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第二十六話 1942.3-1942.4 宣戦布告

宣戦布告です。





昭和十七年三月



月が変わってから、米政府からの返答があったと新聞報道がなされた。


最終的に数万規模の死傷者が出た爆撃に対する釈明も何もなく、米政府からの返答内容は日本に対する要求だった。


新聞報道によれば、米政府は『日本が拘束している米国市民は、自由意思で日本の中国での行為に対し憤りを感じ、義勇兵として中国での戦いに加わっているのであり、軍人として扱われるべきで殺人容疑者として拘束するのは不当であり断固許容できない。

合衆国政府は米国市民を保護する義務があり、直ちに引き渡しに応じなければ断固たる措置を取る』という強い調子で通告してきたのだ。


それと同時に、これまで続いていた関係修復の為の交渉の終了を、これも一方的に通告してきたのだ。


東条首相は直ちに米大使を召喚し事情を聴取しようとしたが、グルー米大使の返答は米政府の通告の内容通りであり、改めて拘留中の米国市民の引き渡しを求めて来た。


これらの新聞報道を受け、世論は米国の無法許すまじと沸騰したが、それと同時に空襲に対し日本が手も足も出ず街を焼かれ大勢の臣民が亡くなったことに対し、皇国軍の不甲斐なさを嘆き、拘束中の米国人を引き渡して関係を修復しなければ皇国は焦土になってしまうのではないかと悲観する者も少なからずいた。


私の記憶ではそろそろ日本と米国は戦争状態になっていた筈。

もしかして、この事件がきっかけに戦争になったのであろうか。



日本政府は米国の通告に対し即答を避け、話し合いの再開を求めた。


しかし、米政府は『交渉は既に終了した。日本が直ちに米国市民を引き渡さない場合、断固とした措置を取る』と更に通告。


新聞論調は、日本は既に中国で戦争を行っておりこの上大国の米国との戦争に突入するのは亡国への道だと慎重論を唱える新聞と、あまりの米国の一方的な通告にたとえ滅びようとも一矢報いねば収まらぬと強い調子で主戦論を唱える新聞の真っ二つに分かれた。


だが市井の庶民の大半は、先日の地獄のような焼夷弾爆撃と敵新型爆撃機に手も足も出なかった皇国軍に不信感を抱いており、もし米国と戦争などになったらこの前の爆撃機がもっと沢山飛来して日本は焼け野原になるのではないかと恐々としていた。



結局、日本政府は今回の爆撃が無ければ厭戦気分が広まることも無く、交渉決裂の暁にはそのまま対米戦争に突入できた筈なのに、こうなっては政治家たちも民意を無視する事は出来ず、結果米国の通告に対し明確な返答が未だに出来ずにいる、と前社長が会社に顔を出したときにこっそり政府の内情を嘆き節と共に話してくれた。


そして遂に米国政府は三月十二日、拘束中の米国人を十五日正午までに引き渡さなければ、日本に対し戦争も辞さないと、最後通告してきた。


結局日本政府は十五日正午までに捕虜の身柄の引き渡しを行い、その上で米国との戦争回避を模索することに為りそうだとの新聞報道が有った。




三月十五日


日本時間正午、日本政府はグルー米大使から、日本政府が拘束中の米国人引き渡しに応じなかった為、米国は日本に対し宣戦を布告する、と通告された。


日本政府は外務省から、米政府の通告であるため引き渡し期日はワシントン現地時間である、と聞いて居たため、ワシントン現地時間正午の一時間前に拘束中の米国人を米国大使館に引き渡す予定にしていたので、米国からの宣戦布告は青天の霹靂だった。





