舞木返却
ドアをノックする音で目が覚めた。
「吉野いるか――?」
俺は重い瞼を薄く開けてドアの方を見上げた。
ガチャリと開いたドアから、茶髪の整った顔だけが覗いた。
「うぉっ……結衣!」
向こうで寝ていた秋名先輩が、慌てて上半身を起こし逃げる体制になる。
それをひと睨みした結衣先輩は再びこちらに顔を向け
「ほ――らよ、これ! サンキュな――」
と、何かをこちらへ投げた。
枕元に落ちたはずのそれを探そうと、俺は肘をついて頭を起こした。
枕の隣にはいつの間にか、大きなニワトリが丸くなっている。
「それ……ペット?」
「ペット……では無いです」
枕の辺りを探りながら結衣先輩に答える。
「……おかず?」
探すのを止めて、結衣先輩を見上げる。顔をしかめている。
「ちょっと……よく……分からないです」
寝起きの頭はまったく働かず、俺は適当に答えた。
ふう――ん、という興味の無さそうな返事と共にドアが閉まった。
「びびった――、おまえあいつとなんか関係あんの?」
パンイチで逃げる体制のまま聞いてくる秋名先輩に首を振り、俺はやっと見つけたそれを顔の前に持ってきた。
舞木の部屋の鍵。
蘇る昨日の記憶に血の気が引き、一気に目が覚めた。
俺は昨日の打ち合わせ通り若竹に電話し、ベッドを飛び出した。
急いで着替えて、冷蔵庫から取り出した麦茶を一口飲み部屋を飛び出した。
携帯は朝の8時を表示している。
階段を降りて、舞木の部屋の前に着くと既に若竹がパジャマのまま腕を組んで待っていた。
「遅い!」
「ごめん」
俺は深呼吸を一つして、ドアの鍵を開けた。
「早く入ってよ」
少し躊躇していた俺に若竹が囁いた。
ビビりな俺は部屋の中を見るのが怖くて、お先にどうぞと若竹にドアノブを譲った。
若竹は舌打ちをし、俺を睨んでドアノブを握った。
部屋の中は舞木本人を含め、特に昨日と変わった様子は無かった。
俺と若竹はさっそく眠っている舞木を着替えさせ始めた。
部屋は昨日と同じでジメジメしていて、二階に位置するこの部屋は太陽が昇っているにも関わらず薄暗かった。
「ああ、ちくしょう!! 全然ネクタイが解けない! 何で変態は制服プレイが好きなんだよ!」
寝起きでイライラが頂点に達したのか若竹が叫んだ。昨日自分で結んだくせに……
思春期には刺激が強すぎるのでプレイとか言わないでほしい、と俺は思った。
女子高生ってこんなんなのか? 何か思っていたのと全然違う。
ようやく着替えを終わらせて俺達は舞木をラウンジのソファーへと運んだ。
「じゃあ私もう一眠りしてくる」
そう言って若竹は欠伸をして帰って行った。
俺は今更眠る気にもなれず、ラウンジに残って、やり忘れていたドイツ語レポートの和訳に取り掛かった。
ソファーでは舞木が寝息を立てて眠っている。
俺はペンを持つ手を止めて見つめる。
こいつは昨日の晩でいろんな「初めて」を失ったのでは無いだろうか……
そんな事が頭をよぎったが、「まあいいか」と全てを忘れる合言葉を唱えて、またドイツ語の羅列に目を向ける。
ラウンジの掛け時計が11時を指した頃、ようやく舞木がゴソゴソと動き出した。
俺は一言目に何を発すればいいのか、おびえながらそれを観察していた。
「シノ――、情報処理のノート見せて――」
荒々しくドアが開き、ジャージ姿の若竹が入ってきた。
「なんだよ。情処って――俺ほとんど出てないしノート真っ白」
「使えない奴。あんたテスト前に慌てるくせに、たまには授業出なよ!」
「いっつもさぼってるんじゃないって! ちゃんと保健室見て誰もいない時だけ寝に行ってんの」
「窓から保健室確認してる暇あったら、黒板見れば!?」
そんなくだらない会話をしていたら、若竹越しに舞木が起き上がるのが見えて息を呑んだ。
その気配に気付き、若竹も振り返る。
ラウンジの空気が止まった。
「あれ……、俺ここで寝ちゃった?」
俺と若竹は一瞬目配せした。
「う、うん。そこで寝てた。ダメじゃ――んマイキー、ちゃんと部屋戻って寝なきゃ」
少したどたどしいが、若竹の100点の返しに俺は心の中で拍手した。
「ん――、昨日せっかく部屋一人だからのびのび出来ると思ったのにな――」
眠たそうに顔をこすりながら舞木はぼやいた。
俺はこの緊迫した空気に耐え切れなくなり、三人分のコーヒーを入れようとポットへ向った。
