第四十一話 1945.1-1945.2 大統領選挙
更に年が明けて1945年です。
昭和二十年一月
正月休みは恒例の里帰りだ。
だが米国との戦争が終わっても、皇国は新たに枢軸国との戦争に参戦し未だ戦時中だ。
皇国を戦争に引き摺り込んだ米国が早々と戦争から離脱したのは皮肉としか思えない。
しかし、国内に爆弾が降り注ぎ銃弾が飛び交う様な事態は終わった。
市内は平静を取り戻し、復興は進んでいる。
一時は麻痺寸前まで追い込まれていた鉄道などのインフラも特に被害の酷かったところ以外は復旧し、鉄道ダイヤも平常運転している。
そんな中、日本がドイツへ宣戦布告後、社内のドイツ人技師たちは今後どうするのか話し合いが持たれたそうだ。
彼らの多くはユダヤ人であったり、或いは反ナチズムであったりと当局に睨まれているものも多く、もし帰国すればたちまち逮捕され収容所送りになると話していた。
しかし、皆が皆そうというわけでもなく、単に仕事として、或いは誘われて来日したというドイツ人達も居たのだ。
話し合いの結果、祖国の同胞たちと戦う事に加担することに抵抗感はあるものの、ナチから祖国を開放するためという大義のもと結束するという結論になったという。
結局は去年と同じくドイツ人達は正月も会社の社宅で過ごし、社員食堂で新年を祝うという。
アメリカ人技師たちは本社からそのまま日本に留まるように指示があった様だ。
そして私は元旦の早朝、また奥多摩に帰ってきた。
前世での故郷はロシア革命を経てすっかり様変わりしてしまったが、二度目の人生の故郷は今も少しも変わらないな。
実家に帰り着き、家族と一年ぶりに再開した。
一年も会わないと子供の成長は著しく、上の子は背も伸びて大人びてきた。
下の子も、もう普通に言葉を喋り歩き回っている。
相変わらず、下の子にはおじさん呼ばわりだが…。流石に年に一度数日会うだけでは覚えてもらえないようだ。
それでも今年の三月には妻と娘達は自宅に戻って来て、また家族四人で暮らす予定だ。
両親は寂しくなるだろうが、この辺りには親類縁者が多く住んでいるから、多分大丈夫だろう。
正月を家族と共に過ごし、そしてまた三日には終電で家路へと就いた。
来年にはもう少しゆっくりできると良いのだが。
四日にはいつもどおり出勤し、日常業務に戻る。
正月早々イギリスへは更に陸軍五個師団が増派される事になり、帝都の演習場で壮行の式典も開かれた。
今回も、大陸から引き上げてきた師団が再編成され再び出征していった様だ。
今月になって小笠原諸島と南洋群島の現状が伝わってきた。
小笠原諸島は米軍撤退後、無人島と化していた。
また、南洋群島は元々の原住民はある程度残っていたが、在留邦人や軍人、軍属は誰も残って居なかった。
南洋群島に残っていた原住民に事情聴取したところ、ある日突然何百機もの飛行機が飛来すると皇国軍の船や港湾施設など様々な施設を攻撃し、その後沖合にやってきた船が大砲で砲弾を何時間も打ち込み、皇国の軍人たちは散り散りになってしまった、
その時に、原住民にも多くの死傷者が出た。
砲撃が止むと、米軍が上陸して皇国軍の生き残りとの戦闘が少しあったが多勢に無勢。
程なく皇国軍は降伏し、米軍は降伏した軍人や軍属ばかりか皇国の民間人も全て拘束すると、船に乗せてどこかに連れ去ったそうだ。
おそらく、小笠原諸島もそうなのだろう。
連れ去られた人たちがどこに行ったのか。
未だ米国からの返答は無い様だ。
これを発表すると只でさえ良くない対米感情が更に悪化することは確実で、「戦後」に影響が大きいと帝国政府は判断し、今の時点での発表は見送り軍機扱いになっている。
今月はダブルデルタの試験機の制作を続けながら、新型襲撃機の設計に掛かる。
敢えてジェットではなくレシプロの双発機を提案するつもりだ。
折角出来た素晴らしいユモエンジンが有るのだから、それを使わない手はないのではないか。
