第5話 雪枕の怪奇
CASE:2です。
登場人物
出町昇之介・・・東都高校2年。天才的な推理力をもつが、極度なナマケモノ体質の高校生探偵。
古野直翔・・・東都高校2年。何の変哲もないただの高校生。出町の友人であり、彼の相棒として事件の記録をつけている。
事件関係者
白木雄造・・・雪枕温泉の総支配人。
緑川陣・・・若手実力派の俳優。宿泊客。
紫藤淳也・・・売れないミュージシャン。宿泊客。
赤沢彩絵・・・画家。宿泊客。
佐伯青葉・・・東都高校1年。宿泊客。
トンネルを抜けるとそこそこの雪国だった。雪枕温泉へと向かうバスは、白い夕暮れの山道を忠実に上っていく。
「でも、雪枕とはまた寝心地が悪そうだなあ」
隣の座席で丸くなっていた出町の、相変わらずのナマケモノ思考に古野はうんざりしていた。やはりこいつを誘ったのは間違いだったか、と聞こえないフリをして窓外に目をやる。いよいよ雪はその勢いを強めていた。
***
そもそもの事の発端は、穂坂村での一件が落着したあとのことだった。結局小早川さおりからお礼らしいお礼をもらえなかった古野は、運の全てをかけて商店街の福引きに挑戦。見事、1泊2日の温泉旅行を引き当てたのである。
雪枕温泉。山形の山間にあるという「秘湯」と噂の温泉だった。宿泊券は2枚。誰か暇な奴はいないかと探していると、ナマケモノ探偵・出町昇之介が候補に浮上したというわけだ。正月疲れで不機嫌そうだった出町にムチを入れ、半ば強制的にここまで連れてきたのだ。
「なあ古野。まだ着かないのかよ? こんなことなら俺、やっぱりこたつで寝てたほうがよかったんだけど」
あくび混じりでさっきからこんな調子だ。こいつの頭の中にはとにかくなまけようという発想しかないのか! もっとも出町のなまけっぷりについていけるのは自分だけだ、という自負が古野にはあるから、辛うじて気持ちを保っていられるのだ。
「もうすぐだよ。お、あれだ! 雪枕温泉って看板が見えるぜ」
やれやれ、と言ってようやく丸くなっていた背中を伸ばす出町。午後5時。バスは無事に雪枕温泉に到着した。
***
「ようこそおいでくださいました」
応対に出たのは髪から髭まで雪のように白く染まった男だった。
「古野様に、出町様でございますね? わたくし、雪枕温泉の総支配人を務めております、白木雄造と申します」
お荷物はお部屋に運んでおきます、と言われた二人はとりあえず広間に行ってみた。
広間に入った二人に真っ先に駆け寄ってきたのは女子高生くらいの女の子だった。
「出町先輩に古野先輩ですか!?」
「あ、ああ。俺が古野でこっちが高校生探偵の出町昇之介さ。うん? 先輩だって? 君、どっかで会ったことあったっけ?」
古野の答えに女の子はころころと笑う。それから心なしか胸を張りながら答えた。
「わたし、佐伯青葉と言います。東都高校の1年なんです」
「へえ。うちの後輩か。そいつはよろしく」
青葉が握手を求めたのは案の定出町だった。やっぱりワトスン役を務めるにはそれなりの忍耐が必要らしい。
「わたし、新聞クラブに入ってるんですけど、今度探偵クラブを取材させてもらってもいいですか?」
「もちろん! 絶賛部員募集中だからね。少しでも宣伝してもらえると助かるよ」
出町と青葉はすっかり意気投合していた。
「ところで、君はどうしてこの温泉に来たの?」
「あ、それはですね……」
青葉が答えようとしたとき、
「そりゃ、雪枕の取材だろうな」
浴衣姿のイケメンが口を挟んできた。
「雪枕の取材? この温泉の取材ですか?」
そうなの? と出町は青葉に尋ねるが彼女は小さく首を横に振った。というより、このイケメンは、いったい何者なんだろう? どこかで見た気もするが。
「あぁぁぁぁ!!」
先に気づいたのは青葉だった。
「あ、あなたはもしかして、俳優の緑川陣さん!?」
そこではじめて出町と古野も気がついた。温泉ミステリーシリーズで主人公の刑事を演じている若手実力派俳優の緑川陣だった。浴衣姿で、テレビで見るときとは随分と印象が違って見えたためか、すぐには気づかなかった。
「ハハハ。そんなに驚かなくてもいいんだよ。実は温泉ミステリーシリーズの撮影でこの雪枕温泉とは縁があってね。正月疲れをここで癒そうと思って来ただけなんだ」
「なーんだ、そうだったんですか。あの、ところでさっきの雪枕の取材っていうのはなんのことですか?」
青葉が不思議そうに尋ねる。
「ああ、実はここの雪枕という地名には、ある由来があってね」
緑川は声のトーンを落とし、こんな話を始めた。
『今から300年以上前のこと、この村に喜助という悪党がいた。他人の畑の作物を盗んだり、鶏を盗んだりして暮らしていたらしい。
ある吹雪の夜。喜助の家に白装束の女が訪ねてきた。今宵の宿のあてがないので泊めてはくれまいか、とね。喜助は考えた。この女を売れば金になるかもしれない、と。喜助は親切を装って女を家に入れた。
