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第四十七話 1946.10-1946.12 戦争終結

長かった戦争も終わりです。





昭和二十一年十月



以前、取締役就任の打診を受けていたが、その話で社長から呼び出された。

どうやら、この戦争が終わったら社長は社長職を退任して会長に就任するつもりの様だ。

そして、私に対してそろそろ戦後を考えるべきだと言われたのだが…。

それはどういう意味なのだろうか。


今は兎も角、後身の者達にこれ迄の仕事を引き継ぎ、どういう形であれ今後に備える準備を進めなければ。




ソ連へと舞台を移した戦争の新聞報道は続く。


従軍記者達はまさかソ連にまで行くことになるとは想像もしていなかったのではないか。


新聞報道によれば、モスクワでは最初ロシア人同士が激しい市街戦を繰り広げていたが、モスクワの街並みが全て瓦礫になってしまうのを忌避したのか、或いは溜めこんでいた不満が爆発したのか、モスクワに立て籠もっていたソ連軍部隊が、督戦隊や秘密警察部隊と交戦を開始。

元々質は兎も角、それ程人数が居るわけでもない督戦隊や秘密警察部隊を皆殺しにすると、モスクワのソ連軍部隊は次々と新生ロシア軍に降伏した。


それに伴い、新ロシア皇帝ウラジーミル・キリルがクレムリンへと帰還し、正式にロシア帝国の復活を宣言したのだ。

この事はロシア人にとって重要な意味合いを持つだろう。


新生ロシア軍がモスクワを攻略している間に、独英軍がニジニーノヴゴロドへと軍を進め、皇国軍が追いついて来たフランス軍、そしてカナダ軍に後方を任せると、ソ連指導部の退路を遮断すべくカザン付近へ挺進隊を空挺降下させ、主要橋梁やシベリア鉄道の駅を占拠した。


そして彼らに合流すべく皇国軍は、もはや敗残兵の様相のソ連軍部隊を追いかけながら、後方地域だったので殆ど守備兵も居ないサラトフ、ウリヤノスクを抜くと、カザンの挺進隊と合流を果たした。



シベリアからの日米合同軍は、頑強に抵抗するソ連軍が籠っていたスヴェルドロフスクを瓦礫に変え残敵を掃討すると、米軍はシベリア鉄道沿いにペルミへと進軍し、皇国軍は街道沿いにウファへと軍を進めた。





昭和二十一年十一月



過ごしやすかった秋は終わり、そろそろ寒くなって来た。


ソ連では十月頃から雪が降り出し、十一月頃であればまだ雪に閉ざされるという程でも無いが、気温は氷点下に達し、ロシアの冬将軍が猛威を振るいだす。


戦地の兵士達の苦労は相当な物だろう。



新聞報道は雪の中でも続く。


独英軍がニジニーノヴゴロドを攻略するも、既にスターリンらソ連指導部は居らず、都市を守備していた残存部隊は死守を叫ぶ共産主義者達を殺すと降伏した。


幾ら情報の伝わりにくい戦時とはいえ、既に新たなロシアが始まっている事を多くの高級将校たちは知っており、もはや共産主義者達に義理立てして義務を果たすより、戦後を見据えて多くの若者を生かして帰す事を考えているのだ。


独英軍部隊はここで進撃を停止してカザン方面へ逃れたソ連軍を追撃する部隊を編成すると、既に皇国軍が抑えているカザンへ追撃部隊を向かわせた。


そのニジニーノヴゴロドから移動してきたソ連軍部隊がカザンに来襲し、親衛師団と秘密警察部隊からなる精鋭部隊はカザンを抉じ開けるべく、待ち受けていた皇国軍へ猛攻を掛け激戦となった。


しかし、独英の追撃部隊がソ連軍の後方から襲い掛かり、そしてペルミを死守していたソ連軍を壊滅させた米軍部隊がカザンへと到着して攻撃に加わり、そして殆ど抵抗らしい抵抗も受けずにウファから進撃してきたシベリア派遣皇国軍も到着し、これらに包囲攻撃されたソ連軍部隊は最後まで戦い壊滅した。


