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第四十二話 1945.3-1945.5 講和

米国との戦争の終結です。





昭和二十年三月



今月に入って直ぐ、英国の仲介の下、米国との間に正式に休戦条約が結ばれた。

そして、日米両国の間で最終的な条件の話し合いが行われ、月末に米国のハワイで通称「ハワイ講和条約」と呼ばれる日米講和条約が結ばれた。


条件的には実質的に英国が米国に提示した条件そのままであり、日本は大陸での利権を全て放棄させられ、痛み分けにもなっていない。


しかし、既に中国大陸では日本が去った後の力の空白を埋めるかの様に国共内戦が始まっていて泥沼のありさまであり、ここに外国勢力が介入し続ける事は難しい。

また満州国も再び馬賊や軍閥が闊歩するありさまとなっており、満州国軍が都市部を辛うじて維持しているに過ぎないという状態になっている。


日本は日英同盟に基づいて欧州戦線に参戦する事による戦争特需で好景気ではあるが、国内が復興するにはまだまだ資金が足りない有様であった。


ハワイ講和条約が結ばれた翌日の日本の新聞に、デューイ大統領が日本との講和が成立した直後に行った演説が掲載されたが、彼はこの度の戦争を不幸な戦争であると評し、戦争する必要のない日米両国民が特定の勢力の思惑によって恣意的に平和の為の努力を歪められ、遂に両国は戦争に突入させられた、と語った。

つまり、明言はされていないが「特定の勢力」とは故ルーズベルト元大統領一派の事だろう。

現在、米国では選挙公約を破り米国民の望まぬ戦争を始めた者達の摘発と、なぜそういう事態に陥ったのかを調査中であるという。

それらの者達は「特定の外国」の利益の為に働いた可能性があり、デューイ大統領はその証拠も既に掴んでいるとも演説で語った。

また、前政権での国務長官であったコーデル・ハル氏は、前政権で氏が担当した平和交渉が如何に歪められたのか、誰に歪められたのかを証言する為、米議会に設置された調査委員会でその証言台に立ったという。

氏によれば、この度英国が提示し日本と結んだ講和条約がハル氏が用意した本来の対日和平案であり、対日交渉時に誰かがそれを全く違う物にすり替え日本側に渡した可能性があるとも証言した。

それが事実であれば、日本はその条件を受諾した可能性が高く、戦争に至らなかった可能性が高いのだ。

しかし、国務長官である筈のハル氏の知らぬところで、ルーズベルト元大統領は日本や当時の日本の同盟国を貶めるような演説をしたり、恣意的に平和の為の取り組みを握りつぶしたり交渉決裂に誘導した可能性が高いのだと、新聞はハル氏の証言から引用を行った。


ここまでは新聞に掲載された米大統領演説の前半部であるが、まるで陰謀論の様だ。

この「特定の外国」というのは恐らく英国かソ連であると思われる。両国は米国の欧州戦線への早期参戦を強く求めていたからな。


演説後半は、日本に向けた演説となっていた。


デューイ大統領曰く、日本に対し望まぬ戦争に至ったばかりか、大統領自身が信じられぬ出来事として、合衆国の軍隊が多くの日本の民間人を無差別爆撃や機銃掃射で殺傷したという事実に向き合い、両国民に合衆国大統領として謝罪するとした。


この度の対日戦争での米兵の戦死者は二十万を超えるそうだ。日本は対米戦争での軍人の戦死者は約十万人であり、その三分の一が仏印戦線での戦死者だそうだ。

しかし、空襲による日本の民間人の死者は十五万人にも上る。勿論日本は米国の民間人を攻撃などしていないから米国の民間人の死者はいない。


一方、中国戦線での陸軍の戦死者は対米戦争の倍近くになり、投入された物資兵力共に考えれば日本の主戦線は中国戦線だったと言えるのかもしれない。



しかし、米国国内では対日戦の戦果は派手に報じられたようだが、自軍の損害や死傷者に付いては殆ど報じられないか大幅にごまかして報じられていたというのは意外だった。


政権交代後に発表された、想像以上の自軍の損害や戦死者の実態に米国民は驚き、戦争の真相の調査が強く求められており、デューイ大統領はその調査結果は必ず国民に発表すると語った。


