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第四十三話 1945.6-1945.8 欧州反攻作戦

いよいよ始まります。





昭和二十年六月



ダブルデルタ型のジェット戦闘機は五式戦闘爆撃機として陸軍と海軍に採用された。

辛うじて欧州での戦争に間に合ったが、即戦力化という訳にはいかない。先ずは纏まった数を揃えて戦地に送る事、そしてベテランであったとしても習熟訓練は絶対に必要だ。


これで残るはジェット襲撃機という事になるわけだが、襲撃機はその性質上低速域での飛行を求められる。

しかしながら、今のターボジェットは低速での飛行には向いていない。


これをジェットエンジンを開発しているチームに相談したところ、英国から齎された技術を取り入れた、低速域でもある程度の性能が発揮できる新しいジェットエンジンの構想があると話してくれた。


旧来のターボジェットと異なり、低圧と高圧の二つの圧縮機を持ち、それぞれ低圧、高圧のタービンを使う新しいジェットエンジンだそうだ。


但し、新しい設計のターボジェットの為、直ぐにできると言う物でもないらしい。


兎も角、既存のジェットエンジンを搭載する事を想定し、低速域でも運動性を確保できるテーパー翼のオーソドックスな機体をデザインする事にした。


機体長は15mを越え、全幅も15m程度となるだろう。翼面積は34m^2位を想定する。

空虚重量を8000kg以内に、3000kgfのターボジェットを2基搭載し最大離陸重量は15000kg程度を目標とする。

最大速度は900km/hは確保したいし、航続距離も2000kmは必要だろう。


武装については陸軍は57mm機関砲を搭載したいとの事だが、装弾数など考えれば30mm機関砲位が使い勝手が良い気もするし自衛用に12.7mm機銃も必要だ。


勿論防弾装備は厳重に設置して、20mm機関砲弾の直撃を食らっても生還できなければならない。


この位の襲撃機であれば、ある程度制空権を確保できていれば縦横無尽に活躍できるだろう。


ただし、開発にはそれなりの期間掛かると思われる。


デザインスケッチと概算諸元を書き上げると陸軍に提出した。




今月、北アフリカ戦線で戦っている日英同盟軍は独伊軍を北アフリカから駆逐し、シチリア島にも爆撃を加え、大戦果を挙げたとの新聞報道があった。


北アフリカではドイツ軍の重戦車や大口径の対戦車砲を備えた陣地の待ち伏せに遭ったりと苦戦したようだ。

しかし、その都度手厚い航空支援で敵を排除し、遂にチェニジアから敵を追い落とした。

そう記事には書かれてあった。


前世でも写真で見た事があるドイツの重戦車の撃破された写真などが戦果として新聞に掲載されているのを見ると、現実に北アフリカで戦闘があったのだと実感を覚えた。


日英同盟軍は更に軍を進め、ビシーフランス統治下のアルジェリアで降伏を拒否したフランス軍部隊とも小規模な戦闘があった。


しかし、それも帯同していた仏印フランス軍の将校が軍使に立ち、降伏を呼びかけた事で降伏し、北アフリカでの戦闘は全て終了した。


北アフリカの独伊軍は補給も途絶えがちの上、長期間にわたった遠征ですっかり疲弊しきって居たのがこの度の勝因としては大きかったと現地の指揮官の談が掲載されていた。

事実、写真に写る北アフリカで捕虜になった独伊軍の兵士達は疲労困憊しているように見えた。





昭和二十年七月



ついに欧州での大反攻作戦が始まったと号外や新聞で報じられた。

今回の欧州派遣軍には従軍記者が同行しており、戦意高揚の為にもこれまでの戦時報道とは違い、詳細な戦報が記事としてページを割かれ写真付きにて掲載されている。


