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底値を知りたいのですが…


アレクセイがドンと書類をテーブルに置いた。


アドリアーヌはティーセットをテーブルの端に寄せてテーブルにその書類を広げた。


「これで以上です」

「ありがとう。無理を言ってごめんなさいね」

「いえ……いいのですが……アドリアーヌ様は何をなさるんですか?」


アレクセイに持ってきてもらったのはここ数カ月の経理関係の書類だった。


ムルム伯爵の家では会計士が資産管理を行っており、月一度の報告をされている様だった。


現状分析は基本中の基本。


流石にこの屋敷に来た新参者が全部の資産などを確認するのは気が引けるし、たぶん無理なので差支えのない範囲でまずは月の収支を見せてもらうことにした。


「うーん……単式簿記で書かれているのね……」


これは後で資産を確認する段取りになったら複式簿記にした方が管理がしやすいだろう。


この世界の簿記など見たことが無いが、複式簿記は珍しいのかもしれない。その辺も後で確認しよう。


ざっくりと家計簿の内容を確認してみる。

当たり前だが収支のバランスは最悪だ。


詳細は分からないがメインの収入としては地代と納税で何とか食いつないでいる状況だった。


「ねぇアレクセイさん。ムルム伯爵ってそんなに土地とか持ってないの?収入がだいぶ少ないけど……」

「それはですね……今期の不作のせいです。そのため税収が少なくてですね……旦那様が民の暮らしをひっ迫させるかもしれないから税金はとらないとおっしゃっていて……」


お人好しにも困ったものですとアレクセイは大きくため息をついた。


ムルム伯爵はとことんお人好しで、困っている人を無下にはできないのだろう。


それは美点ではあるし、現にアドリアーヌもその恩恵にあずかっているから何とも言えないが……ムルム伯爵は筋金入りのお人好しであることは分かった。


「まぁ税収のこととか収益のことは後々考えるとして。毎月の借金返済だけで結構きつきつな状況ね。もう少し整理してみましょう」


そう言ってアドリアーヌは紙にさらさらと現状分析を書き始めた。


一応言っておくと家計の無駄の削減は固定費の削減が一般的だ。


固定費はその名の通り一定に発生する変動しない費用で、保険代や現代だとスマホやネットなどの通信費、家賃などが当たる。


だが今回は固定費の削減は一旦置いておくとする。


工場経営などをしているわけでもないし、固定費の削減のメインとなる家賃や保険代が無いからだ。

それよりも即効性のある変動費の方に着手した方がいいだろう。


収入が限定されている状況で変えるべきは当たり前ながら支出だ。


なるほど……と分析しているのをじっとアレクセイが見つめていた。


その視線に気が付いて、アドリアーヌは「ん?」と目を上げた。


「なにかしら?」

「アドリアーヌ様は……その……こういう計算がお得意なのですか?」

「まぁ、分析とか現状把握とかは得意ね」

「拝見したところ簿記の知識もお持ちなのが……その意外でして」

「あー、そうね……うん……そうかぁ」


一般的な貴族のお嬢様ならこのように簿記の知識を持つ必要はない。


家の経営などは男の仕事だし、婦女子は優雅にお茶でも飲んでいればいいという世界だ。


だからアドリアーヌのこのような行動はびっくりしたのだろう。


「まぁ、趣味みたいなものよ。……それよりも、食費がだいぶ高いんだけどムルム伯爵のあの粗食にしては食費高くないかしら?」

「アドリアーヌ様がいらっしゃる前は今よりももう少しお食べになっていたのです」

「そうなのね。もう少し踏み込んだ資料が欲しいんだけど。領収書とかもっと細かいいモノが欲しいわ」

「分かりました。これからまとめてお持ちします」

「ありがとう」


アレクセイが持ってきた領収書などを見て、気になったのはやはり食費が多いことだ。


使用人八人+ムルム伯爵の九名しかいないにしてはあまりに多い。


交際費として晩餐会を催しているというのもあるが、日常的な食費が高いように思えた。


(でも……この国の相場とか分からないのよねぇ。ジャガイモ一個二五〇円換算って高くない?)