そして日本に対して賠償はないが、代わりに宙に浮いていた満州鉄道を日本から買収する事、更に日本に対しての無利子でのドル借款、復興支援の為に大量の土木工作機械の貸与などを計画していると記事には書かれてあった。


満州鉄道は満州国によって一応運営されてはいるようだが、今やまともに動いてる路線は主要都市間だけで、そこでも馬賊の襲撃に悩まされている状態だ、とも報じられている。


その事に関しても米国政府からは、満州鉄道の買収交渉が妥決すれば満州国の国内治安改善の為に、軍事顧問団の派遣と軍事援助を行う用意がある、と声明があったとも書かれてあった。


結局、米国が欲しがっていた満鉄をまんまと手に入れるという事か。

米国では中国は最後のフロンティアだと言われていると米人技師が話していたな。


あんな泥沼の内戦が起きている国にフロンティアもクソも無いと思うのだが。


いずれにせよ米国は、悪かったのはルーズベルトとその取り巻きやスパイ達で、全米国民は等しく騙された被害者なのだ、という理屈でこの戦争を総括したい様だ。


そう言えば、戦争のきっかけになったという例の米軍捕虜も、長期間の捕虜生活を終えて無事帰国したそうだ。

彼は米国では日本で惨く殺されたという風に報じられていた様だな。



兎も角、これで米国との戦争は完全に終わった。





昭和二十年四月



米国との講和がなって直ぐに、米国からレンチェラー本人が来日した。


社長と最後に別れた時どんな約束がなされたのかはわからないが、本人がまた来たという事は、今後の話し合いに来たという事なのだろう。


レンチェラーは今回二週間ほど日本に滞在し、その間日本国内の企業を視察したり前社長を仲介に政府関係者とも会ったようだ。


レンチェラーが帰国後、社長から今回の話し合いで決まった事が伝えられた。


中島発動機は再び合弁企業のレンチェラー日本支社として復活。

併せて、米国から技師の再派遣。


米国はやはり今後交戦国に兵器の輸出は出来なくなるとの事で、それには当然日本も含まれる。

しかし、現地法人はその枠から外れているので、レンチェラーとしては日本支社を介して欧州の友好国に製品を販売したいとの事だ。

米国では日本との戦争も終わり、欧州への参戦も無いという事で、軍の予算が大幅に削減されており、レンチェラーも米国のみでの営業では厳しく、日本支社を介してエンジンを世界各国に供給したい。という事らしい。


つまり、米国から最新のエンジンが再び届く様になるし、或いは日本で開発されたエンジンが逆にフィードバックされるという事もあるのか。


レンチェラーは現在日本で作られている和製ワスプエンジンを見て驚いたという話であるから、米国の水準に近づいてるという事かもしれないな。


手土産にレンチェラーが持ち込んだ米本社の最新エンジンはワスプメジャーという化け物みたいな二十八気筒の空冷エンジンだった。

三千馬力以上出る様だが、中島が生産してるハ48の方が出力はあまり変わらないのに遥かに軽い事を考えると、このエンジンの凄さというのがわかる。


ワスプメジャーは日本支社でも生産され、日本製のエンジンという事で英国に供給される事で既に話が付いているらしく、今回の訪日の目的の一つはそれの摺合せなのだろう。



そしてレンチェラーと入れ替わるように、英国のロールスロイスからジェットエンジンを開発しているフッカーという技師を団長とした技師団がやって来た。


日本のジェットエンジンは成り行きから中島が中心となって開発しているから、その研究所も太田の工場施設の一角にある。


研究所は他社からの出向者や軍の技官や大学の先生などが来ていて、中島の社員であっても許可が無ければ入れない。


この区画は軍から派遣された憲兵が門衛に立っていたりと、物々しい。



英国技師団はニーンと名付けられた最新の遠心圧縮式ジェットエンジンを持参していた。


彼らが持参したジェットエンジンを早速組み立てると、試験場でテストを行った。


ニーンは完成度の高いエンジンであり、燃焼試験でも一切トラブルは発生せず、連続燃焼も問題なくこなす出来の良さを発揮し、2500kg/fの推力を発生させた。


その後、皇国の最新の軸流式ジェットエンジンのデモンストレーションを行い、我が方のジェットエンジンの方が3000kg/fと推力的に勝っていたが、技術的には互角と判断された。