新聞報道によると、遠征軍最高司令官モントゴメリー元帥の作戦開始の号令下、この日の為に英国にて訓練を重ねた連合軍が一斉に動き出した。


英国と加、豪、新西の英連邦諸国、更にはフランス、ポーランド等の亡命軍、そして我らが皇国軍からなる連合軍がフランスの北部のノルマンディーに向かった。


そして、北アフリカで戦った英軍と英印軍、我が北アフリカ派遣軍に駐アルジェリアフランス軍が、フランス南部のニースとトゥーロンの間に広がる浜辺に上陸を敢行。


上陸作戦に先立ち、コタンタン半島に我が第一挺進集団が降下作戦を行い、サント=メール=エグリーズを占領し重要拠点であるラフィーレの橋を確保。


同じころ、英第六空挺師団もペガサス、ホルサ橋両橋の占領確保、そして上陸部隊の脅威となり得る四門の大口径砲を備えたメルヴィル砲台陣地の無力化に成功した。



その翌朝、日英両軍艦隊による早朝より六時間にも及ぶ入念な艦砲射撃と航空機による地上部隊掃討の後、それぞれソード、ジュノー、ゴールド、オハマ、ユタと作戦コード名が割り当てられた上陸地点へと上陸を開始した。


皇国軍が担当するのはオハマ、そしてユタの二つの上陸地点であり、神州丸など洋上に並ぶ特殊船から大発動艇に搭乗した我が軍の上陸部隊はそれぞれのポイントへと上陸を開始した。


海岸に並ぶ敵の要塞は我が艦隊の艦砲射撃により軒並み破壊されており、特に我が海軍の誇る世界最強の戦艦である大和の砲撃を受けた要塞は木っ端みじんに粉砕され瓦礫と化していた。


しかし、そんな有様であっても生き残っていた敵軍が抵抗を試みるが、我が軍の機動艇より上陸した戦車の陰に隠れながら軍を進める我が軍には届かず、直ちに飛来した襲撃機のロケット弾や小型爆弾による攻撃により虱潰しに駆逐されていく。


ドイツ空軍は不思議と迎撃には飛来せず、唯一飛来したのは二機の戦闘機のみで、我が軍の直掩戦闘機が迎撃するとすぐに逃げる有様であった。


結果、オハマ、ユタ共に大した抵抗を受けず、我が軍は上陸に成功し、他の上陸地点もさしたる抵抗もうけず上陸に成功した。


上陸成功後、直ちに橋頭堡の建設に取り掛かり、上陸部隊は初期目標へと向かった。

その結果、その日のうちにカランタン、サン・ロー、バイユーの三つの重要目標の確保に成功したのであった。


ドイツ軍は北フランスには二線級以下の部隊しか配備しておらず、内陸部に配置されていたドイツ軍自慢の装甲部隊も我が軍の航空機による攻撃にてほぼ移動中に壊滅し、主要街道の彼処に独軍部隊の破壊された車両の列が残されていた。



英国からの情報によれば、先月ソ連との戦争が続く東部戦線にてソ連軍による大規模な攻勢が開始され、それに対応する為フランスに居た一線級部隊が軒並み東部戦線に引き抜かれこのような有様になっていた様だ。





昭和二十年八月



今月も引き続き欧州派遣軍の報道は続く。


欧州派遣軍はサン・ローのドイツ軍防衛線を突破し、クリスマス迄にこの戦争を終えるべく快進撃を続ける。しかし、ドイツ軍が一線級部隊からなる反攻作戦を決行。

おりしも雨天が続き航空支援が望めない状態も重なり、これまでのドイツ軍部隊が如何に弱体であったのかを痛感する程で、敵は強力な装甲師団を前面に押し立ててあっという間に戦線を突破し、モルタンへと迫る。


この戦いで、ドイツ軍の強力な戦車との本格的な戦車戦が行われた。

これ迄敵主力の四号、五号戦車相手には互角以上の性能を発揮していた我が軍の五式戦車は敵の重戦車に歯が立たず、有効射程外から撃破される始末。しかし、天候が回復すると直ちに我が軍の航空部隊の地上支援が始まり、敵の装甲師団をスクラップに変えた。


