判断基準を決めてませんでした…(二)
「どうやって認めてもらえるかってこと?」
「そうよ。成果物の納品の際には最初に何を提示することで業務完了するかを決めるのは基礎中の基礎よね」
アドリアーヌはリンゴの調理を進めながら思わずため息をついてしまう。
今までの仕事でもプログラムを納品しても「この部分はイメージと違う」とか「ここも直して」とずるずるとシステム修正を求められたものだ。
明確に契約書に〝納品後には修正しない〝と書けばよいと学んだのは結構大きなプロジェクトの際に痛い目にあったからだった。
だから気を付けていたが、どうしても目先の対応に追われてしまい詰めの甘さが露呈してしまった。
「リオネルに僕が口添えしてあげるよ。アドリアーヌを追い出させたりしないよ!」
「ありがとうございます。クリストファー様にそう言っていただけて心強いです。ただ、ちゃんと認めてもらいたいので……うーん。仕事を見てもらうのが一番ですかね……」
「でもリオネル様って王太子直属でなかなか仕事を抜けられないと思うけどなぁ」
ロベルトの言うことも一理ある。
確かにグランディアス王国の元婚約者ルベールにも近衛兵はついて回っており、基本的に彼と行動を共にしていた。
多分メルナードでも同様だろう。シフトはあるのかもしれないがやはり長くは傍を離れられないと考えられた。
「じゃあ……仕事の一部を見てもらって、あとは関係者の署名とかもらって完了報告にしてもらおうかなぁ」
やはりある程度は現物チェックをしてもらい、その後に書面での報告が一番だろう。
その際にムルム伯爵や関係者の推薦と同意のサインをもらえばばっちりだ……と思う。
「でも……皆さん私をこのまま使用人としておいてくれるかしら……」
ある程度仕事はこなしてきたが、全部が完璧ではない。
シシルにも何度かリテイクを食らうこともあるし、料理も火加減を間違えることも多い。
そう、今だって目の前のアップルパイは少し焦げてしまっている。
「あ、できた?僕、アドリアーヌの作る料理大好きだよ!」
焼きあがったアップルパイを見てクリストファーは目を輝かせている。
ロベルトもどこから取り出したのか、ちゃっかりフォークとナイフと皿を用意しており、食べる気満々といった態である。
「ロベルトも食べるの?」
「もちろん!僕のリンゴだしね。食べる権利をもらってもいいよね」
「はぁ……もう好きにして」
なんだか体が火照って、ロベルトを追い払う気力もなくなっていた。
「お姫様大丈夫かい?なんだか少し顔赤くない?」
「そうかしら?……少し、まだ暑い感じはありますけど。少し休めば大丈夫だと思います」
それよりもこのアップルパイを伯爵にもお裾分けしようと考えた。
少し焦げてしまったが食べれないことはない。
「せっかく温かいので伯爵のところにも持っていきますね」
「なら僕もいく!」
以前この屋敷に来た時にはとてもおいしいプチフールが出されたが、伯爵は甘いものが好きだと言いながらも手を付けなかった。
その後、アレクセイに聞いたところ、あのプチフールは高級品で無理をして買ったとのこと。
ファゴは料理人としての腕はそれなりにいいが、なんと言うか料理自体は結構ざっくりとしたものを作るため、お菓子のような繊細な料理は苦手なようだった。
そのためなかなかスイーツを食べる環境にはなかったようだった。
以前、余った材料で焼き菓子を出したところ、伯爵はいたく気に入ってくれたようだった。
(焦げは気になるけど味はいいし、気に入ってもらえるといいなぁ)
そう思ってアドリアーヌはお茶の用意をしてキッチンを出ることにした。
「あーあ、お姫様とお茶がしたかったなぁ。ま、これを貰えただけでも良しとするかな」
ロベルトはそう言ってひらひらと手を振って二人をキッチンから見送った。
その後、伯爵の私室をノックすると、ドア越しに上品な優しい声が返ってきた。
それを聞いて一声かけたのちにドアを開けたアドリアーヌは固まった。
「リオネル様!なんで……いらっしゃるんですか?」
リオネルがいるなど想定外だ。
約束の期限は二週間。それは明日だったはずなのだ。
「こんなところで何をしている」
リオネルはまた射殺さんばかりの鋭い目でこちらを睨んでいる。
威圧感がすごく、アドリアーヌは一歩後退ってしまった。
「まぁまぁ、王太子殿下の御用があり、明日来れなくなったそうなのだよ。それで今日様子を見に来てくれたのだよ」
ムルム伯爵は二人の間の空気には気づかないのか、のんびりと優しく説明してくれた。
「あ……あの……まだ準備ができていなくて。と言いますか、何をすれば認めてもらえるのか決めていなかったですから……」
「お前の働きを見れば分かる」
そういうリオネルだったが、判断基準が曖昧すぎる。難癖つけられてしまえばそれで終わりなのだ。
リオネルとの関係が最悪な状態では、言いがかりをつけて追い出される可能性が高い。
そしてこの態度である。明らかに出ていかせようとしているようで、鋭い視線は今もこちらに向けられている。
「おや、アドリアーヌ。お茶を持ってきてくれたのかい?」