その後、双方の技師により技術面での意見交換が行われ、双方夫々の進んだ分野が確認され、それらの技術を併せたジェットエンジンを新たに共同開発し、それを日英で生産する事になった。


新たに開発されるジェットエンジンは再燃焼装置を搭載した3500kg/f級を目指した軸流式ジェットエンジンらしい。


とはいえ、新規で共同開発となるとすぐには完成しないだろうな。





昭和二十年五月



ダブルデルタの試験機が完成した。


ダブルデルタというこれまでにない変則的な構造の為、予定以上に開発に時間が掛かった。


まず、これ迄は主翼の付け根下部に配置していた吸気口を機体下部に移動させた。

また、その形状も空力的、吸気的に良いものを模索した結果、鏡餅を裏返した様な横長の形状に辿り着いた。


主翼は鋭角の三角形に正三角形を重ねたような二つの鋭角を持った形となった。


前回の三角翼戦闘機も美しい形であったが、今回の戦闘機は更に形状的に洗練された形になった。結局、実質的には新規開発した様なものだ。


入念に地上試験を済ませた後、軍の関係者を交えて初の試験飛行を行う事となった。


実質的に新たな機体の為、一抹の不安を感じるが、モックアップによる風洞試験でも問題なく大丈夫なはずだ。


五月晴れの当日、関係者が見守る中太田工場の私設飛行場でいつもの様に試験飛行が行われた。


入念な点検の後、パイロットが乗り込むとエンジンがスタートされる。

現時点で最新型の3000kg/fを叩き出すジェットエンジンは快調に回転し、機体がするすると進みだす。

そして、滑走路を進み加速するとふわりと離陸する。


その後、試験メニューにしたがって順番にテストが進んでいく。


甲高い音を響かせながらキラキラと光る機体は何度見ても美しく、空というキャンパスに飛行機雲で軌跡を描いていく様は幻想的ですらある。


そして試験メニューを終えた試験機が滑走路に降りてくる。


今回の試験機も着陸速度が速いが、パラシュートとエアブレーキによって急速に減速すると難なく着陸し、駐機場へ戻って来た。


パイロットが降り立ちこちらを見て手を振る様を見ると、感触は良かったようだ。


技師や整備員達が試験機に駆け寄っていくと、現時点の機体状況をチェックし、格納庫へと運び去った。


テストパイロット曰く、以前の三角翼機と比べると低空での運動性が改善された他、離陸距離が短縮されたそうだ。


最高速度は1109km/hを記録した。


今回のダブルデルタ機は機体構造的に主翼下に懸架装置を多く取り付けられるため、戦闘爆撃機としての運用も可能だろうと思われる。


その旨を軍関係者に話をすると、艦載機として使えるかは未知数だが陸上機としての運用は問題なさそうで、軍で更に試験した後に問題なければ現在運用中の戦闘爆撃機の後継機として使いたいとの事であった。



今月、北アフリカでの戦況が新聞報道された。日英同盟軍による北アフリカでの大攻勢は成功しチュニジアまで独伊軍を追い込んた。

既に独伊軍の主力はシシリアに撤退しており、チュニジアの残存部隊が降伏するのも時間の問題の様だ。


米国との戦争は完全に終結し、ドイツとの戦争が始まりました。

ダブルデルタは主翼形状的にはF-16XLみたいな形です。形が似てるだけですが。

ドラケンはブレンデッドウィングボディとか先進的過ぎてまだ実現は難しいかなと。


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