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彼女の隣に立つ者

 パーサーは、一人湖畔の水辺に立っていた。

 ここは、どこなのか?

 なぜ、ここにいるのか?

 何も解らない。

 しかし、不思議と揺れる水面や咲き誇る花々を見ていると、昔読んだ古い本の挿絵を思い出して、懐かしいと思う感情が心の隅で湧き上がる。


『パーサー』


 何となしに湖を眺めていると自分を呼ぶ声が聞こえてパーサーは振り向く。


『久しぶりだね。でも、こうして会話をするのは、初めてかな?』


 目の前には、白いワンピースを着た少女が立っていた。


「Eve?」


 パーサーが少女の名前を呟くと少女、Eveは嬉しそうに頷く。


『うん、そうだよ』


 笑うEveをパーサーは、観察する。

 本当にクラーディにそっくりな見た目をしている。

 違いがあるとすれば、髪の長さや女性らしい体つきくらいなものだ。


『ちょっと、そんなに見詰められると恥ずかしいんだけど?』


 Eveが苦笑するのを見てパーサーは慌てて、ごめんと視線を逸らす。


(顔は、クラーディなのに表情が豊か過ぎて変な感じだな)


 パーサーは、一度深呼吸をするとEveに向き直る。


「ここは、君の夢の中?」

『いいえ、ここは君の夢の中だよ』

「僕の夢の中にEveが入って来たの?」

『うん。そうだよ。驚いた?』


 Eveの返事にパーサーは、凄く驚いたと言って頷く。

 しかし、Eveはまるでイタズラに失敗した子供のように頬を膨らませる。


「どっ、どうしたの?」

『だって口では驚いたと言っても君は全然、そんな風には見えないもの』

「ああ、うん。それは、この湖畔に立っている時に気付いたんだ。ここが夢の中だってね。僕の最後の記憶はコンスタンティノーブルの宮殿の貴賓室のベッドだったしね。それに前、本で読んだことがあるんだ。明晰夢ってヤツ」