だが、スターリンらソ連指導部は一人も発見されなかった。





昭和二十一年十二月



スターリンらソ連指導部は行方不明となり、ロマノフ新皇帝が発足させたモスクワの新ロシア政府が未だ戦っているソ連軍に戦闘の停止と投降を命令。


共産党の非合法化を宣言すると同時に、共産主義者の逮捕も併せて命令した。


これにより、殆どのソ連軍部隊が政治局員など共産主義者を逮捕、もしくは射殺し戦闘を停止した。


降伏を拒んだソ連軍部隊は連合軍部隊によって掃討された。



ソ連指導部の捜索は懸賞金まで懸けられて引き続き継続されていたが、その行方は杳として知れなかった。

しかし、十二月も中旬となったある日、ヨシュカルオラという古い街でソ連指導部が住民により捕らえられたとの知らせがあった。


直ぐに捜索部隊が急行したが、既にソ連指導部は住民によって全員街はずれで吊るされていた。


指揮官が住民に事情聴取したところ、彼らは1920年の大飢饉の時の共産主義者達に対する恨みを忘れていなかっただけだ、と答えたそうだ。


ソ連指導部を捕らえたヨシュカルオラの住民には約束通り懸賞金が支払われた。


ロシア全土で共産主義者の摘発が行われ、そのほとんど全てが処刑された。



それに伴い、連合国参加国を始め多くの国で共産党が非合法化された。


日本でも共産党は厳格に非合法化され、ロシア政府により開示された各国に対する工作活動などの資料は証拠として扱われ、スパイ活動を行っていた者達が逮捕された。



十二月も暮の頃、全ての戦争当事国間で休戦条約が結ばれ、長かった二度目の世界規模の戦争は終了した。





昭和二十二年



年が明けて、スイスのジュネーブで講和条約締結に向けて話し合いが持たれた。


この講和会議は、今回の欧州での戦争を連合国の勝利に導いた英国主導で行われた。


英国は第一次世界大戦の時の講和の際の過酷な迄の国家賠償かドイツ経済を破壊し、第二次世界大戦を産む土壌となったと主張した。


その為、今回は国家間賠償は放棄し、それぞれの国が戦争被害者に対して代理賠償し、その賠償金を改めてドイツに請求するという形が取られた。


またその請求は、物納や技術提供でも可能とした。


なぜこのような形にしたかと言えば、ドイツ本土は連合軍が抑えていたドイツ南部以外はソ連によって酷い破壊や略奪に遭っており、ドイツ自身の復興もあるのでとても賠償能力があるとは思えなかったためだ。


この賠償方法について強硬に反対したのがフランスであったが、ドイツの様な徹底的な破壊に遭った訳では無く、新たな火種が出来る事を恐れた英国が押し通した。


ただし、長らく係争地であったアルザスロレーヌ地方に関しては、正式にフランス領となった。


ドイツは戦争当事国であり、占領地での虐殺やユダヤ人の強制収容と虐待など、様々な国家犯罪が発覚した。


その為、ソ連の欧州侵攻後のドイツが果たした役割を無視することは出来なかったが、ヒトラーとナチ幹部に戦争責任が問われた。


ところが、ヒトラーは既に自決しており、ヒムラーら主なナチ幹部はソ連のベルリン砲撃時に多くが巻き込まれて死亡しており、主要メンバーとしては現大統領のゲーリングのみが生存していた。


ゲーリングはドイツを救った指導者として国民の人気が高く、またソ連侵攻後のドイツ軍の再戦力化など果たした役割は大きく、更には元々穏健派でその罪を大きく問う事は難しかった。


