交わらぬものの都
夜の帳が下りる頃合い、パーサーたちを乗せた飛行船は、港の上空をゆっくりと進み、コンスタンティノーブルの夜景へと滑り込んでいった。
「港を通過した。──このまま真っすぐ宮殿でいいんだな?」
舵を握るネッドが振り返り、ハミルトンに声を掛ける。
「ウム。大使館を通じて連絡は済んでいる。中庭に円形に配置された松明が目印だ。そこへ着陸してくれ」
腕を組んで答えるハミルトンに、ネッドはアイ、サーと短く返し、再び操縦に集中する。
「うわぁ……凄い都市だな!」
「本当ですね。どこまでも建物が続いているみたい!」
パーサーとマリアは窓に張り付くように、眼下に広がる街明かりを見下ろしていた。
「あっ、見てください。あれ、教会ですよね? しかも、すごく大きい……」
「ねえ、あそこも!」
パーサーが身を乗り出し、さらに指を差す。
「多分、ラビの工房だ。あの奥にもある……かなりの規模だな」
艦橋の窓からは、鐘を備えた教会風の建築群と、尖った屋根を戴く工房の塔が、それぞれまとまった区画として広がっているのが見えた。
「珍しいでしょう?」
穏やかな声でリリスが言う。
「この国の統治者──スルタンは、力を得ることに貪欲な人なの。宗教や系譜に関わらず、国の力になる技術なら積極的に受け入れてきた」
「でも、それだと……」
マリアが言葉を選びながら尋ねる。
「混ざり合わないもの同士を集めると、争いが起きませんか?」
その問いに、パーサーがふと気づいたように声を上げた。
「……混ぜてはいるけど、交わらないようにしてるんだ」
「え?」
「よく見て。教会の区画とラビの工房の区画は、はっきり分けられてる。その間に、別の地区を挟んでるみたいだ」
パーサーは窓の外を指し示す。
「たぶん、意図的な緩衝地帯だ。衝突を避けるための」
「なるほど……」
マリアが感心したように息をつく。
「分かれていれば、お互いに干渉しませんものね」
「フフ……その通りよ、パーサー」
リリスは微笑む。
「もっとも、小さな火種が消えるわけじゃないけれどね」
「その話はそこまでだ」
後方からハミルトンの低い声が飛ぶ。
「そろそろ任務に集中してもらおう」
飛行船は街明かりを抜け、帝国の心臓部──宮殿の上空へと差し掛かっていた。
「中庭の松明を確認……」
ネッドが舌打ちする。
「……小さいな」
「いけるか?」
「正直、厳しい」
中庭には楕円形に松明が並べられ、着陸地点を示している。
しかしその範囲は、これまで経験してきた着陸地と比べるとあまりにも狭かった。
大草原や平地ばかりで飛行船を降ろしてきたネッドの額に、汗が一筋流れる。
「……私が代わろうか」
様子を見ていたリヒトが、静かに声を掛けた。
「リヒトのアニキ……」
「無理にとは言わない」
一瞬の沈黙の後、ネッドは息を吐く。
「……頼む」
舵を受け取ったリヒトは、無駄のない動きで操作を始めた。
細かく舵を切り、水素を抜くレバーを調整しながら、飛行船の挙動を完全に掌握していく。
迷いのないその姿に、艦橋の空気が引き締まった。
飛行船は、ゆっくりと──しかし正確に、楕円形の光の中心へと吸い込まれるように降下し、静かに地面へと降り立った。
「ひゅー……すげぇな」
ネッドが思わず声を漏らす。
「リヒトのアニキは、陸軍じゃなくて海軍向きなんじゃないか?」
「はは、そうかい?」
「見事だったな、少尉」
係留ロープが張られ、一行は地上へ降り立つ。
ハミルトンを先頭に、パーサーとクラーディ、リリスたち、そしてリヒトが並ぶ。
やがて、松明の奥から人影の一団が浮かび上がった。
「ようこそ。世界の中心たる都へ」
白く大きなターバンを巻き、豪奢な刺繍を施した長衣を纏う老人が、一行を見据えて口を開く。
「偉大なるスルタンに代わり、歓迎しよう」
「過分なるお言葉、痛み入ります。宰相殿」
ハミルトンが一礼すると、皆もそれに倣った。
その瞬間、パーサーは値踏みされるような視線を感じ、無意識に口を引き結ぶ。
「面を上げよ、友よ。……しかし、帝国建国以来、これほど珍しい来訪は記憶にない」
宰相は微笑みを浮かべたまま、飛行船へと視線を移す。
「噂には聞いていたが、実物を見るとなかなかに壮観だ」
「宮殿へ不躾にも乗り入れた無礼をお許しいただけるとは、恐縮至極」
穏やかな応酬。
しかし、その場の空気には、目に見えぬ緊張が潜んでいた。
「ところで……」
宰相がふと視線を戻す。
「貴国はgolem圏であったはず。この飛行船は明らかに機械技術だが──もしや、機械へと鞍替えを?」
「いえ。我が国の主軸は、あくまでgolemです」
ハミルトンは即座に否定する。
「これは旅の途中での不測の事態により、教会より借り受けたもの」
「教会が?」
「ええ。その件については──」
ハミルトンは振り返り、リリスに目配せした。
彼女は一歩前に出て、優雅に一礼する。
「はじめまして、宰相様。シスター・リリスと申します」
「……おお!」
宰相は目を見開き、大仰なほど深く頭を下げた。
「あなたが、かのシスター・リリスか!」
その反応に、パーサーは思わず目を瞬かせる。
隣のマリアも同様だった。
「その名は、この都にも届いております。スルタンも、ぜひ一度お会いしたいと」
「それは光栄なことですわ」
リリスは微笑を崩さぬまま応じた。
やがて宰相は踵を返す。
「立ち話も何です。中へどうぞ」
一行を囲むように、黒衣の兵士たちが無言で展開した。
その動きは一糸乱れず、あまりに整然としている。
(……golem?)
