第9話 794729【解答編】
解答編になります。
『Q.539627+255102を解け。』
「これ……足し算だよな?」
古野が恐る恐るといった様子で出町に尋ねる。
「ああ……どうみてもただの足し算だな」
出町も慎重に答える。それから竹内を見て、
「おいおい。これのどこが難問なんだよ」
と、疑問をぶつける。数学バカの沖津先生が出した問題で、なおかつ数学の天才ともてはやされてきた竹内が頭を抱えたというから、てっきり高校レベルをはるかに超越した問題なのかと思いきや、その正体はせいぜい算数レベルの問題。出町にとっては拍子抜けと言わざるを得なかった。
「確かに。この問題自体はただの足し算だ。だけど忘れたのかい、出町くん。答えはここにある5つの正多面体の箱のうちの一つなんだぜ。ちなみにその足し算の答えは794729だけど、どう考えても正多面体とは無関係だろ。だから困ってるんだよ」
分かってないな、とでも言いたげに竹内は出町を睨んだ。それを見て沖津先生がくすくすと笑う。
「じっくり考えるといいわ。でも忘れないでね? 締め切りは今日中なのよ」
***
冬の陽は落ちるのが早い。野球部の練習の形式ばった音が途切れ途切れになる頃、窓から射す光は急速に色を失い始めた。それでも出町、古野、そして竹内は、まだ問題用紙と奇妙な5つの正多面体の前で悪戦苦闘していた。
「もしかして、足し算じゃないとか……?」
「向きを変えれば×の記号にはなるけど……これだと数字が傾いてて数式にならないだろ?」
「そうか……あ、そもそも数式じゃなくて数字そのものに意味があるのかもしれないぜ!」
「数字そのものの意味って?」
「それは……そうだな……」
沈黙。
そもそも、話をしているのはほとんど古野と竹内だけで、出町はというと、ソファーに寝そべってみたり、正多面体の箱をいじってみたりするだけで話し合いには参加していなかった。一方の沖津先生は職員室とこの書庫を行き来して、彼らの苦悩を見ると、心底嬉しそうにしていた。
「それにこのへんてこな絵も気になるよなあ」
正多面体に描かれた絵と文字。
「この絵からアプローチしていくべきか、それともやっぱり数式から導きだすべきか……」
竹内もさすがに疲労を隠せずにいた。問題を解き始めた頃は湯水のように溢れていたひらめきが、今では完全に枯渇し、古野の意見をただ否定するぐらいしかできていなかった。
「だめだー!もう無理だよ、出町。助けてくれ」
古野がさじを投げる。しかし、肝心の出町はソファーに寝そべって目を半開きにしたまま、頑として動こうとはしなかった。
「俺……こういうパズルみたいなのはあんまり得意じゃないんだよねえ」
「嘘つけ。名探偵ともあろう者が」
「とにかく嫌だよ。それにしても退屈だなあ。枕がないから寝ることもできないし」
「枕って……ああ、科学雑誌のことか」
「ああ。あの数学バカめ。俺のお気に入りの枕を片付けやがって……」
確かに見たところ、書庫のどこにもその雑誌らしきものは見つからない。
「お前なら枕無しでも寝れそうなもんだけどな……でも今なら沖津先生はいないぜ。チャンスだぞ、出町」
「おお、そうか! よし古野よ、図書室から科学雑誌を10冊ほど持ってきてくれたまえ」
「はあ!? なんで俺が!?」
「俺はもう動けないんだ。頼むよ! 持ってきてくれたら、一緒に問題解いてやるからさ」
***
陽は完全に落ちた。もはや部活の音は何も聞こえず、冬であるからして虫の音さえしない。そんな中、珍しく書庫の電気はまだついていた。
「おーい、出町。持ってきてやったぞ、ほら」
「お、サンキュー!」
科学雑誌の束を受け取り、出町は上機嫌だった。
「よし、じゃあ約束通り、一緒に考えてやろう」
ソファーから立ち上がり、科学雑誌をパラパラとめくりながら問題用紙と正多面体の置かれたテーブルにやってくる出町。ふとその動きが止まった。
その目は雑誌の一ページを見つめて離れない。
「お、おい。どうした、出町」
「そうか、そういうことか……竹内、もう一度その箱を見せてくれ」
