血のキスマーク
レコードから低く心地よい音楽が流れている。
照明は人に安心感を与えるほどまで落とされ、部屋は洒落た雰囲気に包まれていた。
そんな一室にハミルトンとリリス、マリア、そして、リヒトの四人が監禁されていた。
彼らは砂嵐から逃れ、渓谷の隙間を飛行船で突破した。
しかし、Fresh・golemとの戦闘で受けた損傷に加え、砂嵐の暴風が機体を蝕んでいた。
そのため、飛行船は長く保たなかった。
渓谷の開けた場所まで、何とか飛ばし、飛行船を着陸させることには成功した。
だが、彼らの飛行船はいつの間にか武装した者達によって包囲されており、ハミルトンたちはなすすべなく捕虜の身となってしまった。
「皆さん、チーズは如何かな?」
そこへ、機嫌が良さそうな陽気な男の声が話し掛ける。
「……………ありがたいが、今は、そんな気分ではありませんな」
「それは、残念ですな。これはトゥルム・ペイニルと言いましてね。羊や山羊の皮に詰めて熟成させる、我が国の伝統的なチーズです」
一同を代表して答えたハミルトンに男はチーズを一欠片、口に放り込む。
「うむ、美味い。何を隠そう私はチーズ好きでしてな。こうして自国のチーズを食しながら、呑むワインは正に至極の時」
「我らを拘束したのは、ご自慢のチーズを紹介するためでは無いでしょう、ハリル・パシャ宰相?」
ハミルトンの言葉に、一同を拘束させた男ー、ハリルは口の端を上げて見渡す。
「然り。では、いらん前置きは省いて本題に入りましょう。観戦武官殿、そして、ドイツの将校殿にも一つお頼みしたい事があります」
「頼み?」
「ええ、御二方には死んで頂きたい」
「ほぅ」
ハリルの言葉にマリアが息を呑み、ハミルトンとリヒトは鼻で笑う。
「ハリル宰相様。教会のシスターの目の前で死を要請するなんて、随分と大胆な事を仰っしゃるのね」
リリスは、ハリルを睨みつけて言うと、彼は苦笑して後で懺悔することにしましょうと戯けて受け流す。
「まぁ、何と言いますか。率直に申し上げると邪魔なのですよ。私の計画の途中でイギリスやドイツが介入するのはね」
「ハハハ。それなら我々が死ねば尚更、私たちの本国が介入する切っ掛けになるのではないですか?」
リヒトは笑い声を上げながら、ハリルに疑問を投げる。
しかし、ハリルは慌てる風も無くリヒトに一瞥するとドアの前に立つイェニチェリに合図を送る。
「ご心配は無用ですよ、リヒトホーフェン少尉。実は一部ではありますが貴方のお国とは話しがついておるのです」
ハリルは世間話でもするかのように答えると、ドアが静かに開き、一人の少年が部屋に入って来た。
「ヴェルナーくん!?」
マリアは眼を見開き、部屋に入って来た人物を見る。
「流石に教会の方たちは、ご存知のようですが、改めて紹介しましょう。彼はヴェルナー・フォン・ブラウン。優秀な神学校のホープであり、ドイツ帝国の貴族でもあります」
「……………そう、ドイツだけじゃないわね。教会、カトリックも一枚噛んでいるのね」
リリスは、眉を潜めてヴェルナーを見詰める。
見詰められたヴェルナーは、口元に笑みを浮かべてリリスに丁寧な礼をするとマリアへと歩み寄る。
「マリア。ああ、無事で良かった」
「……………ヴェルナーくん」
「心配してたんだ。君が怪我をするんじゃないかって」
ヴェルナーは、マリアの手を握り、甲にキスを落とす。
「ヴェルナー。その辺にしておきなさい」
「はい、宰相様。でも、本当に無事に君を保護出来て良かったよ、マリア」
「………ヴェルナーくん」
名残惜しそうにマリアの手を離すとヴェルナーは、次にリリスへと向き直った。
「シスター・リリス様。貴女もご無事が確認出来て本当に良かったです」
「貴方に言っても仕方ないことだけど、敢えて言わせてもらうわ」
「なんなりと」
「貴方達、カトリックは何を考えてるの?ここでハミルトン大佐とリヒト少尉を殺せばどうなるか、わかってるの?」
「当然です」
リリスの問いに、ヴェルナーは澄ました顔で答える。
「自国の軍人を殺されたイギリスとドイツは激怒するでしょうね」
「しかし、その矛先が我がオスマン帝国に向かう事はない」
ヴェルナーの言葉を引き継ぐようにハリルは言葉を紡ぐ。
「ハミルトン観戦武官は戦場の混戦で混乱状態になり、たまたま居合わせたドイツ軍将校のリヒトホーフェン少尉と揉み合いになる。そして、二人は不幸にも飛行船から転落してしまう。ドイツとイギリスは揉めるでしょうな。その間に私の計画は完了する」
