焔の「妖纏」
なろう初投稿です。
僕は父さまを知らない。エベレストで遭難した、あんな男家の者ではない、とおばあさまが言った。何の疑問もなく、三十代続く五十六城家の跡継ぎとして、何不自由なく育てられた。新月という幼名で育てられた僕は、十五になると夢を親族に説き、新名を決め家長となる。父さまはそれに反したから、あんな風に言われるのだろう。
明日がその改名式の日だ。
学業、運動、人格、すべてにおいても最良を努め、五十六城千年に一度の天才とも言える僕ならば、何を言っても、快く受け入れてくれるだろうと母さまは言った。
ただ、まだ僕は、自分が何をするべきなのか、そして自身の名を考えていなかった。文献を漁ろうと思い、書庫へと向かった。新しい本や、古い本、巻物なんかもあった。しかし、夢も、名前の鍵も見つからず、ただ、時間のみが過ぎていった。
何か、心の動くようなものを求めていた。その時であった。本棚がずれて、扉が出てきた。意を決して扉を開けそこに入ると、ただ、ぽつんと、桐の箱があった。恐る恐る開けると、きれいな巻物があった。紐をほどき、中を見ると、達筆な字がずらと並んでいた。これは代々書き足されて来たものなのだと、僕はなんとなく確信した。
人ノ内ニ陽有ラバ、陰モマタ有リ
この言葉から始まったこの書は、僕の、これからのすべてを決めた。この世界には、「陰ノ戸」と言われる、別世界とつながる道があり、そこから表れる人を食らう怪「モノノケ」を討つ一族、「妖纏」のひとつが、この五十六城の家であること、「モノノケ」との戦いで死んだ二十四代目のことを受け、二十五代目が、命をかけて「陰ノ戸」をふさいだこと、そして三十代目、要するに父さまの時代で、また開いた「陰ノ戸」を命をかけてふさいだことを知った。
父さまは「妖纏」としての責務を全うしたことになる。なんとなく誇らしくなった。しかし、なぜ僕にこの書のことを隠していたのだろう。さらに広げると、さらに続きがあった。
この一文は、自分の目を疑うものであった。
「陰ノ戸」を塞ぐ、「岩戸塞ノ儀」は、重ねれば重ねるほどに弱くなるらしく、父さまが行ったときの効力は、せいぜい二十年もつかわからないらしいのだ。
母さまたちは、僕を戦わせないように、この書のことを隠したというなら合点がいく。しかし、父さまの命が、たった二十年食い止めておしまい…なんて酷な話なのだろうと思った。
消沈しながらも広げると、最後の部分に、父さまの字でこう書かれていた。
新月という名は、すなわち「妖纏」として戦い、この家の明るく輝く満月として名を挙げるより、この家の定めに抗って、夜に見えない新月のように自由に生きてほしいという想いからつけたのであった。
この家のみんなが、父さまのこの願いを無下にしないようにしていたのであった。
僕はこの家族の愛に、しばらく涙を流した。そして決意した。僕の真名と未来を。
そして迎えた改名式。
親戚一同が、僕を称え、式は滞りなく進み、僕の決意表明のときとなった。
皆が僕に期待の目を向けた。僕はこれから、その期待を思い切り裏切ることを言うのだ。父さまの遺志を裏切ることを言うのだ。しかし、僕の意思が固いことを、皆に証明しなければならない。
「僕は、この家の家督を継ぎ、「妖纏」になりたい!」
この言葉を聞いて、皆ぎょっとしていた。それでも…
「この書を、読ませてもらった。皆の想いや望みはよくわかっている。新月という幼名の意味も、父さまの想いも十分承知のうえだ。しかし!僕は、父さまの命を無下には出来ない。悔しいのだ。父さまが命をかけて塞いだ「陰ノ戸」が、もうすぐ開いてしまうかもしれないのだ。そうして、また人々が傷付くのを、指をくわえて見ているしかないなんて…これでは、今まで戦ってきた先代たちに、向ける顔がありません!」
おじいさまが口を挟んだ。
「じゃが、お主は、自由な未来を選んでよいのだ。この家の家督なぞ、さっさと畳んでしまえばいいものだ」
「なら、僕は、その自由を戦うために費やそう。「妖纏」の家督を畳むのは、「モノノケ」の驚異が、完全に去ってからです。先代たちが、そして父さまが、命をかけたように、私も人々のために、戦えない者たちのために、いずれ生まれてくる、私たちの家族の自由のために、戦いたいのです!」
「自分のためではなく、人のため、未来のため、大次郎や、あんたの息子は、あんたの思った以上に立派になられた。新月よ、お主が本当に望むことならば、わしらもついていくのみじゃ」
おばあさまの言葉だった。
「ゆうてみよ、そなたの新名!」
「僕は、いや、私は、五十六城家三十一代目当主、五十六城、天月!」
ー ー ー
それから数年間、私は修行を重ね、二十となったその日のこと。
「天月様、どの「妖」を遣いましょうか」
五枚ほどの妖の札が私の前に出された。
「いや、私が使うのは、この札にする」
実は、あの書が入っていた桐箱には、書の他に、あるものが入っていた。「妖 輪入道」。父さまが使っていた札だと書にあった。皆の、特に父さまの意思を裏切ったのだ。責めて、父さまの遺したこの札を使おうと心に決めていた。
「では、このわしが、慣らしの相手を致しましょう」
おじいさまが出てきた。二十九代目のその力。初陣で勝てるとは思っていない。胸を借りるつもりで戦おう。
二人とも庭に出て、おじいさまから先に妖を纏う。
「五十六城二十九代目当主において命ずる。「鬼」よ、我が身に纏いて敵を砕かん」
おじいさまが、頭に角を二本生生やした筋骨隆々の大男に変化する。手には百貫の金棒を持っている。
「五十六城三十一代目当主において命ずる。「輪入道」よ、我が腕に纏いて敵を焼き切らん」
右の腕に、鎖が巻きつき、その先に焔の燃える車輪が、籠手のように身に付いた。
「天月よ、手加減はできんぞ!」
鬼の金棒が振り下ろされるのを、横にかわし、火の輪を飛ばして、鎖を足に巻きつけ、引っ張ると、あの巨体が音を立てて転んだ。
父さまは、私が戦うのも見据えて、この札を遺したのかもしれない。ぜひとも会ってみたかった。
手元に戻ってきた車輪を、回し、焔の渦を立て、それを腕に纏う。立ち上がったおじいさまの懐に焔の拳を叩き込む。
「獄焔拳!」
熱と力を込めた一撃は、おじいさまの巨体を吹き飛ばし、鬼の力を引き剥がした。
平成の世に、新たな「妖纏」の誕生の瞬間であった。