竹内が、われるがままに5つの箱を手渡すと、それらをひったくるように受け取り、しげしげと眺め始める。どうやら描かれた絵と文字をチェックしているようだ。それからニヤリと笑う。
「解けたよ、古野。あの数学バカを職員室から引きずり出してこい。自信満々の鼻っ柱をへし折ってやるぜ」
***
入ってきた沖津先生の顔からは、既に余裕は消えていた。と言ってもまだ焦りや不安は無いらしい。腕を組み、出町を静かに見据えている。
「沖津先生に来ていただいたのは他でもありません。ようやく宿題が終わったのでそのご報告です」
「あら、じゃああの数式が解けたのね?」
「ええ」
出町はヒラヒラと問題用紙を振ってみせる。
「539627+255102を解け……。この式自体には意味が無いんです。重要なのは答えの794729のほうなんでしょう? つまり、答えが794729になるならどんな式でも良かったんです」
沖津先生は興味深そうに耳を傾けている。
「と言っても、このままではこの問題は解けません。794729を分割する必要があるんです。79と47と29の3つにね」
そこで初めて、沖津先生の眉がピクリと動いた。
「この3つの数字が意味するもの……それはこれです」
そう言って、出町は科学雑誌を高々と掲げてみせる。
「先生がわざわざこの雑誌を図書室に戻したのは、別に苦情が来ていたからじゃない。この雑誌がこの部屋にあると困るからなんですよ」
「困る?」
竹内が口を挟む。
「それは、これを見れば一目瞭然だよ!」
出町は勢い良く、あるページを開いてみせる。古野と竹内がそこを覗きこんだ。
「元素の周期表……」
そのページにあったのは、化学の授業で見慣れた元素の周期表だった。
「これのどこに答えが……?」
古野はまだ気づいていなかったが、竹内ははっとして口元をおさえた。
「金……銀……銅……」
「その通り、79は金、47は銀、そして29は銅の原子番号なんだ。これが意味するものは言わずもがな、金メダル、銀メダル、銅メダル。つまり、オリンピック。よって答えは五輪のマークが描かれた正十二面体の箱というわけさ」
出町はその箱をつかむと、沖津先生に向かってひょいと投げる。先生は思わず手を出してキャッチした。
「じゃあ、出町。その箱に書かれていたマイナス1っていうのはどういう意味なんだ?」
古野の疑問に出町は即答する。
「十二面体の12から1を引くと、11だろ? 周期表をよく見てみろよ。金銀銅は全部、11族の元素だろ?」
「あ、ホントだ……」
古野が納得するのを見届け、出町は沖津先生の方へ向き直る。
「まったく先生には騙されましたよ。先生は数学教師で、問題文は数式。おまけに答えの箱は正多面体で、宿題を出した相手が数学の天才である竹内ときたら、てっきり数学が関係しているんだろうと思いこむ。でもそれじゃあ、この問題は永遠に解けない。この何気ない心理誘導はさすがですよ」
出町は棒読みで称賛を送る。
「でも先生の失敗はただ一つ。科学雑誌を図書室に戻したことを俺に伝えたことです。恐らく、突然雑誌が消えたら不審に思われるとでも考えたんでしょうが……逆にそれを印象づけることになりましたからね」
「フフフ……参ったわね。こっちの負けだわ。でも出町くん? あきらめないからね。次こそはあなたに降参させてみせるわ」
「ひどいなあ……どうしてそんなに俺に対抗意識を燃やしてくるのかは分かりませんが。でも先生、心配しなくても良いですよ。どうせ、俺はナマケモノ。先生に勝ったことなんて一眠りしたら忘れてるでしょうから。それじゃあ、先生。明日の数学の授業でお会いしましょう。さようなら」
問題編でのヒントが少なすぎたかもしれませんが、この暗号が解けた方は素直に素晴らしいと思います。
次回からいよいよ長編に入ります。タイトルからしてホラー回ですが、苦手な方はご注意ください……。
次回
CASE:4 降霊会殺人事件
新聞クラブの佐伯青葉に頼まれ、孤島で行われる、ある大学のオカルトサークルの降霊合宿の取材に同行することになった出町と古野。だが、合宿の最中、サークルのメンバーの一人が惨殺死体となって発見され、血にまみれた連続殺人が容赦なく幕を開けた……。