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第六話 1934-1935  新社屋完成 天皇陛下来たる

有名な太田の新社屋が完成します





昭和九年三月



現在中島飛行機は陸軍の九一式戦闘機、海軍の九○式艦上戦闘機という主力機を工場でフル稼働で生産中だ。

その工場では手狭とのことで、太田町のはずれに大きな新工場を建設することになった。本社と機体の工場はこの新工場に集約されるとかで、私も新工場に移ることになるんだろうな。



海軍から発注を受けた三菱八試複座戦闘機だが三菱が一月に試作を終え無事初飛行も終了した。

そして、中島からは九一式複座戦闘機海軍仕様が完成し海軍にてテストとなった。


三菱の三菱八試複座戦闘機はオーソドックスな固定脚式の複葉機で、垂直尾翼が後部席からの旋回機銃の射界を確保するため双垂直平尾翼となっていた。


そして、それぞれ試験となったが三菱の試作機が急降下試験中に引き起こしの際に空中分解を起こし不採用となった。


我が社の九一式複座戦闘機海軍仕様は既に陸軍で実績もあり特に問題も起きず海軍の望む要求仕様を満たしていたが、結局海軍が複座戦闘機そのものの使用を見直したため不採用となった。


しかし機体の性能、及び特性が気に入ったらしく、フロートを追加して水上機仕様としたものを採用することとなった。

既に海軍には九一式水上偵察機を納入しているが、その機種の更新機ということになった。


同じ頃、中島はPA、PBの検討を進めているが、先発プロジェクトとして大和田技師が複座戦闘機の試作を進めていた物が完成した。


この頃から陸軍は試作機はキから始まる連番が振られるようになり、陸軍は大和田技師の複座戦闘機にはキ-8の試作番号をつけた。


この大和田技師の新型試作機は中島では初となる片持式低翼単葉で、全金属製平滑羽布外皮構造の放物線テーパー翼を採用、逆ガルタイプの付け根を持ち、胴体も全金属製モノコック構造という非常に意欲的な機体だ。


エンジンはジュピターのライセンス版である寿三型五百五十馬力を搭載した。


しかし、陸軍の審査では性能的に既に納入している九一式偵察機に速度で大差なく、また運動性も九一式戦闘機と同等か劣るという評価。更には九一式戦闘機と比べて不安定で不具合も色々と見つかったらしい。

その結果、初めてキ-8を見た時の前のめりの期待感は急速にしぼみ、不具合をなんとか解消し九一式と同等の性能まで持ってきたが、海軍と同じく複座戦闘機というものの必要性が見いだせず、結局不採用となった。


しかし、この機体の開発により得られた自主技術は確実にこれ以降の機体に大きなプラスとなったことは間違いないと思う。



この年は迫る戦乱に備えているのか、陸軍海軍ともに矢継ぎ早に新型機の試作をメーカーに発注した。


二月にも海軍が新たな攻撃機の試作を発注した。

九試艦上攻撃機が新たなプロジェクトで三菱、そして中島、更には海軍の航空廠での競作となった。

中島は吉田、福田技師が担当することになり、寿三型エンジンを搭載する木金混合の複葉機を開発するそうだ。





昭和九年七月



陸軍が進めている新型戦闘機選定だが、一足先に川崎がキ5の機番の試作機を完成させ、陸軍で審査した。


新型機はドイツ技師の指導の元、土井技師が担当したそうで陸軍では初の片持翼式の低翼機で逆ガルの主翼を持つズボンスパッツ付きの固定脚機だったらしくこれまでの戦闘機とはかなり異質の外見を持つ。

