第二十四話 1941.9-1941.12 戦争前夜
日本は戦時体制に急速に移行し、戦争前夜の様相です。
昭和十六年九月
海軍で空母のカタパルト搭載工事が急ピッチで進められているらしい。
戦雲が低く垂れこめる昨今、大急ぎで準備を進めているのかもしれない。
それだけ一式戦爆の海軍での評価が衝撃的だったという事なのか。
零戦がカタパルトに対応出来ないため、一度は九七艦攻にカタパルト対応の為の改修指示が出たほどであったのに、実質断念していたそうなのだが、ここにきてカタパルト対応の申し子のような一式戦爆が導入されたことで一気に空母へのカタパルト搭載機運が高まったらしい。
最近海軍の関係者がうちに良く来るようになったのだが、そのうちの一人がカタパルト装備の有用性について熱っぽく説明してくれたのだ。
カタパルトがあれば艦載機の発艦速度が圧倒的に早くなる、それによって敵艦発見から攻撃までの時間が短縮でき、さらには反復攻撃の時間も短縮できる。
そして、大きいのが駐機中や発艦中を狙われるのが一番空母にとっては危ないのだが、発艦時間を短縮できることでその危険な時間も短縮されるのだ。
とにかく、海軍にとっては喉から手が出るほど欲しかった機体が一式戦爆だったそうだ。
しかし、あれはあくまで戦闘機であって爆撃機ではないのだ。爆撃機なら安定性、そして多少の対空砲火をものともしない機体防護が無ければだめだ。
海軍の関係者にパイロットの生存性が如何に大事かという事を事あるごとに話しているのだが、少しはわかっているのだろうか。
まるで解ってない酷い将校の物言いを思い出す。
その将校は無事に帰還した戦闘機の殆どは被弾していないという。
つまり、運動性が高ければ敵の弾を食らわないのだから、余計な防弾装備を付けて運動性を落とせば被撃墜率が上がるというのだ。
本当に馬鹿な事を言うものだ。
それは、裏返せば少しでも弾を食らえば帰ってこれないという事だ。
海軍の誇る零戦は確かにいまだ空戦で撃墜されたことが無いそうだが、対空砲火で何機も落とされているらしいじゃないか。
兎も角、海軍は一式戦爆の運用の為に、空母の艦載機運用設備の大幅な改装と更新をしているそうなのだ。
まあ、軍機らしいから詳しくは教えてもらえないが、零戦と一式戦爆は分けて運用するというのは教えてもらえた。
しかし、そんなに大幅な改装や更新をしているなら空母は暫く動けないのではないのか。
今月、九六戦と九八襲のエンジンの更新に伴う設計を行った。
この作業自体は新しいエンジンの形に合わせてカウルを書き直すだけだから、それほどの手間という訳でもなく、比較的短期間で試作品が上がってきて実際に取り付けて試験を行った。
試験の方も、変な振動が出たりなど、そういったトラブルも特になく、陸上試験で問題が無いようなので初飛行となった。
今回からエンジンの性能に合わせ、プロペラが三枚から四枚に変更になった。
初飛行でのテストの結果、九六戦は最高速度が七百キロ越えを達成した。
一方、九八襲はエンジンの強化の結果、最高速度は五百キロ台後半まで達し、更に多くの兵装の搭載が可能になった。
以前の更新の際にも防御面を強化したが、対空砲火をものともせず我が物顔で飛ぶこの襲撃機を陸軍では空飛ぶ戦車と呼んでいて、中国軍からは恐怖の的になっているそうだ。
参考にさせてもらった一度目の人生での祖国が運用していたIL-2そのままの機体になりつつあるな…。
九六戦と九八襲のエンジン更新版の完成とテスト結果を陸軍に報告すると、陸軍も遂に七百キロ越えの戦闘機を手に入れたと担当技官は大喜びしていた。
陸軍では古い機体から内地に戻して更新を進めていくとの事だ。
ちなみに、整備の難しい液冷エンジンだが、以前提案した方法が採用され、今はエンジンを下手に戦地でばらしたりせず後方の整備工場で交換整備が一般化しているそうだ。
取り替えたエンジンは日本本土の中島の工場まで持って帰ってきて分解整備し、また陸軍へ返送する。
この方式によりそれなりの水準の稼働率が維持できているのだ。
昭和十六年十月十七日
妻が出産の為実家に戻った。
戦時色が強まる昨今、そのまま落ち着くまで実家で暮らしてもらう事にした。
何しろ、関東でも会社は内陸部にあるとはいえ、軍用機を製造している工場の近くに社宅があるのだ。
万が一のことがあれば戦火の及ばない保証などまるで無いのだから。
昭和十六年十月
今月、ジェットエンジンの飛行試験が行われた。
と言っても、百式爆撃機に取り付けての試験で試作機に搭載して飛ばしたわけではない。
最初の燃焼試験から九ヶ月、あれから地上で完全に問題が無くなるまで何度も燃焼試験を繰り返し、改良と効率化を進めやっとこの日を迎えたのだ。
例のフランツもレシプロエンジンの方の仕事は一段落という事で、ここ最近はこっちの仕事を手伝っていたらしい。
ジェットエンジンは、百式爆撃機の双発のレシプロエンジンの外側に吊り下げられた。
この百式爆撃機は小山が設計した機体で中島が作っている新鋭爆撃機だ。
そしてこのテスト機体に関してはジェットエンジンテスト用に特別に作られた試験機で、ジェットエンジンを取り付けるための機体強化が施されており、ジェットエンジンの動作状態を見るための機材も搭載されている。
これらの装備全てでこの爆撃機の最大搭載重量ギリギリに近いが、吊り下げているのはジェットエンジンだから当然これ自体が推力を発生させる。
