備を手伝うと、昨日のこともあってかファゴはぶっきらぼうながら声をかけてくれた。
「ファゴさん、おはようございます」
「おう、昨日の仕事は終わったのか?」
「はい、おかげさまで。あ……それでですね、クリストファー様の朝食は私がお持ちするんですが、ちょっとあるものも追加したいんです」
「お嬢さんが行くのか?坊ちゃまは人見知りだって話だし、俺も見たことないんだぜ。大丈夫か?」
「大丈夫ですよ!あ、手は抜きませんが朝食の後片付けは遅くなるので食器は置いておいてください」
「どういうことだ?」
状況がわからないファゴにクリストファーの世話係になったことを告げると、ファゴは大いに賛同してくれた。
同時にこれ以上仕事を詰め込みすぎるのではないかと心配もされた。
この間までけんもほろろな対応だったファゴを見ていた周囲の使用人たちは、ファゴの態度の軟化に驚いていたようだった。
その後、事情を理解してくれたファゴは「それならキッチンの方は無理しなくていい」と言ってくれたのだった。
最初はまた邪険されたようにも思ったがその態度から、そういうわけではないことが伝わってきた。
「坊ちゃんについては、話は聞いてるしよ。俺も事故で両親亡くしてんだわ。力になってやってくれ」
そう言ってファゴはアドリアーヌの頭をクシャっと撫でるとクリストファーの朝食の準備をして、アドリアーヌを見送ってくれた。
薄暗い廊下を進んでいく。
最初は誰もいないから掃除をしていないかと思われていたここも、実はクリストファーをそっとしておくためだったと知った。
それならば逆にキレイにしなくては。そしてクリストファーには明るい廊下を笑顔で歩いてほしい。
「クリストファー様、朝食をお持ちしましたよ」
ノックしたが返事はない。
しばらく待ったが返事がないので、問答無用で入ることにした。
「入りますね。朝食ですよ、クリストファー様」
クリストファーは枕に顔を押し付けて寝ている……と思ったら泣いていた。
暗い室内にすすり泣きが広がる。
「ほらほら、起きてください!泣きすぎると目が溶けちゃいますよ」
ゆっくりと顔を上げたクリストファーを見て、アドリアーヌは苦笑する。毎日これでは使用人もお手上げだろう。
かと言ってアドリアーヌの性格上、放置できないので、無理にクリストファーを叩き起こす。
「いい天気ですよ。ほら、外の空気を吸いましょう」
ザァーっと音を立てながらカーテンを開けると眩い太陽の光が室内を照らし出す。
窓を開け放てば朝のさわやかな空気が部屋に充満した。
「気持ちがいい朝ですから。顔を洗いましょう」
「一人にしてほしい……」
「だめです。今日から私もここでご飯を食べますから。早く用意してくださいね」
「え……?……えぇ?」
「ほらほら」
戸惑うクリストファーを無視してアドリアーヌは起床準備を手伝う。
寝巻きを着替えさせ、髪をとかし、顔を拭いてあげる。
クリストファーは「や……やめて……」とか細く抵抗したが、アドリアーヌはそのまま作業をして、そして最後にはベランダまで押しやった。
「えっと……アドレ……アドリ……」
「アドリアーヌですよ。クリストファー様、はい深呼吸して」
「でも」
「いいですから、ほら、すーはーすーはー」
アドリアーヌがそうするとおずおずとクリストファーも深呼吸をした。
「朝の空気はおいしいですよね。気分はどうです?少し気持ちよくないですか?」
「うん……不思議。なんか……呼吸が楽だ」
「ふふ、泣いてばっかりだからですよ。少し体も楽になったのでは?」
「そうかも……しれない……」
硬かった表情が少しだけ晴れやかになったのを見て、アドリアーヌはテーブルをベランダへと運ぶ。
よいしょよいしょと引っ張るようにテーブルを持っていくのを、クリストファーは不思議そうに見ている。
