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沈黙の会話

 リリスは懐中時計を取り出し、時刻を確認した。

 針は六時を過ぎ、長針が七の数字に触れようとしている。


「――あまり根を詰めても無駄ね。ここで休憩にしましょう」


 有無を言わせぬ口調だった。


「リリス先生! もう少しだけ……あと一節でも良いので、この資料を読んでもらえませんか?」


 パーサーが懇願するように声を上げたが、リリスは静かに首を横に振り、手にしていた古びた資料を机に置いた。

 パーサーは修復作業の初回の失敗から、粘土やカバラ文字の書き換えを何度も試みていたが、いずれも成果は上がらなかった。

 そこで彼は工房に散乱していた古文書や記録を調べ始めたのだ。

 当初、それらはすべて古代言語で書かれており、解読は困難を極めた。

 だが、リリスが古代語を読めると知ってからは、彼女が翻訳してパーサーに読み聞かせる形で作業を続けていた。


「駄目よ。さっきも言ったように、根を詰めすぎても効率が落ちるわ。

 これ以上は非生産的よ。一時間、いいえ、三十分だけでも休みなさい」


 リリスの言葉に、パーサーはうなだれたまま小さく「わかりました」と答えた。

 彼は工房の奥、溶液の満たされた浴槽へと歩み寄る。

 そこには、ゴーレムの肥大化を防ぐ液に沈むクラーディの姿があった。

 パーサーは浴槽の縁に腰を下ろし、休むどころか、また小声で呟き始めた。

 失敗の要因、修正の余地、そしてリリスが翻訳した資料の中から拾い上げた知識を、頭の中で組み合わせていく。

 そんな彼を見て、リリスは静かにため息をつく。

 そして、クラーディの姿を見つめ直した。


(――どんなに姿や形が変わっても、やっぱりあなたなのね)


 その瞳には、懐かしさと後悔、そして深い罪悪感が入り混じっていた。

 だが、薄暗い工房の中で、その感情に気づく者はいない。

 ふと何かを思い立ったように、リリスは踵を返し、工房の奥へと足を向けた。


Doktorin(博士)リリス。どちらへ行かれるんです?」


 見張りをしていたハンスが声をかける。


「少し、気晴らしに足を動かすだけよ。――何なら、あなたも来る?」

「いいえ、自分は休ませてもらいます。相棒と巡回して危険は確認済みですが、あまり遠くまでは行かないでください」

「ええ、そうするわ」


 軽くウィンクを返すと、リリスは工房を後にした。

 リリスが向かった先にあったのは、かつて工房の主が使っていであろう寝室だった。

 埃をかぶり、半ば崩れ落ちたベッドがぽつんと残るだけの荒廃した部屋。

 リリスは迷うことなく壁際へと歩み寄り、手を伸ばして汚れを払った。

 すると、そこには薄く刻まれたカバラ文字が現れた。

 リリスは周囲を見回し、誰もいないことを確かめると、壁に顔を寄せて小さく呟く。


「※※※※※※※」


 それは、いかなる言語にも当てはまらない響き――

 最古にして最初の言葉の発音だった。

 リリスの声に呼応するように、壁が無音のまま横へとスライドする。

 そこには、隠された部屋への入口が開かれていた。


 彼女は何のためらいもなく、その中へと足を踏み入れる。

 内部の壁一面には、びっしりと複雑なカバラ文字が刻まれていた。

 そして中央には、一脚の椅子に腰掛けたまま干からびたミイラが鎮座していた。


「やっぱり……こんなところにいたのね」


 リリスは臆することなく、そのミイラに近づいた。


「お久しぶりね、レーヴ」


 彼女はベールを外し、長い赤毛を指でかき上げる。


「黙っていないで、何か言ったら? まだ“居る”ことはわかるのよ」


 眉間に皺を寄せながら言葉を投げると、どこからか一陣の風が頬を撫でた。


「…ええ、そうね。私は生きているわ。――なぜって?あなたなら、私の事なんて生きている内にもう推測していたでしょう?……そうよ、そういうことよ」


 まるで誰かと会話しているかのように、リリスは一人で語る。


「どうせ、ここに来てからずっと見ていたんでしょう? なら、わかるはずよ。どうすればクラーディを直せるの?……あなたも理解しているでしょう? あの子が“ただの”golemではないことを」


 沈黙。


「そう、あの子には――彼女の遺骨が使われているのよ」


 その言葉を吐くと、リリスは視線を虚空へと逸らし、低く呟いた。


「あなたの血を継ぐ者が見つけたの。確か、ウィルソン。可哀想に、彼は代々、あなたの過ちを正そうと血眼になって方法を探していたわ。……でも今は、何の関係もない少年が、そうとも知らずに“彼女”を運んでいるの」


 沈痛な口調のまま、リリスは問いを投げる。


「それで――あなたはどうするの?このまま後悔に沈んだまま、ここで自分だった物を見ながら引き篭もる?

 それとも、過ちを正すために手を貸す?」


 短い沈黙の後、部屋の奥で「カタリ」と何かが落ちる音がした。


「……そう、それが正しい判断だと思うわ」


 リリスはベールを被るとゆっくりと微笑み、背を向けた。


「ああ、それから、ついでに言わせてもらうけど――

 もう、楽になってもいいのよ。あとは今の時代の人達に任せて、“上”へ行きなさい」


 それだけ告げると扉が静かに閉まる。

 残された部屋には、変わらず沈黙したままのミイラだけが残っていた。



 リリスが寝室に戻ると、中央の机の上に一冊の本が無造作に置かれていた。

 彼女はすぐにそれを手に取り、数ページをめくっては軽く頷く。

 そして静かに本を抱え、再び工房へと戻った。

 浴槽の傍らでは、パーサーがもたれかかるようにして眠っていた。

 リリスはその姿を見て、ふっと微笑む。

 起こさぬよう足音を殺し、工房の隅に置かれた大きな布を手に取ると、そっと彼の肩に掛けた。

 そのまま傍らの椅子に腰を下ろし、リリスもゆっくりと目を閉じる。

 やがて、時計の針が回る微かな音だけが、工房の静寂の中に響いていた。


ここまで読んで頂き、ありがとうございます。良かっら、感想や評価をお願いします。

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