第三十二話 1943.1-1943.2 大空襲
年が変わり1943年になりました。
昭和十八年一月
去年の十二月以降、米軍の空襲がなりを潜めた。
新たな作戦の準備をしているのか、単なる息切れかそれはわからないが…。
正月休みと言えば恒例行事の里帰りだ。
戦時下とはいえ、正月休みは普通に休んで実家に帰る社員も多い。
とはいえ、三日にはまた戻ってきて仕事だ。
ドイツ人技師たちは本国の実家に戻ったりは出来ないので、皆で集まって旅行に行く様だ。
流石にこの戦時下で以前の様にそれぞれがばらばらに観光に行くというのは不安らしい。
正月の早朝、実家に何とかたどり着いた。
久しぶりに家族と再会し、私の無事を喜んでくれた。
実家では、空襲のたびに私の安否を気遣っていたそうだ。
一応、毎回では無いが定期的に電報を打って無事を知らせては居たのだが、やはり奥多摩に居ると帝都に空襲と新聞に載ると中島の工場のある太田まで空襲が及んでいるのではないかと心配になるそうだ。
たまたま先月は空襲が無かったが、それ以前を考えれば空襲の規模は大きくなっており、安心できる要素はまるでない。
妻と娘たちには、まだしばらくは実家で暮らしてもらうしかない。
今年で五歳になる長女は顔立ちもしっかりしてきて、女の子は成長が早いと聞くがもうしっかりとした話が出来るようになり、妹の面倒をよく見るいいお姉ちゃんぶりを発揮しているそうだ。
来年には小学校、それまでにはこの戦争が終わっていると良いが…。
中々会えない詫びでは無いが、両親と妻、そして娘たちにそれぞれプレゼントを土産として手渡した。
二日の夜には再び汽車に乗り込み、一人社宅へと戻った。
中島では急増する発注数に対応する為、新たに工場を二つ新設した。
一つは宇都宮にもう一つは郡山で、本来郡山の工場は愛知県の半田に建設する予定であったが、海に面しており平時であれば好立地であったが既に三菱の愛知県の航空機工場が空襲を受けたこともあり変更したのだ。
しかし今後、空襲が小泉やこの太田に及ぶようであれば、会社は生産設備等を全て栃木や福島など東北方面へと疎開させる計画を立てているそうだ。
去年末頃、中島の空冷発動機部門が軍部に要望され開発を続けていたエンジンが完成していた。
つまり、現在百式戦や一式戦爆で使っているダブルワスプである誉ことハ45の小型版。いわばダブルワスプジュニアともいえるハ145が完成したのだ。
陸軍の要望通り、直径は1180ミリ、全長は1690ミリ、排気量35.8L、乾燥重量830Kgでありながら、ダブルワスプそのままに遠心式スーパーチャーシャー二段二速の過給機を持ち、高空であっても息切れしにくい。
出力は3000回転で2000馬力と高出力を誇る。
ただ、このエンジンは精密機器その物の仕上がりらしく、整備の困難さが予想され、液冷エンジン部門が現在実施している丸ごと交換方式を採用するとの事だ。
いずれにせよ、このエンジンが現時点で使われる可能性が高いのは日本国内と中国戦線であり、離島で使用するのであれば困難が予想されたが、今も丸ごと交換方式が実施できている事もあり問題は無さそうとの事だ。
このエンジンの開発を受け、陸軍が昭和十六年の年末に中島飛行機に依頼していた一式戦の後継機の開発が本格化する事となった。
その機体はキ84の機番が与えられ万能戦闘機を期待されている。
百式戦の様に重たい重戦闘機でなく、百式戦の様な優れた速度と一式戦の優れた運動性能を併せ持つ戦闘機だ。
しかし、依頼していた当時適合するエンジンが無く、機体設計を進めながらエンジンの完成を待っていた状態だったそうだ。