一瞬そう思ったパーサーだったが、兜の隙間から覗く人の瞳を見て、考えを打ち消す。
そのとき、手に温もりを感じた。
見ると、マリアが青ざめた顔でパーサーの手を握っている。
「どうしたの?」
小声で尋ねると、彼女ははっとして首を振った。
「ご、ごめんなさい……ちょっと、怖くて」
「大丈夫だよ」
パーサーは微笑み、そっと力を込める。
「彼らは人間だし、黒い服なんて、僕やクラーディもよく着てるだろ?」
「……そう、ですね」
安心したように息をつきながらも、マリアは手を離さなかった。
「迷惑、ですよね?」
「そんなことないよ。……むしろ、少し嬉しい」
後半は、彼女に届かぬほど小さな声だった。
「イェニチェリが気になるかね?」
不意に前方から声が掛かる。
宰相が歩を止めて振り返る。
「ああ、すまない。若い者同士の会話に口を挟んでしまったな」
朗らかな笑み。
その目は、すべてを見通しているかのようだった。
「イェニチェリですか?」
「左様、この者達は偉大なるスルタン直属の精鋭であり、帝国の盾。敵を貫く矛なのだ」
宰相は、自慢気に黒衣の兵士を説明を始める。
「この者達は、あらゆる武器や技術に精通しておる」
「あらゆるですか?それはgolemもですか?」
「ハハハ、当然だ。君の国のgolemだけでは無い。我が帝国の最新鋭のgolemにも精通しておるよ」
「えっ!オスマン帝国のgolemですか!それはどんな物なんですか?!」
「ゴホンっ!」
オスマン帝国の最新鋭golemと聞いてパーサーは、思わず声を大きくしてしまったが、ハミルトンの大きな咳払いによって正気に戻る。
「しっ、失礼しました」
パーサーは、慌てて顔を赤くしながら謝罪する。
「何、話を振ったのは我だからな!ハハハ!ハミルトン殿もあまり、部下の少年に怒らんでくれ」
「まったく礼儀がなっておらずにお恥ずかしい限りですが、宰相殿がそうおっしゃるのであれば、仰せのままに」
言葉とは裏腹に、ハミルトンの視線は厳しい。
あれは絶対に後で激烈な雷を落とす事を決めた眼だと悟り、顔を青くする。
そんなパーサーにマリアは、クスッと笑いを漏らす。
「おお、そうであった!聞きたいと思っておったのだが、そなた達はシスターとラビであるのに何故、仲が良さそうなのだ?普通ならば、犬猿の仲だと言うのに」
不意に宰相が、思ってもみない質問を口にする。
「えっと、それは」
「いや、そもそもお主ら二人だけでは無い。イギリス軍人であるハミルトン殿と、そこのドイツ軍人殿は何故、いがみ合わずに一緒に居るのだ?」
宰相は、本当に不思議そうに聞いてくる。
パーサーとマリアは、どう説明すれば良いか困惑しているとリリスが、穏やかな声で介入して来る。
「隣人を愛せよ。私達が幾重もの偶然で出会い行動を共にするのも、主がそう望むからですわ」
「……ウム、まぁ、貴女がそう仰っしゃるならば深くは追求しまい。失礼したな、あー」
「イギリス陸軍士官候補生のベルメールであります!」
パーサーが宰相に偽名で自己紹介する。
「そうか、ベルメール士官候補生」
宰相は満足そうに頷き、再び歩き出した。
一行は疑いもなくその後に続く。
ただ一人ーーいや、一体。
クラーディだけが、宰相の背中を警戒する様に見据えていることに、誰も気づかなかった。
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