「ねぇ、アレクセイさん。この野菜とかって相場の値段?少し高い?」

「この時期ですと相場ですね。例えば……このジャガイモは季節先取りのものですし、北部から輸送しているものを手配しているのでこのくらいの値段ですね」

「え?わざわざ北部のを持ってきているの?」


驚いた。

わざわざ季節先取りのもので、かつ所謂ブランド品の野菜ではないか。

それをわざわざ食べているのか……なんと無駄な。


「あとね。ここにオレンジ購入ってあるでしょ?これってもしかしてランバルド王国からの輸入品?」

「えぇ当然です」


これで食費が高い理由が分かった。

いわゆる高級品を口にしているのだ。


もちろん伯爵の生活水準からすれば当然ではあるが、この状況では正直破産するのが目に見えている。


いくら固定費として処理される人件費を削っても、焼け石に水だろう。


(問題点は見えてきたけど……あとはもう少し情報が必要よね)


うーんと暫く考えたアドリアーヌはすくっと立ち上がってアレクセイに言った。


「アレクセイさん、ちょっと街に行きたいんだけど。行ってきてもいいかしら?」


※   ※   ※


街は賑やかだった。


久しぶりの外出に最初はなんとも思っていなかったが、やはり気分が高揚する。


だが浮かれている場合ではない。アドリアーヌの今回の目的は食料品の相場調査だ。


アドリアーヌはメモ片手に片っ端からお店に入っては値段を調査していた。


「ふんふん……やっぱり屋敷で使っているものって割高だわ。市場のものも十分新鮮だし。後はいかに安く手に入れるか……だわよねぇ」


今後の戦略を考えて歩き出したアドリアーヌは甲高い声がしてそちらに目を向けた。


「ロベルト、今日の夜はどう?」

「いいねぇ。夜は空いているし、久しぶりに飲みに行くかい?いいお店を見つけたんだよ」

「わあ、嬉しいわ」


花売りの移動販売車だろうか?荷台に色とりどりの花がカゴいっぱいに乗っている。


それを売っているのは凄まじく美形の男だった。


金髪碧眼。

前にいたグランディアス国の王子であり元婚約者のルベールよりも王子らしい王子の容姿だ。


だが、ちょっと軽い感じののりで、着崩した服から見える胸元が色気を誘っている。


だからだろうか。少し軽薄な感じもするし、現に目の前で堂々と女性と抱き合っている。


そして軽く女性にキスをすると、女性はにこやかに去っていった。


(うわー、往来でよくするよ。バカップルってやつ?)


すると今度は違う女性がまたその男に言い寄っており、男もさっきの女性に接するように親密な行動をとっていた。


これは間違いなくたらし……フェミニストといった方がいいだろうか。


(あんな男に引っかかる女の気がしれない)


そう思いながらアドリアーヌが花屋の男の脇を通り過ぎようとすると、思いがけず声をかけられた。


「そこのお姫様、お花はいかがですか?」


最初アドリアーヌは自分が呼び止められていることに気づかず歩いていると、その男が追いかけて顔を覗くようにアドリアーヌを見るので、思わず足を止めてしまった。


真っ直ぐに男を見ると、アクアマリンのような綺麗な青の瞳がこちらを向いている。


「何か御用ですか?」


普通に思った。なぜ彼は自分に声をかけてくるのだろうか?

