第四十五話 1946.1-1946.5 ドイツ降伏
ドイツとの戦争もそろそろ終盤です。
昭和二十一年一月
去年も忙しい一年だった。
戦時中とはいえ毎日帰宅しているのだが帰宅時間が遅く、折角子供たちと暮らすようになったのにあまり顔を合わせる時間が無い。
だが、今手掛けている仕事が終わればどうやらこれで現場での仕事も最後になりそうだ。
実は去年の末、取締役への就任を打診されたのだ。
これ迄の仕事が認められた結果とも言えるが、後進に道を譲れと暗に言われている気がしなくもない。
まだまだ現場でやれる自信はあるが、現実に既に多数の部下を抱えて仕事をしている状態であり、後進を育てる役目を果たすべきか。
とはいえ、全く飛行機作りの仕事から手を引くという訳ではない。
これ迄よりは一歩引いた形での参画とはなるだろうが、飛行機作りの仕事は続くだろう。
今年も、年末年始は恒例の里帰り。
既に妻と娘たちは一足先に実家に行っている。
流石に子供たちを連れて終電始発の強行軍は無理だ。
ドイツ人達は今年もまた会社の敷地内で年始を過ごす。
交戦国の国民という事もあるが、彼らの場合ナチに命を狙われている可能性があるため、警護を厳重にしている関係もあり、警備上の理由というのもある様だ。
フランツやリヒト達とも、もう長い付き合いになってしまったな。
そう言えば、最近は仕事で日本に来ている米国人をよく見かけるが、日本人というのは案外と根に持たない質なのか、米国の説明で納得したのかわからないが、対戦中あれだけ色々の事がありながら米国人と揉めたという話は聞いたことが無い。
私も名実ともに日本人なのだが、どうにも未だにロシア人的な思考が残っているのか、客観的に見てしまうのだ。
レンチェラー日本には米国本社から米国人社員が追加され、最近ではジェットエンジンの開発もやっているらしい。
現時点においてジェットエンジンは日本の方が技術的に進んでいるというのもあるのだろうが、どうも機体にも手を出すんじゃないかという話もある。
レンチェラーと中島は今やそれぞれが株式を持ち合う提携会社となっているから、十分あり得る話なのだ。
終電に揺られながら車窓から久しぶりに帝都を眺めれば、かつての戦火の後はもう跡形もなく無くなり、あちこちで新規建築が進んでいる。新たな工場、新たなビル、そればかりではなく一時は焼け野原になっていた住宅地も米国から持ち込まれた大量の重機の力で撤去整地され、災害に強い帝都を目指して道路から引き直したのだ。
その結果、かつての入り組んだ迷路のような路地裏は姿を消し、米国の様な筋で分けられた整備された都市計画の下、建物が建てられているのだ。
これ迄日本では殆ど人海戦術で長い時間と労力をかけてやっていたことが、重機を使えば極めて短期間でそれを成し遂げられたのだ。
そんな事もあり、対米戦以前と以後では帝都の街並みや地図はまるで異なったものになっている。
米国風の街並みで育った後の世代は戦前の写真を見ると余りにも様変わりした様子に、驚くことになるのではないか。
米国風の街並みに変化していっているのは、この度の大規模再建に米国から随分と建築会社が参入しているのも大きいのだろう。
国土再建に米国の建築会社の参入を認める事で、米国からの巨額のドル借款を殆ど無利子で受けられているというのを新聞で読んだ。
日本独力では、いずれにせよこれ程の大規模な開発は難しかったろう。
だがしかし、つくづく思うのはあの米国との戦争は一体何だったのだろうな…。
中島で働く米人技師達も敢えてそこには触れないようにしている様だが、恐らく同じようなことを感じているのではないだろうか。
ヨーロッパでは未だ我が皇軍が戦い続けているが、国内はすっかり平時に戻っており、客車の中は落ち着いた雰囲気で、以前はよく見られた国民服も殆ど見かけなくなった。
街並みからも戦時色というのがすっかり消えた気がする。
やはり、好景気というのも大きいのかもしれないな。
元旦の初日の出を駅のホームで拝むと、実家へと向かう。
早朝のこの時間はバスも未だ動いておらず徒歩での移動だが、家族が起き出す頃には家に着く。
いずれ、最近耳に挟む米国では当たり前となっているらしいマイカーとやらが普及すれば車で帰省する事もあるのだろうか。
一年ぶりに実家に帰ると、両親が出迎えてくれた。
