規格外の女 sideリオネル(一)
リオネルがアドリアーヌのことを知ったのは王太子の執務室でのことだった。
書類を届けに来たリオネルをサイナスが呼び止めたのだ。
サイナスは王太子クローディスの幼馴染であり、将来の宰相候補として名前が挙がっている人物だ。
「ねぇ、リオネル。君はムルム伯爵と仲がいいんでしたか?」
「仲がいいなど恐れ多い。伯爵は恩人ですが」
リオネルの家は代々騎士の家系だ。だから貴族には属さないが、先の戦いで父親が活躍の上に負傷したことにより騎士ながらも特例で男爵に取り上げられた。
しかし、足を負傷した父は表舞台に出ることができず、結果リオネルが当主となってしまった。
貴族といっても今まで平民階級であったし、いまだとて平民階級と変わらないリオネルは、もちろん貴族社会には溶け込むことはできない。
本人も武骨な性格であり、貴族に馴染もうとしなかったのも原因で、貴族でもない平民でもないという微妙な位置になってしまった。
そこを助けてくれたのがムルム伯爵だった。上流貴族しかなれない近衛兵に推薦してくれたのだ。
「あぁ、伯爵が君を近衛兵に推薦してくれたんだったね」
「はい、伯爵がいらっしゃらなかったら自分は近衛兵という恐れ多い職務を与えてもらうこともなかったです。ですから大恩がある方なのです」
「そうか。まぁ例え推薦があっても君がこの職にいるということは実力があるからだよ」
「ありがとうございます」
とは言え、推薦がなければ王太子直属として働くことにもならなかったので伯爵には人生を賭けても返せない恩があるのは変わらない。
何かあった際には自分の命は王太子と伯爵のために差し出してもいいとリオネルは思っていた。
そんなムルム伯爵がサイナスの口から話題に挙がったが何かあったのだろうか?
リオネルがサイナスの言葉を待っていると、それを感じ取ったサイナスが不思議そうな顔をして教えてくれた。
「実はね。隣国のグランディアス王国から一人女性を受け入れることにしたみたいなんだよ。ムルム伯爵がその滞在手続きを出してくれたんだけど……一応国交が回復したけど急な申し出だったから不思議でね」
「グランディアスから……ですか?」
グランディアス王国は先日まで敵国であり、現在は国交回復中といったところの国だ。
その国の女性を受け入れることも驚きだが、リオネルが戸惑ったのはそこではない。
ムルム家の財政逼迫についてはまことしやかに囁かれていることなのだ。
原因は伯爵の甥であるユーゴだ。
彼が放蕩の限りを尽くし、両親から絶縁されたのち、厚顔無恥にも叔父であるムルム伯爵に金を無心した上、出奔した。
それにより伯爵は大半の財産を失ったことをリオネルは知っていた。
(あの方は……優しいがゆえに困ったものを放っておけない人だ。だから今回もその一環で女を引き取ったに違いない)
思わず苦虫を噛み潰したような苦い顔をしてしまった。
だがそれに追い打ちをかけるようにサイナスが言葉を続ける。
「どうやらその女性は貴族で……しかも公爵なんだよね。気位が高いと思うし、伯爵が困ってないといいと思ってね」
「な……そんな女……なのですか?」
「詳しくは分からないけど、下調べしたところ本国でトラブルを犯して国外追放されたみたいなんだ」
そんな高慢ちきで国外追放されるような大罪を犯した女ならば、伯爵の財産を食い潰すだろう。
優しいムルム伯爵のことだ。下手をしたら自分の食を削ってでも彼女の言うがまま、贅沢な生活をさせるかもしれない。
しかも、伯爵は孫であるクリストファーを引き取ったばかりで、出費もかなりのものだ。
思案するリオネルを見て、サイナスが一つ提案をしてきた。
「それでね、リオネル。彼女がどういう人物かを見てきてくれると嬉しいな」
「分かりました。これから向かいます」
「うん。よろしくお願いするね」
元々リオネルは伯爵の様子を見に行こうとしていたが、これ幸いとばかりにその命令を受け入れてさっそく伯爵の元に馬を向けるのだった。
※ ※ ※
朝に先ぶれもなく突然伯爵の元を訪れるのも気が引けたが、一応サイナスの命があるという大義名分で伯爵の屋敷の門をくぐった。
突然の来訪に執事のアレクセイが一瞬驚いた顔をしたが、そこはさすがである。
すぐに丁寧に迎え入れてくれ、ムルム伯爵へと取り次ぎをしてくれることになった。
ムルム伯爵にその隣国の女を追い出すように助言しなくてはという正義感から、エントランスでは少しイライラと待っていると視線を感じてそちらに目を向ける。
すると、身ぎれいな格好をした見慣れぬ女がリオネルを見ていた。
(あれは……)
その身なりと雰囲気から彼女が貴族であることは一目瞭然だった。
そしてその女をメイドが「アドリアーヌ様」と呼んでいた。確定だ。あの女がムルム伯爵を破滅に陥れる元凶に違いない。
一歩一歩アドリアーヌに近づく。その一歩に怒りがこもってしまう。
アドリアーヌと呼ばれた女はリオネルの身長よりはるかに低く、一般男性よりも高い身長を持つリオネルは当然ながら見下ろすことになった。
そして怒気を込めて一言言った。
「貴様が敵国の売女か。この屋敷からさっさと消えろ」
時を同じくしてアレクセイが戻ってきたので意識をそちらに向ける。
リオネルとしてはこの女を視界に入れるのも不愉快だったからだ。
背中に呆然としているであろうアドリアーヌの視線を感じながらそれを無視してリオネルはムルム伯爵の私室に向かった。
ムルム伯爵の私室では、伯爵がそれまで目を通していたと思われる書類を置くと、リオネルをにこやかに迎えてくれた。