これは低翼機は前下方の視界不良とプロペラが主翼の上に来るため主脚が長くなってしまう為、それを解消するためにこういう形状を採用したのだと思う。


そして、エンジンは液冷のドイツBMWVIの改良ライセンス型ハ9-Iで八百五十馬力と今の時点では結構な高出力だ。


陸軍は早速とテストしたのだが、まず逆ガル式が裏目に出て低速時の横安定性が駄目で、パイロットは玉乗りをしている気分だったと感想を述べるほど。

そして新型エンジンは振動がひどく、冷却系統に不備があり航空性能も不足。

せっかくの大馬力エンジンを活かすことが出来ず速度は三百六十キロに留まったらしく、また上昇性能も九二式戦闘機と大差なかった。


結局、逆ガルを改めたり、エンジンの冷却系を調整したり、主翼スパッツを取りやめたりと改修をしたが性能向上は見られず、速度も平凡な上運動性も低い機体という事で、不採用が確定した。


川崎はこの新基軸を多く取り入れた意欲的なプランを一先ず諦め、今度は既に採用されている九二式戦闘機を大幅に再設計した改良型で再挑戦するとのことだ。





昭和九年九月


小山が進めていたPAは小山を設計責任者に井上技師を主任技士として既に試作にとり掛かった。


提出された設計図を見た所、小山お気に入りのボーイング248によく似た固定翼機だった。しかも248より確実に空力的に洗練されている。


さすが社長のお気に入りというか、有能なことは間違いない。


エンジンはレンチェラーではなく寿エンジンを使うらしいく、この辺りが特にこだわらず外からどんどん調達してくる私と明らかに違う。


昭和十年春には試作機を完成させテストするとのことだ。



私の担当するPBは夏頃に設計を終了させ同じく試作機の制作に入った。


小山は私の設計したPBを見て一瞬顔色が変わったが不敵な笑みを浮かべ、中々良さそうじゃないですかと賞賛したが本音の所はどうなんだろうな。


まあ私も小山のPAを見て同じ反応をしたから人のことは言えないのだが…。


小山って何を開発した技師なんだろうな。私が居なければ中心的人物になったのは間違いないと思う。

彼は有能であるばかりか、如才なくそしてカリスマ性がある。

私のチームは私を良く補佐してくれるが、小山は自分のチーム以外からもかなり支持されているように思う。

あれは私にはない才能で、前世の私も小山の様な人間ならもっと上手く生きられたのかも知れないな…。


私のPBだが、エンジンは予定通りケストレル。全金属製の翼と金属モノコックの機体を持つ引き込み脚の、まあ簡単に言えばメッサーシュミットのBf109やスピットファイアの様な戦闘機だ。

速度と運動性のバランスの取れた機体になる予定だ。





昭和九年十一月



建築中の太田の新工場が完成し、慌ただしく引っ越しをした。


この頃、関東北部で陸軍の大掛かりな演習が行われていたのだが、その演習を視察されていた天皇陛下が新たにできた工場を視察されることになった。


中島社長以下社員全員が天皇陛下をお迎えし、陛下を案内差し上げた前社長は感極まった様子だった。

前世でも皇帝は居られたが、完全に雲の上の存在で遠目にも見る機会は無かった。しかし、まさか新たな人生で間近で見ることが叶うとは感慨深いものがある。


しかし、少々疑問に思う事があった。


量産中の九一式戦闘機を陛下にご紹介差し上げたのだが、若輩だからと小山が説明を買って出たのだ。

それが中島らしいといえなくもないが、まっさきに手を上げた小山に社長がよし頼むと即座に決まってしまい、小山が説明をすることになった。


何故か、いざ説明が始まるとまるで小山が設計責任者の様で、一緒に開発した連中も微妙な顔をしていた。


陛下が帰られた後、小山は大役を勤め上げたと社長に褒められ、普段冷静沈着な小山にしては珍しく高揚し感動したと喜びを隠さなかった。


後日新聞にその時の記事が載り、小山が中島をリードする若き新鋭技師と紹介されたのだ。まあ、半分そのとおりではあるんだけどな…。


前社長は帰り際私に声を掛けてはくれたが、こういう機会は二度とないだろう。





どちらにせよ、仕事で勝負するしか無い。



小山技師の人柄はフィクションです。

あくまで主人公からみた小山氏像です。


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