そんな視線をよそに、アドリアーヌは朝食を広げるとクリストファーを座らせ、そして自分も座った。
「いただきます!」
「食べたくない……」
「いただきます‼」
有無を言わさない顔でアドリアーヌは言うと、クリストファーは観念したとばかりにカテラリーに手を伸ばしたのち、動作を止めた。
何とも言えない顔をしている。
「これ……なに?」
「アップルトーストですよ。食べてみてください。あったかいうちに食べるのがおすすめです」
アドリアーヌが用意したのはアップルトースト。
パンにスライスしたリンゴを乗せてシナモンを振りかけ、一緒にグラニュー糖も振りかけてさっとオーブンで焼いたものだ。
前世では一般的な料理だとは思うが、この世界では珍しいらしい。
食欲のない時にも甘くて食べやすいし、これ1枚でパンを食べられるのもいい。リンゴは消化も良いので胃の負担も少ない。
どんな反応をするかわくわくした目で見ていると、クリストファーは意を決したようにアップルトーストを口に含んだ。
「……美味しい……」
「ですよね!よかった!ほらこっちはスクランブルエッグですけど……かわいいでしょ?」
スクランブルエッグにニコちゃんマークをケチャップで描いたものを、クリストファーはまた興味深そうに食べた。
その顔からは少し憂いが少なくなったようで、年相応の笑顔で朝食を食べてくれた。
すがすがしい朝。小鳥の鳴き声をBGMに新緑を見ながら日を浴びながら食べる朝食は、少しピクニック気分も味わえた。
「はぁ……美味しかった。僕久しぶりにこんなに食べたよ」
「よかったです。一人で食べるのは味気ないですものね。私もここに来た時には一人で食べていたので、申し訳ないですけど豪華な食事も味気なく感じたものですよ」
「アドリアーヌは一人で食べてたの?メイド達に虐められてたの?」
新人使用人だと思っているクリストファーに本当のことを言うか悩んだが、隠していても仕方ないのでアドリアーヌは自分の身の上をきちんと説明した。
「あ……実は私はグランディアス王国を追い出されてしまいましてこちらにお世話になっているんです。だから最初は客人扱いで、一人で食事をさせていただいてたんですけど……」
「そっか……アドリアーヌも独りぼっちなんだ」
「そうですね。もう両親とも会うことはないでしょうからね」
前世の記憶を取り戻してから怒涛の勢いで日々が過ぎていたが、ふと考えると郷愁の思いがないこともない。
だが、年齢のせいか前世の記憶のせいか、あまりグランディアス王国に執着もなく、帰りたいとも思わないのが不思議だった。
「まぁそんなわけで私はここの使用人になっているので、クリストファー様もなんなりと頼ってください!でも、僭越ながら食事は一緒に摂らせていただきたいのですけど……」
いくら貴族出身とはいえここでは使用人として働いているわけだし、場合によっては不敬かもしれない。
今更ながらだが確認してみた。するとクリストファーは小さく頷いてくれた。
「よかったー。じゃあ、次は散策に行きましょう!」
「ううん……僕は……やっぱり一人でここにいるよ。外に出たくない」
「だめです。ご飯食べたら動かないと牛になっちゃいますよ!」
「初めて聞いたよ?」
「私の故郷(前世)言葉です。〝食べてすぐ寝ると牛になるよ〝って言われるんです。まぁ太るよとかの意味にとるんで、クリストファー様はもう少しお太りになったほうがいいかもしれませんが」
青白い顔をして今にも倒れそうなのはいただけない状況だ。
アドリアーヌはまた勝手に話を決めると連行するようにクリストファーを連れ出したのだった。
1話が長いかなぁと思いつつの更新です。
4000文字×2話くらいの方がいいのか悩んでいますが、まずは8000字前後出れば1話にまとめようかと思っています。
少し長いと感じたら申し訳ありません