第三十七話 1944.1-1944.4 雲は晴れたか
年が明けて1944年です。
昭和十九年一月
英国の仲介が入ったせいか、それとも皇国軍の継続的な策源地への攻撃が効いて居るのか、年が変わっても空襲を受けることは無かった。
だが、去年敵の機動部隊が頻繁に日本近海で動いていたところを見ればまだまだ安心はできない。
正月休みは恒例の里帰りだ。
正直、戦争中であり両親だけであれば里帰りせず正月返上で仕事したかもしれない。
しかし、今は家族が実家に疎開しており、しかも長く会っていない。
妻や可愛い盛りの娘たちとの時間を過ごせないのは父親としては辛いものがある。
今の御時勢では買い物も難しいが、何とか伝手を使ってお土産を用意しておいたので師走の最終列車で郷里へと向かった。
ドイツ人技師たちは、毎年恒例となっていた新年国内旅行を今年は諦め、社宅で過ごす様だ。
社宅とはいえ小さな町程の規模があり、日用品や食料品などは社宅の購買で購入することが出来る。
購買は衣類から日用品、食料品まで取り揃えていて贅沢を言わなければ社宅から出ることなく暮らすことが出来るのだ。
幸い、会社も含めこの辺りは空襲被害にも遭っていないので、映画館などの付随する施設等も皆無事なのがありがたい。
以前、友人のリヒトに連れて行って貰ったドイツ料理屋は空襲で店が無くなってしまい、店主たち家族が住むところを失い困って居たそうだ。
窮状を見かねたドイツ人技師達が会社に相談したところ、暫く社員食堂で仕事をしてもらう事になったのだ。
流石に、店を出していた頃の様な本格的なドイツ料理は食べられないが、彼らが来てからドイツ風の料理が社員食堂のメニューに並ぶようになった。
この正月は店主が祝いのドイツ料理を作るとかで、ドイツ人達で集まって新年の祝い事をするとか話していた。
彼らは随分この国に貢献している。少しくらいの楽しみが無ければ気の毒だ。
終電で乗り合わせた客と話をしたのだが、空襲があった地域は酷い有様だそうだ。
鉄道も、爆撃を受けた区間など未だ再開していない区間もあるという。
その客も鉄道が動いている駅まで代替えで運航していたトラックに乗り、そこからこの列車に乗ったのだという。
鉄道の運行本数自体も減っていて、かなり混雑していたそうだ。
流石に、中島のある太田から奥多摩となるとそこ迄は混んではいなかったが、謂われてみれば普段より人が乗っている気がした。
奥多摩で下車したが駅からは夜中でバスが無いため、実家まで歩く事になるのだが家族と一緒だとこんな強行軍は無理だろうな。
去年と同じく、何とか早朝に実家にたどり着き一年ぶりに家族と再会した。
驚いたのはやはりこの年頃の子供の成長の速さ。特に女の子は成長が早い。
下の子はもう歩き出していて片言で喋る様になっていたし、上の子は小学校に上がって随分身長も伸びて大人と一緒に話していても違和感が無いほどはきはきと喋る様になっていた。
上の娘はさすがに私の事を覚えていたが、下の娘が私の事が解らなかったのは少々ショックだった。
だが、一年に一度しか顔を合わさない父親など、そんなものだろう。
早く家族と共に暮らせる日が戻って来ることを節に祈るのみだ。
年始を家族と共に過ごし、二日の夜には再び汽車へ乗り込み、一人社宅へと戻った。
再び日常業務に戻ると年明け早々陸軍に引き渡していたジェット爆撃機と襲撃機の試験結果を聞かされた。
ジェット爆撃機は四式爆撃機として正式採用される事になり量産指示が出た。ジェット襲撃機の方は意外な事に実戦で九八襲撃機に乗っているパイロットの評判は悪くないそうだ。
但し、翼下にジェットエンジンを吊るしている構造の関係上、翼下のペイロードに乏しく、対地支援任務に使うには使い勝手が悪いとの指摘を受けた。
確かに、800Kg爆弾や1000kg爆弾などが搭載出来ても、大型爆弾を対地攻撃に使う場面は少ないかもしれないな…。
実際海軍向けの攻撃機でも、小型爆弾を多数搭載可能にせよ、など面制圧に優れた装備を要求された。
利点としては前面、下方視界の良さ、安定性の良さ、機体の堅牢性が挙げられた。
陸軍からは、可能であるならばジェットエンジン設置位置の変更を要求された。
つまり、ジェットエンジンを翼下から胴体内、或いは胴体側面に移動させ、翼下は懸架装置を充実させてほしいという事だ。
