お前が教えてくれた-Sideクローディス-(四)
アドリアーヌの活躍により、セギュール子爵の悪事が暴かれ、彼は爵位と全財産を失うことになった。
それを逆恨みしたセギュール子爵の娘(……何という名前か忘れたがエルサ?ルイザ?だか)が、あろうことかアドリアーヌを刺した。
力なく倒れるアドリアーヌを、まるでスローモーションでも見るかのように見ていた。
流される鮮血。
「医者を呼べ!そして衛兵、この女をとらえろ!……大丈夫か?アドリアーヌ、しっかりしろ!」
抱き上げるとぐったりとしてアドリアーヌの体温が徐々に失われていくのを感じる。
このまま失うと感じた時には恐怖で身がすくんだ。
そのまま医務院に連れて行こうとクローディスが抱き上げた時、アドリアーヌの手をアイリスという少女が握って叫んだ。
「お姉さま!お姉さま、しっかりなさって。死なないでください!」
「おい、医務院に運ぶぞ!邪魔だ!」
アドリアーヌの手を離さない少女を一喝したが、アイリスはアドリアーヌの手をきつく握ったまま離さない。
そして次の瞬間、信じられないような奇跡が起こった。
淡い桜色が入った金の光がアイリスから発せられ、握られたアドリアーヌへと移っていく。
「な……これは?」
アドリアーヌの体も金色の粒子に囲まれ、幻想的でそれでいて神々しくもあるように見えた。
やがてその光が収まると同時にアイリスはその場に崩れ落ちていく。
「お前!何があったんだ!?」
「ん……」
「アドリアーヌ?大丈夫か?しっかりしろ!」
とりあえず倒れたアイリスを衛兵に運ばせ、クローディスも急いで医務院に向かった。
そして分かったのはアドリアーヌの傷は全くなかったという事実だった。
最初は何があったか理解できなかった。
確かに見たのだ。
あの女がアドリアーヌの腹部にナイフを突きつける瞬間も、そこで流された鮮血も。
だが、一つその可能性をサイナスが示した。
「これは……聖女の力だと思います」
「聖女?あの伝説のか?」
「伝説と呼ぶほど昔のことでもないですよ。殿下なら分かっているでしょ?百年前には聖女がいた。あなたの曾祖母ですよ」
曾祖母など遙か昔の事で、聞いたことはあったがまさか本当だとは思わなかった。
だが、今はそれは問題ではない。
アドリアーヌを助けてくれたのが聖女でも悪魔でもよかったのだ。
とりあえず助かった。それだけでも安堵だった。
「セギュール子爵の娘は捕らえたのか?」
「もちろん」
「では、四肢を切り落して牢獄に入れろ!」
「いくら何でも……」
「相手は人を殺そうとした。情けは無用だ」
アドリアーヌは聖女の力で一命をとりとめたが、それでもあのままではアドリアーヌは死んでいた。
人を殺そうとして幽閉の身で納めるなど、クローディスにできなかった。
それほどまでに怒り心頭だった。
「これは……またずいぶん」
クローディスの言葉に絶句だったサイナスだったが、今まで見たことのないクローディスの厳しい表情に次の言葉を飲み込まざるを得なかった。
優しいがゆえに貴族に軽んぜられるところもあったクローディスだったが、この厳しい処分は貴族を震え上がらせた。
後にクローディスが王太子としての権威を取り戻すきっかけになった事件でもあった。
一方、聖女の誕生で城はハチの巣をつついたような大騒ぎになった。
そのこと自体は特に問題はなかった。
聖女の久しぶりの誕生は、この国の希望にもなり、また場合によってはその力によって近隣諸国にメルナードの力を誇示できるからだ。
聖女によってアドリアーヌが助けられたのはいいがクローディスにとっては頭の痛い問題が起こった。
それは聖女アイリスとの結婚話だ。
聖女は王族と必ず結婚する必要はないが、現在王族よりも貴族の方が権力を持ち始めている今、どこかの貴族との婚姻は貴族間のパワーバランスを崩しかねない。
その点聖女との婚姻は無益な権力闘争を避けることにもなるし、王族の求心力を再び持つことにも有益だ。
だがアドリアーヌを求めるクローディスはその意見を却下した。
先だってセギュール子爵の娘ルイーズの処分を知っている貴族院は強く出ることはできず、一旦保留になっていたのだが……。
「歴代聖女は王家に嫁ぐから殿下がアイリスと結婚するって」
アドリアーヌからそう言われた時には心臓が飛び出そうに驚いた。
なぜそうなっているのだろう?
