第二十七話 1942.5-1942.5 パイロットの価値
南郷大尉が訪ねてきます。
昭和十七年五月
元々ABCD包囲網の経済制裁で疲弊していた皇国は対米戦争勃発で更に混迷を深めた。
特に石油は致命的なようで、灯油が燃料になるジェット機の開発は急務となり、先月のテストを見た陸軍は早期の戦力化を要請した。
併せて現在同じく開発中の誘導弾は陸軍の見立てではジェット機との親和性が高いと予測されるため、こちらの方の実用化も急務であるとの要請だ。
他のメーカーにも同じような要請が成されているのだろうが、ジェット機と誘導弾については中島は大きく先んじている筈だ。
恐らく中島が実用化に漕ぎつければ他社でも一斉に生産が始まるのだろう。
平時であれば機密であり権利関係も重視されるが皇国の存亡と天秤に掛けられるものなど存在はしない。
また、元々は海軍の要請で開発中である筈の十三試双発戦闘機をジェット化すると言う話が海軍の耳にも入ったようで、早速とばかりに技官など海軍関係者がやって来た。
そして、陸上戦闘機として使うから早期に仕上げて海軍に納品せよという話だ。
J5N二式陸上戦闘機『天雷』、それがジェット化する十三試双発戦闘機に海軍が与えた機番と愛称だった。
『天雷』というのは、最近軍が士気高揚の為に採用する軍用機に付け出したニックネームの様なものだそうだ。
そして『天雷』に対する海軍の要求仕様は、機首に海軍の九九式二十ミリ機関砲を四門搭載させる事のみであった。
最早緊急を要しており、一日も早い実戦配備を優先させると言う事だろう。
しかし、なぜ日本は海軍が陸軍とは別個に陸上戦闘機を開発するのだろうな。
艦載機ならばわかるのだが…。
十三試双発戦闘機の開発不調で凹み気味であった中村技師は日本初のジェット戦闘機を手掛ける事になり、俄然やる気になった。
私は今月に入って陸軍に依頼されていたジェット戦闘機のモックアップを提出した。
ジェットエンジンを胴体後下部に並べて配置し、吸気口を翼の付け根に設けたテーパー翼の機体だ。
従来のレシプロ機とは見た目が大きく異なり、前輪式で機体がより安定する様に翼の配置を後ろに下げて機体中心部に持ってきた。
戦闘機ではあるが、ロケット弾や爆弾などの搭載も可能な様に翼下に重量強化点を幾つも用意してある。
レシプロ機に比べすっきりとしたデザインに仕上がり、実物大では無いがモックアップによる風洞実験の結果もまずまずだった。
デザインのスケッチは先に提出していたからどの様な外見かは知っていた筈だが、モックアップを手に取った技官はさながら少年の様にいろんな角度から眺めては悦に入っていた。
技官曰く、すぐに試作機開発に進める様に指示が出せるだろうとの事だ。
五月も半ば頃、出撃していた筈の南郷大尉が一人訪ねてきた。
前回訪れた時より随分と窶れて見えた。
今日は非番という事だが、搭乗している空母が本土に居るという事だろうか。
軍機に障るだろうからこちらから聞くことはしないが。
南郷大尉が深刻な顔をして、本来軍機であり自分の立場ではどうする事も出来ない話なのだが、どうしても私に話しておきたいのだそうだ。
私はただのメーカー勤めの航空技師に過ぎないのだがと返答したが、他に話せる相手も居ないので構わないとの事。
では余人に聞かれてもまずいだろうからと、自宅に招いた。
私は家族向けの戸建ての社宅に今は一人で暮らしているし、誰かに聞かれることも無いだろう。
乾物を炙ってこれを肴にし、一升瓶を真ん中に置くと手酌で飲りながら話を聞いた。
南郷大尉の話を聞いている内に、正直私は目の前が暗くなる気分だった。
現在新聞報道の内容は全くの嘘では無いが、国民に厭戦気分が蔓延する事を憂慮した政府の要請により多くは脚色されており実態とはかけ離れているそうだ。
大多数の庶民は軍事などの専門知識などあまりないから気づかないことも多いだろう。
今回の東京空襲でドーリットル中佐が指揮していた百機ものB-25はどこから飛んできたのか、解ってしまえば何のことは無い、小笠原諸島の硫黄島から飛んできたのだ。
つまり、現在小笠原諸島は米軍の占領下にあるという事だ。
