第二十八話 1942.6-1942.7 護送船団
南方作戦が起きなかった本作の皇国は物資に苦労します。
昭和十七年六月
新聞報道は相変わらずだが、仕事に喝を入れる意味もあるのか、陸海軍の関係者から我々技術者に対し、軍機につき他言無用の前提ながら、戦況が少しずつ伝わって来た。
マリアナ諸島など内南洋は既に米軍の勢力下にあり、現地軍との連絡も途絶。現地に居た日本民間人や軍属の消息も不明らしい。
石油など物資は今はまだ備蓄があり大丈夫らしいが、このままではいずれ枯渇するのは時間の問題であるらしい。
最大の貿易相手国であった米国とは現在戦争中であり、他所から資源を調達するなら南方の仏印、蘭印辺りから取り寄せるしかない。
しかし仏印は現在も米軍の空襲が幾度となく行われており、ここから資源を調達するのは困難であり除外。
すると蘭印という事になるが、ABCD包囲網の一角であるオランダは現在本国がナチの占領下だ。
しかしイギリスに亡命政府があり、蘭印現地政府はその亡命政府に従っていて、日本と蘭印政府は日蘭印会商という取引が数次に渡ってあり物資の調達が出来ていたのだ。
日本の仏印進駐までは。
つまり、少なくとも仏印進駐まではオランダは友好国だったのだ。
これ一つとっても仏印進駐が悪手だというのがわかるというものだな。
蘭印政府からは、日本が早期に仏印から撤収すると確約するのであれば、直接の売却は出来ないが第三国経由でなら取引に応じるという話があったそうだ。
しかし、あの辺りで独立を保っている国は少なく、第三国となり得るのが仏印の隣のタイしかない。
それで、タイ経由で物資を調達することになったそうだが、隣の仏印は米軍の空襲に晒されており、途中で輸送船団が攻撃される可能性もあり、そこで護衛艦隊を付けた護送船団方式でタイまでいくことになった様だ。
勿論、この話は極秘で全く報道はされていない。
個人的には空母ぐらい付けるべきだと思うんだが、護衛艦隊に空母は含まれるんだろうか。
ジェット機のモックアップを提出していた陸軍から試作機製作の依頼があり、早速初めて手掛ける事になるジェット戦闘機の試作を開始した。
ジェットエンジンを使った機体を手掛けるのは初めてであり、解らないことも多い。
恐らく一先ず完成したとしても、初飛行までは普段よりずっと時間がかかるだろう。
昭和十七年六月下旬
タイへ向かった護送船団が米機動部隊に捕捉され全滅したらしい…。
可能性としてはフィリピンからの攻撃はあり得ると思ったが、米機動部隊が居たとは。
運が悪かったのか、最初から通商破壊が狙いだったのか。
昭和十七年七月
フランス政府、と言ってもヴィシー・フランスの方だが、米国に対し非難声明を出したと新聞報道があった。
米機動部隊による仏印の軍事拠点を空襲の後、米陸軍が仏印に上陸したが、仏印に居る日本軍だけではなく、仏印軍も空襲し攻撃しているという事だ。
米機動部隊は仏印侵攻作戦の支援の為に南シナ海に居たのかもしれないな。
だとしたら、何と運のない事か…。
そして同じ新聞に、米軍が日本への物資輸送を止めるため、輸送船団が物資を調達に行くはずだったタイにも空襲を行った為、タイの港湾施設や停泊していた船舶に甚大な被害が出たらしい。
被害に遭ったのはタイの船舶だけではなく、オランダやイギリスの商船も空襲に遭った様だ。巻き込まれただけの不運な出来事なのか、或いは故意なのか。
両国政府は米国に対し遺憾の意を表明した。
しかしオランダはともかく、イギリスは米国から欧州戦線での戦争遂行の為にレンドリースで支援を受けており、また欧州戦線への米国の参戦を求めている立場としては、船を沈められて自国民が亡くなったとしても強い非難声明は出せないという事だな。
昭和十七年七月十三日
その日は連日の三十度越えの暑さが続くなか、珍しく涼しかった。
昼下がり、仕事に一区切りつけて窓際で心地よい風に当たっていると、サイレンの音が鳴り響き空襲警報が発令された。