温厚で優し気な笑みはリオネルの武骨な心さえも穏やかにしてくれる。が、それに付け込んむアドリアーヌという女のことを思うと、また腹が立ってきた。
「リオネル君、久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「はい、ありがとうございます。ムルム伯爵におかれましてもご健勝のようで安心しました」
と、形式だった挨拶をしたものの、以前にもまして伯爵がやせてしまっているように感じる。
「グランディアス王国の女を引き取ったと聞きましたが」
「あぁ、リオネル君の耳にも入ったかい」
「伯爵がお優しいのは十分理解していますが、やはり敵国グランディアス王国の得体のしれない女をこの家に住まわせるのはどうかと思います」
「そうは言ってもね……この家以外行く場所がないのだよ。可哀そうじゃないか」
ムルム伯爵のお人好しはここまで行くと筋金入りと言えるだろう。
人の家のことをあれこれ言うのも筋違いだが、やはり恩人であるからこそ自分があの女を追い出す必要がある。
「あの女は国外追放の身だと言うではないですか。あのような女、クリストファー様にも悪影響です」
クリストファーは両親を亡くして以来、泣き暮らし引き籠っているらしい。
屋敷の者たちも扱いに困っており、ムルム伯爵はそれについても心を痛めていた。
それもリオネルがアドリアーヌを追い出したい理由の一つでもあった。
「アドリアーヌ嬢は思ったより良い子だよ」
「そうは言っても、その……食い扶持が増える上に我儘で贅沢三昧に慣れた人間だとお見受けします。これ以上の優しさは伯爵自身を苦しめるかと。私のような者が出すぎた真似とは思いますが、伯爵家が断絶するのは……サイナス様やひいてはクローディス王太子殿下の本意ではないかと」
「それでサイナス様が君を様子見によこしたというわけだね」
「はい……」
ムルム伯爵が一つ、大きなため息をついて何かを言おうとした。
多分アドリアーヌを擁護する言葉を紡ごうとしたのだろうが、その瞬間外が騒がしくなった。
アドリアーヌという女と執事のアレクセイの言い争う声がしたのだ。
そして聞こえてきた言葉。
「この屋敷……経済的に厳しいのではないの!?」
その言葉を聞いたムルム伯爵は観念したとばかりにアドリアーヌ達を私室に招き入れて借金のあらましを説明するに至った。
話を聞きながら、アドリアーヌは拳をぐっと握り、怒ったようにフルフルと震えていた。
(ふん……どうせ優雅な生活ができると思ったのに、貧乏生活を強いられることになって怒っているのだろう。やはりさっさと追い出すべきだ)
次の瞬間、リオネルの思った通りアドリアーヌは怒りのあまり立ち上がり、テーブルをドンと叩いた。
その反動でティーカップがかちゃりと音を立てた。
「な、なんですって!冗談じゃないわ!」
「はっ。贅沢出来なくて残念だったな。どこへでも出ていけ。金持ちの妾くらいの当てはあるだろう」
思わず嫌味の一つも言いたくなる。
この機会だから妾の当てでも紹介してさっさと屋敷を出てもらった方がいいだろう。
この時のリオネルは本気でそう思っていた。だが、次の瞬間リオネルは我が耳を疑った。
「私、働きますよ!シシルさんの仕事を見てだいたいは家の仕事は把握してます!」
何を言うのか一瞬理解ができなかった。
(働く?貴族の令嬢が?なんの冗談だ?)
アドリアーヌの反応を怪訝に思い、顔をしかめた。
だが、そんなリオネルの表情などはアドリアーヌの視界には入っていないようで、持論をまくしたてる。
〝働かざる者食うべからず〟
〝立ってる者は親でも使え〟
そう言って自分を活用しろと要求してくる。
なんの力もないのに言葉だけは一丁前だ。
その自分の分もわきまえない態度に、さらに腹が立ってくる。
普段は寡黙で感情を表さないリオネルだったが、アドリアーヌの言葉を一刀両断し、伯爵に提言していた。
「ふん……お嬢様のお遊びに付き合ってる暇などない。伯爵もすぐにこの女に出て行ってもらうべきだ」
だが、アドリアーヌはそんなリオネルの瞳をまっすぐに受け止めていった。
「じゃあ、二週間。二週間の猶予をもらうわ。私が使用人として使えるかどうか、試してみるというのはどうかしら?」
リオネルは自分で言うのも変な話だが、強面で知られている。
長身で大抵のものを見下ろすことになる上に、目つきが悪いと恐れられる。
その鋭い視線に慣れているのはサイナスやクローディスのようにごく身近な人物に限られる。
怒っていないのに怒られているとか嫌われている、睨まれた……などなど人間関係においていらぬ誤解を招いたことも多々あったが、今回ばかりはこの鋭い視線は有効なはずだった。
なぜなら全力の怒りにも似た感情を込めて冷たい視線でアドリアーヌを見下ろしているのだから。
だが、そんなことは興奮していると思われるアドリアーヌには通用しないらしい。
ある意味豪胆とも、厚かましいともいえる態度だったが、リオネルの態度に一歩も引かないのは少しは評価してもいいかもしれない。
だから、条件を受け入れることにした。
「……好きにしろ。とにかく伯爵に迷惑をかけることは許さない。邪魔なら切り捨てるかもしれないぞ」
「望むところよ」
そう言って不敵に笑うアドリアーヌの表情は、リオネルに印象づけた。
(ふん、どうせ貴族の女にメイドの仕事など無理な話だ。勝気な性格のようだが、すぐに音を上げるだろう)
リオネルはそう高を括り、ムルム伯爵邸を後にするのだった。
誤字や文字化けを頑張って変えているのですが…残っていたらすみません