 そう言うとパーサーは、地面に手をかざす。

 すると、地面からテーブルと椅子が二脚現れる。


『凄い、パーサー!』

「うん。本で自分の夢はコントロールが出来るってあったけど、実際にしてみると僕もびっくりだよ」


 二人は、お互いに椅子に座り、向かい合う。

 Eveが、何か飲み物は出せるかと問うとパーサーは、テーブルに紅茶を出してみせた。


『ん〜!美味しい!こんなのを飲んだのは初めてだよ!ありがとう、パーサー!』

「気に入ってくれて良かったよ。ところでEve?」

『何?』

「何で、僕の夢に来たの?」


 パーサーの言葉にEveは、カチリとカップをテーブルに置く。


『君に教える為だよ』

「何を?」

『私達の言葉、君達がカバラって呼ぶ言語の話し方を』

「!?」

『君なら、理解出来る。いや、君にしか理解出来ない筈だよ。なぜなら、君が※※※※※だから』


 Eveの答えにパーサーは、持っていたカップを思わず落とす。

 カップは、地面に触れると砂のように砕け散る。

 そして、次の瞬間ーーー


「イテッ!」


 パーサーは、ベッドの端からカーペットの上に落下していた。

 大して痛みはなかったが、変に身体を捻って落ちた為か若干腰に小さな痛みを感じる。


「あ〜、何だよ!まったく!」


 パーサーは、悪態をついて身体を起こしてベッドに戻ろうとする。

 すると、


「……………」


 ベッドの上にクラーディが横たわっており、お互いに眼が合った。

 パーサーは思わず思考停止する。

 クラーディは、そんなパーサーを『どうした?』と言うように不思議そうな感じで見詰めていた。


「お前、golemだろ!なんで、僕のベッドに入ってるんだよ!」


 パーサーは、憤慨してクラーディにベッドから出る様に命令する。

 クラーディは素直に布団から這い出てベッドを譲るとパーサーはまったくと悪態をついて横になる。

 そして、改めて眼を瞑ろうとするとクラーディがゆさゆさとパーサーの身体を揺すりだした。


「何なんだよ!何がしたいんだ!」


 怒鳴りながら、上体を起こすパーサーにクラーディはサッと懐中時計を彼の目の前に突きつける。


「は?時計がどうしたの?」


 まだ訳が分からないといったパーサーにクラーディは再度、時計を近づける。

 時計の針は朝の8時半を指している。

 パーサーは数秒考えて、途端に

 顔の血の気が引く。


「バカ!もっと早く起こせよ!」


 パーサーは、慌てて跳ね起きると急いで支度を始める。

 昨日、マリアと8時にコンスタンティノーブルを散策しようと約束していたのだ。

 慌ただしい支度の中で不意にパーサーは、何か大事な事を忘れたような感覚がした。

 しかし、今はマリアとの大事な、大事な約束があると思い出して、その感覚を頭の隅に追いやる。


「よし!準備出来た!行くぞ、クラーディ!」


 扉を乱暴に開けて宮殿の廊下を走り出すパーサーの後をクラーディは、ヤレヤレと言わんばかりに追い出す。

 廊下を出て、マリアとの待ち合わせしている宮殿のテラスに向かう中、何人かの召使いが怪訝そうな、又は端ないと言った表情でパーサーたちを見送る。

 しかしパーサーには、そんな彼らの視線に構っていられなかった。

 ラビは約束を重んじる。

 それが約束した時間に遅刻するなんて!

 宮殿の来客用の貴賓室が集まるエリアを抜け、約束したテラスが見えて来た。

 テラスにはマリアが椅子に座り、紅茶を口にしているのが見える。


(良かった!まだ、待っていてくれた!)


 パーサーは、速度を落として息を整える。

 そして、マリアに声を掛けようとしたとき、歩を止めた。

 マリアの側にパーサーの知らない少年がいたからだ。


(誰だ?)


 パーサーは、思わず柱の影に隠れて様子を伺う。

 少年は、マリアの神学校の制服と似た服を着ており、輝く様な金髪の中性的な見た目をしており、親しげにマリアに話し掛けていた。

 そんな二人の様子を見た瞬間、パーサーは理由もわからないまま、胸の奥がチクリと疼いた。

 クラーディは、どうしたと言った様子で、そんなパーサーの行動を見詰める。


(マリアの知り合いかな?あっ!アイツ、マリアの髪を触ってる!)


 柱の影でコソコソして動かないパーサーに業を煮やしたのかクラーディは、ドンと自身の主の身体を押しやる。


「うわっ!?何するんだよ!」


 よろけながら思わず、声を出すパーサーにテラスの二人が振り向く。


「パーサーくん!」

「あっ、マ、マリア。……ごめん!遅れて!」


 パーサーは、慌ててマリアに近付いて勢いよく頭を下げる。


「え?全然、大丈夫ですよ?」

「え?」


 怒られる事を想定していたパーサーは、キョトンとして顔を上げてみると、まったく怒って無いマリアが不思議そうに見詰めていた。


「……え?怒ってないの?」

「ええ、だって、約束の時間にクラーディが来てハミルトン大佐の用事で遅れるって伝言の紙を貰いましたから」


 マリアの言葉にチラリとクラーディを見る。

 クラーディは、しれっとした様子でパーサーを見つめ返す。


(それなら、そうと先に伝えろよ!)


