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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

苦痛と憎悪の話

作者: 天依夢鬼

■■■は、いつも冷たい部屋の中にいた。

■■■は、いつも赤く、温かい水を見ていた。

■■■は、いつも真っ赤な部屋の中にいた。

■■■は、小さな窓の、鉄の棒で囲まれた部屋の中にいる。


カツカツと遠くから音が近づいてくる。ソレは小さな部屋、とある屋敷の地下牢の部屋の隅で、膝を抱えて丸くなっていた。ソレの姿は小さな子供。八歳ぐらいだろうか、ぞっとする程白い髪、年齢の割に小柄な体形、痩せこけた体。そして、暗く、何を考えているかわからない赤い目。実際は何も考えていないのだろうが、ソレのいる牢屋を見張っている衛兵」たちは、不気味がって近づこうともしない。カツカツと足音が鳴る。足音が段々と近づいてくる。ソレの背に、無意識に冷や汗が垂れた。

今日もまた、ソレにとっての“普通”が始まった。自身の口から漏れる悲鳴と気持ちの悪い水音、母親の笑い声とソレに混じった侮蔑の色。ソレに“痛み”という概念はない。“酷い”、“辛い”、大多数の人間が持つ概念をソレは知らない。よってソレが反抗することも、現状の改善を求めることもない。ソレの肉親であるはずの母は、口の端を吊り上げて、錆びついた拷問器具でソレを傷つける。ほとんどの人間は、その行いを非道だと批判するだろう、でもそんなまともな人間はそこには、いなかった。ソレは自身に行われている行為に疑問など感じるわけもなく、痛みを受け入れ続け、その日もいつも通りに終わった。


次も、さらにその次の日も、行為は繰り返されたが、今度はまた別の“普通”が始まった。深夜―屋敷は山奥にあり、周りは森でほかに住民もいない―獣の発する物音すら聞こえない程、生き物が寝静まった頃に、ソレは母の執務室に呼び出されていた。白い拘束具で動きを制限されて、長い廊下を歩く間に何度か転び、腕を動かせず転がっているとソレを監視している衛兵にさっさと歩けと蹴とばされる。扱いが酷いが、ソレは別段気にしていない様子。地下牢の階段を上り、また長い廊下で転び、蹴とばされを繰り返しながら進み、重厚な、でもどこか恐ろしくそして清潔な扉の前に立ち止まる。ドアノブを廻し、中に入ると薄暗く、白衣を着た女の周りだけ古めかしいランプに照らされて明るい。廊下や屋敷全体の雰囲気は大正時代のようなレトロなもので、大正、もしくは明治時代かと思われたが、部屋の雰囲気は現代の研究室に近いものだった。もしその場にいたら廊下と部屋の雰囲気の違いのせいで異空間のような印象を受けるかもしれない。ソレは衛兵に部屋に押し入れられ、衛兵は怯えてでもいるようにそそくさと部屋の前から去っていった。ソレは無意識に、本能的に怯えながら白衣の女を見やる。彼女は、ソレの母親である。冷たい視線を向けながら、書類をソレの前に投げ捨てた。書類には、モノクロの写真が印刷されており、写真はすべて誰かを撮ったものだ。身なりからして中流階級以上の人物がほとんど。じっ…と書類に印刷された顔を見つめ、ソレは記憶していく。「覚えたならさっさと行け」と、薄汚れた野良猫を追い払うような態度で部屋からソレは追い出された。ソレはおとなしく部屋を後にする。廊下も、先程の部屋も、地下牢も、ソレにとってはただの風景で、本人は何かを感じる、ということはないが、もし将来ソレが感情というものを知ったなら…。

なんの監視も制止もなく、ソレは屋敷の外に出かけて行った。徒歩で。拘束具を外され、屋敷を出れば真っ暗、一寸先も見えないような暗闇に、ほとんどの人間は足がすくむだろう。だがソレは迷わず、トコトコ、歩いて山道を下りていく。時に道から外れ、蔦に遮られながらも獣道を歩き、わずかな月明かりに照らされ柔らかい光を放つ川を渡り、人里へ。


