再構成
クラーディを沈めた溶液の浴槽にパーサーは三度目となる溶液の交換を行っていた。
一度目は白く濁っていた液体も、三度目になると透明度を取り戻し、クラーディの素体の姿がはっきりと確認できるようになっていた。
パーサーは光の下で、溶液越しに蝋の下に隠されていたカバラ文字をじっと観察する。
通常のゴーレムであれば、各部位ごとにびっしりと複雑なOrderが刻まれているものだ。
しかし、クラーディの命令文は――まるで螺旋を描くように、簡潔な文がわずかに掘り込まれているだけだった。
「何と書いてるかはわからんな……。これで動いてるってのか? どうなってんだ、golemってやつは」
背後から、ヨハンが感嘆混じりに声を上げた。
彼にとって動力なしで“文字で動く人形”など、機械文明の常識からすれば異端以外の何物でもなかった。
「このカバラ文字自体に、力があるんです」
パーサーは、クラーディの腕の文様を指で指して答える。
「僕らラビの教えでは、カバラは“世界にまだ名前がなかった時代”に初めて生まれた言語。石、土、風、人――あらゆるものに“名”を与え、形を定義した最初の言葉なんです」
「名前の力ってやつか……」
ヨハンは眉を上げた。
「はい。その“名前”を物に刻むことで、言葉の力――いえ、“原初の秩序”が働く。たとえば、この腕も『これは腕である。その役割は――』と定義することで、
本来なら動かない筈の粘土が“腕”として再定義されるんです」
「なるほどな。つまり、腕って彫れば勝手に腕になるってことだな」
「……まぁ、少し違うけど、だいたいそんな感じですね」
パーサーは説明を続けたかったが、ヨハンの苦笑に肩をすくめた。
「だがよ、そんな力のある文字なら、実際に口で言ったらどうなるんだ?」
「残念ながら、もう発音は失われています。読むことは出来ても、正しく“語る”ことは、誰にもできないんです」
「そうなのか?」
パーサーは小さく頷いた。
「ほんの一部の簡単な単語や動作の文しか、僕たちにもわからない。もし完全に理解し、正しく発音できたなら――」
彼は一瞬、遠くを見るように目を細めた。
「――海を割り、風を止め、水の上を歩くことだって、出来るかもしれませんね」
「ハハハ、そりゃ神様じゃねぇか!」
ヨハンは笑い、パーサーも釣られて微笑んだ。
その時、浴槽の中の水がふと静まり、濁りが完全に消えていることにパーサーは気づいた。
「……いよいよだな」
呟き、パーサーはヨハンに目をやる。
「ヨハンさん、クラーディを浴槽から出してもらえますか?」
「おう、任せとけ。――おい、エーリッヒ! 寝てんじゃねぇ、手伝え!」
クラーディは二人によって慎重に持ち上げられ、寝台の上へと横たえられた。
パーサーは用意していた粘土を手に取り、損傷した箇所へと塗り込んでいく。
余分な粘土を削り、指先で形を整えながら、元の姿へと戻していった。
蝋のように滑らかな肌の上に、淡い土の色がまだらに広がる。
次に、損傷を免れた部分の命令文を紙へ写し取り、
それを修復箇所へ貼り付け、筆で慎重になぞる。
そして、古びた辞書を開き、いくつかの単語を微調整するように書き換えた。
「……ふぅ」
一息つき、パーサーは彫刻刀を手に取った。
刃がわずかでもずれれば、文字は意味を失う。
呼吸を止めるようにして、粘土の上に刃を走らせていった。
どれほどの時が流れたのか。
やがてパーサーは、クラーディの右脚の修復を終えた。
「どう? 進み具合は?」
壁際に寄り掛かっていたリリスが声を掛ける。
「右足は直りました。命令文も問題なさそうです。……ただ」
パーサーはクラーディの脚部を見つめた。
「球体関節だけは、僕には再現できません。今は通常の関節構造に置き換えるしか」
「いいのよ、パーサー」
リリスは静かに言った。
「完璧を目指すより、今できる最善を尽くしなさい。それで十分よ」
「……ありがとうございます」
パーサーは小さく頷き、再び彫刻刀を取った。
作業は続き、夜が静かに深まっていく。
クラーディの全身の修復が終わったのは、それから四時間後のことだった。
寝かされたクラーディの白い素体には、粘土の修復跡がまだらに残る。
白い肌に混じる土の色が、まるで火傷の痕のようだった。
両足と右肩の関節からは球体が取り除かれ、代わりに粘土で形成した分厚い関節がはめ込まれている。
一見すれば、元の姿を取り戻したように見えた。
「……これで、大丈夫なはずだ」
パーサーは深く息を吸い、唱えた。
――シエム・ハ・メフォラシュ。
一瞬、クラーディの身体全体を刻むカバラ文字が青白く光を放った。
しかし、その輝きはすぐに消え、修復箇所の粘土が灰色に乾き始める。
パラパラと音を立てて崩れ落ち、粉となって床に散った。
「……そんな!? なんでだよ!?」
パーサーの叫びが、静まり返った工房に木霊した。




