ニワトリ小屋の夜
俺はメールで教わった暗証番号を合わせて、ロッカーの鍵を開け、網棚に置いてある封筒を取り出した。
中に一万円札が一枚入っている事を確認して、封筒と引き換えに、空っぽのロッカーに弓と矢筒を立てかけた。
「ふ――ん。弓道部副主将 牧田か……」
ロッカーのネームプレートを見ながら呟く。学内のいざこざに、副主将自ら出向くとは……この一連の事件の重要性を示している。
昨日の夜、携帯の学内オークションサイトで競売にかけた弓と矢筒は、無事競り落とされて、恐らく元の持ち主であろう弓道部員のロッカーへ返っていく。
最低落札価格の千円が、弓道部副主将のプライドを傷つけたのか、相手はいきなり一万円という落札価格を入札してきた。
おかげで、あの夜に手にするはずだった三万円の半分にも及ばないが、予定外に福沢諭吉を一枚手に入れる事ができた。
まあ弓と矢筒も、毎朝着替えの度に服に引っ掛けられて倒れたり、同室者の先輩によって、部屋に入り込んだカメムシを追い払うのに使われたりするより、ずっとこのロッカーの方が居心地がいいだろう。
俺は傷だらけになった弓を眺めながらロッカーの鍵を閉め、逃げるように体育館を出た。
体育館の横の坂を上がっていると、後ろから誰かが走ってくる足音がして、振り返った。
弓道着を着ていたので、一瞬牧田という弓道部員が追いかけて来たのかと息を呑んだが、よく見ると、それはよく知る顔だった。
「なんだ、舞木か。体育の帰り?」
うちの学校は何故か一年の体育は弓道と決まっている。
「うん……でも今は部活中」
舞木が小脇に、大きな白い羽毛を抱えている事に気がついた。
「部活って、演劇部?」
「そう。今の生物部は鳥類に甘すぎる――! って叫びながら、ニワトリ盗んで逃げる生物部員の役」
舞木に抱えられたニワトリは、俺を見ながら首を傾げ「ココッ」と小さく鳴いている。
俺は自慢じゃないが、そのへんの学生よりも、うちの学校のニワトリとの面識の方がずっと深い。現に目の前にいるのも、何度となくベッドを共にしたニワトリかもしれない。
「やめろよ――。うちの部屋は、生物部の権力争いのあおりをもろに受けるんだから……」、
同室の秋名先輩が、生物部からのバイトを引き受けてしまうせいで、俺はもう何度も朝からニワトリの鳴き声で起こされる日を体験してきている。
「そんな事言ったって、部活だからしかたないだろ! それにもう遅い」
舞木が後ろのほうに目をやったので、そちらに目を向けてみると、なるほどニワトリを抱えて走っている連中がちらほら見受けられる。
俺は急に部屋に帰るのが億劫になって、深いため息をついた。
「よし、じゃあ吉野。おまえは今晩ニワトリ小屋の餌やりだ」
ほらな、と俺は心の中で呟いた。
どの会話からの「よし、じゃあ……」なんだよ。
夕食を食べて、部屋に帰ってきてみると、俺の机の上に設置されている本棚が、ガンプラの神棚と化していた。
あまりの出来の良さに、えせガンダムファンの俺も「お――」と声を上げてしまった。
もちろん同室の秋名先輩の仕業で、本棚に置かれてあった俺の教科書類は全てベッドに放り投げられている。
あんな教科書なんかより、ガンダムのほうがずっと人生の勉強になる、と先輩は豪語し、その流れからの「よし、じゃあ……」である。
両肩に手を置いてまっすぐ見つめてくる「GUAM」と書かれたTシャツとトランクスの男に、俺はため息混じりに頷いた。
よって俺はその夜、不本意ながらもニワトリ小屋の隣の使われていない倉庫で寝る事になった。
真夜中、ニワトリ小屋の方に何か気配を感じて目が覚めた。ニワトリがザワツクというか……もはや本物の生物部員よりも、ずっとニワトリと以心伝心が出来ている。
携帯は夜中の二時半を表示している。
明るいのは携帯の時計表示だけで、それ以外は狭い倉庫内を含め、外も電灯一つ点いておらず、真っ暗である。
狐や狸でも来たのだろうか。狼なんて事は絶対無いし、でも野良犬だったらちょっと怖いな。
俺はそんな事を考えて、眠たい目を擦りながら起き上がった。
倉庫のドアに手をかけた時、外で人の声が聞こえてハッとした。
そっとドアに耳を付けてみると、コソコソと誰かが話しているのが聞こえる。
夜中にデート中のカップルかとも思ったが、緊迫した話し方がそうでは無いと教えている。
「どこにいったんだ……」
息の上がったのを押し殺すように、男の低い声がする。
「こっちじゃないとすると、もう寮に逃げ帰ってるかもしれないな、あいつら……」
もう一人の男も、息を切らしながらそう言い、うろうろとその辺りをまだ探している足音がする。
俺はこの倉庫の中を探しに来るんじゃないかと、吐きそうなくらいドキドキした。
「こんなに……なんて。まさか、もう……」
「でも……はずだから……大丈夫だろ」
急にトーンを落とした声は呟く様で、所々しか聞き取れない。
しかし、ようやく聞き取れた会話の内容が、ますます俺の嘔気を誘う。
「ああ。リュウグウノ……はまだ……」
「しかし、次の会議でもう一度……」
「そうだな」
「水曜に会議を早めて正解だった」
「この分じゃ、場所も換えたほうがいい。第二理科室の実験準備室にしよう。あそこなら誰も使ってない」
「そうしよう。俺が連絡しておくよ」
「悪いな。じゃあ水曜に……」
「ああ。おやすみ」
離れて散っていく二人分の足音。