彼女は、大きな屋敷の当主の子供として生まれ、まだ胎の中にいる間は喜ばれた。関係者の誰もが次期当主になるだろう子供の誕生を待ちわびていた。当代の当主である母親は、邪悪な人物ではあるが、自分の子供すら虐げるような人物ではなかったのかもしれない。赤ん坊の姿が、異様でなければ。生まれてきた赤ん坊は、真っ白だった。髪も、睫毛も、不気味なほど白い。加えて、目が赤い。ほとんどの人間とは全く違う色に、人々は決していい反応は示さなかった。勿論、彼女を産んだ母親も。「このような子供では、表には出せないだろう」「気色が悪い」「役にも立たない」―母親はそう考え、前から計画していた実験に、実験体として自身の娘であるソレを使うことにしたのだった。そして非道な、非現実的な実験が行われ、■■■は出来上がった。


人里に下りてひたすら歩き、大きな街の端にあるお屋敷を、その庭の木の上から見下ろす。何の感情のない丸い、くりくりとしている目は、どこか梟のようだ。そろり、そろりと足音をひそめて、侵入するのだった。しばらくして、ベとりと赤い、顔についたものを拭って次の場所へ移動する。そうして何度も同じことを繰り返し、空が白ける前に、自身の住んでいる屋敷へ戻いった。山まで戻ると、何やら屋敷の方が騒がしく感じ、ソレは首をかしげたがそのまま屋敷の方へ歩を進めた。

屋敷の正面が一番騒がしいので、木々や茂みに身を隠しながら、子供がぎりぎり通れるだろう小窓から建物内に侵入する。正門の騒ぎとは別の、どこからか廊下を響かせる大人の怒号を聞きながら、母親の部屋へ向かう。廊下を進み、その道すがら落ちていた血まみれのものを気にせず踏みつけて。母親の部屋の前の廊下まで来ると、部屋の左右に武装した大人が二人、武器を持って立っている。二人が警備している扉の奥からは複数の男と一人の女の二種類の声が聞こえる。揉めているようだ。ソレは、当事者にも関わらず自分がどうなろうと無関心とでもいうように、二人の大人に近づいていく。片方が先にソレの気配に気が付き、目を向け、多くと違うソレの容姿に、眉をひそめた。彼らは国の軍隊に所属しているようで、建前上、保護しなければならないため、ソレに近づいて正面にしゃがみ込んだ。「保護するから来なさい」、と面倒くさそうに言う男の首に、小さな手が伸ばされる。なんだ、と軍人は怪訝そうな顔をするも相手は小さな子供故警戒はせず、だがソレは容赦などせず力を込めたのだった。

扉の向こうでは白衣の女、つまり母親が複数の軍人たちに拘束され、声を荒げていた。拘束された彼女の前に立つ指揮官らしき人物が要件、つまり拘束している訳のようなものを述べた。白衣の女―名前を「千啼朱音」―が一部の政治家と犯罪行為を行っていたことと非人道的な実験を行っていたという情報が漏れてしまったらしい。指揮官が「連行させてもらう」、と言ったところで、廊下からごきん、音が二回聞こえてきた。今のは何の音か、そう考える暇もなく、扉は開いた。首がねじれ、絶命した男の身体が、扉に寄りかかっていたのだろう、支えを失って“砂”になって崩れた。扉の前に立っていたのは白い少女、指揮官は混乱した。何故子供がこんなところにいるのか。屋敷の中を探索した際には子供なんて一人もいなかったのに、そして、何故あんなにも幼い子供が、先程とは別の死体の首を手にぶら下げているのか。ソレはゆっくりと、放心している指揮官たちの横を通り過ぎて、母親の前に立ち、じっと見上げる。

母親は口の端を吊り上げて、嗜虐に満ちた表情を浮かべながら、口を開く。その言葉はソレに与えられた最後の、最期の命令となった。

■■■にとってこの話は、憎悪の記憶になるのか、それとも苦痛の記憶になるのだろうか

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