例年この時分に帰るため、起きて待っていてくれたようだ。
後から起きて来た妻や娘たちとも顔を合わせ、正月行事を済ませる。
両親に取締役就任の打診を受けた報告をすると、随分と驚かれた。
そういえば、会社でどんな仕事をしているのかもあまり話したことが無かったな。
年に一度の親孝行をつつがなく済ませると、一足先に家へと向かう。
子供たちは冬休みを実家で過ごすそうだ。
友達も実家に居た方が多いそうだし、その方が良いだろう。
四日にはいつも通り出社し日常業務が始まる。
新聞報道によると欧州での戦争は最終局面を迎えており、東からはソ連軍の大軍がポーランドへ雪崩れ込み、北西からは英軍が、そして我が皇軍とカナダ軍が南西よりエルベ川を越えてベルリンへと迫る。
空には日英の軍用機が飛び交い、懸命に守備するドイツ軍の防衛線を抉じ開けていく。
投降したドイツ兵の列は数キロにも達し、戦火を逃れた難民たちの群れが西へ西へと流れていく。
ベルリンを包囲する連合軍は四十万にも及び、それ以外の戦域でも未だ戦闘は続いている。この戦争を終わらせるには、ドイツ政府に降伏を認めさせる必要がある。
昭和二十一年二月
新型ジェットエンジンの燃焼試験は新しい技術にも関わらず、大きな問題も無く成功し、更に調整をすれば来月には試作機に組み込むことが出来そうだ。
試作機は以前のジェットエンジンを組み込んだモデルが既に完成し、こちらも来月には試験飛行を予定している。
新聞報道によるとポーランド戦線では未だ大半のドイツ軍と百五十万とも言われるソ連軍が雪が解けてぬかるんだ大地で文字通り泥沼の戦いを繰り広げており、ベルリンを包囲する連合軍は更に包囲を狭める。
いまや、ベルリンは隔離状態にあり、守備するドイツ軍は超人的ともいえる戦いを繰り広げている。精鋭と言われる武装親衛隊や国防軍、年配者や子供と言っても良い様な民兵たちが絶望的な戦いを続けているのだ。
連合軍は爆撃や砲撃でベルリンを廃墟にする事も出来るが、未だベルリンには民間人が多数居る事もあり、ドイツ側へ何度も降伏を呼び掛けていた。
しかし東部戦線が突破されればソ連軍がベルリンへと雪崩れ込み、瓦礫にしてしまうだろう。
昭和二十一年三月
試作機の地上試験は問題なく終えることが出来た。
後は飛行試験となるが、新型ジェットエンジンの方も組み込みへの準備が出来た。
新型ジェットエンジンを搭載する為の試作機も並行して作成しており、こちらもジェットエンジンの組み込みが終わる来月には初飛行させることが出来るだろう。
新たなジェット襲撃機は、これ迄の陸軍の中では重爆撃機を超える屈指の積載量を誇る。
英国から齎された技術を取り入れた爆撃照準装置を搭載し、一人の搭乗員でも高い精度で攻撃することが出来るのだ。
春の柔らかい日差しの下行われた初飛行は、軍の関係者なども立ち合い行われた。
今回の襲撃機は新たに設計された前縁に後退角を持つテーパー翼を持ち、下面からの被弾面積を狭くするためにコックピット部の断面積は縦は十分に取ってあるが、横幅を狭くしてある。
そして、胴体下面には特徴的な57mm機関砲の砲身が突き出し、さながらサヨリの様な形をしているのだ。
エンジンは胴体後部下面に並べて配置し、吸気口は高翼に配置された主翼の根本下部にそれぞれ配置され、横に長い翼の下部にはロケット弾等の武装が取り付けられる懸架点がそれぞれ五基ずつ取り付けられている。
3000kgfもの推力を誇るジェットエンジンを二基も搭載した、現時点では化け物の様な襲撃機だ。
管制塔から飛行許可が出ると、甲高いエンジン音を響かせするすると機体が進みだす。
三角翼機と異なりそれ程の長い離陸距離を必要とせず、10t近い重量の機体がふわりと浮かび上がる。
テストパイロットは安定飛行を確認すると試験項目に沿って試験飛行を開始する。
最高時速は900km/hを超えて無装備状態とはいえ940km/hを記録し、低空での運動性も悪くなさそうだ。
そして、一通りの試験を終えると無難に着陸し駐機場へと戻って来た。
テストパイロットの評価は悪くなく、低速でもこれ迄テストしたジェット機の中では一番だという。
試験に立ち会った陸軍の関係者にも高評価であり、調整後陸軍に持ち込まれて試験となった。
予定通り来月には、新型ジェットエンジン搭載型の試作機を試験する。