「はぁ……それは先代の聖女だけだ」
確かに聖女との婚約話が出ているのは事実だが、クローディスとしては好きな女からそんなことを言われれば動揺してしまう。
後ろ暗いことはないし、聖女アイリスとはある意味恋のライバルなのだ。そういうことになるわけはないが、余計なことを吹き込むんだとサヴィに怒りがわく。
(あの男も四肢をもいでやろうか?)
そんな物騒なことを考えているのを知ってか知らずか、アドリアーヌはクローディスとアイリスの結婚に関しては特段気にした様子はない。
変な誤解はされていないと思うと安堵するが、一方で何とも思われていないというのもまた悲しい。
複雑な男心である。
一応この間告白はしたものの返答ももらえず、クローディスは悶々とした気持ちを抱えてもいた。
堂々と口説いているロベルトはともかく、鍛錬時の差し入れのお礼と称してバレッタを贈ったりさりげなく仕事を手伝うリオネルも脅威だ。
女を口説くのが趣味みたいなロベルトよりも普段寡黙で実直な印象のリオネルの動向は予想外だった。
そうやってライバルたちの動向を見守る一方で、どうしたらアドリアーヌの心をこちらに向けさせればいいのかは一向に考えつかなかった。
何かロベルトの様に口説ければいいのだがどうしてもアドリアーヌを前にすると余計なことを口走ってしまい、素直に気持ちを表現できないのも問題だ。
今のところアドリアーヌにとってはクローディスはただの同僚に過ぎない。
(はぁ……どうしたらいいんだ……)
途方に暮れながらも毎日執務室でアドリアーヌと顔を合わせてる度なるべく平静を装っているが、告白して以降さらにアドリアーヌが可愛く見えてしまうから重症だ。
このまま連れ去って部屋に閉じ込めてしまいたいなどという欲求もあったりするが、さすがにそれはまずいだろう。
そんな不埒なことを考えなくもないが、そのたびに挙動不審になるので最近ではサイナスにも「クローディス殿下、疲れているのなら、アドリアーヌ嬢とご一緒に休暇でも取っては?」と余計なこともいう。
(だいたいなんでアドリアーヌと共に休暇を取らなければならないんだ)
サイナスは明らかに自分の気持ちを知っているのだろう。
まさか執務室にいる全員がクローディスがアドリアーヌに告白したことを察しているとは思わず、周囲の生暖かい視線に気づかないまま日々が過ぎて言っていたある日のことだった。
以前、アドリアーヌが進言していた小麦輸入量が増加している件で進展があった。
結論から言うと、ダンピエール伯爵がスライン国とグランディアス王国の戦争への介入を目論見、更に言えばメルナードを巻き込んだ戦争を引き起こそうとしているのではという疑惑が出てきた。
小麦を買い入れて籠城の構えを見せているだけでは容疑は軽いが、アドリアーヌと議論を重ねていく中で、ダンピエール伯爵領で爆弾の製造がなされ、それを輸出している可能性が高かった。
これは重大な国家反逆に値する。
すぐにでも諮問会議を開こうという矢先にアドリアーヌが失踪した。
いや、誘拐されたというほうが正しいかもしれない。
その知らせは夕刻にもたらされていた。
「アドリアーヌが行方不明?」
「正確には誘拐の可能性が極めて高いです」
「アドリアーヌ嬢は十五時にはアイリス嬢の見舞いに行くといって執務室を出たんですよね」
「あぁ。焼いたタルトを持っていくと言っていたな」
クローディスはそのことを思い出しながら答えた。
だがサイナスの後ろに控えていたアイリスが心配そうな顔をして立ち尽くしながら言った。
「でも私のところには来てらっしゃらないんです。お約束していた時間を過ぎてもいらっしゃらないのでお城を探したのですが……」
「……城内はくまなく探したのか?」
サイナスはもちろんと頷きながら答えた。
「心当たりは。城内はおろか家にも帰ってません。少なくとも五時間は経っています」
あのアドリアーヌが何の断りもなくどこかに出かけるなど性格上ありえない。
「どうして最初に報告しなかった!」
真っ先に報告を受けていれば衛兵を使って城を、町中をくまなく探せたというのに。
「その時点ではまだ行方不明と決まってなかったので。ですが……後手に回りました」
「最後に見たのは?」
「サヴィと歩いている様子が見られました。医務院の方に向かったと」
「でも、あいつは医務院にはいっていないと」
「はい」
「ですがその時の目撃情報で気になる点が」
「なんだ?」
「城内でアドリアーヌを目撃した人物の情報だと、最後に見た時にはサヴィとアドリアーヌが執務室から裏庭に行く回廊のところでした」




