規格外の女 sideリオネル(二)
クローディスに用事がありアドリアーヌとの約束の二週間後にムルム伯爵の元には行けなくなったリオネルは、一日早いが伯爵邸を訪れていた。
どうせ家を追い出されるのであれば一日も二日も変わらない。
そう思い、リオネルは伯爵邸の門をくぐった。
「リオネル様、いらっしゃいませ」
アレクセイがいつものように丁寧にお辞儀をして、迎えてくれる。
「旦那様ですね。ご都合をうかがってきますのでこちらで少々お待ちください」
「あぁ……」
エントランスに入ってリオネルが気づいたことがあった。以前来た時よりも屋敷が綺麗になっている気がするのだ。
少し曇っていたように見えていたガラスは綺麗に磨かれている。床もピカピカだし、廊下の隅々にも埃がない。
リオネルの記憶によると使用人たちをほとんど解雇してしまったがゆえに、掃除に手が回らず最低限のことしかできないと伯爵が悲しそうに言っていたのを覚えている。
不思議に思い、リオネルは自然と屋敷内に足を進めていた。
「~♪」
若いメイドが鼻歌を歌いながら掃除をしていた。棒の先に紙を付けた面妖な道具を持って流れるように床を拭いている。
ちょこちょことリスのように動き回るその様子を見ていた。彼女が床を磨いていることに気づいたが、どうしてこれで綺麗になるのかが疑問で思わずじっと見つめてしまう。
するとメイドがリオネルの視線に気づいて、真っ青な顔になった。
リオネルにとってはいつもの反応だ。睨んだつもりはないのだが睨んだと受け取ったようで、一歩近づくと泣きそうな顔になった。
「それは?」
「あああああ。すみません。お……お客様がいるとは気づかずに……」
「それよりもその棒はなんだ?」
「こ……これは……拭き掃除が大変だということでアドリアーヌ様がご提案なさって……」
その時にメイドがリオネルがここにいる意味を理解したようで、はっと顔を上げた。
「あ……あの!アドリアーヌ様は……頑張ってらっしゃるんです!」
「どういう意味だ?」
「アドリアーヌ様には……感謝しているんです!……そ、それだけです。し、失礼します!」
一瞬メイドはリオネルを睨んだようにも見えたが、それもすぐに隠してバタバタといなくなってしまった。
取り残されたリオネルはメイドの言った言葉の意味が理解できず首を捻っていると、外から楽し気な声が聞こえてきた。
この屋敷でこのような笑い声がするのは珍しい。
リオネルはそのまま声に導かれるように外に目を向けると、女が地面に這いつくばるようにして何かをしていた。
(あれは……畑か?)
その時リオネルは女が雑草を抜いていることに気づいた。
疲れたのか立ち上がって伸びをした女の手には雑草が握られている。
(あの女……アドリアーヌか?)
そのまま見ていると今度は屋敷からクリストファーが出てきてアドリアーヌと談笑したのち、一緒に雑草を取り始めた。
クリストファーの笑顔を見て、彼がアドリアーヌに懐いていることが一瞬でわかるとともに、アドリアーヌもまた満面の笑みで雑草を抜き始めていた。
(貴族の女が雑草取り?この日差しの中で日傘もささず!?ありえない……)
それに土いじりしながらのあの満面の笑顔。なぜかドキッとした。
雑草取りを心から楽しんでいる顔だった。
「あぁ、こちらにいらっしゃいましたか」
「あ……アレクセイか……すまない。声がしたものでつい」
「おや……アドリアーヌ様でしたか。午前中の仕事が終わったのでいつものように畑の世話をしているのですね。今日は日差しが強いので倒れてしまわないか心配ですね」
そう苦笑したアレクセイは、踵を返すとリオネルを伯爵の元へと案内してくれた。
「おぉ、リオネル君。今日の用向きはなんでしたかな?」
「アドリアーヌとの賭けの結果を見に来ました」
「あぁ……二週間で使用人として使える人間かどうかを見て欲しいというやつだったかな」
「はい。……伯爵から見てどうですか?」
「うん、彼女は頑張っているよ」
伯爵はいつもの通り柔和な笑みでそう言うが、採点が甘いというのはこれまでの状況を見れば分かる。
そんなわけはないと一刀両断にすればいいのだが、先ほどのアドリアーヌの様子を見てしまっては、そうもいかなくなってしまった。
リオネルは悩んだ。
アドリアーヌはもしかして自分が思っているような女ではないのかもしれない。
だがしかし……と思ってしまうのは、リオネルのプライドというものかもしれない。負けを認めるのは非常に悔しい。
「半信半疑といったところかな?」
「はい、ご指摘の通りです」
「ふむ……そうしたら納得してもらえるのか……。そうだ、アレクセイ、あれを見てもらったらどうだろうか?」
「そうですね。ではお持ちします」
ムルム伯爵に促されるようにして、アレクセイは書棚から数枚の書類を取り出してリオネルに見せた。
受け取った書類を見ると一枚目に「現状分析とその対応」という文言が書かれている。
