戦争、ダメ、絶対!(一)
アイリスが目覚めて三日ほど経った。
アドリアーヌはアイリスの元に寄って面会をしてから執務に行くのが日課になっている。
アイリスは目が覚めてもまだ衰弱した様子は変わらず、少しずつ栄養を摂取して体力を回復するしかないということだった。
「アイリス、今日は参鶏湯よ!」
「ありがとうございます、お姉さまと毎日お会いできて嬉しいです。あとお料理も美味しくて楽しみにしてるんです」
アイリスには少しでも元気になってもらおうとアドリアーヌは色々と食事を作って持っていった。
今日は参鶏湯だ。
流石に高麗人参は手に入らないが、棗や松の実、ニンニクや生姜などなどとネギで煮込んである。
王宮のキッチンで作ったので熱々だ。
「お姉さまのお料理はバリエーションに富んでいて不思議なものも多いので毎日楽しみなんですよ。今日のも……面白い料理ですね。こういうのはどうやってレシピを考案されてるんですか?」
まさか前世の韓国料理とは言えない。
アドリアーヌは少し言葉を濁して言った。
「えーと、東洋の方の文献に載ってた……ような気がするわ」
「まぁ!さすがお姉様です。色んな分野の本を読まれてて造詣が深いのですね」
キラキラとした瞳で見られるといささか罪悪感もあるが……。
ひとしきりアイリスが参鶏湯を美味しそうに食べるのを見届けるとアドリアーヌは席を立った。
「じゃあ、私は執務に行くわ。また来るわね」
「はい、お待ちしてます」
医務室を出て食器を片付けた後執務室に行くと、そこには参鶏湯に舌鼓をうっているロベルトの姿があった。
「あ、お姫様お帰り。今日のご飯も美味しいね」
「ありがとう」
「でもこうしてアイリスちゃんのお相伴にあずかるのも嬉しいけど、僕のために作ってくれたらもっと嬉しいのにな」
そういってウィンクしてくるのはさすがロベルトだ。
なんとなく彼がいるだけで執務室も華やかな感じになるし、明るくなるのはその人柄のせいかも知れない。
「そういうのは他の人に頼んでちょうだい」
「つれないなぁ……本当に。お姫様の料理だから価値があるんじゃない?」
「はいはい、それで?他の皆は?」
執務室にはロベルトしかいない。
他のメンバーはこの時間執務している時間だが、どうしたのだろうか?
「なんか軍関係のことでバタバタがあったみたいだよ」
「軍関係?」
確かに現在の軍総帥は王太子であるクローディスである。この間の砦襲撃の件でなにかあったのだろうか。
「まぁ暫くは戻らないと思うよ」
「そう」
思わず小さく息をついた。
クローディスとリオネルに立て続けに告白されて混乱している。
それに彼らには正式な返事はしていない。
そういう意味でも彼らと仕事をするのはなんとなく気まずくもあった。
(平穏な生活を夢見ていたはずなのに……なんでこんなことになってるのかしら……)
メルナードから移送されてきて、ムルム伯爵にお世話になってからどうしてこういう状況に陥ったのか自分でも分からない。
時間が有れば庭仕事をしているが、家の中は掃除の手が回らないし、庭も雑草を取りきれてない。
(スローライフを楽しむはずが……これじゃ社畜時代と変わらないじゃない……)
そしてそれに加えて恋愛のあれやこれやだ。
アドリアーヌのキャパを軽く超えて、目眩すらしてくる。
「お姫様さぁ、クローディス殿下と何かあったの?」
「な、なに?突然!!」
「いや、最近二人の様子がおかしい感じだし。ギスギスというか……意識してる感じがしてね」
「な、なにもないわよ!」
「そう?てっきり告白されたのかと思ったよ」
「こ、告白!?」
何でバレた?どうしてバレた?
あわあわとしているアドリアーヌを見て、ロベルトはぷっと笑い出した
「セギュール子爵を追い詰めた策士なのに……よくあの計画が子爵にバレなかったね。そんなにバレバレな表情してたら何があったかは一目瞭然だよ」
「う……」
「まぁ殿下がお姫様を好きなのは周りも知ってたしね」
「そうなの!?どうして!?」
「えっ??あんなに態度に出てるのに気づかないの?」
「気づかなかった……」
あのツンツン俺様要素のどこに好意が隠れていたのだろう?気の強い女と散々言われてきているのだ。
「まぁ、そうか。とうとう殿下は告白したんだ。じゃあ僕もうかうかしてられないな」
「うかうか?」
「そう、僕の気持ちにも気付いて欲しいなって」
そう言ってロベルトはアドリアーヌの隣に座り直すと距離を詰めてくる。
思わずのけぞるアドリアーヌだったが、とうとうソファーの端まで追い詰められる。
キスされるのではというほど顔を近づけられて、思わずアドリアーヌは目をぎゅっと瞑ってしまった。
「あぁ、タイムオーバーかな」
ぽつりと呟く声が聞こえて、アドリアーヌが目を開けると程なく廊下から声が聞こえてきた。
どうやらクローディス達が戻ってきたようだ。
ほっと息をついた瞬間だった。
ちゅっと頬に何か当たった。
それが頬にキスされたのだと気付いたのは、クローディスがドアを開けたのと同じタイミングだった。
「!!!!????」
「続きはまたね」
思わず頬に手を当ててソファーから飛びのいた時にはドアのところでクローディスが不思議そうに立っていた。
「どうしたんだ?」
「えっ?なななんでもない!!」
「そうか?顔が赤いが……最近顔が赤いことがあるが、体調でも悪いのか?今日は早く帰ったほうが……」
「ううん、ほら今日は暑いからね……すこし熱ったのかも」
「?そうか?ならいいんだが」
心配そうにアドリアーヌを見ている背後でロベルトが愉快そうにニヤニヤしている。
(確信犯!?)