つまり、ちゃんと動けば問題ないという事だな。
いざテストが始まると、まず百式本来のレシプロエンジンが回され爆音が響く。
そして、その次にジェットエンジンが回されると先日の燃焼試験の時聞いた独特の甲高いエンジン音が響き渡り、レシプロエンジンの爆音と混ざり合いまるで過給機がフル稼働している様な音だな。
百式は見た目重そうだが、ジェットエンジンの推力も効いているのか、滑走路を滑るとふわりと飛び立った。
そして、試験の予定高度に達すると、ジェットエンジンの試験が行われた。
地上には試験の結果報告が無線通信で常時送られて来るが、地上で見上げる技師達はそれを聞きながら緊張した表情を浮かべている。
結果的に、少なくとも今回のテストでは特にトラブルは起きなかった。
ジェットエンジンが想定以上に異常燃焼する事も無かったし、タービンが破損する事も無かった。
予定の試験項目を終了すると、再び滑走路に戻って来た。
機体が止まると技師たちが大急ぎで機体に向かい、ジェットエンジンの状態を確認する。
今日のテスト結果は立ち会った陸軍の関係者を十分満足させるものだった。
ジェットエンジンは高度六千で予定通りの回転数に達し、予定通りの推力を発生し安定稼働した。
次はいよいよジェットエンジンだけで飛ぶ飛行機を作る番だ。
例の私が提出したジェット機の試案スケッチは陸軍でも検討したようで、その結果双発ジェット機の開発を依頼された。
しかし、その前にオーソドックスな双発型の機体を作ってそれで十分に試験する必要がある。
通常の双発機のエンジン部分をジェットエンジンに変更したようなオーソドックスな機体が必要だ。
そして丁度、中島には海軍の依頼で開発中の中村技師が担当している十三試双発陸上戦闘機がある。
三月に初飛行が成功したが海軍の評価は芳しくなかったらしく、今も海軍で審査中らしい。それの製作途中の試作機があるらしいので、その機体を流用してジェット機として試験に用いることにした。
しかし、海軍は双発機で単発機並みの巴戦が出来る運動性能を要求したらしいが、なぜ双発で巴戦をしたいのか理解が出来んな。
ジェットエンジンの搭載には色々と変更しなければならないことがあるとかで、飛べるのは来年になるだろうと中村技師が話していたが楽しみだな。
中島の関係者皆がジェットエンジンには期待してるんだ。
私の方も双発ジェット機の設計の方を始めるとするか。
ここしばらく米国とは関係改善のための外交交渉がずっと続いている。
真面目な話、確かに来年には戦争をしていた筈だが、普通に考えたらあの米国との戦争を回避できるならあらゆる方策を惜しむべきではない。
私も米国に行ったときに思ったが、国民の生活水準からして日本とはまるで違うのだ。
勿論、工場にしても建物の規模もそうだが国としての規模そのものが異なるのだ。
米国が先進大工場なら日本はせいぜい町工場程度の規模でしかない。
ところがだ、例の近衛が中国での問題を本格的に拗らせ、欧米諸国との関係を険悪化させておきながら、内閣を投げ出して総辞職した。
前の人生ではソ連はスターリンが一人でずっとやっていたが、日本は次々と首相が代わるな。
近衛の次は陸軍の東条大将が首相となり、対米戦争回避に全力を尽くすそうだ。
月も暮れの頃、実家から無事第二子出産の電報が届いた。
二人目も女の子との事だ。
以前の時は休みを取って直ぐに顔を見に行ったが、今回は無理そうだ…。
昭和十六年十一月
海軍は空母のカタパルト搭載工事を急ピッチで進めながら、合わせて艦載機の再編成を行っている。
それに伴い、既にカタパルトを搭載した加賀に一式戦爆を搭載し色んな試験を行っているそうだ。
随分搭載するのが早いと思ったら、実は数年前からカタパルトの研究は進んでいて、ひ弱な零戦のお陰でカタパルトの搭載が保留にならなければ、既に搭載されていた筈の装備らしい。
それで、搭載も早かったそうなのだが、それにしても随分と早い様に感じるが…。
突貫工事で取り付けてでも急いで使いたい理由があるのかもしれないな…。
対米交渉は依然として継続中。
新聞報道では米国が日本との交渉が進めば石油の禁輸解禁を行う用意もあると表明していると希望的な報道があった。
しかし、前世では来年の夏前には日米は戦闘状態に陥っていた気がするのだが…。
日本側が愚かにも蹴るのか?
今や大きな声では言えないが、中国から軍を引くべきだと思うのだ。
日本が軍を引けば、国民党と共産党との内乱状態になるだろう。
そうなれば困るのは中国に利権がある欧米諸国だ。
これ以上日本が血を流す必要がどこにあるのだろうな。
昭和十六年十二月
ルーズベルト大統領から天皇陛下に対し、『平和を志向し関係改善を目指す』との電報が届いたと新聞報道された。
日本国内は戦争前夜の様相であるが、依然対米交渉は継続中であり、新聞にもハル国務長官の発言などが掲載されているが、米国も関係改善を求めているのであろうか。
日本国内の各国の大使たちも関係改善を訴えていると新聞報道があり、もしかして何かで歴史が変わって戦争が起きないという未来もあるのであろうか…。
結局、昭和十六年最後の月も戦争前夜の様相ながら、戦争が起きる事も無く年を終えた。
真珠湾攻撃は起きていません。
日米交渉は継続中です。