明くる朝。村人の一人が喜助の家を訪ねると、そこには息絶えた喜助が転がっていた。不思議なのは喜助の体が水浸しになり、傍らには綺麗に畳まれた白装束が置かれていたことだ。
それから冬が来る度、村の小悪党が不審な死を遂げるようになった。村人はこれを雪枕と呼んで悪人制裁の手本として崇めるようになり、いつしかこの地に雪枕という名が残ったのである……』
「雪枕の伝承か……」
最初に口を開いたのは出町だった。ナマケモノモードからいつの間にか探偵モードの顔になっている。まだ事件も何も起きてはいないのだが。
「ハハハ。まあ、これはあくまで伝承。気にすることはないさ」
そう言い残して緑川は広間を出ていった。と、入れ違いに髪を紫色に染めた男と、真っ赤なロングコートに身を包んだ女が入ってきた。後方に白木の姿も見える。
「へへ。雪枕なんてのはただの空想。でもこの温泉ではリアルな事件が起きてるんだぜ」
紫の髪の男が馴れ馴れしく3人のもとに近寄ってくる。古野はあからさまに顔をしかめ、青葉も手で鼻を覆った。紫の男がどぎつい香水をつけていたからだ。ただ、出町だけは男の言った「リアルな事件」という言葉に反応した。
「リアルな事件? どういうことですか?」
男はけけけ、と気味の悪い声で笑う。
「なんだ、知らねえのか。2年前、この温泉の別館が火事になったのさ。そんで一般客の親子が逃げ遅れて死んじまったらしい。ま、オレも仲間から聞いただけで詳しい話は知らねえんだけどよ」
そう言って男は広間を出ていった。
「今の話は本当なんですか、白木さん。というか、あの男は誰です?」
出町の問いに白木は、額に汗を浮かべながら弁明する。
「今夜ご宿泊されます、ミュージシャンの紫藤淳也様でございます。ええ、まあ。火事があったというのは本当でございます。それでお客様が逃げ遅れてしまいまして。火事の原因も分からないまま、あれ以来お客様もめっきり減ってしまいまして」
「それで秘湯か。何だか皮肉な話だな」
出町がつぶやく。それに反応したのは、赤いロングコートの女だった。
「まあ、私もその火事の現場に居合わせたんだけどね。こう言っては悪いけどあの火事のおかげでスランプを脱出できたものだから、感謝してるのよ。あ、私は赤沢彩絵、画家よ」
「あなたが赤沢さんですか。そういえば『燃える』ってタイトルの絵がありましたよね。あの絵が例の火事を題材にしてるわけですか」
美術には詳しい古野が話を合わせる。ただ出町と青葉は、そう言えばそんな絵もあったね、という感じであまり興味はないようだった。それに『燃える』という絵は確かに評価は高かったが、あまりに火がリアルに描かれているせいで一般受けはいていなかった。
赤沢が広間を出ていった後、白木はそろそろ夕食なので食堂へ行くように3人に告げると、急ぎ足でどこかに消えた。
***
「あー、おいしかった。ねえ、出町先輩。一緒に卓球やりませんか? この温泉、卓球台があるみたいですよ」
食後のお茶を飲んでいた出町に青葉が卓球のお誘いをかける。だが、出町の反応は淡白だった。
「ごめん。今から一眠りさせてもらうことにするよ。今日は何だか疲れてね」
疲れてなくても眠れるだろ、というような視線を送った古野は、出町の代わりに青葉の卓球のお誘いに乗った。
そして事件が起きたのは、2時間以上に及ぶ青葉との対戦で負け続けた古野が音をあげた時だった。青葉は実は中学で女子卓球部のエースだったらしい。
くたくたになった古野がラケットを放り出して床に座りこんだところへ駆けこんできたのは白木だった。
「た、大変でございます。あ、赤沢様が!」
尋常ではないほどの汗をかいた白木の言葉に、古野はなんとか立ち上がり、青葉にここで待っているように伝えると、白木の案内で赤沢の部屋へと向かう。途中、部屋で爆睡していた出町を叩き起こして。
「こ、こちらでございます」
「おい古野。これはいったいどういうことだ? 俺の眠りを妨げやがって」
恨みがましそうにつぶやいた出町だったが、赤沢の部屋を覗きこんだ途端に顔色を変えた。一瞬にして眠気が蒸発したかのような変化だった。
「こ、これは……」
出町の後ろから古野も部屋を覗きこみ、そして同じように絶句する。
そこにあったのは浴衣を着た赤沢の死体だった。ただ、奇異だったのはそれだけではない。
赤沢の体は水浸しになっており、隣には丁寧に畳まれた新品同然の白装束があった。
「雪枕……!?」
つまり、緑川に教えてもらった『雪枕』の伝承そっくりの光景だったわけである。
今回の事件のトリックはすぐに思いついたんですが、このトリックを使っている時の犯人の心情を考えるとちょっと笑えます。
被害者
赤沢彩絵・・・絞殺
犯人『雪枕』の正体は!?
白木雄造・・・雪枕温泉総支配人。
緑川陣・・・・俳優。
紫藤淳也・・・ミュージシャン。
佐伯青葉・・・東都高校1年。