ドイツ軍は北のカーン、南のル・マンからドイツ本国への道を閉ざそうと進軍する連合軍に対し、取り残され包囲される事を危惧し、列をなして引き揚げを開始した。


連合軍は手厚い航空支援に物を言わせ、ファレーズの地にドイツ第七・第五軍を包囲した。

しかし、ドイツ軍は有力な精鋭部隊に強引に包囲をこじ開けさせ、少なくないドイツ軍部隊が脱出に成功した。だが、その代償として我が軍は有力師団として知られる敵の第一第二SS装甲師団を壊滅状態に追い込むことに成功した。


泥沼の激戦を生き抜いてきた我が軍の精鋭は敵ドイツの精鋭部隊と互角以上の戦いを見せ、米軍との戦いで培った航空支援を活用した戦いで、敵の重戦車部隊の攻勢を頓挫させる事に成功したのだ。


この戦いで、我が軍は遺棄されたドイツ軍の戦車などを鹵獲し、調査したところ我が軍の五式戦車を2000mもの距離からでも簡単に打ち抜くことが出来、逆に現在主力装備として使っている17ポンド砲では敵の重戦車の前面装甲は1000m以下でも有効ダメージを与えられない可能性があることが判明し、これまでの戦闘実績を証明する結果となった。


我が軍は、米軍との戦闘でそうだった様に、今後も航空支援を切り札に戦う事になりそうだ。


幸い、レシプロ機が主体のドイツ空軍に対し、我が軍のジェット戦闘機は優位に立っており、制空権は完全に連合軍側が握っている状況となっている。


とはいえドイツ軍もジェット機が無いわけではなく、我が軍のジェット戦闘機には劣るものの、後退翼の双発ジェット戦闘機が確認されており、警戒が必要だろう。




新聞に地上部隊支援で戦果を挙げ続ける陸軍パイロットのインタビュー記事が掲載されていたが、そこに添えられている写真に以前見た事のある機体が写っていた。


一機だけ試験的に作った双発のジェット襲撃機だ。

まさかこんなところで活躍しているとはな。


57ミリ機関砲は車両相手には絶大な威力を発揮する様で、ドイツの重戦車であっても簡単に撃破が可能だとの事。


しかし、あの機体はロケット弾などの搭載数はそれほど多くは無いし、機体性能もそれ程良いとは思えない。


凄いパイロットも居たものだ。




今月、小笠原諸島と南洋諸島から連れ去られた日本の軍人軍属民間人たちの行方が米国から伝えられた。


講和条約から日にちが経つが、なぜこんなに遅くなったのかは不明だ。


小笠原諸島から連行された日本人はハワイの、南洋群島から連行された日本人はカリフォルニアの収容所にそれぞれ抑留されていた。


米国当局の説明によれば、ハワイとカリフォルニアの大規模農園に併設された収容所に収容され、そこの大規模農園で強制労働に従事させられていたそうだ。


どちらにも日系人が居る土地であるが、彼らが強制収容されていた収容所とは別の扱いで、大規模とはいえ個人の農場に作られた収容所に収容されて居た為、発見が遅れたのだという。


日系人の強制収容所は講和条約の後、全て閉鎖され日系人達は全員解放されている。

しかし解放後、一部の日系人が米国を離れ日本の親族の元に身を寄せている所を見ると余程ひどい目に遭ったのだろう。


ハワイとカリフォルニアに抑留されていた日本人は、直ちに返還された。

彼らを収容所に収容して働かせていた農場主は全て民主党の熱心な支援者だったそうだが、米国の国内法に照らしても違法行為であり、直ちに関係者は逮捕されると共に、働かせた日数分の賃金を支払わせると通告があった。


米国の立場は、あくまでルーズベルトとその一派が個人的にやった事にしたい様だが、何ともモヤモヤする話だ。

日本政府は、既に米国からの支援が始まっていることもあり、米国がしっかりと補償をし、関係者の処罰を確約する事で納める事にした様だ。





一先ず、前哨戦は勝っています。

ドイツは米軍による執拗な爆撃に曝されていないため、史実の様に生産力は落としていませんが、長い東部戦線での消耗戦により人的資源が限界に達しています。


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