政府は日本本土の島々が既に米軍に占領されていると言う余りに深刻な事態に発表する事が憚られ、現在に至るまで伏せられていて軍でもそれを知っているのは小笠原諸島方面を担当する部隊の極一部の人間に限られるらしい。
どの様にして占領したのか迄は南郷大尉も知らないようだが、開戦直後に奇襲攻撃を受け小笠原諸島は簡単に占領されたとの事だ…。
戦雲が立ち込め開戦もやむなしと判断された去年の夏ごろから、小笠原では本格的に防衛の為の陣地設営が始められたそうだ。
その為、設営の為の軍人や軍属は多く居たが、肝心の守備部隊の本格配備は未だされておらず、それ程多くの兵が駐屯している訳では無かったらしい。
占領されてから数日後、定時連絡がない事を訝しんだ海軍が偵察機を飛ばし、やっと占領されていることが発覚した。
小笠原諸島周辺には空母や巡洋艦、駆逐艦など大小の戦闘艦艇の他、輸送艦や揚陸艦などの艦艇も多数停泊し、また硫黄島には大規模な滑走路が既に存在している事を確認した偵察機は、迎撃に上がって来た米軍の戦闘機から辛うじて逃げ帰ったそうな。
そして、その硫黄島から陸軍機であるB-25が飛び立ち東京を空襲したと言う訳だ。
流石に本土まで届いてエスコートして戻れる戦闘機が無かったためか、爆撃機のみの空襲となったのは日本にとっては不幸中の幸いだったのか…。
メンツを潰された海軍は早速奪還部隊を編成し小笠原諸島に派遣したが、その結果は報道とは異なり暗澹たるものだった。
確かに、報道通り米軍艦艇に少なからぬ打撃を与える事は出来た。
だがその代償は大きく、出撃した九九艦爆や九七艦攻の多くは未帰還となった。
まず第一に敵の戦力を見誤っていたのだ。
四百機近い日本の戦爆連合が小笠原諸島上空に近づいたが、敵の迎撃機は既に高空で待機して居り、しかも敵の陸海軍機合わせて二百機位の戦闘機が待ち受けていた。
直ぐに零戦隊が先行して攻撃に移り、陸上攻撃の為に爆装していた一式戦爆も爆弾を投棄してそれに続き大規模な空中戦が始まったが、日本機は上位を取られており、しかも一式戦爆を含めても百機足らずの戦闘機の数では、米軍機を性能的に圧倒するも倍近い敵戦闘機をすべて同時に相手は出来ず、多くの敵戦闘機が高空から攻撃機に殺到した。
それでも敵戦闘機の攻撃を掻い潜り、ベテランパイロットで構成された勇敢な攻撃部隊は予め策定されていたそれぞれの攻撃目標に攻撃を敢行した。
だが、米軍の対空砲火は想像を絶する密度で、特に軽巡と侮っていたアトランタ級が浮かぶ対空陣地と化して猛威を振るい多くの攻撃機が撃墜された。
それでも何とか米艦隊を半壊させ、敵が設営していた飛行場を使用不能にしたがそこまでだった。
日露戦争以降これまで戦った相手といえば中国軍位で初めて列強を相手に戦闘をしたが、搭乗員達は自分たちが今迄如何に楽な相手と戦っていたのかを痛感したらしい。
そして、九九艦爆に搭乗し攻撃隊の一隊を率いていた本郷大尉の友人は何隻も居て非常に厄介なアトランタ級軽巡の対空砲火を黙らせるためにその内の一隻に未帰還覚悟で急降下爆撃を敢行し、そのまま突入して轟沈させたのだった。
訥々と話してきた本郷大尉はここで我慢できなくなったのか男泣きに泣いた。
突入した友人も含め、大尉の顔見知りの多くが戻れなかったそうだ。
空戦では無類の強さを発揮した零戦も対空砲火に弱く、数を多く減らすことなく戻れたのは一式戦爆と同じく新型機の一式陸攻だけだったらしい。
出撃した攻撃隊のうち、戻れたのは半分程。
残りは小笠原の空と海に散華した。
そして、小笠原に駐留していた軍人軍属と七千人近く居たはずの民間人の消息もわからない。
しかし南郷大尉が最も危惧しているのは、攻撃隊の報告を受けた海軍上層部は米軍の想像以上の防空能力に顔を青ざめさせたが、その強力な防空能力を持つアトランタ級軽巡に突入し轟沈させた友人の話を英雄行為として受け取り、どうせ撃ち落されて戻れないなら最初から帰還を考えず突入させたら更に多くの敵艦を撃沈出来るじゃないかと言い出したことだ。
無論、それを言っているのは海軍上層部の中でも一部ではあるらしいのだが…。
