エピローグ
ダンピエール伯爵とラスター家の断罪裁判から二週間余り。
大物貴族であるダンピエール伯爵と他国の貴族であるラスター家が逮捕されたことを受けて社交界を含め、世間は騒然となった。
センセーショナルに広まったこの話題の中で必ず上るのはもちろんアドリアーヌの存在だ。
断罪劇が終わったかと思うと、その場で王太子クローディスとの婚約が発表された。
これだけでも二重の驚きだったのに、その話題の人間であるアドリアーヌが表舞台から完全に姿を消したことで三重の驚きとなって人々の話題になったのだ。
アドリアーヌという人間自体、メルナードの社交界では無名で、そもそも貴族であるかも分かられていないから当然のことだっただろう。
〝謎の美女!ダンピエール伯爵を断罪する!〟
〝ダンピエール伯爵の罪を糾弾した謎の女は亡国の姫君か?〟
〝クローディス殿下、ダンピエール伯断罪爵劇の立役者の女性に一目惚れか?婚約発表するも相手は謎のまま!〟
などなど、新聞などは謎の女-アドリアーヌの話題で大いに賑わった。
中にはアドリアーヌが政務をしていた時の〝お菓子の君〟なんていうふざけたあだ名を持ち出してインタビューに答えている政務官(匿名だったがイニシャルからだいたいの見当はついている)や一時期愛妾として社交界に出たこともあったことからクローディスの心を弄ぶ悪女だったという話まで出ていた。
(みんな面白可笑しく書いて!)
事実と虚無が入り混じっているがここで反論することも叶わない。
というか、しばらくすればこの話題も収まるだろう。
そう思ってアドリアーヌは放置することにした。
寧ろせっかく訪れた平穏な日々を満喫することに注力することが重要だ。
「うーん、いい天気!今日はどうしようかなぁ……冬野菜のほうれん草が旬になってきているし、ほうれん草とベーコンのキッシュを作ろうかしらね!」
アドリアーヌはそう言いながら一つ伸びをして、家事に取り掛かった。
抜けるような青空の下でルンルンと鼻歌を歌いながら家事をこなす。
拭き掃除に洗濯、庭の手入れに……と仕事をしていると今までの怒涛のような事件解決の事が遠い昔の様にも感じられる。
婚約発表をしてからアドリアーヌはクローディスに会っていない。
(クローディス殿下には悪いことしたかなぁ……でも……王太子妃なんて絶対に無理無理無理!)
クローディスの婚約発表に騒然となった中で、アドリアーヌはというとその場から……逃げ出した。
新聞にはあれだけ大々的に婚約を発表したのにそれをほっぽり出して逃げ出した謎の女アドリアーヌにクローディスは振られたなどとも書かれており、〝クローディス殿下傷心!?〟なんて言葉も踊っている。
(でも……だいたいあの場のノリとはいえ婚約発表するとか演技にもやりすぎってものがあるわよね)
クローディスに申し訳ない気持ちもあるが、自業自得だと思うことにしてアドリアーヌは庭のほうれん草をいくつか摘んで家へと戻ると、そこには何故か二週間ぶりに見る面々がそろっていた。
「おーようやく帰ってきたか」
「え!?クローディス殿下?それになんで皆いるの!?」
アドリアーヌのダイニングはそんなに広いわけではない。
その中に成人男性四人と聖女一人がぎゅうぎゅうと詰めて座っている。
「あなたが居なくなった後の仕事がひと段落したんですよ(お前の後始末に追われてたんだよ、この猪突猛進女)」
にこやかに言ってくるサイナスの言葉の裏を読んで、アドリアーヌは若干顔をひきつらせた。
「それは……その節は大変お世話になりました。あの後帰ってしまいまして……すみません」
「いえいえ。お疲れだったでしょうし(ふざけんな、どんだけ事後処理忙しかったと思うんだよ)」
「お気遣いありがとうございました……」
サイナス語を脳内で翻訳して恐縮している隣から、今度はリオネルが頬を撫でて来るのでアドリアーヌはびくりと体を強張らせた。
「えっと……リオネル様?これは……?」
「いや、大分顔色が健康そうになったと思ってな。元気そうでなによりだ」
相変わらず表情が読めない中で、とりあえず心配はしてくれているのだとは分かった。
突然頬を触られるというのは心臓に悪いが、リオネルには悪気はないのだろう。
ただ……本当に無表情で行動を取るのでどんな考えでそうするのか一瞬理解できないのだが。
「お姫様がいない執務室は花がなくて寂しかったな。でも僕の方でも家名の復興やら爵位の継承やらで忙しかったんだけどね。でもお姫様に会えるのを励みに頑張ってたんだよ」
「あ、とうとうヴァロア家も復興するのね。良かったわ。貴族は大変だろうけど頑張って!」
手には大根が握られているのが凄く気になったが、そこはスルーしておいた。
よしんばもらえるのではと思ったが、さすがに「それ頂戴」とは言えずに笑顔で返しておいた。
「お姉さま!もっと早くに会いに来たかったんですけど!聖女教育が大変で……ごめんなさい」
「あら、アイリスは聖女教育を受けているの?色々と慣れないことも多いかもしれないけど、あなたなら大丈夫よ?」
はい!と満面の笑顔でアイリスは頷く。