設計主務者は小山であり、機体設計もとっくに終えていてワグナーの研究所に移った糸川の最後の仕事ともいえる。
陸軍の要求仕様は最高速度680Km/h、20ミリ機関砲二門、12.7ミリ機関銃二挺を装備し、制空、防空、襲撃など多岐に渡る任務をこなせる万能戦闘機だ。
勿論、大陸での使用も想定し増槽の装備で長い航続距離を持たせる事も仕様にある。
小山は、この飛行機の成功に絶対の自信を持っているとの事だ。
思えば小山とも特別親しいわけでは無いが、ライバルとして随分長い付き合いになる。
中島に1925年に入社して18年、小山と出会ってから15年は経つのか。
ライバルといえば、以前話に聞いて居た川崎飛行機のキ61が正式採用される事になったと聞いた。試作機の初飛行が二年前の末であるから随分間が空いている気もするが、精密なダイムラーベンツ製のエンジンの量産に手間取ったとも聞くな。
一度だけ、うちの液冷部門のエンジンを陸軍に言われて検討したようだが、こんなにでかくて重いエンジンは使えないと使用を断ったそうな。
まあそうだろう、いくら馬力が倍するとはいえ重さは倍ではきかないからな…。
キ61は今年正式採用となり、三式戦飛燕と名付けられたそうだ。
詳しくは知らないがどんな性能なんだろうな。
昭和十八年二月
陸軍からジェット戦闘機の量産指示が出た。
陸軍では初のジェット機であり、受け入れ調整をするのに時間がかかったそうだ。
機番はキ87高高度戦闘機、正式名称は三式重戦闘機と名付けるとの事。まあ確かに重たい戦闘機だからな…。
陸軍では米軍の大規模空襲の可能性があるため、至急大量生産との事で新設された宇都宮工場で量産される事になった。
ちなみに、海軍機の方は郡山の新工場で生産するそうだ。
昭和十八年二月十九日
陸軍関係者から空襲の可能性を聞いて数日後、恐れていた事態が起きた。
米軍の大規模空襲が始まったのだ。
総数五百機ものB-17が複数の方向から侵入、神戸、広島、大阪、愛知、そして東京の五都市に対し空襲を行った。
しかも、今回はこれまで日本本土では見た事の無かった百五十機近い米陸軍の新型戦闘機P-47が直掩護衛機として付いてきた。
更に米海軍の新型機であるF6Fが新たに展開した機動部隊から発進してきたのだ。
今回米海軍機はこれまで米軍がやらなかった機銃による地上掃射を行い、民間人に犠牲者が多数出た。
特に、鉄道に対しての機銃掃射は文字通り大惨事となった。
これらの被害はもはや隠される事なく新聞の号外で大々的に報じられ、反米感情が一気に高まった。
そして、とうとう恐れていたことが起きた。
皇国軍も機銃掃射をただ手をこまねいで見ていたわけではない。
相手が戦闘機で中低高度での戦闘であれば、陸軍の一式戦や海軍の零戦などの高高度を飛ぶ大型爆撃機に対して威力不足とされた機体であっても十分に戦える。
F6Fは新型機ではあるが日本本土を我が物顔で飛び回れるほど圧倒的な性能差が有るわけではなく、少なくない数が撃墜されたのだ。
撃墜されても、中には脱出に成功するパイロットが出る。
米軍はこういう事態をまるで考慮もしなかったのだろうか。
撃墜された米軍パイロットが日本本土の海近くのある村にパラシュート降下したそうだ。
住民は当然それを見ていて、駐在を通じて軍に連絡。
その後、パイロットを捕虜にすべく駐在と地元の青年団たちがパイロットを捕まえに行った。
パイロットは捕虜になる事を恐れたのか、逃げ切れると思ったのか、投降を呼びかけた駐在を射殺、村人たちを銃で威嚇すると逃げようとした。
村人たちは駐在を殺されたことに激高し、捕虜にすべく陸軍部隊が到着する頃にはその米軍パイロットは嬲り殺しにあっていた。