ややあって気づいた。


(そうか、お花を売ろうとしているのね)


納得するとアドリアーヌは男が口を開く前に、言っていた。


「お花なら買いませんよ?」

「え?あぁ、花……。いや、君みたいな可憐な女の子とおしゃべりしたいと思ってね」

「はぁ……」


正直関わりたくないし、これからまた八百屋での価格交渉をしようと向かっているのだ。


これ以上街にいると日が暮れてしまうし、今日はキッチンの食材管理などの確認がしたかった。


メイドたちの働きぶりとその問題点の洗い出しは終わったが、キッチン回りについてはまだ問題の洗い出しが終わっていない。


購入した食材とメニューに出される食材量を考えると廃棄ロスが出ているのではないかと思う。


アドリアーヌの予想が正しければ、食材管理が杜撰なはずだ。そこを今日は確認する予定だった。


「ねぇ、街は初めて?ずっと気になっていたんだよね、それ」


足早に行くアドリアーヌにくっついて歩いていた男はアドリアーヌが持っているメモに視線を向ける。


「さっきから一生懸命何かメモをしていたけど、どうしたのかなぁって思っていてね。探し物なら一緒にお店を紹介してあげようか?」

「いえ、探し物じゃないんです。ちょっと底値を調査していて」

「底値?」


男は怪訝そうな顔をした後、プッと笑い出した。


「え?だって君貴族のお嬢さんでしょ?なんでまたそんなことしているのさ」

「初対面の人にそんなことを言う必要は感じないですけど」

「まぁまぁ、そんなに警戒しないで。僕は割と情報通だから、この街のことならある程度分かるよ。……底値だね。じゃあ、そのお店に連れて行ってあげるよ」


胡散臭い。

明らかに胡散臭い。


だが、そんなアドリアーヌの態度にお構いなしに男が歩き出す。


「あの、あなたのこと知らないし、付いて行かないですよ」

「あーそうか。僕はロベルトだよ。以後お見知りおきを」


ロベルトと名乗った男は大げさに恭しく礼をした。


「ロベルトさん。ご厚意はありがたいですがやはり結構です。他の店との比較を自分の目で確認しないと気が済まないので」

「そう?僕なら色々口利きもできるよ。底値が知りたいということは少しでも安く野菜を仕入れたいんでしょ?僕に任せてさぁ」

「うわっ!」


アドリアーヌはそのまま連行されるようにロベルトに手を引かれて歩き出していた。


「僕はあまり女性を強引に連れ出すのは趣味じゃないけど、どうしても放っておけないよ。君、この街に不慣れでしょ?」

「分かりますか?」

「うん。きょろきょろうろうろしていたし、危ないなぁってずっと見ていたからね」

「ずっと……いつからですか?」


そう聞くと割と街に入ってすぐのあたりからだった。


ロベルト曰く懸命にメモを取っている姿は結構浮いていたらしい。


「カモにされているかもしれないし、まぁ悪いようにしないよ。ほら、まだ日も高いし人は大勢いる。変なことをしたら騒げばいいよ」


なるほど一理ある。

アドリアーヌは仕方なくロベルトについていくことにした。


果たしてロベルトが案内してくれたのは確かにこの街では底値と思われる八百屋だった。


よくよく見てみれば今まで調べたどこの八百屋よりも新鮮だし値が安い。


「店主の方、これをもう少し安くできないかしら?」

「えぇ……これ以上は無理だよ。ここら辺ではウチは薄利でやっているんだ。」

「まとめ買いするから。ね。あとこの傷物とか小さいのもまとめて買うから!」


大量購入して値を下げてもらうのは基本中の基本だ。


八百屋にとってもこの価格を現金収入で入るのは魅力的なはずだ。しかし店主は少し悩んでいる様だった。


そんな時ロベルトが口を開いた。


「ダリィのおじさん。ここは僕の顔に免じてどう?この間取れなかったっていう宿屋との契約も僕が取り持ってあげるよ」

「あぁ、あそこの嬢ちゃんはお前さんに惚れてるしなぁ……宿屋の注文も大口だからなぁ」


ロベルトの提案に店主は少し悩んだ後、店主は了解してくれた。


「よし、分かった。それならその価格で」

「ありがとうございます!」


