一難去ってまた一難ってやつですか?(一)
その日はアドリアーヌの新居への引っ越しだった。
アドリアーヌは当初、一人で引っ越しを行う予定だった。
手伝ってくれる人間などいないと思っていたし、そもそも自分のために時間を割いてもらうわけにはいかない。
前世の世界でもアドリアーヌは何事も一人で決め、一人で対処してきたから、その思考の癖はなかなか抜けるものではない。
そう思って転居日を伝えて伯爵邸をおいとましようと思ったのだが、意外にもムルム伯爵邸の皆がアドリアーヌの転居を非常に残念がり、なぜか総出で引っ越しを手伝ってくれることになった。
屋敷の方でメイド仲間で双子のサーシャとマーシャが食器類などの日常生活で必要なこまごまとしたものを用意し、梱包してくれた。
大きな家具類はファゴとなんとアレクセイまでも腕まくりをして運んでくれたのだった。
ファゴはいつも豪快で懐の広いところはあったが、いつも冷静で汗一つかかなさそうなアレクセイが腕まくりをするところを見てアドリアーヌはかなり驚いた。
その後は新居の方でマーガレットが待っており、てきぱきと采配を振るってくれた。
「あーあ、アドリアーヌ様がいなくなると話し相手も少なくなって寂しいです」
「ありがとう、マーガレット。でも全く行かなくなるわけじゃないし、仕事の暇を見つけては戻るつもりだから……。『あなた誰?』なんて冷たい態度はとらないでね」
「どうしましょうかね。あまりお帰りにならないと、そう言ってしまうかもしれないです」
「ふふふ。じゃあそうならないように気を付けるわ」
マーガレットともすっかり打ち解けた関係になっていた。
メルナードに来て年頃の友人がいなかったアドリアーヌにとって、マーガレットは貴重な友人となった。
お茶をしてガールズトークに花を咲かせることも多々あったのだった。
(まぁ、主にマーガレットの恋愛妄想話やときめく恋愛シチュエーション語りだった気もするけど……)
「おやおや、ずいぶん賑やかだね。へー、ムルム邸の人たちが手伝ってくれたんだ。せっかく僕の出番だと思ってたのにな。すっかり片付いてしまってるね」
「あ、ロベルト。来てくれたの?うん、みんな手伝ってくれてあっという間に終わっちゃったの」
「これもお姫様の人望なのかな?」
「そうだと嬉しいな」
ひょっこりロベルトがやってきて、いつものように野菜を手渡してくれた。
そしてバタバタと引っ越し作業をするムルム邸のみんなの様子を見まわして声をかけてくる。
確かにアドリアーヌがメルナードに来た時には一人だった。
歓迎してくれたのはムルム伯爵だけで、彼も最初はアドリアーヌをどう扱っていいのか困っているようにも感じた。
その後一緒に仕事をして、認めてもらえて、ともに時間を過ごしたことで、こうやって引っ越しの手伝いをしてくれるほどには人間関係を築けたことは素直に嬉しい。
「あ!アドリアーヌ、ここにいたんだ!ゲストルームのほうは終わったよ!」
「クリストファー様も、お手伝いありがとうございますね」
「本当にアドリアーヌ……出て行っちゃうんだね」
「そんなに大袈裟なことじゃないですよ。遊びにいらっしゃってくださいね」
また泣き出しそうなクリストファーに視線を合わせてアドリアーヌはすまなそうな顔で言った。
アドリアーヌが転居することを一番悲しんだのはクリストファーだったのだ。
アドリアーヌもまた屋敷にクリストファーを残して行くのは非常に心苦しかった。
両親を亡くし、一人部屋に引きこもっていた彼を思うと、再び引きこもりになって泣き暮らしたらどうしようとも思ったが、現在のクリストファーは使用人たちとも打ち解けて、すっかり立ち直っているようにも見えた。
「あーあ、今日からお姫様と二人っきりで過ごせると思ったけど、まだちょっとかかるかな」
「……アドリアーヌ、こういう変な男を家に入れちゃだめだからね」
「変な男だなんて心外だね。まぁ、クリストファー様が居ない分僕がしっかりお姫様を守るから安心してくれていいよ」
「だから、それが危険だって言っているんだよ!アドリアーヌに手を出したら承知しないからな! 〝僕の〟アドリアーヌなんだから」
「僕の〝屋敷の〟アドリアーヌだよね。それも今日までだと思うけどね」
アドリアーヌを置いてけぼりにして、ロベルトとクリストファーが言い合っている。
いつもの戦いなのでアドリアーヌも何も言わないで黙っていた。
まぁ、これが彼らのコミュニケーションなのだろう。
ただ、このままでは埒が明かないので、アドリアーヌはとうとうその言葉を遮った。
