絶許案件に対抗します(一)
ムルム伯爵邸から戻った翌日、アドリアーヌはどうすればセギュール子爵から伯爵家を守れるのかを考えていた。
登城し、執務室までの廊下を思案しながら歩いているときだった。
ドン
曲がり角で誰かとぶつかってアドリアーヌは小さく声を上げた。
「わっ!」
「あ……申し訳ありません!」
「あら、アイリス。……って、どうしたの?泣いているの?」
「えっと……これは……」
ぶつかった人物だったアイリスは少し目を赤くしながら俯いていた。
またルイーズに虐められたのだろうか?
その時だった。意外な人物がアイリスを追うようにやってきた。
(この人……セギュール子爵だわ)
以前の舞踏会で会ったきりだったが、その太って脂ぎった顔と髪が薄いのを必死に隠している様子で思い出した。
「あぁ……可愛いアイリス。こんなところで泣いていたのかい?」
「ひぃ」
迫ってくるセギュール伯爵を見て、アイリスは小さく悲鳴を上げて反射的にアドリアーヌの影に隠れた。
何かただならぬことを察したアドリアーヌはセギュール子爵に向き直って尋ねる。
「アイリスに何か御用ですか?」
「なんだ貴様は……」
「アドリアーヌ・ミスカルドと申します。」
「アドリアーヌ……確か以前夜会で……」
「えぇ。一度お会いしておりますが」
「そうでしたか。それよりもアドリアーヌ殿には関係ありません。……アイリス、何を嫌がるのだ?伯爵夫人にしてやろうというのに」
子爵はアドリアーヌを無視してアイリスに手を伸ばそうとした。
だが気になったのは彼の発言だ。
伯爵と言っただろうか?
「嫌です……。その話は……お断りしたはずです」
「でも貴殿のお父上は私に借金をしている。それを貴殿が私の妻になってくれれば帳消しにしてやるといっているのだよ。親切心を無下にするのかい?」
「それは……。でも父はまだお返事してないと言っていました」
「まぁそれも時間の問題だがね」
二人の会話から大筋の流れは想像できた。
「もしかして……借金の方に取られようとしているの?」
「はい……」
アイリスに聞くと小さく頷いて答えてくれた。
「うわ……自分の娘と同い年の子を嫁にとか……きもっ」
「なんだと?」
思わず声に出してしまった一言に子爵が反応する。
それよりも最推しのアイリスをこのような豚みたいな親父の毒牙にかけることをむざむざ見過ごせない。
それにさっきの伯爵夫人という言葉も気になった。
「失礼ながら。子爵は伯爵ではないですよね。伯爵夫人など……どういうことですか?」
「……とある貴族から伯爵を譲り受けることになっていてな」
「……ムルム伯爵ですね」
「はっ、どうしてそれを!!」
「申し訳ありませんが、それは諦めていただきます」
「何を?!」
「私はムルム伯爵家に縁があるもの。貴方には伯爵家は譲りません」
「な……何を言っているんだ?女のお前には関係ないことだろ!小娘の分際で何を大口叩くか!」
「なんですってー⁉」
「そういえばお前は私の可愛いルイーズを酷い目に合わせたと聞いた。それ相応の罰をくれてやってもいいんだぞ」
「ルイーズ様のことは自業自得ですわ」
「はっ!なんだと⁉この愛妾ごときが!」
その言葉にアドリアーヌは止まった。
誰が誰の愛妾だと?