少し目をうるませて両手を握って顔を近づけてくるので、アドリアーヌは体をのけ反らせる形になったのだが。
「俺は……別に心配なんてしてないぞ!ただ、ちょっと……ちょっとだけ顔を見に来てやっただけだ。ほら、事後報告が必要だからな」
「詳細はサイナス様から文書で聞いていたのですが、やはりダンピエール伯爵家は取り潰しなんですよね」
ダンピエール伯爵家は取り潰しになり、そしてラスター家もまた取り潰しになったと聞く。
更にアンジェリカは国家反逆罪と王家に対する侮辱罪、詐欺罪なども重なって修道院送りよりも厳しい終身禁固刑が言い渡された。
これでアンジェリカは一生牢の中で暮らすことになる。
「皆さんの顔を見れて嬉しいのですが……それで結局皆さんは何をしに来たんですか?近況報告……ですか?」
「はぁ理由!?俺は……その……こ、婚約者なんだから会いに来るのは当然だろう!?」
「それはお断りしましたよね」
「な……何を言うんだ。婚約発表したんだからお前は婚約者だろう!俺がもらってやるって言ってるんだからな!」
「ぷぷぷ……全く相手にされてませんね」
クローディスを笑いながらアイリスが突っ込む。
それに対してクローディスも負けじと反論する。
「なんだと!?じゃあお前はどうしてここにいるんだ?聖女教育の最中だろ?」
「……あんな場面で抜け駆けされたんです。殿下だけお姉さまに会わせるわけないじゃないですか!あぁ、リオネル様から聞き出しておいて正解でしたわ!」
「聖女教育は受けなくちゃ駄目よ、アイリス」
「お……お姉さまそんな……」
ショックを受けているアイリスを尻目に、ロベルトは恭しく大根を差し出した。
「僕は野菜を届けに来たんだよ。大根なんて旬だろう?」
「ありがとう。でももう帰ってもいいわよ」
「えええ……お姫様さすがにつれないんじゃない?」
今度はロベルトが盛大なため息をついて脱力している。
「大根はありがたく今晩のメニューに加えるわ。で……リオネル様はクローディス殿下の護衛ですか?」
「いや、それもあるが、今日は君の護衛と思って。ダンピエール伯爵の残党が何かやらかすかもしれない。しばらくはここを訪れようと思う」
「お気遣いはありがたのですが、警ら隊の方が定期的に来てくれているので大丈夫ですよ」
アドリアーヌが言うと、リオネルは少ししょんぼりした表情を浮かべた。
「ほらほら、僕は仕事を持ってきましたよ。コンサルの仕事だけでは貧乏生活でしょうから」
「そんなこと言ってまたお城の仕事持ってきましたね!それに貧乏じゃないです。慎ましやかな生活です」
サイナスは笑顔を引きつらせている。
黒オーラはあるものの絶句してその場で固まっているように見えた。
「ということで皆さんの貴重な時間を貰うのも恐縮ですし、お茶だけ入れるので飲んだらお帰りになったらどうでしょうか?」
これはアドリアーヌの心からの言葉だった。
先ほどの話を聞いた限りでは皆、忙しい合間を縫ってアドリアーヌの元を訪れてくれたようだったからだ。
だが、それを聞いた五人は一斉にため息交じりに言った。
「「「「「はぁ…………手ごわい」」」」」
何が手ごわいのか分からずアドリアーヌは首を傾げた。
だがここはとりあえずお茶を入れる場面だろう。
アドリアーヌはそう思って台所へ向かうとした。
(何なの……私の平穏な生活って……)
お茶を入れてダイニングから戻ってきても、五人はまだ「殿下は前科があるから抜け駆けは許さない」「うるさい、婚約者の元にくるんだから状況を察しろ」「アドリアーヌを守るのは私です」「仕事をお願いしに来ているだけですよ」などとワイワイ騒がしく言い合っている。
そこに更に高い声が混じるのでアドリアーヌは驚いてそちらに目を向けた。
「アドリアーヌ!なんで屋敷に来てくれないのさ!」
「ク、クリストファー様!?」
「ふふふ、来ちゃった!って……あ、またこの男!なんでお前がこの家に居るんだよ!」
今度はクリストファーが家に乗り込んできた。
「やぁ、クリストファー様。お姫様を悪い男から守るために来たんですよ」
「悪い男はお前だろう!……あ、アドリアーヌ、庭のお花持ってきたんだ」
そう言って花を差し出すクリストファーの図は、あのゲームのスチルにそっくりだった。
「おい、こいつは俺の婚約者だ!」
「お姫様は僕の方がいいよね。顔も良いし、ほどほどに爵位もあるし」
「爵位ならば僕の宰相家の方がいいですけどね」
「女を守るのが騎士の役目だ。私が君を守ろう」
「いいえ、この国もお姉さまも私が守ります!」
「みんな僕のアドリアーヌに気安く触るな!」
アドリアーヌは止めようと手を上げるが、六人は完全にスルーし、アドリアーヌの言葉は喧騒へとかき消された。
だから涙目でいうしかなかった。
「あのー私に平穏な暮らしをさせてくれませんか?」
そんなアドリアーヌの悲痛な言葉は誰にも届くことはなく春風にのってどこかに消えていってしまった。
気づけばアドリアーヌがメルナードに来てから二度目の春を向かえるのだった。
完
これにて完結です。
長い間お付き合いいただきましてありがとうございました。