どうやら伯爵家の財政に関するもので、いかにこの家が困窮しているかが分かりやすくまとめてあった。
そして同時にこの屋敷での使用人たちの不満と非効率な仕事の改善内容だった。
二枚目はアドリアーヌのスケジュールを、三枚目には将来の展望と目指すべき姿が描かれていた。
リオネルは学に長けている方ではないが、どの内容も説得力のある内容であり、これを作った人物の分析力と発想力は理解できた。
「これは?」
「アドリアーヌ嬢が作ったものだよ」
「あの女が?」
思わず本当かと確認するようにアレクセイを見ると彼も頷きながら言った。
「ちなみに言うと私はほとんど口出しはしておりません。そしてそのスケジュール通りにアドリアーヌ様は対応されております」
「この過密スケジュールをか?」
「はい。確かに使用人としては若干至らない部分もありますが、熱心に使用人の仕事を覚え、そして何より使用人たちに信頼されています」
「まさか……」
「あのファゴさえも手懐けていますよ」
ファゴは職人気質で自分の仕事に誇りを持っている。中途半端な人間と付き合おうとはしないことをリオネルは知っている。
「あぁ、そうだ。そろそろお茶の時間かな。もしかして今日もアドリアーヌ嬢お手製のスイーツが食べれるかもしれない」
「この上さらに料理までするのですか?」
「彼女の故郷の料理なのか、一風変わったものが多くてね。……確かテンプラとか言った揚げ物はとても美味しかった」
(……さすがに休んだ方がよいスケジュールではないか?この上菓子まで作るなど……信じられない)
リオネルとて鬼ではない。
このスケジュールをこなすなら少しでも休憩が必要だ。
それに確かスケジュール上は休憩時間だったが、先ほどアドリアーヌは草むしりをしていたのでは……。
そう思うとアドリアーヌの体調が若干心配にもなった。
その時ドアがノックされて入ってきたのはアドリアーヌだった。そしてぎょっとしたような顔でリオネルを認めると思わずといった様子で叫んだ。
「リオネル様!なんで……いらっしゃるんですか?」
「こんなところで何をしている」
見ればムルム伯爵の予言通りにお茶の準備をしてきたようだった。
思わず「休まずにこんなところにいたのか」という意味で言ったのだったが、残念ながら武骨で口下手なリオネルの言葉のためアドリアーヌには真意が伝わらなかったようだ。
アドリアーヌは動揺を抑えつつ、少し青い顔をしながら必死に訴えてきた。
「あ……あの……まだ準備ができていなくて。と言いますか、何をすれば認めてもらえるのか決めていなかったですから……」
「お前の働きを見れば分かる」
あの働きを見れば、アドリアーヌがただの貴族の女ではないことも、穀潰しではないことも理解できた。
しかも、ファゴではなく自身で焼いたというアップルパイを出してきた。少し焦げてはいるが美味しそうだった。
お茶の用意をしているようだったが、自分で淹れるつもりだろうか?
「君が紅茶を淹れるのか。見せてもらおう」
純粋に彼女が淹れるお茶を飲みたくてそういったのだが、やはりアドリアーヌは「品定めされる」と思ったようで少々顔色が悪かったが、慣れた手つきで優雅にお茶を淹れる。
リオネルは自身でも知らずにその仕草に見惚れてしまっていた。
その時、ぐらりとアドリアーヌの方が揺れたかと思うと気を失って倒れた。
(まずい!)
リオネルは持ち前の瞬発力を生かして、アドリアーヌを抱きとめる。見れば呼吸が浅く、苦しそうに息をしている。
体は火照ったように熱い。
「アドリアーヌ様!」
「アレクセイ、医者を呼ぶんだ」
「はい!」
「それと水を持ってきてくれ。日射病かもしれない」
リオネルは素早くアレクセイに指示した。
炎天下で剣術訓練をしていると、こういった状態で倒れるものもいた。
今はまだ夏ほど日差しは強くないが、先ほどの様子だと帽子も被らずに草むしりをしていたことを鑑みると、十中八九そうだろうとリオネルは思った。
果たしてリオネルの読み通りアドリアーヌは日射病で、医者の話でも冷やせば深刻な状態にはならないということだった。
アドリアーヌが倒れたという情報は使用人たちにアッという間に広がり、我先にというばかりに使用人たちがアドリアーヌの様子を見に来た。
そして彼女がいかに重要な人物で、追い出さないでくれとリオネルに懇願してくるのだった。
(私が悪者みたいだな……いや、確かに悪者だったのかもしれない)
アドリアーヌを偏見の目で見て、頭のいかれた女だとも思ったが、どうやら彼女は普通のご令嬢とは違うらしい。
自分の浅慮を痛感していると、アドリアーヌが目を覚ました。
そしてやはりリオネルを驚かせたのは目を覚ました時のアドリアーヌの一声だった。
「お医者様……あああああ、倒れたんですね!お医者様……すみません、出費分は払います!」
(そこで医者の出費を心配するのか!?)