俺は見つからなかった安堵感と、途切れ途切れに聞き取れた会話の内容に絶句し、その場に座り込んだ。
確かに言った。リュウグウノ……と。
そして最後の方は、普通の会話の音量に戻り聞き取りやすかった。
水曜日に第二理科室の実験準備室で、会議が開かれると言っていた。
恐らく議題は……リュウグウノツカイについて。
「借りてきたわよ。盗聴器」
そう言って若竹は、テーブルの上に延長コードを置いた。
どこからどう見ても、ただのコンセントの延長コードだ。これが盗聴器とは恐ろしい世の中になったものだ。
ニワトリ小屋の倉庫で会話を聞いた次の日、俺はさっそく舞木と若竹にその事を報告した。
今回の情報は、一度失敗を乗り越えて、リュウグウノツカイの謎に再挑戦しようとしていた俺達には、またと無いチャンスだった。
三人で話合った結果、会議が開かれるという実験準備室に盗聴器を仕掛けることになったのだ。
「ちゃんと録音機能付き!」
若竹はニコリと笑いながら、MDプレーヤーらしき物をポケットから取り出した。
どういう伝か知らないが、若竹は盗聴器を手に入れて来た。彼女が言うには「盗聴器なら放送部。監視カメラなら映研」らしい。
何を引き換えに手に入れたかは、おおむね察しがつく。
俺は今朝起きると、知らない半裸の男に腕枕されていた。
今までも秋名先輩の友達が部屋で酔いつぶれて、朝起きると知らない奴がベッドに居る事はよくあったので「またか……」と思っただけだった。
でも今朝は俺だけでなく、隣に座っている舞木にも同じ事が起こったらしく、松尾先輩が朝から舞木のベッドで寝てた奴と臨戦態勢になって、廊下はちょっとした騒ぎになっていた。
「本当に監視カメラじゃなくてよかったの?」
「ああ。とりあえず会話だけ聞けたら充分だろ」
心配そうに聞いてくる若竹に、俺は明るく答えた。
正直、会議に参加しているメンバーの顔を見たいのは山々だが、これ以上の機器のグレードアップは、引き換えに差し出す俺と舞木の青春に、後悔の二文字を残す気がして止めておいた。
あと盗聴器の方が見つかる心配も軽減される……気がする。
「監視カメラだって今はマッチ箱くらいのもあるんだから――。絶対見つかんないよ?」
「無理無理! こっちの体が持ちません」
しつこい若竹に舞木がきっぱり言うと、若竹は舌打ちして椅子に腰をかけた。
とりあえず、来週の火曜日に盗聴器を仕掛けに行くことになった。水曜といっても会議が何時に開かれるかは分からないし、前日に仕掛ける事にしたのだ。
「そういや。若竹さ――中央図書館もう行ったのか?」
前々から若竹は、町の中央図書館にリュウグウノツカイについて調べに行くと言っていた。
車で三十分以上も掛かる中央図書館に気軽に行くと言うからには、松原先輩とういう運転手付き、愛車のシビックタイプRでも出動させるのだろう。
「明日の放課後行くつもりだけど……」
さっきまで自信に溢れた顔をしていたのに、珍しく若竹が浮かない表情になった。
「……」
何かを言いかけて口を開いたものの、話しづらいらしく、そのままため息に変わった。
「なんだよ」
「言えよ。水臭いな――」
俺と舞木が言うと、若竹はめんどくさそうに口を開いた。
「あのね……。実際は付き合ってない人なのに――相手が付き合ってるって勘違いしちゃって……でも自分も今の距離感が都合がよくって――。
ん――、これ以上関係が深まるのは困るんだけど、嫌われるのはもっと困るわけ。今の付かず離れずの関係をずっと保ちたい……みたいな? こういう時って、どうしたらいいと思う?」
「それって……恋の話?」
まさか若竹から恋の相談されるとは思ってもみなかった。
そういえば若竹も女だから、恋愛に悩む事もあるのか。意外な一面だな。
まあ、相手ってのは松原先輩で間違い無いんだろうけど、あんまり俺達と松原先輩の面識をばらすと過去の悪事がばれかねないし、松原先輩の名前を出すのは止めておこう。
でも、だいたいそんな事、俺と舞木に相談してどうするんだ。俺なんか恋愛に関しては、まったくの初心者だ。
「ああ……。そういうことって……あるよな――」
いきなり舞木が若竹の話に乗っかったので驚いた。
そういや、こいつも恋愛経験現在進行形の奴だった。それも性別を超えるという、とんでもない恋愛を……。
俺は隣で遠くを見つめる目をした舞木が、自分よりもずっと大人に感じた。
なんだよ。恋愛未経験者は俺だけか。金と遊びにばかり夢中になっていたら、実は青春真っ只中で俺だけ取り残されている。
「あるある。よくあるよ。そういう事」
俺は何とか二人の話に着いていこうと、必死に知ったかぶりをした。
「でしょ! ねっどうする? そういう時どうするの!?」
「う――ん。まあよく使うのは……これ以上深い関係になってしまうとあなたがダメになってしまうから、ずっと今のまま隣に居させてくれるだけでいいの……みたいな?」
何とか余裕の顔を作って答えてみた。
俺の知ってる限りの昼の連ドラをリロードして検索してみても、ヒットするのはこれくらいだ。
しかし思ったより大きな反応が返ってきた。
若竹と舞木は二人して目を真ん丸くして、俺を見たままハモった。
「「それだ!」」
更新がずいぶんと遅れてしまって申し訳ありません(汗)
読んで頂いて有難うございます。
次回は何とか今週中に……と思ってます。
だいたいの流れは決定しているので、途中までで終わるという事は無いと思います。
完結まで読んで頂けると幸いです。