その事を地元の新聞が美談として掲載したものだから、この話は米国の知ることになったのだ。
米国は自分たちの民間人虐殺を棚に上げて、日本人は軍人を捕虜とせず捕虜の権利も守らない野蛮人であり許されるべきではないと、非難してきたのだ。
これまで捕らえた米軍兵士はみな捕虜として扱っているにもかかわらずだ。
例のイギリス人記者は、今回の米国の大規模空襲や機銃掃射の惨劇を記事にし、これはMassacreだと、焼夷弾で無辜の民を焼き殺す行為は正にジェノサイドだと痛烈な批判記事を発表した。
彼の記事は写真付きで英国大使館を通じ英国本国にも送られていると書かれていたが、欧州ではどのように報じられているんだろうな。
中島にまだ少数残っていた日本人女性と結婚していた米国人技師は英字新聞に掲載された記事と写真をみて母国のこの行いを恥じ入ったが、明らかに彼らの立場が悪くなった。
会社は彼らを守るだろうが限界があるのではないだろうか。
まさか、このような事になるとは想像もしていなかっただろうに。
驚いたことに、まだ日本に居た元駐日米大使のグルー氏は米国の現政権に対し非難声明を発表した。米国人として合衆国の軍隊に女子供を虐殺させた事は決して許されないと。
この非難声明は日本の新聞にも掲載されていたのだが、これが日本国民にどう伝わるかはわからない。
彼は、これらの惨劇は米国市民の本意ではないと伝えたかったのだろうか。
確かに、私が知るレンチェラーをはじめ米国人はみな気の良い人達ばかりだ。
好き好んで女子供を殺すような人たちには見えない。
今回の空襲に対し海軍の新型ジェット戦闘機である二式陸上戦闘機も迎撃に上がった。
優れた高速性能と高高度をものともしないこのジェット戦闘機は、まだそれほどの大量配備は実現していないが、八十機の二式陸戦で編制された飛行隊が迎撃に上がり、担当空域のB17の大半を撃墜するという快挙を成し遂げた。
但し、敵新型戦闘機のP-47に関しては厄介な戦闘機が登場したという評価だ。
陸軍の百式戦を彷彿とさせる大型機で、優れた高高度性能と最高速度、何より12.7ミリ機銃を散々打ち込んでも耐える程恐ろしくタフなうえ、敵は12.7ミリ機銃を八挺も装備しており瞬間火力も絶大。
これまでのF4FやP40などの米軍機相手なら圧倒出来た百式戦や九六戦、新型機の一式戦爆であっても互角だとの事だ。
流石に30ミリモーターカノンや20ミリ機関砲が当たれば無事では済まない様だが。
P-47は爆撃機の護衛任務に徹していて殆ど低空には降りてこなかったが、一部深追いして低空まで降りて来たP-47がいたそうだが、低空での運動性は劣悪の一言であり、機体が重すぎるのか加速性も一式戦にすら劣る可能性があるとの事だ。
結局、一式戦では撃墜はならなかったが全弾打ち込むまで追い回すくらいは出来たそうだ。
逆に、P-47は12.7ミリ機銃しか装備していないこともあり、12.7ミリ弾程度では撃墜困難な様にタフに作っている私が手掛けた戦闘機たちに対しては優位に立ち撃墜する事は出来なかった様だ。
いずれにせよ、爆撃機を迎撃する邪魔を務めるという任務はしっかり果たしていたと言える。
今回、飛来した五百機ものB-17のうち二百機近くを撃墜したとの事だが、やはり火力を強化したのが大きいのだろう。
ただ、余りにも機数が多すぎる。
これ以上飛来する爆撃機の数が増えると、日本の地理的条件もあり迎撃が益々困難になるだろう…。
前の人生の祖国の様に国土が奥に深ければ準備万端待ち受けて、目的地に到達するまでに散々に撃墜することが出来るんだがな…。
史実より高性能な疾風始動、更には大空襲の再開。
やはり日本は空襲に弱いと思うのです。