「はぁ?どういう意味ですか?」
「お前殿下の愛妾だろ?最近政治にも口を出して、迷惑をしているとみんな噂をしている。愛妾の立場をいいことに色々やりたい放題。まったく殿下もこのような女のどこがいいのやら。騙されているに決まっているのに」
「私はクローディス殿下を騙しているわけでも、愛妾になっているわけでもないわ!」
「ではなぜこんなところで大きな顔をしているんだ?」
「それは……」
アドリアーヌのことは、最近では公然の秘密でもあった。
何度も登城しており、女官としてクローディスと共にいるが、さすがに執務室にいる時間を考えるとただの女官ではないだろうという噂が広まっている。
実際にクローディスに近い政務官はアドリアーヌが仕事をしていることを知っており、そこからアドリアーヌが政務をしていることが漏れている。
それに関してはサイナスがだいぶ握りつぶしてくれてはいたが、結局は公然の秘密になっているわけだ。
「ふん。我が娘ルイーズが妃になればお前など叩きだしてやる」
言い争いがヒートアップしたときだった。子爵の従者らしき人物が現れ、馬車の準備ができたことを告げた。
気が付けば何人かの役人や貴族が遠巻きに自分たちを見ていた。その好奇に満ちた視線を感じた子爵は一つ咳払いして言った。
「全く今日は厄日だ。サイナスの若造に帳簿の金額がどうの、強引な商売をしているのではないかなど、どうのこうのとくだらないことで呼び出されて。本当に厄日だ!」
憎々し気にいう子爵だったが、それよりもアドリアーヌとしては愛妾呼ばわりされたこともムルム伯爵家のことも、アイリスのことも、色々あって怒髪天となっていた。
「……そうですか……そうですか……一つ言っておきます。私を本気で怒らせたこと、後悔させてあげますからね……さ、アイリス行きましょ!」
「ちょっと!!なんだ貴様!!そっちこそ覚えてろよ!」
背後で叫んでいる子爵を無視してアドリアーヌはその場を離れた。
何度思い出しても腹が立つ。
あまりの腹立たしさに、思わず廊下を大股でずんずんと進んでいく。
すれ違う政務官たちが怯えていることなど知ったこっちゃない。
「あ……あの……お姉さま、また助けていただいて申し訳ありません。私もお姉さまみたいにしっかりしなくてはと思って、子爵の手を振り切って逃げたのですが、逆にご迷惑をかけてしまいました」
「あ、気にしないで。子爵とはいずれ決着を付けなくちゃならなかったし。せいせいしたわ!」
「でも……今迄みたいに我慢すれば良かったのかもしれません」
「ううん、勇気を出してあいつの手を振り切ったのでしょ?凄いわ、アイリス」
「あ、ありがとうございます。お姉さまにそう言ってもらえて……私嬉しいです!」
顔を赤らめて感動の涙を流すアイリスの様子は若干オーバーすぎて、ちょっと引いたのだが、それよりもアドリアーヌにはやることがある。
「私、急ぐから。アイリスも頑張ってね!ルイーズにも負けないでね!」
「は、はい!」
子爵のこともあり、ルイーズの報復も気になるところだが、こうなったら子爵を叩いてしまった方が色々と早い。
ようやく見えてきた執務室のドアをアドリアーヌはどんと開けた。
ノックもせずに半ば駆け足で滑り込んだアドリアーヌを見て、中にいたクローディスたちが驚いて手を止めている。
「ど……どうしたんだお前。髪を振り乱して」
クローディスがただならぬ様子のアドリアーヌにとまどいながら声をかけてきた。
愛妾云々の話もあり、その件についても色々と言いたいことはあるが、今はそれどころではない。
動揺する面々をキッと睨むようにしてアドリアーヌは大きな声で宣言した。
「セギュール子爵をぶっ潰します!」
「は?」
「……え?」
「ん?」
三人三様の言葉を口にしたが、誰もが状況についていけないようだった。
だが、一番最初に状況を把握しようとしたのはやはりサイナスだった。
「どうしてそうなったのか……教えてもらえませんか?」
そうしてアドリアーヌはこれまでの子爵の話を説明した。
ムルム伯爵のこと、アイリスのこと、ヘイズ達商店の乗っ取りのこと……
ちなみにサイナスを若造呼ばわりしていたことも添えておいた。
「ムルム伯爵には恩がある……是非協力しよう」
「……若造呼ばわりされていることは知っていました。ですが……そうですね。そろそろ分をわきまえていただきましょうか」
「よく分からないが協力した方がよさそうだな。」
今回の件はあくまでアドリアーヌの問題だと思っていた。
アドリアーヌとしては、セギュール子爵の件があるから少し業務を減らしてもらおうと思う程度だったが、意外にも三人は乗り気だ。
「実は子爵の財政については気になる点が多々ありましてね。ロベルトにも探らせていたのです」
サイナスは何やらまた黒い笑みを浮かべている。
そういえばサイナスの正体を知ったときにも子爵の周りを嗅ぎまわっているような話が出ていた。
「ロベルトにも協力してもらいましょう。これから先、情報が必要になる」
確かにこれから先は情報戦という側面も出てくる。
サイナスの口ぶりからは叩けば埃が出るような人間だし、それを取っ掛かりとして妙案が浮かぶかもしれない。
「じゃあ、子爵ぶっ潰し作戦。練りましょうか!」
こうして、子爵への報復作戦会議が始まったのだった。