南郷大尉はそんな発想が出る事自体に憤っているのだ。
そして今回判明した九七艦攻と九九艦爆の脆弱性。
両機種共余りにも対空砲火に弱すぎる。
零戦も対空砲火に脆いが、対空砲火に突入して攻撃する事が当たり前の攻撃機に防弾装備がほぼ無いなどとは、やはりありえないだろう。
今回の作戦の結果、従来の海軍の思想で開発された攻撃機は脆過ぎて使い物にならない事が判明した為、新たな要求仕様での後継機開発を各メーカーに打診する可能性が高く、中島が開発し現在審査中のB6Nは一端白紙になる可能性もあるそうだ。
担当の松村技師は相当凹むだろうな…。
そして聞き捨てならない事に、併せて敵艦にそのまま突入攻撃する『特別攻撃』の為の機体の開発も打診される可能性があるそうだ。
そんな馬鹿な話、何とか阻止できないものか。
話したい事を私に話した南郷大尉は訪れた時よりすっきりした表情になっていた。
そして最後に、今回の攻撃で一式戦爆は最も帰還率が高く私の部下たちは全員無事に帰還することが出来た。いい戦闘機をありがとう。そう言い残して南郷大尉は帰っていった。
航空技師冥利に尽きるとはこの事だろうな。
しかし、小笠原諸島が米軍に占領されてしかも硫黄島には大型滑走路が設営されていたという話はかなり深刻な話だ。
ここを早く何とかしなければ、再び空襲があるのは間違いない。
南郷大尉が訪ねてきた翌週、海軍の担当技官が海軍の関係者を連れて中島飛行機を訪れた。
技官は、先日南郷大尉が話していた対艦攻撃時の既存攻撃機の脆弱性の問題をまず話し始めた。
勿論というか、先日の小笠原諸島での実際の戦闘の話では無く、あくまで新聞報道を元にした話だ。
大戦果を挙げたが、敵の対空砲火により少なからぬ損害が出た為海軍としても無視する訳にはいかず、早急に防弾に配慮した攻撃機が必要と判断したそうだ。
まあ、大戦果を挙げたのは事実だろう。その代償があまりにも大きかっただけだ。
その為、現在審査中の十四試艦上攻撃機B6Nは不採用とするので、新たな要求仕様に基づき十七試艦攻を急いで開発して欲しいとの事だ。別途愛知航空機に開発依頼しているらしい十六試艦攻も白紙に戻したそうだ…。
まあなんというか、致し方ないとはいえ酷い話だ…。
話を聞いた松村技師はがっくりだ。
だが、皇国存亡の時という事もあり、落ち込んでいる暇はない。
海軍は実戦での一式戦爆の実績と結果が想像以上だったこともあり、私に新型攻撃機の開発を依頼したい様だが、私は私でジェット戦闘機の開発を手掛けているからな。
結局海軍の意向も有り、私が松村技師と作業分担して開発することになった。
デザインと基本設計を私がやって、詳細設計以降は松村技師が担当する事になる。
十七試艦攻の話の後、それまで黙っていた禿げ頭の海軍の上級将校がおまえはジェット機の開発に関わっているそうだが、ジェット機というものは速くしかも安価で大量生産に向くと聞いた。
皇国勝利の為に高速で敵艦突入が可能な、安くて沢山作れる特別攻撃機を出来るだけ早く作れ。
そう命令口調で要求してきた。
軍用機の開発は時には命じられることもあるが、それは書面上の話で面と向かって命令する軍人など居ない。
まして、私は民間人で軍人じゃない。
彼以外の海軍関係者や技官の顔が引き攣るのが見て取れた。
私は南郷大尉の話を聞いて、そんな馬鹿な話があるものかと思っていたが、まさか私の目の前で本当にそんな話が出るとはな。
正直、眩暈がする気分だった。
こんな男が皇国海軍の連合艦隊の首席参謀なのかと。
私は他の海軍関係者もいる事だし、いい機会だと思って持論を話し出した。
軍用機の中で一番高価でしかも替えの効かない唯一の部品がパイロットである。
我々航空技術者は、それがわかっているからこそパイロットの生存性を一番考える。
生存性を無視した軍用機の愛用者にデカいだの重いだのずぶいだのと酷評されても、私はパイロットの生存性を一番に考える。
たとえ機体が損傷してもパイロットが生きて帰れさえすれば機体はいくらでも新しく作れる。
新人パイロットも初陣で死んでしまえばそれまでだが、機体に守られて何度も生きて帰ればそのうちベテランになっていく。