今の所、海軍で運用中の攻撃機はトラブルなど無いようだしな。
海軍で使われている艦上攻撃機は四式艦上攻撃機として去年採用になった。
米国との戦争が一先ず終わったため、急ピッチで大量生産ということにはならなかったが、それでも海軍はそれ以前の艦上攻撃機や艦上爆撃機を全てこの新機種一本に統一して更新する予定のため、最終的な生産機数はそれなりの数になりそうだ。
既に英国に派遣されている艦隊にも更新配備するため、新型空母や輸送艦に乗せて今月にも英国に向かうと聞かされた。
英国でも艦上攻撃機として導入したいと希望しているようだ。
新型襲撃機は大型の機関砲を搭載するため、双発機が好ましいとされる。
三千馬力のハ48を二基搭載し、主武装として57ミリ機関砲を装備する。
恐らく空虚重量は7,000kgに達するだろうが、最大離陸重量は10,000kgを軽く超える見込みだ。
ただ、先のジェット襲撃機の時と同じく機体形状的に、ロケット弾を装備するための懸架装置を多く設けられないのが難点ではある…。
ともかく、陸軍に図面を提出した。
昭和二十年二月
陸軍から、襲撃機はジェットエンジン搭載で要望通りの機体を作るように、との返事があった。
こうなっては腹を括って作るしか無いな。
今月、米国の大統領選の結果が伝わってきた。
民主党候補はルーズベルト時代の戦争の責任を追求されて記録的得票差で惨敗、ルーズベルトの後を継いだ大統領も任期限りとなった。
代わって、平和を訴えた共和党のデューイ候補が多数の支持を集め新大統領に選出された。
デューイ新大統領は日本との早期の講和と和解、モンロー主義への回帰を国民に訴え選挙に勝ったため、恐らく早い時期に休戦協定が結ばれ、講和となるだろう。
これで、米国の欧州参戦は実質的に無くなったと見ていいだろうな。
月末頃、また陸軍に呼ばれて例の新型戦車のテストの見学を要請された。
前回と異なり砲塔が搭載された新型戦車は17ポンド砲の長砲身が突き出した如何にも強そうな戦車に仕上がっていた。
ユモの独特のエンジン音を響かせ動き回る新型戦車は機動性も良さそうであり、長距離走行試験でも問題なかったそうだ。
前回私が提案した煙幕発生装置も搭載されていて、もくもくと煙が発生して車体を包み込む装置と、発煙弾を射出して前方に煙幕を発生させる煙幕発射機が搭載されていた。
砲塔の上部には提言したとおり、M2重機関銃改め二式重機関銃が搭載されていた。
結局、陸軍はこの重機関銃を当初は戦闘機搭載用のみと考えていたものを、元々の陸上部隊用の重機関銃としても採用して運用していたようだ。
他にも、三式戦車の車体にオープントップの砲塔を載せ四〇ミリ機関砲を搭載した対空戦車も完成していた。
私が今日呼ばれたのは、私が前回提案したものが完成したので見せてくれた、という事のようだ。
陸軍の担当技官から、更になにか提言があるなら是非お聞かせ願いたいというので、ドイツ軍が運用していた航空機による対地支援攻撃を管制する強力な無線機を搭載した装甲指揮車も作ってはどうか?と提案してみた。
皇国陸軍は戦車戦力の不足を航空支援で解決する戦術を使っており、今後攻める戦いをするのなら必要なのではないかと。
そう提案したのだ。
すると、陸軍の担当技官は確かに必要だと大きく頷き、早速作る事にしたようだ。
陸軍というと昔見た背の高い装甲車くらいしか知らないのだが、ドイツが運用していたハーフトラックみたいな車両も保有しているのだろうか。
新型戦車は来月から大量生産に入り、対空戦車も同時に生産が始まるとのことだ。
皇国軍がふたたび戦場に戻る日は近そうだな。
アメリカは大統領就任後、国内はひっちゃかめっちゃかになるでしょう。
不可解なルーズベルトの行動は明らかにされ、レッド・パージが吹き荒れる。
そしてモンロー主義が蔓延していきます。