内心の動揺を隠すように、小さく咳ばらいをしてアドリアーヌは話題を変えることにした。
「こほん。それより殿下、軍関連のお仕事と聞いていたのですけど、何かありましたか?」
アドリアーヌがそう尋ねると、クローディスは少し困ったような顔をして黙り込んでしまう。
そしてサイナスに目配せすると、サイナスも仕方がないといった態で説明を始めた。
「本来ならばこのような話はアドリアーヌ嬢にはお聞きかせたくないし、何よりも機密事項なのです。くれぐれも内密にお願いします」
「そんな機密事項……私が聞いていいのですか?」
「伝えるべきか悩んだのですけどね……耳には入れておいた方がいいかと……貴方にもアイリス嬢にも関わることですからね」
歯切れが悪い様子で、なんとなく聞かない方がよいようにも思えたがアイリスの事とあっては聞かないという選択肢はない。
「アイリスがどうしたんですか?」
「実は……今日軍の会議が招集されて、グランディアス王国に攻撃を仕掛けることになりそうなんですよ」
「グランディアス王国……ですか?どうして!あそこは一応休戦調停もなされていますし、友好国として歩みだそうとしているじゃないですか!」
「スライン国と我が国は盟友国なのですよ」
スライン国はグランディアス王国の西側に位置しており、正直あまり友好関係にはない。最近戦力を付けておりグランディアス王国の脅威になりつつある。
表立っての戦はされていないがそれでも国境沿いでの小競り合いは絶えないと聞く。
一方メルナードはグランディアス王国の南に位置する。
スライン国とグランディアス国は接しており、古くからメルナードと盟友関係にあるため、先の戦いでは共にグランディアス王国の脅威になっていた。
メルナードの方は先ほども述べたように停戦条約を結んだ状態ではいる。
「それでスライン国と盟友関係なのは私も存じておりますが……なぜ急に戦争に?」
「スライン国が大々的に戦争を起こそうと考えているみたいだ。先ほど特使が来て、盟友関係である俺たちにも参戦をと促してきた」
クローディスの言葉に思わず震えた声で先を促す。
「それで……殿下は何とお答えに……」
「盟友国とはいえグランディアス王国とは停戦状態であり、それを破棄することはできないと返答した」
「では……すぐにはグランディアス王国とは戦わないと?」
いくら追われた身であっても祖国であるグランディアス王国が戦火に見舞われることは避けたい。
だからまずはグランディアス王国とは戦わない姿勢であるメルナードの対応に少しだけ安堵した。
だが、その次にサイナスから言われた言葉はそれとは別の話になった。
「そうしたいのは山々なのですけどね……聖女が現れてしまったために状況が変わってしまったんですよ」
「聖女……アイリスが?」
「聖女伝説はこの間調べましたよね。聖女が戦いに勝利をもたらしこの国を繁栄させたという内容です」
「はい。この間書庫で読みました」
「だから今回も聖女が現れたから戦争に勝つのだと言い出す一派がいましてね。聖女を戦場に連れて行けば兵たちの士気も上がるし、怪我をしても癒しの力で死なずに済むというのです」
「そんな!アイリスの力は絶対ではないです。自分の命を削って相手を癒す力です。これ以上負担を掛けたら死んでしまいますよ!」
「それでも、求心力としては十分な存在なんですよ、聖女というものは」
祖国だけではなくアイリスまでも危険にさらされる。
これは絶対に避けなくてはならない状況だ。
「それで、殿下は戦争をお望みなのですか?」
「まさか……できたら回避したいと思っている」
「ですが、先ほども言ったように、一部の派閥で戦争を強行する意見があり、正直国王も戦争も致し方ないと思っています。現に先日砦が襲撃されたでしょ?あれはグランディアスの敵襲だと見られています」
だから……とサイナスは言葉を続けた。
戦争はほぼ不可避だと。