宣戦布告と同時にトラック諸島が米国機動部隊による奇襲攻撃を受け、同地に停泊していた艦隊に甚大な損害が出た。

同時刻、仏印駐留日本軍もフィリピンより飛来した米陸軍航空隊による奇襲攻撃を受けた。


米国は奇襲計画を水面下で進めていたらしく、全てが用意周到で戦争回避に向かっていた日本に対し騙し討ち同然の奇襲攻撃を行ったのだ。


日本政府は米国の騙し討ち同然の奇襲攻撃を非難すると同時に米国に宣戦布告した。


全ての新聞は米国の汚い騙し討ちだと報道し、皇国を守るために戦おうと呼びかけた。


グルー米大使は宣戦布告を通告した後、大使を辞任した。


英国とオランダ政府は日米戦争に対し中立を宣言。

中国に対する支援からも撤退すると表明。


そして、同盟国のドイツとイタリアは太平洋域での戦争に対し中立を宣言。

元々、日独伊の同盟関係は防共協定だったのだから、これは致し方ないだろう。

ドイツは米国との戦争は望んで居なかったはずだ。




トラック諸島は奇襲攻撃により酷い有様らしい。しかし、全ての空母は改装と再編成の為本土に戻ってきており無傷。また主力級の戦艦なども本土に居て無傷だった。


いよいよ出動する南郷大尉らが挨拶に来た時、軍機にふれない程度に海軍の現状を話してくれた。



陸軍は先の空襲の時九七戦がまるで役にたたなかった事を重く見て、実戦部隊での使用を取りやめ即時九六戦や一式戦へ更新する事にしたそうだ。


あわせてB-17に対し、12.7ミリでも撃墜困難である事から要撃任務には九六戦を優先的に割り当てることとし、その為中国戦線から本土へ九六戦で編成された飛行隊を引き上げてきた。


それらの事もあり、日本政府は本土防衛の為に中国戦線を大幅に縮小するが、日本を爆撃可能な国民党軍の軍事拠点の攻略だけは最優先で行う事とした。

これがうまくいけば再び中国から空襲を受けることは無くなるだろう。





三月二十日



この日、再び米軍による帝都空襲があった。


米陸軍のB-25双発爆撃機百機による本格的な帝都空襲で高空より侵入し、焼夷弾をばらまいた。


前回と異なり、今回は警戒態勢にあったため、敵機襲来が知らされると迎撃戦闘機が急発進していった。


空襲その物の阻止は出来なかったが、今回も護衛戦闘機の随伴が無かった事も有り、敵爆撃機の半数の撃墜に成功した。


今回のB-25も双発機ながら頑丈な爆撃機で7.7ミリでは歯が立たず、12.7ミリでも簡単には落ちなかった。

結局、九六戦のモーターカノンが一番効果的との事だ。


しかし、米軍の爆撃機というのは恐ろしく重武装だな。

戦闘機を伴わず自信たっぷりにやってくるだけある。


迎撃に上がった一式戦に少なからぬ未帰還が出たのだ。



今回の空襲でも帝都の幾つかの街が焼かれ、新聞では詳しく報じられなかったが大勢が死傷した。


B-25の航続距離から考えると行動半径に米側の島は無いはずだが、どこから飛来したのだろう。




三月二十一日



新聞報道によれば、皇国海軍は小笠原諸島近海に展開していた米機動部隊に対し航空機による攻撃を敢行。

米海軍機と初の大規模空中戦が発生、敵のグラマンF4Fとの空中戦を優位に進め大戦果を挙げたと載っていた。


零戦や一式戦爆、九七艦攻、九九艦爆の華々しい活躍が記事に乗っていたが、結局海軍は一式戦爆を爆撃機として使っている様だな…。





米軍は二十日の帝都爆撃で半数近くも撃墜されたのに懲りたのか、それ以降は空襲を行わなくなった。


撃墜されたB-25から脱出した搭乗員が捕虜として拘束され、その中には爆撃隊を率いていたドーリットルという中佐が居たらしい。


彼らは戦時捕虜として扱われているそうだが、空襲に係わった捕虜たちを死刑にすべきだと怒れる声が日本のそこかしこから聞こえてきた。





昭和十七年四月



今月、十三試双発戦闘機の機体を利用したジェットエンジンを搭載した双発機が完成し、試験飛行した。


ジェットエンジンだけでの試験飛行は今回が初めてであるが、無事初飛行に成功した。


ここまでそれなりに時間をかけ、何度も試験と改良を行った結果が実った感じだ。


ジェットエンジン試験用百式爆撃機でもあれから何度もテスト飛行を繰り替えし信頼性を高めてきたそうだ。


十三試双発戦闘機は初飛行でいきなり700キロ近い速度を達成し無事に帰って来た。


元々の十三試双発戦闘機からの設計変更では降着装置の変更が一番大きい。

従来は尾輪式であるが、ジェットの場合機体が水平に保てる前輪式の方が色々と利点があるらしく、前輪式に変更になった。


今後、さらにエンジン出力を高め800キロを目指すとの事だ。


米国との戦争も始まり、実戦配備を急がないと工場が焼かれてしまいそうだ。



米国の騙し討ちのまんまとやられました。



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