「あ……はい。リンゴが大量に手に入ったのでアップルパイにしてみました。ちょっと焦げてしまったのですが……」
ムルム伯爵の言葉に思い出して、アドリアーヌは自分がお茶を届けに来たことに気づいた。
「お茶……お淹れしますね」
「リオネル殿も召し上がるかな。アドリアーヌの作る菓子はなかなかおいしいよ」
「……この女が作ったのですか?ファゴではなく?」
「はい……お口に合うか分からないのですが……」
この流れではリオネルにもアップルパイを差し出さねばならない。
よりにもよってリオネルに焦げたアップルパイを出さねばならなくなり、アドリアーヌはいよいよ自分が追い出されるのではないかと覚悟した。
恐る恐るアップルパイを差し出すと、リオネルは置かれたアップルパイを凝視したのち、紅茶を出されるのを待っている。
「君が紅茶を淹れるのか。見せてもらおう」
じっとリオネルの視線がアドリアーヌの手に注がれている。
口ぶりからすると、これが一種の使用人として働けるかの試験であるのだとアドリアーヌは分かった。
だからアドリアーヌは緊張から震える手でお茶を淹れ始めた。
(このくらいできないとリオネル様になんて言われるか分からない……!!あぁ、でも手が震える……というか……なんか……気持ち悪い)
一瞬目が眩んだ。
汗が出て呼吸が荒くなる。
やばいと思った時にはアドリアーヌの意識は闇に飲まれ、遠くから自分を呼ぶような声が聞こえてきた。
どれくらい経ったのか時間の感覚は分からなかったが、頭にひんやりとした感覚があって、アドリアーヌは意識を戻した。
「あれ?私……」
状況がつかめないままアドリアーヌは横たえていた体を起こした。
さっきまで極度の緊張の中でリオネルにお茶を淹れていたはずだ。
「アドリアーヌ様、大丈夫ですか?」
「アレクセイさん……私……どうしたのかしら?」
「気を失ったようです。お医者様の話では軽い熱中症ではないかと」
「お医者様……あああああ、倒れたんですね!お医者様……すみません、出費分は払います!」
確かに畑仕事から帰ったときに火照りと脱水感はあった。まさか熱中症だったなど。しかもそれで医者を呼んだなど。
自分のうかつさに涙が出る。
(あぁ……せっかく生活費を切り詰めて浮いたお金を出費させるなんて……)
コンサルとしては不覚だ。情けない。
そして、不意に鋭い視線に気づく。
目を上げるとリオネルの切れ長な目の奥にある緑の瞳が自分をとらえている。
その瞳からは何の表情も読み取れず、アドリアーヌは不安に駆られた。
(あ……私、失敗したんだ……!)
思わず青ざめて、そして少し目に涙が滲む。それを隠すようにアドリアーヌはうつむいた。
出ていかねばならないこともそうだったし、これまで時間を割いて仕事を丁寧に教えてくれたみんなに申し訳ない。
ファゴやクリストファーをはじめ、皆がこの屋敷に残ってくれるようにリオネルに口添えしてくれると言ってくれたその期待をも裏切ってしまったようにも思えた。
泣いてはだめだとは思いつつ、自分の不甲斐なさを痛感する。
「紅茶さえ淹れられず……このような失態。申し訳ありません」
「体調管理は使用人としても基本中の基本だ」
「そうですね……返す言葉もありません」
「だから……」
厳しいリオネルの声に、思わずうなだれる。
次の言葉は「だから出ていけ」だろうか。
そう死刑宣告を待つように続く言葉を待っていると、リオネルは一言だけ言った。
「体に気を配れ」
(ん?)
その言葉の真意が分からず、アドリアーヌは顔を上げた。だが、その時にはリオネルはさっさと部屋から出て行っており、アドリアーヌはその後ろ姿を見送る形になった。
「アレクセイさん……私、いつ出ていけばいいのでしょうか?」
今の状況がよくわからずにアレクセイに問いかけると、アレクセイは表情を緩めて答えてくれた。
「なぜそんなことを聞くのですか?リオネル様も仰っていたじゃないですか。出ていく必要はないですよ。アドリアーヌ様はここにいていいのですよ?」
「えっ?今そんなこと言われました?」
「えぇ、リオネル様が笑ってらしたじゃないですか」
「笑ってました?」
「笑ってましたよ?」
どこをどうしたらあれが笑っていたのだろうか?微妙な変化すぎてわからない。
そう思いつつ呆然としていたが、次の瞬間にはクリストファーと様子を見に来ていたファゴと使用人たちが一気にアドリアーヌに駆け寄ってきた。
「良かったですね、アドリアーヌ様!!あたし、どうなるか心配で!リオネル様を頑張って睨んでやりましたよ!」
「マーガレット、ありがとう」
「おう、俺も一言言ってやったぜ。お嬢さんはよくやっているってよ!」
「ファゴさんも……」
みんなに囲まれて、アドリアーヌの心は温かくなった。
最初は邪魔もの扱いだったが、今はムルム家の一員として認められたようだった。
アドリアーヌはその事実だけで胸がいっぱいになって、違う意味で思わず目を潤ませるのだった。
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