結果的に、ゲーリングは敗戦責任を取って講和条約締結後に辞任。それ以上の罪に問わない代わりに、ナチの責任追及の協力を約束させられた。


ドイツは、共産党と併せてナチ党も非合法となり、ナチ党員は末端に至るまで一先ず逮捕され、その関与に応じて場合によっては罪に問われた。しかし、ナチ党員の多くが行政組織に役人としてかかわっており、また経済関連にも党員が多数おり、その全てを排除するとドイツの行政や経済が完全に麻痺してしまう為、結局ナチ党員の公職追放は行われず、ナチからの脱退と新生ドイツ政府への改めての忠誠の宣誓が求められた。


結局、ドイツは多くの技術をフランスなど戦争当事国へと開示し、或いは物納にてその賠償責任を果たしていく事になった。


特に、フランスとポーランドのドイツの技術への渇望はかなりの物で相当数のドイツ人技術者がそれぞれの国へと招聘されていった。


ポーランドもまたドイツへの国家賠償を求めていたが東プロイセンのポーランドへの割譲で国家賠償を放棄した。




また、チェコとスロバキア、オーストリアはそれぞれ再び独立を取り戻した。


しかし彼らは、かつてはオーストリアハンガリー帝国という大国として存在した時代を思い出し、一度は分離し独立国となったがそれぞれは小国であり力なくドイツに併合され惨めな目に遭った事を反省したのだ。


そしてそれらの国々のかつての古き良き時代を覚えている世代の人々が、帝国の皇太子だったオットー・フォン・ハプスブルクを呼び戻し、ハプスブルク家を統合の象徴として緩やかな連邦国家、或いは国家群として再集結しようという動きがあった様だ。





新たなロシア帝国は、かつてのロシア帝国の後継国としての地位を継承した。


ソ連を継承する事はしなかったが、戦争当事国としてドイツとの間にそれぞれの賠償を放棄した。

つまり、ドイツとロシアに関してはそれぞれの国の戦争被害者はそれぞれで補償する事になる。


ロシア帝国は、ソ連が履行を拒否していたかつてのロシア帝国の債務の復活と履行を約束、これを国家賠償代わりとした。


ロシア帝国は長かった独ソ戦とソ連時代に人的資源も国土も荒廃し、ドイツと同じくとてもまともな補償に応じられる状態ではなかったのだ。



ロシアはフィンランドに対して領土を返還し、またバルト三国、白ロシア、ウクライナ、モルドバ、グルジアがロシアとの取り決め通りそれぞれ独立国となった。


それ以外にも、カザフスタンなどの中央アジアの地域も希望すれば独立できることになった。


そして、米国はソ連共産党の根絶やしとソ連共産党の米国に対する工作資料という名の証拠の確保を以て目標達成とした他、ベーリング島がロシアから割譲された。


米国はこの度のシベリアへの出兵もあり、満州への関与を更に強め、米企業の満州への進出が加速するだろう。

満州国もまた、国内情勢の不安定化や中国からの侵入に頭を悩ませて居た事もあり、それを歓迎した。



我が皇国は、ロシアより正式に樺太北部を譲渡され全島を領有する事となった。



日英関係は以前の日英同盟とは異なり、特に期限を設けずまた軍事関係だけに限らない新たな包括的な同盟条約が結ばれた。


これは、日本が欧州での戦いに参戦し勝利の一端を担った事、日本が英国に軍用機など様々な軍需品や日用品、食料品の供給をした事、それに伴い日本が英連邦諸国から様々な資源を大量に輸入した事などで日英関係が以前とは比較にならない程深まったという事が要因だろう。


また日本は、英国と長期的な同盟を結んだことに伴い、英連邦すべての国と同様の包括条約を結んだのだった。

その結果、天然資源の輸入先に困らなくなったのは朗報だと思う。



そしてこの年、ジュネーブにて正式にジュネーブ講和条約が結ばれ、これによって戦争状態は完全に終了と相成った。



米国は結局欲しかった物を手に入れ、世界は英国主導の秩序に落ち着きました。

日本も、英国と英連邦の良き友として、安定した地位を手に入れました。

しかし、八紘一宇はどっかに行ってしまいました…。

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