しかし、死んでしまえばそれで終わりだ。
特に、日本の場合欧米に比べると航空機の文化が民間にまで根ざしておらず、だから米国の様に民間人パイロットが何万人もおらず、日本のパイロットの殆どは軍が養成したパイロットであり、パイロットの層が極めて薄いと言わざるをえず、未帰還が増えれば日本のパイロットは直ぐに枯渇する。
だからこそ、生存性にこだわるのだ。
それは海外の航空技術者も同じで、米独ソ英どこの国であってもパイロットの生存性は最も重視される。日本よりはるかにパイロットの層の厚い欧米ですらそうなのだ。
敵も味方も相手の軍用機の撃墜に必死だ。必死に開発した軍用機で必死に戦いそしてやっと敵機を撃墜するのだ。それは敵も同じこと。
そして、生還したパイロットたちはまた新たな戦場に飛び立っていく。
戦争が続くかぎり、その繰り返しが続いていく。
解りやすく言えば、未帰還が少ない軍が最終的には勝つという事だ。
ここまで話すと、私の話をよく聞いて居る技官や、先の作戦で痛いほどそれを理解した海軍関係者が腕を組み何度も頷く。
しかし禿げ頭の男は、何ともくだらない話だと言わんばかりの表情を浮かべているな。
だが、ここからが本番だ。
しかし、敵艦に突入する特攻作戦では飛び立ったが最後、確実に未帰還になる。
まさに、接敵出来なかったなど不測の事態が起きない限り、全員未帰還。
たとえ戦果が出たとしても、攻撃部隊は全滅という事だ。
海軍の関係者に問う、たとえ戦果が出たとしても部隊が全滅するような指揮を執った指揮官は、海軍ではどういう扱いになるのですか。と。
海軍の関係者は首席参謀の顔色を窺いながら、一般論として更迭され予備役編入になります。と答えた。
まあそうだろう、当たり前だ。そんな指揮官は無能以外の何者でもない。
つまり、特攻というのはそういう作戦だ。
皇国の財産ともいえる、しかも恐れ多くも天皇陛下の赤子でもある大事なパイロットの命を確実に殺すような作戦。そんな作戦を立てるような指揮官が栄えある皇国軍に居るとはとても思えない。
そして、そんな作戦はたとえ戦果が出たとしても、利敵行為以外の何物でもなく確実に皇国を敗北に導くことは間違いない。
この作戦の発案者は敵国のスパイである可能性が極めて濃厚だからもしそんな人物が居たならば海軍は即刻調査して拘禁すべきだと進言する。と、締めくくった。
禿げ頭の男は怒りのあまり真っ赤になると、ただで済むと思うなよと言い残して部屋から出ていった。
残された海軍関係者の表情が青ざめていた。
暫くして、関係者の一人が口を開いた。
私は篠崎技師の意見に同意する。しかし、首席参謀は連合艦隊司令長官のお気に入りだから、十分気を付けた方が良いと忠告された。
そこで私は軍機につき、取り扱いは厳重にとくぎを刺したうえで、部外秘の判子が押された書類を海軍関係者に手渡す。
陸軍の判子もつかれたその書類を関係者の一人が開いて読んでいくと、段々と目が見開かれ驚きの表情を浮かべる。
渡した書類は赤外線誘導式ロケット弾の概要が書かれた書類だ。
一通り回し読みし、書類が戻される。
これが実用化すれば特攻などと言う下策は全く必要が無い。というのが皆の感想だった。
更に私は続けて言った。今は他言無用に願いたいが、個人的にはこういうのは陸軍海軍ではなく、国として開発すべきだと思う。
海軍にも陸軍にもそれぞれが持つ技術やノウハウ、協力企業や人材が居るはずだ。
国家存亡の危機に際し、もはやそれぞれが開発するという無駄はやめた方が良い。
皇国あっての海軍であり陸軍なのだから。そう言って私は締め括った。
関係者の中で一番偉い人が、持ち帰って直ぐに上司に提案してみると言ってくれた。
誘導式ロケット弾は航空機からの投下を想定しているが、海軍にはカタパルトがあるからな。恐らくカタパルトからの射出も可能なはずだ。
海軍の関係者が勇んで帰っていった後、社長に今日の事を報告した。
社長は前社長に今日の事を話してみると言っていた。
パイロットの養成には当時の大卒の初年度年収が千五百円の頃、一人一万円かかったそうです。