「えっと……引っ越しもひと段落しましたので引っ越し蕎麦といきましょうか?」
「引っ越しそば?」
ロベルトとクリストファーは聞きなれない言葉に首を傾げた。
まぁ当り前ながらこの世界に引っ越し蕎麦はない。
「えぇ、えっと私の故郷(前世)の習慣で「細く、長く、切れない」や「末永くおそばにいたい」という理由で蕎麦という食べ物をふるまう習慣があったんです。まぁ、こっちには蕎麦がないですし、この人数のお腹をいっぱいにするために、代わりにパスタといきましょう!」
パスタだとすぐに切れそうな気もするが「細く、長く」は満たしているのでいいとしよう。
ファゴと二人、新居のキッチンでさくっとパスタを作る。
今日はロベルトが持ってきてくれた新鮮野菜の色どりパスタだ。
「さすが、アドリアーヌ様の料理は絶品です。ファゴのもおいしいんですけど、何か一味違うんですよね」
「なんだよそれ。でも確かにお嬢さんのはうまいよなぁ。でも聞いてくれ!俺はお嬢さんから秘伝の〝だし〟というものを学んだんだ!以前の俺の料理とは一味違うぜ」
前世でもそうだが出汁の概念がこの世界でも薄い。
塩気が多い料理が多いのでアドリアーヌはそこで、味に深みを出すために出汁を使った料理をいくつかファゴに伝授したというわけだ。
ふと気づくと引っ越し作業がひと段落したのはちょうどおやつの時間という段だった。
今日は実はこれから人と会う約束がある。
そろそろ出なくては。
そんなことが顔に出たのか、ファゴがそれに気づいた。
「あ、そろそろ時間だな。お嬢さんはこれから大家さんに挨拶だっけか」
「ええそうなの。あとサイナス様ともちょっと会う約束があって」
「そっかそっか、じゃあ俺たちはそろそろ帰るな」
「えー僕はアドリアーヌともう少し一緒に居たい!じゃないとこの男が!」
ファゴとマーガレットが玄関へ向かうが、クリストファーは少し駄々をこねた。
聞き分けのいいクリストファーのことだから本気ではないはず……だが最後の部分には殺気のようなものを込めてロベルトを見たような気がしたのは気のせいだろうか?
それでもファゴたちに宥められるようにしてクリストファーは帰っていった。
最後にロベルトに気を許すなとアドリアーヌに釘を刺して……。
「じゃあ僕たちも行く?」
「行くけど……なんでロベルトも一緒なの?」
「だって街に行くのは一緒の方向でしょ。それにしても……なんでサイナス様と会うの?……まさか僕がいながらそういう関係……?」
ロベルトとなりゆきではあるが共に街へと行くことになり、話題はサイナスへと移った。
この男はなぜすぐ自分を恋人のように扱いたがるのだろうか。
ため息交じりに辟易としたように返答した。
「まず語弊があるけど、あなたとは何の関係もないからね」
「なんの関係って、ビジネスパートナーじゃないの?まさか……僕が恋人だと思われたかった?」
確かに「そういう関係」が恋愛を意味しているだけではないことに気づく。
まるで自意識過剰なようではないか。
思わず頬が赤く染まった。それを見ていたずらが成功したようにロベルトはにんまり笑った。
サリィの件もあるが、ロベルトは事実を言いながらも誤解を招くように言葉を選んでいるように感じる。
「そ、そんなことはないわ!えっと、サイナス様は私をコンサルとして宮中で働かせたいっておっしゃるのよ」
「サイナス様が……?これはまた……ずいぶん思い切ったなぁ」
「そうなの……。正直迷惑よ」
「そっか。よりによって困った人に目をつけられたね。その様子だと断る感じかな」
「もちろんよ!」
ただでさえ攻略対象と関わりを持ってしまっているのだ。できればこれ以上深入りはしたくない。
アドリアーヌの様子を見ながらロベルトは大きくため息をついて言った。
いや、忠告に近い言葉なのかもしれない。
「あの人……執念深いっていうか……なんだろう。諦めが悪いからね。無事お断りできるのを祈ってるよ。GOOD LUCK!」
サイナスとの待ち合わせのカフェまで行くとロベルトはそう言い残して去っていく。
『執念深い』『諦めが悪い』
そんな不穏な言葉が脳でリフレインしたが、アドリアーヌはそれを振り切るようにして一つ気合を入れ、カフェへと乗り込んでいった。
アドリアーヌがその言葉を痛感するのはあと十分後だったが、今のアドリアーヌは知る由もなかったのだった。
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