本当に何もかにもが規格外の女だと思うとともに、思わず小さく笑いが出てしまった。
リオネルはすでにアドリアーヌを認めていたのだが、アドリアーヌは申し訳ないと必死に謝ってきた。
何やら逆に申し訳なくなり、自分としては最大級の声でもう敵意はないと伝えるつもりで声をかけた。
「体に気を配れ」
アドリアーヌがこの家に居ても問題ないと安堵するリオネルは、分不相応にも伯爵家を慮ってしまったと反省し、早々に伯爵家を後にした。
その道すがら、何故かアドリアーヌの顔が脳裏にちらちらと浮かんでは消える。
賭けをすると言って少し怒った顔、畑仕事をしていた時の満面の笑顔、死刑宣告を待つように泣きそうになっていた顔、涙をこらえる顔、そしてほっと安堵した時の柔らかい笑顔。
(なぜ……あの女の顔が)
不可解な現象に戸惑いつつも、王宮の自室へと戻ったのだった。
自分の身に異変が起こっている自覚はないまま翌日もクローディスの執務室に控えている。
何度となくアドリアーヌの顔が浮かんでしまうのは、彼女を何の能力もない穀潰しの高慢な女だと思っていた罪悪感からだろうか。
それに、やはりあの後のアドリアーヌの体調も気になる。
(もう一度ムルム伯爵の元に様子を見に行くか……でも、そんな必要があるだろうか?)
そんなことを考えているとサイナスに声を掛けられ、リオネルははっと我に返った。
「珍しいですね、リオネルがぼうっとしているなんて」
「何か悩み事か?」
やはり優秀な宰相候補であるサイナスと付き合いの長いクローディスには隠し事はできないらしい。
だが、何と説明していいか言いあぐねていると、サイナスが訝し気な様子でリオネルを見つめたのち、にこやかに言った。
「女性のことですか?」
「そ……そのような……」
「この状況で女性のこととなると……あのグランディアス王国の女性のことかな?」
「!!」
思わず図星であるのが表情に出ていたのかもしれない。
「そう言えば報告を受けてなかったけど……どうだったのかい?」
「……アドリアーヌは賭けに勝ちました」
「と言うと?」
「使用人として十分な働きをしていました。私の先入観で話をしてしまい、サイナス様にもいらぬ心配をおかけしました」
深々と頭を下げるリオネルの様子を、興味深そうにクローディスは見ながら言った。
「お前がそこまで謝るなんて。律儀な奴だが、そのような変な女に対してそこまで謝る必要はないと思うぞ」
「いえ……彼女を侮辱した発言をしたことは訂正しなくてはと思った次第です」
「リオネルが、そんな風に言うなんてよっぽど心を動かされることでもあったかな?できたら理由が知りたいな」
クローディスの言葉に追随するようにサイナスが言うので、リオネルは持ってきてしまったアドリアーヌのムルム家における現状分析と改善資料を提示した。
「これは?」
「アドリアーヌが作ったと言われたものです」
「これはまた……ずいぶん興味深いね」
リオネルから渡された資料をペラペラとめくりながら、サイナスはふむふむと言いながら見ている。
「ずいぶんしっかりした資料だ。文字や会計の知識がない人間に向けてなのか、若干計算が大雑把だけど、論理展開や着眼点はいいね」
「そうなのか?」
サイナスの言葉にクローディスも興味深そうにそれを見るが、サイナスほどは関心はないらしい。
「でも所詮は女が作ったものだろう?これを一人で作れるとは思わないし、リオネルもそれは信じてないだろう?」
「それは……私の口からは何とも。ただ使用人達には信頼され、ムルム伯爵にも認められているのは確かです」
「歯切れが悪いな。リオネルももう少し気合入れろよ。仕事が暇ならいっぱいあるからな」
「は……申し訳ありません」
リオネルは自分の中のアドリアーヌへの不可解な思いを押しやるようにして、自分の仕事に打ち込むことにした。
だが、サイナスはというとまだ何か考えながら書類を見ていた。
「これは……なかなか興味深いな……駒の一つになるかもしれない」
そしてサイナスが小さく呟いたのを耳にしたが、残念ながら何を言ったのかまでは聞くことはできなかった。
だが、自分の立場上でもそれを聞くこともできず、リオネルは頭を切り替えてクローディスの指示に従って仕事をすることにしたのだった。
リオネル視点終了です
次回からはまたアドリアーヌ視点になります。
ブクマ、評価ありがとうございます。励みになります