「そんなシナリオを誰が信じると?」
ハミルトンは、鋭く指摘する。
「僕が証言します。全ての国に公平な教会関係者の証言です。信じますよ」
「信じられんな、ヴェルナー・"フォン"・ブラウンくんと言ったね」
押し黙っていたリヒトが口を挟む。
「名誉ある"フォン"を戴く貴族たる君が、そんな凶事に加担するとは」
「貴族だからこそです。マンフレート・"フォン"・リヒトホーフェン少尉殿」
「戦争になるぞ」
「本国では、それを望んでいます」
「………なるほど。つまり君は、戦争を起こすためにここにいるわけだ」
「リヒトホーフェン少尉。僕は命令を受けてここにいるだけです。結果、戦争が起こるかどうかなんて、上の判断というだけです」
でも貴方も軍人なら、本望ではありませんかとヴェルナーは魅惑的な笑みでリヒトに答える。
「ヴェルナーくん!今すぐ辞めて!」
マリアは堪えきれずにヴェルナーへと声を上げた。
しかし、ヴェルナーは悲しそうな表情を作りマリアに顔を向ける。
「ああ。マリア、ごめんよ。無理なんだ。もう止められない。本当は優しい君を、こんなことに巻き込みたくなかったんだ。でも、大丈夫。君とシスター・リリスは僕が守るから」
ヴェルナーはそう言うと、マリアの髪へと手を伸ばし、一房撫でた。
「ヴェルナー、淑女の髪を断りなく触るのは紳士ではないわよ」
リリスは、二人の間に立ち、ヴェルナーの手を退ける。
「これは、失礼しました」
「さて、他に質問はあるかな?無ければ、後は頼めるかなヴェルナー?」
「はい、宰相閣下」
ハリルは、ヴェルナーに託すと護衛と共に部屋から退出する。
残された四人は、ヴェルナーを鋭く見据える。
「それで?どう処刑するつもりだ?銃殺か?絞殺か?」
「どちらがお好みですか、Sir?」
「ならば、ここで君らを蹴散らして脱出しようか?」
「それは、お止めになられた方が良いでしょう」
ハミルトンの挑発に側で監視していたイェニチェリが僅かに動く。
「伝統的に高貴な身分の方は自死を選択するものです、Sir.」
ヴェルナーは懐から二つの小瓶を取り出して近くのテーブルへと置く。
「服毒せよと?」
「苦しみはありません。綺麗に眠れますよ。信じて下さい」
ヴェルナーはニッコリとハミルトンとリヒトに笑い掛ける。
「さて、女性方は別室に案内しましょう」
ヴェルナーはイェニチェリに合図を送るとリリスとマリアの手を引く。
「……………イアン」
「心配無い。すぐに迎えに行く」
リリスはハミルトンと短く会話をするとイェニチェリと共に部屋から出て行く。
「ヴェルナーくん」
マリアは手を引かれる前にヴェルナーに近付く。
「どうしたの、マリア?」
イェニチェリがマリアを止めようと動く。
ヴェルナーは手を上げてそれを制した。
そして、マリアに微笑み掛ける。
次の瞬間、
パンッとマリアがヴェルナーの頬を叩く。
「今のは、君に怖い思いをさせた罰だと甘んじて受けるよ」
口の端に血を滲ませてヴェルナーは笑う。
マリアは、その血を見て一瞬、後悔するような表情になる。
「君は優しい。そこが君の魅力だよ、マリア」
言うが早いか、ヴェルナーはサッとマリアの頬にキスをする。
驚いて硬直したマリアの頬にヴェルナーの血がキスマークのように残る。
「さぁ、行って。イェニチェリ、彼女たちに乱暴な振る舞いはしないように」
ヴェルナーは、イェニチェリに命令すると今度こそ、彼女の手を引いて部屋から連れ出して行った。
「フッ、良いのをもらったな若造」
「その後の行動はいただけませんでしたがね」
ハミルトンとリヒトに挑発されてもヴェルナーの余裕の態度は崩さない。
「これは、恥ずかしいところをお見せしました。では、そろそろ飲んでもらいましょうか?」
ヴェルナーは、テーブルに置いた小瓶を二人に指し示した。
「ふん、綺麗に眠れるか」
ハミルトンとリヒトは、躊躇わず小瓶を手に取ると蓋を開ける。
「ヴェルナーくん、君の分はないのかな?」
「リヒトホーフェン少尉、ご冗談を」
ヴェルナーは、クスクスと笑う。
部屋には相変わらず、レコードの音が静かに流れる。
そして、二人の勇敢な軍人はグッと一気に飲み干す。
部屋の外で重いモノが倒れる音が聞こえる。
部屋から遠ざかるマリアは、眼から涙があふれ出すのを堪えきず、一筋の涙が頬を伝った。
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