それから交渉して荷物も運んでくれるよう更にロベルトの口添えもあって調整が完了した。

これで当面の食材は安く済んだはずだ。


ほくほくした顔でアドリアーヌは店を後にする。もちろんロベルトの評価は上がった。


満面の笑みで彼にお礼を言う。


「口添えありがとうございます!」

「いや、困っている可憐なお姫様を助けるのは僕の趣味みたいなものだから気にしないで」


何となく突っ込みたくなるが敢えてそこは言わないでおこう。


しかし……と思う。もしかして何か法外な見返りを要求されるのではないか……。


「あの……それで……何か見返りとか……必要ですよね……お金あんまり持ってないのですけど……」

「あはは、本当に気にしないで!言ったろ?趣味みたいなものだよって」


それでも何かお礼をしないと気が済まない。


「私で何かできることならある程度なら力になりますけど」


流石に一夜を共にしてくれとか言われたら困るし、法外なお金を要求されても困るが、それ以外なら力になりたいというのが正直なところだ。


「じゃあさ……君が欲しいものを教えてもらえるかな?」

「私が欲しいもの……ですか?」

「うん」


ニコニコと笑うロベルトを前にアドリアーヌはうーんと唸った。


直近で欲しいものはない。高価なドレスやアクセサリーには興味が無いし、日用品も困っていない。


嗜好品も現在のところ欲しいとも思っていないのだ。


暫く考えた後、アドリアーヌには一つの考えが浮かんだ。


(そうだ!!野菜を自分で育てればある程度は食費が削減されるかも!)


これはナイスアイディアだ。

これが欲しい。これしかない!

だから素直に言ったのだ。


「野菜の苗が欲しいです」


それを聞いたロベルトは盛大に固まった。どうやら脳の処理がついていかないらしい。


「苗?」

「はい。今一番欲しいものなんです!ダメなら苗を売ってるところを教えてください」

「ぷっ……ははは!そうか。苗ね。覚えておくよ」

「あぁ、いえ。これがお礼になってますか?」

「うん、十分十分。引き留めて悪かったね。楽しい時間をありがとう」

「じゃあ、失礼しますね。本当にありがとうございました」


アドリアーヌはそう言って礼をすると帰路についた。


「ははは……本当に面白い子だな。しばらくは退屈しなさそうだし。……彼女のこと調べてみようかなぁ」


アドリアーヌの後ろを見送ったロベルトがそう呟いた言葉は、もちろんアドリアーヌは届かなかったが。


さて、当のアドリアーヌはと言うと辻馬車に乗って伯爵邸に戻る道すがら、今日の目標を達成してほくほくした気分になっていた。


ロベルトという変な男と出会ったのは微妙なところだが。


「それにしても、あのロベルトって人も、何となく名前と顔を知っているような気もするのよね」


また不意に変な感覚に襲われた。

あのメルナードに移送された時の感覚。

疲れ切った自分がベッドに倒れながら何かの雑誌を読んでいる。


(そう言えば「悠久の時代の中で」の続編が出るとかってゲーム雑誌に特集が組まれていたような……)


そして思い出したのだ。

攻略対象の名前を。

「……確か……ロベルト……」


あの金髪碧眼のイケメン顔……。

そして気づいたのだ。リオネルのことも。

彼も攻略対象だったはずだ。


「嘘……いやいや……そんなはずは……ない……わよね……」


だがたとえ続編の世界だとしても、自分には関係ないはずだ。


(いやいや……まだ確定じゃないわ。たまたまかも。イケメンなんて皆同じ顔だし。ロベルトなんてよくある名前だし)


それに、彼と関わることはもうないだろう。


街には頻繁に行くわけではないし、相手にも自分の素性も明かしてない。


名前さえ言っていないことに気づいた。


「うん……もし続編の世界だとしても、私はモブキャラに過ぎないわ。それより……」


当面の課題はムルム伯爵家の立て直しだ。


アドリアーヌはそう考えて頭を切り替え、今後の方針について練り始めるのだった。


本日3話目の投稿です

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