先週のレポート課題に二人を動員させてしまったために、おおせつかった一週間のコーヒー担当だが、俺は性に合っているので続けようと思っている。それに知らないうちに睡眠薬入りのコーヒーを飲まされるのも嫌だ。なにせ内には保健委員がいるからな。
「あ――、ソファーで寝たら肩こった。シャワー浴びてくる」
何て賢明な判断なんだ。俺と若竹の罪を全て洗い流してくれ、舞木。
「あ、ドイツ語できた?」
ドアへ行く途中プリントが目に入り聞いてきた舞木に、俺は無言で首を振った。
「今日中だからな」
「はい」
何故か敬語で答えた。
ドアが閉まると、背中を若竹に叩かれ激痛が走った。
「あんたもっと自然に振舞ってよ! ばれない様にしてあげんのが友情でしょ!」
そんな友情聞いた事ない。
しばらくして帰って来た舞木は、髪をバスタオルで拭きながらテレビをつけた。
「な――俺昨日寝てる間に暴れたりしてた?」
空気が凍った。
「なんで?」
「何かさっきシャワー室で見たら、体アザだらけなんだけど」
「あ……、昨日ソファーから何回も落ちてたよ……」
若竹は天才だ。俺は息をするのも忘れて凍り付いていた。
「それでか――、あちこち痛いの」
「あちこちって、どこがいた……」
思わず口から出た質問を、若竹の殺気と舌打が掻き消した。
「吉野……おまえ黙ってろ……」
そう小声で呟く若竹は怖すぎる。
「さっき廊下で変態風紀委員にまで体大丈夫かって心配されたし……」
その結衣と呼ばれる変態風紀委員とおまえは一晩共にしたんだよ、とは絶対言えない。
「ああ、結衣先輩も舞木をソファーに上げるの手伝ってくれたの」
「なんだ、じゃあベッドまで運んでくれればよかったのに――」
「そんな事よりさ。見て! 舞木」
若竹はそう言って昨日結衣先輩から手に入れたレポート課題を顔の位置でパラパラと見せた。
「まじで!? どうしたの? それ」
舞木は表紙を確認してかなり驚いたらしく、珍しく大声を上げた。
「ふふ――ん。すごいでしょ? シノにも手伝ってもらってね、かなり手回しして、手に入れるのむちゃくちゃ大変だったんだから」
この言葉に嘘偽りは無い。
「これうまく売れば5万にはなるって! すげ――じゃん!」
それだけ? と若竹が口を尖らせた。
「お昼おごります」
「ごちそうさまで――す」
そう言って二人は椅子を立った。
勝手に体を売られた上に飯までおごらされるのか。俺はこの世の厳しさを教えられた気がした。
「吉野もおごるよ」
そう言ってくれたが、さすがに俺は断った。
今朝枕元に産んであった卵もあるしな。
私は売店の前のソファーに腰をかけて、おごって貰ったパンの袋を開けた。
しばらくすると舞木が湯気の上がるインスタントラーメンを両手で持ってやってきた。
「あぶね――。お湯最後だった」
醤油豚骨のいい香りがした。私も無性にラーメンが食べたくなってきた。
「な――、あれ調べてくれた?」
「あれって?」
「ほら、吉野の……」
「ああ、もうちょっと待ってよ」
私達三人の間には常に進行中の計画や詮索項目が山ほどある。まあここの学生はみんなそうだろうが。
どの情報を誰が欲していて、どのように使うか。一番お金に化けるルートを探さなければならない。
「そういえば、情報処理の時間だって言ってたよ。保健室行くの」
「え?」
「前私に聞かなかった? シノが何の授業の時保健室に寝に行くか」
彼はニヤリと笑って
「聞いた。情処の時間か――」
そう呟いて、携帯を取り出した。
私達三人は、仲は良いがクラスは別だ。
舞木が何でそんな事を知りたがったのかは謎だが、まあその情報が最終的に三人のお金に化けるのなら問題ない。
「ねえこれ一口あげるから、ラーメンちょうだい」
私は視界に入る背油の誘惑に負けて、チョコチップメロンパンを差し出した。
「あげるって、それ俺がおごってやったパンじゃん」
しぶしぶパンを食べながら不安そうにこちらを見る舞木を横に、私はビッグサイズのラーメンを結構な量食べてやった。
「でもうまくいくかな――? シノが納得するとは思えないんだけど」
きくらげを頬張りながら聞いた。
舞木は携帯を見つめたまま鼻で笑って言った。
「納得させるさ」
読んで頂きありがとうございました。
作者は勝手に一山超えた気分ですが……完結するまでに、あと何山越えるのか。ほんと山だらけ。というか山脈?連峰??
だらだらと長く続かないように気をつけます。