第十四話 1938.9-1938.12 モーターカノン
ユモエンジンのその後です
昭和十三年九月
ユモ211を搭載する機種が二機種採用されたことで、これまでイスパノを少数生産していた元ユモのスタッフを核に作った水冷エンジン生産部門がフル稼働を始めた。
陸軍では新しい機種のため使い方が確立しておらず当面の調達予定数は少ないものの、中国戦線からの要求の声が強く戦果次第で追加調達するとの事だ。
元ユモの連中と今後のエンジンについて話をした時、より小型で高回転、高出力、更にはモーターカノンの使えるエンジンが欲しいという話をした。
それはある意味ライバル会社のDB603の様な、そんな要求とも言えた。
それに対して、元ユモの連中はユモ211Fはユンカースの製品で、ここで生産しているユモ211Fはユンカースのライセンス品であり、そのままライセンス生産を続けてもいいが、どうせなら新しいエンジンを作りたいと話した。
実はユモ211Fの完成で新たなエンジンの目処はついていて、これを気に早速開発に入りたいとの事だ。
そしてそのエンジンの概算性能を聞いた所、ユモ213に相当するエンジンで有ることがわかった。
ところで、エンジン開発に合わせてモーターカノンの調達も必要であるが、イスパノ・スイザのモーターカノンは不調で、現在の日本にまともに使えるモーターカノンに相応しい機関砲は存在しない。
モーターカノンに相応しい機関砲はやはり二十ミリ程度ではなく、将来を見越しても三十ミリ以上が好ましいだろう。
二十ミリは一度目の人生もそうだったように、将来的には翼に搭載することを見越しているから、将来の爆撃機の要撃任務など考えてもパンチのある火砲でなければならない。
陸軍に相談しても手頃な機関砲は無いとの話で、元ユモの連中に相談した所、母国のラインメタルがMK101という三十ミリ機関砲があるという。
そこで要求仕様を伝えて開発を頼めないかと陸軍に相談した所、既に航空機関銃のライセンスで付き合いがあるという。
早速と、陸軍にMK101をベースにしたモーターカノンの開発を依頼してくれないかと頼んだ。
96式戦闘機にモーターカノンを欲しがって居た陸軍も大口径のモーターカノンの搭載に乗り気で、早速発注してくれることになったのだ。
その結果、完成したモーターカノンを採用するかどうかはともかく、ドイツ空軍にも供給することを承認することを条件に格安の開発費と有利な条件でのライセンス契約を結ぶことが出来たのだ。
開発は既にベースが有るMK101の改良であるので来春程度には終了するとの事だ。
これが搭載可能になれば、98式襲撃機は重戦車すら撃破可能となるだろうし、96式戦闘機は爆撃機をいともたやすく撃墜することが出来るだろう。
中国戦線は拡大の一途をたどり、香港のある広東でも華北の武漢でも日本軍の進軍が続いていた。
そして、七月下旬に満州の張鼓峰で日本とソビエトの軍事衝突が起きたと報じられた。
中国での戦争は今のところ日本が優勢の為か報道が速いが、ソビエトとの紛争は扱いが難しいのか一月以上もたっての報道だった。
実は、前の人生においてこの事件はハーサン湖事件と呼ばれており、張鼓峰が何処か地図を見なければ解らなかった。
ソビエトではソ連軍と国境警備隊の輝かしい勝利として宣伝され、現地で戦った師団長らが勲章を授与されていた。
日本では勝利したとも敗北したとも報じらずただ衝突があったと。中国の華々しい報道の片隅にそれだけが報じられただけだ。
陸軍にどうだったのか聞いた所、あまり詳しくは聞けなかったが、戦線不拡大の為、航空機も装甲車両も投入せず歩兵や火砲だけでソビエトの攻勢を防いだとの事だった。
今月、出産の為に実家に戻っていた身重の妻が出産し第一子が誕生した。
電報がきてすぐさま休みを取り大急ぎで駆けつけたのだ。
産まれたのは娘だったが、母子ともに元気で産まれてくれたことが何より嬉しかった。
まだ暫くは戻ってこないが、これからは家族三人と言うことで、ますます働かないとならないな。
昭和十三年十一月
今月の上旬、ドイツでユダヤ人への本格虐待が始まったと現地の駐在が電報で知らせてきた。
後日新聞でも報じられユダヤ人の家屋やユダヤ教の教会が焼かれ大勢のユダヤ人が尊厳を奪われ傷つき殺されたそうだ。
元ユンカースの一部の連中がお通夜状態だったので聞いてみたら、どうやら彼らはユダヤ人だそうな。
ナチによる嫌がらせはそれより前から続いていたそうだが、日本行きの話をこれ幸いにと日本に来て彼らは被害に遭わずに済んだが、親類や友人で犠牲になった人がいるかも知れないと話していた。
いつか落ち着いたらまたドイツに帰るつもりだったそうだが、これでもうドイツには帰れなくなったと項垂れていたのだ。
我が日本ではこのようなことが起きねばいいが…。
人の命が軽かった前の人生での祖国は外国人で有るというだけでスパイ罪で摘発され公開処刑に処されたいたのを思い出したのだ。
うちで生産した旅客機の販売先である日本航空輸送が国際航空と合併し大日本航空が誕生した。
そういえばまだ旅客機での旅というのは前世も含めてしたことがないな。
昭和十三年十二月
今月、日本軍による重慶爆撃が始まったと報じられた。
戦争を諦めない国民党は内陸である四川の重慶に逃げ込んだが、そこは天然の要害であり、兵站の問題もあり攻略が困難であるらしい。
その為、長駆重爆撃機だけによる爆撃となったそうであるが、そんな遠くでは護衛戦闘機は随行出来ないだろうから恐らく今後損害が増えそうな気がする。
十二月十二日、小山達が開発が進めていたキ43の試作機が完成し、うちの会社の尾島飛行場にて試験飛行を行った。
キ43は九七式戦闘機の多くを踏襲した引き込み脚式の美しい機体として仕上がった。
無事に社内での初飛行は終了し、年明けの陸軍での審査の為の調整に入った。
私が作っているキ44の試作機制作も順調に進み年明け早々には初飛行となるだろう。
しかし、どうにも英米との関係悪化が酷く、米国のレンチェラーとの関係がどうなるかもわからない。
レンチェラーは可能な限り日本での生産は続けたいようだが、流石に国が禁止するとどうなるかはわからない。
一応、日本でも技師や工員が育っておりレンチェラー本社と連絡が途絶えても生産は可能とのことでは有るが…。
とはいえ、現時点でダブルワスプ以外の選択肢は無い…。
一式戦と二式戦、同じ時期に戦場に姿を出しそうです。
ユモはユンカースモルテンバウの略です。