正直、九八襲撃機はいまだ現役でも使えるそうだし、次のジェット戦闘機開発もあるからそんな修正作業は遠慮したかったのだが、予算も期間も掛かっているし、他の人に尻拭いさせるわけにもいかない。
かなり再設計する羽目になりそうな気がしたが、陸軍の要望を受け入れた図面をまた提出することになった。
しかし、今の機体は機体内にエンジンを二つ並べられるような構造になっていないし、胴体後方側部は機体のバランスを壊しそうだ。
三式重戦の様に機体側下部に並べて配置し、吸気口はまた翼の付け根に配置するか。
だがそうなると、もう全くの新規開発と変わらないか。
既存の襲撃機の機体を改修する方向で諸々の寸法など勘案して計算したところ、エンジンを胴体後部側面に配置する場合、尾翼から主翼までの空間に入りきらないことが判明した。
つまり、今は高翼式になっているのを低翼式に改める必要がある。
そうすることで、尾翼に干渉しない位置にエンジンを配置することが出来る。
勿論、ジェットエンジンの前後に翼が存在する事はまずいので、胴体後部の上部に左右にエンジンを配置することになる。
こうする事で、水平尾翼にも主翼にも干渉しない。
しかし、機体強度などを考えると機体構造から変更する必要がある。そもそも機体後部側方にエンジンを搭載する様には機体を作っていないのだ…。
一先ず、簡単にエンジン位置の修正は出来そうになく実質新規開発と変わらない、と陸軍に伝えた。
今月は、更に海軍からも攻撃機の試験結果が伝えられた。
こちらの方はオーソドックスに作った機体だけに申し分なしとの事だった。
直ぐに量産に入り、エンジン自体は無理だが機体は他社でも生産する事になり、早期に数を揃えたいとの意向だ。
三角翼機は陸軍、海軍共に図面審査は合格。
試作機の制作に入る。
昭和十九年二月
月が明けて陸軍から返事があり、ジェット襲撃機に関しては新規設計を正式に依頼してきた。
現時点で九八襲は十分実戦で使えているが、敵の戦車の重装甲化や敵の戦闘機がP-47やP-51と高性能機が出て来た事から、このままでは不安だとの事だ。
かなり厳しいが、会社の方が海軍の攻撃機を作っていたチームを丸々我がチームに加えてくれるそうなので受ける事にした。
昭和十九年三月
英国の仲介が功を奏したのかは分からないが、米国との戦争は一先ず休戦交渉が終了するまで現在地点を以て停戦となったそうだ。
これにより、激戦が続ていた中国での米軍との戦闘も停戦状態に入った。
英国が米国に提示している休戦の条件の一部を政府が発表した。
予想の範囲ではあったが、日本は満州、中国、仏印からの全面撤退。三国同盟の破棄。中国に対しての干渉禁止。米国は小笠原諸島、そして日本委任統治領南洋群島からの撤退、仏印のフランスへの返還。
といった内容になっていた。
私は受け入れ可能ではないかと考えたが、政府は如何であろうか。
つまり戦前のラインまで戻り、なおかつ米国が戦前に要求していた事を受け入れろという事だからだ。
かつて中国とだけ戦争していた頃は中国報復論が渦巻いていたが、本土爆撃が深刻になり中国が重荷にしかならなくなってからは、そう言った話もあまり聞かれなくなった。
肌感覚に感じる国民の願いは一日も早い戦争終結なのではないかと思うのだ。
昭和十九年四月
信じられない事だが、英国仲介での米国との休戦が成立した。
米軍は四月一杯で占領地域から撤退する事が決まった。
日本も満州、中国から軍人も民間人も全面撤退する事になる。
今後、日本は中国や満州には関わらない事になるのだろうな。
そして、実質的に形骸化していた三国同盟の破棄を独伊に通告した。
最早ボロボロの日本に関心が失せたのか、両国政府も受け入れるとの事だ。
米国との正式な講和は来年の米大統領選挙以降に新大統領の下で行われるとの事だが、先日の実質的な無条件降伏要求は引っ込めたのだろうか?
或いは日本では伺い知れない何かが起きているのか。
だが、利も無く英国が仲介するとも思えず、これで米国は日本との戦争にケリをつけて前の人生の時と同じくヨーロッパでの戦争に参戦していくのだろうか。
一先ず、空襲の危機は去ったのかもしれないが、こうなると大量発注を受けている軍用機もキャンセルになる可能性が高いな…。
それは兎も角、早く家族と共に暮らしたいが、子供の学校の事もある為、東京に戻って来るのは来年の三月ごろになりそうだ。
米国との戦争は一先ず休戦です。
恐らく今頃ハミルトンフィッシャーがグルーと大暴れしてる予感。
顛末は後から種明かしします。