大慌てで会社の防空壕に駆け込むと、もうそこには大勢の人が不安げな顔で息を潜めていた。
会社のある太田は東京でも奥の方、埼玉県の近くにある為ここまでは爆撃に来ないと思うが。
空襲警報は二時間ほどで解除され、その日の夕方ごろ号外が配られた。
東京の市街地がいくつも焼かれ、死傷者は不明との事だ。
空襲を受けたのは東京の他、愛知、大阪の三県らしい。
その三県とも航空機を作るための重要な工場があるのだが、無事だろうか。
その翌日、海軍の技官がやって来た。
昨日の空襲は百五十機のB-17によるもので、高度8500メートルを高速で侵入してきたそうだ。
日本も最初の空襲の時の戦訓から、陸軍の警戒レーダーである電波警戒機の配置を全国に行うなど防空体制の整備を大急ぎで行い、今回は待ち受けることが出来たらしい。
しかし、前回のB-25とは異なりB-17はやはり堅牢で現在の海軍機では撃墜が困難だとのことだ。
つまり、12.7ミリ機銃六挺装備の一式戦爆でもB-17の様な堅牢で重武装な重爆が大編隊を組んで来ると苦戦するという事。
零戦であれば二十ミリ機関砲を搭載している為、当たれば効果大だがそもそも零戦では8500メートルもの高度ではまともに戦えない。
昨日の空襲は結局陸軍の九六戦が気を吐いたが、このままの戦力では海軍は厳しいため早期にジェット機の量産に入ってほしいとの事だ。
それと、将来的に夜間空襲に切り替わる可能性を危惧しているとの事で、航空機用の電探を天雷に搭載するとの事だ。
しかし、電探設備は聞けばそれなりの重量であり、いかなジェット機でも機体性能が下がる事は間違いない。
そこで、電探搭載の夜間型と、電探非搭載の通常型の二種類を用意する事になった。
またそれとは別に、戦力の強化策として一式戦爆が現在搭載している12.7ミリ機銃のうち二門を20ミリ機関砲に変更してほしいとの事だ。
恐らく、これはそれほど難しくは無いはず。
最後に、昨日の戦闘詳細を聞いたところ、技官が聞かされている範囲での答えになるが、B-17の撃墜は30機程度に留まったようだ。
理由としては、昨日の爆撃は実は中国から飛来した国民党軍のマークの付いたB-17と、米軍のマークの付いたB-17が別々の侵入ルートから飛来し、九六戦を装備した陸軍飛行隊が担当の空域では八割近いB-17を撃墜したそうだ。
だが、同じ陸軍の一式戦配備の飛行隊の担当空域や海軍飛行隊の担当空域では数機の撃墜に留まり、そのまま逃げられたそうだ。
一式戦は優れた機体だが、武装が12.7ミリ機銃二挺では米国の重爆相手には武装が貧弱すぎて、そのままでは迎撃機としては使えないという事がこれではっきりしたという事か…。
一時的に空襲が収まっていたのは、結局先の小笠原攻撃で硫黄島の飛行場を使用不能にしていたから、という事なのかもしれないな…。
一式戦爆の強化策は急ぐとの事だったので、七月中に海軍の20ミリ機関砲の翼内搭載用改装を済ませたのだが、ドラム式弾倉の機関砲とはな…。
海軍の技官がやって来た翌週、今度は陸軍の技官がやって来た。
話というのは予想していたが百式戦の武装強化の話だ。
百式戦は機体性能は申し分なく、高空から飛来する敵重爆も問題なく捕捉できるそうだが、武装の12.7ミリ機銃だけではB-17を撃墜するのは簡単ではないとの事だ。
それで、百式戦の機体または翼内の今現在空きになってるところへ、二十ミリ機関砲を搭載してほしいとの事だった。
持ち込まれた機関砲はまだ先行生産品らしいのだが、二式二十粍固定機関砲というやつらしい。
M2重機関銃をスケールアップしたような形をしているな。
こちらの方はベルト給弾で特に何の問題もなく取り付けできそうだ。
それとは別に、陸軍で用意できるならばだが、懸架装置に吊り下げる形で機関砲などを搭載する事も可能だと逆提案しておいた。
ドイツでJu-87に30ミリ機関砲を装備したタイプがあって、あれが対地支援攻撃で猛威を振るっていたのを思い出す。
空襲再開です。まだ夜間爆撃は始まってません。




