雲上の夜、語られぬ事実
太陽が沈み、雲の上には星と月が煌めいていた。
日中に起きた正体不明の現象が嘘のように、夜空にはエンジンの低い唸りだけが静かに響いている。
月明かりの下、雲はゆっくりと流れ、飛行船は安定した航行を続けていた。
リリスは一人、自室で机に向かい日誌を書いていた。
今日起きた出来事、それに対する考察。
そして、この先の旅路で起こり得る事態と、その対処。
ペン先は迷いなく紙の上を走っている。
「……入って来なさい」
ペンを止めることなく、リリスは言った。
扉の向こうで、微かに息を呑む気配がする。
控えめなノックの後、気まずそうな表情を浮かべたマリアが部屋に入ってきた。
「……先生」
「もうすぐ書き終わるわ。座って待っていなさい」
柔らかな声で促す。
だがマリアは椅子に座らず、その場に立ったままリリスを見つめ続けた。
「……お待たせ」
「いえ」
ペンを置き、リリスはようやく振り返る。
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
「とりあえず、座ったら?」
苦笑を浮かべ、再度椅子を勧める。
マリアは小さく「はい」と答え、今度は素直に腰を下ろした。
「だいたい予想はつくけど……要件を聞こうかしら?」
「……先生は」
マリアは言葉を切り、鞄から一枚の設計図を取り出した。
それを、そっとリリスの前に差し出す。
「これが、何かわかりますか?」
「……随分、久しぶりに見るわね」
「やっぱり、ご存知なんですね?」
「ええ。前に『ある人』から頼まれて、作ったことがあるわ」
「その『ある人』とは――」
『主』でしょうか。
そう口にしかけたマリアは、言葉を飲み込んだ。
リリスの表情に浮かぶ、曖昧な微笑。
これ以上踏み込んでも、はぐらかされて真実はすり抜けていく。
そう直感したからだ。
「……この機械は、どんな物なんですか?」
問いの矛先を変える。
リリスは少し考える仕草をして、率直に答えた。
「分からないわ」
「……作ったのに、ですか?」
「ええ。当時は言われるままに形にしただけ。
どんな機能を持つのか、起動すれば何が起こるのか……皆目見当がつかない」
「では、起動してみたんですか?」
リリスは遠い記憶を探るように、目を閉じた。
「しなかったわ」
「……しなかった?」
「歯車一つ動かなかったの。起動時の影響を警戒して、海の上で試したのだけど……杞憂だった」
その後、運悪く嵐に遭って、遭難しかけたんだけどね。
そう付け加えて、リリスは小さく笑う。
「一週間、海の上でサバイバルよ。機械は嵐で海に落とすし、本当に散々だったわ」
ひとしきり笑った後、リリスはマリアを見る。
「それだけかしら?」
「……今のお話は、何年前のことですか?」
「忘れたわ。嫌な出来事は、すぐ忘れるようにしてるの」
何でもないことのように言う。
「島の教会に、風景画が飾られていました」
「あら、そうなの?」
「半世紀に一度、教会へ寄進されているそうです」
唐突な話題に、リリスは小首を傾げる。
「絵にはそれぞれ、この設計図のヒントが隠されていました。
それなのに……なぜ先生は、機械を作れたんですか?」
「さっきも言った通りよ。私は『ある人』に言われたから作っただけ。
でも――」
リリスは静かに続ける。
「もし、その人が貴女の考えている通りの存在なら。
時や場所を越えて、私に作り方を示したとしても……不思議ではないでしょう?」
あくまで、しらを切る。
マリアは椅子から立ち上がり、一度深く息を吸った。
「それじゃ……!」
声が震える。
「なぜ、教会の一番最初の絵に、貴女が描かれているんですか!」
「……その絵の女性が、私だと?」
「名前はシスター・リリートゥ。島の発展に尽力し、ある機械の実験のために船出して……嵐に遭い、遭難して亡くなったとされる女性です」
まるで、今さっき聞いた話そのものだ。
マリアはリリスを見据える。
「先生は……リリス先生はいったい、何者なんですか?」
両手を強く握り締めて。
しばしの沈黙の後、リリスは答えた。
「……私は私よ、マリア」
その顔から、いつもの微笑は消えている。
「本当は、この旅は私一人で十分だった。
でもヴァチカンの神学校で、貴女を見つけた。
理由は分からないけれど……気づいたら、声をかけて連れ出していた」
マリアは黙って聞いている。
「貴女を巻き込んだ事もだけど、後悔はしていないわ。
貴女はよく考え、行動し、私に疑問を投げかけた。
……『あの人』の言葉まで、受け取っている」
それは、自慢の生徒を誇らしげに語るような声音だった。
「この旅に貴女を連れてきたのは、間違いじゃなかった。
でも――私のことは、今は話せない。
そして、これから先も話さないかもしれない」
リリスは立ち上がり、マリアに近づく。
そして、そっとマリアを抱き締めた。
「マリア。これだけは、覚えておいて——」
一拍。
「私は、味方よ」
夜空を、飛行船が進む。
まだ見ぬ、遥か遠くのオスマン帝国へ——。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます!これでアンティキティラ島編が終わりました!
パーサーとマリアを交互に話を書くのは大変でしたが、何とかなって安堵してます!笑
次回からはオスマン帝国編へとなります!
今後とも、よろしくお願いします!
あと、もし気に入ってもらえれば感想や評価などをもらえると嬉しいです!