新聞報道によると、今月、連合国とドイツ政府の間で停戦が成立し、休戦交渉が始まったらしい。
流石に、先の見えない戦争に限界を感じたのだろう。
未だドイツ南部では小規模だが戦闘が続いているし、ドイツの全土を占領した訳でも無ければ瓦礫に変えたわけでもない。
だが、この戦争はドイツを瓦礫に変えるのが目的ではないからな。
しかし、ソ連は連合国の停戦の求めに応じず、東部戦線ではそのまま戦闘が続いているそうだ。
一体どうなるんだろうな…。
昭和二十一年四月
陸軍で新型ジェット襲撃機を試験した評価は良好、ただし低速での燃費は最悪らしい。
襲撃機という機種である為、航続距離はそこまで求めないが低速での運用は避けて通れず、新型ジェットエンジンでこの辺りが解消していれば新型エンジンのモデルが採用になる様だ。
四月上旬、完成した新型ジェットエンジン搭載型試作機の試験飛行を行う。
現時点でのジェットエンジンとしての推力は同じくらいであり、低速域での性能の向上が求められている。
今回のエンジンは以前のジェットエンジンよりやや幅があり、全長も長い。
しかし、この辺りは事前に知っていたため、余裕を持たせた機体設計をして居り、問題なく搭載することが出来た。
四月の晴れた日、再び陸軍関係者の立会いの下、試験飛行が行われた。
結果として、低速域での明らかな性能向上が見られ、最悪だった燃費も問題ないレベルまで劇的に改善した。
とはいえ、以前のジェットエンジンに比べるとエンジン構造が複雑であり、良い事ばかりという訳には行かなかった。
陸軍は欧州での戦争ももうすぐ終わるだろうから戦時程の機数調達は無いかもしれないが、長く使いたいと話していた。
この機体も、陸軍で試験の為提出の運びとなった。
これで、最終的に正式採用となれば私の仕事も一先ず終わりとなるだろう。
四月十七日
世界を揺るがすのではないかという大事件が起きた。
ドイツとの休戦交渉が行われる中、ドイツの最高指導者であったヒトラー総統が責任を取り自決し、休戦交渉にあたっていたゲーリング国家元帥が後任に指名され大統領に就任した。そして、大統領となったゲーリングと連合国との間で休戦合意がなされた。
それに伴い、ベルリンのドイツ軍が降伏、まだ停戦に従わず抵抗していたドイツ南部のドイツ軍も降伏し、連合軍との戦闘は終了した。
しかし、ソ連は連合国が要請したドイツとの休戦に応じず、更に攻勢を強め既に限界に達していたドイツ東部軍の防御線を突破するとポーランドを蹂躙しそのままドイツへとなだれ込んだ。
それこそ、戦後の分け前を強奪するかのように…。
その後起きた事は新聞の号外にて知らされ、その翌日の朝刊に全面記事が掲載された。
私はその報道を見た時、悪い冗談だと思った。
何の冗談だと、新聞を叩きつけたくなった程だ。
だが休戦して降伏したドイツ軍と連合軍をまとめて攻撃するなど、一体スターリンは何を考えているのだ。
確かに、英国も米国もソ連への支援は前世とは違い殆どしていない。
特に米国はルーズベルトの死後、ソ連に不都合な真実が随分と明らかになり、実質敵対状態にまで関係悪化しているから援助などある筈も無い。
更には、米国が欧州戦線に参加しなかったせいで、前世にはあった連合国共同宣言はなされずソ連は連合国に入っていない。
今世の連合国とは日英同盟を中心に、英連邦そして亡命政府が参加した連合国を指すのだ。
だが、共にドイツと戦っていた味方では無かったのか…。
少なくとも、英国も日本もソ連に敵対的な行動は一切していない筈だ。
150万を超えるソ連の大軍はドイツに雪崩れ込むとドイツ国境で休戦の為の作業を進めていた居た英軍部隊を壊滅状態に追い込み、降伏したドイツ兵もろともスチームローラーで踏み潰すようにベルリンへと進撃した。
そして、講和の話し合いが始まろうとしていたベルリンに迫ると猛砲撃を開始した。
ベルリンは阿鼻叫喚の巷と化し、講和会議どころではなくなった。
ドイツ兵の武装解除は中止され、武装解除が済んでいなかった部隊は防衛戦へと復帰させられた。
そして、ドイツ指導部や話し合いをしていた高官たちは西へと命からがら逃れ、ここ一月以上まともに戦闘が無くすっかり気持ちが緩んでいた連合軍は大慌てで防戦の準備に掛った。