 確かに寝坊した自分が悪いと自覚しつつ、マリアに気付かれない様にクラーディを肘で小突く。


「ハミルトン大佐の用事は、もう終わったんですね」

「あ、ああ、もう大丈夫だよ!待たさせしまって、ごめん」

「大丈夫ですよ」


 パーサーの謝罪を笑って受け入れるマリア。


「ところで、そっちの彼は?」

「この人ですか?彼は」

「ヴェルナー・フォン・ブラウンだ。マリアとはヴァチカンの学校と一緒に学んでいる」


 ドイツ語訛りの英語で彼、ヴェルナーはパーサーに右手を差し出した。

 パーサーが、その手を握るとヴェルナーはグッと引き寄せる。


「おっと!」


 パーサーの顔の横にヴェルナーの端正な顔が近付く。


「マリアから聞いていたより、実際はナヨナヨしてて大したこと無さそうだな」

「なに!」


 小声でヴェルナーが囁くとパッと手を離してパーサーと少し距離をおく。


「よろけてしまったけど、大丈夫かい?」

「………」


 ヴェルナーは心配そうな表情を貼り付けてパーサーを気遣う素振りをみせる。


「パッ、ベルメールくん、大丈夫ですか?」


 パーサーの本名を言いかけて、マリアは心配そうに声を掛ける。


「大丈夫だよ。ちょっと立ちくらみしただけだから……」


 パーサーは、そう言うとヴェルナーを睨む。

 ヴェルナーは、そんな彼を小馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべる。


「あっ、こっちにいる彼がクラーディです」 


 マリアは、二人の様子に気付かずにクラーディを紹介する。

 クラーディは、サッと手をヴェルナーに差し出す。

 ヴェルナーは、クラーディを一瞥すると不愉快そうに手を払い除ける。


「マリア。君、知ってるだろ?僕がカトリック派だってさ」


 そう言って彼は胸の前で十字を切る。


「ヴェルナーくん!いつも言ってますが、golemであっても、この世にある者は主に愛されているんですよ」

「魂の無い土人形は、別さ。それにマリア、いつも言ってるけど、golem恐怖症のある君に、そう言われてもね」


 珍しく怒気を含むマリアの言葉にヴェルナーは、苦笑しながら答える。

 マリアが更に言い募ろうとするとトスッとクラーディが彼女の肩に手を乗せる。


「クラーディ?」


 マリアがクラーディに視線を向けると、これ以上言い争わなくて良いと言うように首を横に振る。


「土人形が、彼女に触れるな!」


 突然、ヴェルナーが怒鳴るとテーブルに置いてあったカップをクラーディに投げつけて来た。


「クラーディ!」


 パーサーは、咄嗟に二人の間に入り、飛んでくるカップをはたき落とす。

 カシャンとカップは、音を立てて地面で粉々になる。


「ヴェルナー!」


 ヴェルナーは、不愉快そうにパーサーとクラーディを見下ろす。

 パーサーは、自分の拳が無意識に強張っているのに気付く。

 お互いが険悪な雰囲気に包まれ、空気が張り詰める。


「おお!ここに居たのか、ヴェルナー!」


 そこに歳を取った男の声が響く。

 テラスの全員が声の方に振り向くと昨夜、パーサーたちを出迎えた宰相がイェニチェリの護衛と共に入り口に立っていた。


「ハリル・パシャ宰相」


 ヴェルナーは、直ぐに頭を垂れる。

 パーサーとマリア、クラーディも同じく頭を下げると宰相、ハリルは構わないから、頭を上げなさいと全員に声を掛ける。


「丁度、ヴェルナー、君を探していたんだよ」

「それは、なんと!ハリル宰相のお手をお掛けしました。すみません」


 ヴェルナーは、本当にすまなさそうな恐縮した表情を顔に貼り付けて謝罪をする。


「いやいや、事前に知らせてなかった私の落ち度さ。気にしないでくれ。それより、この後は暇かね?」

「勿論です。宰相の用事ならば、そちらを優先します」


 ヴェルナーは、笑みを貼り付けてハリルに返答する。


「それでは、宰相。この後、お部屋までお伺い致しましょう」


 ヴェルナーは、そう言って頭を再度下げるとマリアに向き直る。


「マリア、すまないね。君とのティータイムを壊してしまって」

「…いいえ、私は大丈夫です。でも」


 パーサーとクラーディに謝罪して下さいと言おうとするが、ヴェルナーは、サッと入り口へと歩いて行ってしまった。

 パーサーは、その姿が消えるまで睨みつけていた。

 クラーディは、中指を突きだしてヴェルナーを見送る。


(クラーディ!なんで、そんな動作を知ってるんだよ!さては、ネッドが教えたな!)


 パーサーは、それに気付いて眉を潜める。


「さてさて、彼は優秀な子なんだがねぇ。ちょっと頭が硬い」


 ハリル宰相は、フーッと息をついて笑うのだった。


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