ベルリンを中心に展開する軍はソ連が百五十万に対して、連合軍は四十万、まともに戦闘が可能なドイツ軍は二十万程度だった。
既に、ドイツ軍は補給に事欠くほど限界に達していたのだ。
戦線整理の為、ポーランドに残置されたドイツ軍が西へと撤退し、ソ連の暴虐にさらされたポーランドの難民たちもぞろぞろと後から後からへと西へ向かう。
ポーランド難民の救済は連合軍に参加しているポーランド軍から強い要請を受けているため、無下に扱うわけにはいかず、ダンチヒへ連合軍艦隊を進出させて、ダンチヒから逃れるドイツ系住民共々ポーランド難民を船で運んだ。
ソ連の重戦車は恐ろしく頑丈なうえに機動力も悪くなく、また中戦車と言えどもかなりの火力を誇る。しかしそれらと互角以上の性能を誇る筈のドイツの超重戦車や装甲部隊は補給切れで殆どが置物と化しており、物量で押してくるソ連軍に対し末期のドイツ軍は携行対戦車兵器による肉弾戦で応戦するしかなかったのだ。
連合軍の最良の戦車である英国の新型A41ですら性能的にはソ連の中戦車と互角の性能でしかない。
連合軍はドイツ軍との戦闘でそうした様に、航空部隊で圧倒的な物量のソ連軍に対して対抗した様だ。
しかし、ドイツ軍と異なり圧倒的物量でスチームローラーの様に押し寄せるソ連軍に対して、決して無力では無いが明らかに戦力不足であり、それこそパイロットがぶっ倒れ、機体がスクラップになるまで全力出撃したところで、ソ連の怒涛の攻勢を留める事は出来なかったのだ…。
ソ連は更に五十万の予備戦力を投入し、ドイツ全土を掌握しようと攻勢を強めた為、連合軍は苦肉の策で武装解除していたドイツ軍に補給を与え、兵士たちに武器を戻して再編成し、何とか戦線を構築しようと悪戦苦闘していた。
連合国首脳はソ連の卑怯極まりない攻撃に対して非難声明を発表した様だが、こんなものは何の役にも立たない。
ソ連が求めている事は最初から全欧州の赤化なのだから。
結局はドイツが、そのソ連の推し進める赤化を今迄押し留めていたのだった。
昭和二十一年五月
ジェット襲撃機は六式襲撃機として陸軍に採用された。早速、57mm機関砲装備型と30mm機関砲装備型の二機種にオーダーが入り、ソ連との戦いに投入する様だ。
今月、更に激震が走る新聞報道が一面を飾った。
デューイ米大統領が対ソ戦へ参戦を表明。
大統領の演説に拠れば、既に米国はソ連に攻撃を受けており、する必要のない戦争に巻き込まれ大勢の米国の若者が殺されたとソ連共産党を名指しで批判した。
これ迄のレッド・パージによる大掃除で明らかになった数々のソ連の策動に怒り心頭の米国市民は対ソ戦への参戦へ支持を表明。
米国は悪しき共産国家を滅ぼし、今度こそ世界平和をもたらす為に立ち上がったのだ、との記事が載っていた。
いざ動き出すと早いのが米国なのか。
五月の内に、米国太平洋艦隊がソ連の極東艦隊を駆逐し、満州へ続々と米軍が上陸した。そして、アイゼンハワー元帥を司令官にソ連へと侵攻を開始した。
それに合わせ、米国の要請により日本も規模こそ米軍に及ばないものの、新型の六式中戦車を装備した新たな独立混成旅団からなる一個軍団と対地支援の為の飛行隊を派遣した。
ソ連は米国の参戦を予想していなかったのか、シベリア方面にはあまり多くの部隊は配備されて居なかったようだ。
欧州での戦況は、ソ連の大軍を前にドイツを失う程押し込まれたものの、急遽海路により運ばれた英本土の予備軍と、連合軍と休戦したイタリア方面に居た英印軍三十万をドイツ南部から北上させ、更にはビシーフランス降伏後、再編成されたフランス軍など合わせて百万の軍で何とかソ連軍の猛攻を押しとどめている様だ。
ソ連軍の戦闘機の性能そのものはドイツ軍のレシプロ機にも劣りジェット機も存在していないが、その数がけた違いで、連合軍は常に十倍以上の戦力差での空戦を強いられる有様で、その物量は米国すら圧倒するのではないか…。
いずれにせよ、欧州戦線での兵力の増強には限界があり、シベリアで進撃中の部隊の健闘を祈るしかないな。
待ちに待ったスターリンのターンです。
しかし、馬鹿にしていた米国が裏口から来るとは思っていなかった様子。
ソ連の戦車はIS-3とT44-100のペアです。
六式中戦車は前面装甲150mmで主砲に17pdr砲を搭載した50t戦車で性能的にはA41相当です。




