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名探偵はあてにならない。  作者: 龍
CASE:10 【回想】探偵クラブ最初の事件
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第31話  ワトスンの思い出

◇メインキャラクター◇


出町(でまち)昇之介(しょうのすけ)・・・東都高校2年。探偵クラブの創設者。天才的な推理力をもつが、天性のナマケモノでもある。


古野(ふるの)直翔(なおと)・・・東都高校2年。探偵クラブのメンバー。出町の数少ない友人の一人で、彼のサポートを務めている。今回は主に彼の語りで進行する。


佐伯(さえき)青葉(あおば)・・・東都高校1年。新聞クラブに所属。探偵クラブの支援者の一人。


沖津(おきつ)博美(ひろみ)・・・東都高校数学教師。探偵クラブの顧問。なぜか出町をライバル視している。

 その日の朝、出町昇之介から「今日、部活休む」という簡素なメールが古野直翔のスマホに届いた。

 夏休みもいよいよ終盤に差しかかり、暑さもいくらか和らいだ日だった。部長が休むというのだから、古野も何か適当な理由をつけてサボろうかと考えたのだが、出町がいないのなら部室で勉強に集中できるだろうと思い、たった一人で早朝の東都高校を訪れていた。野球部が広いグラウンドでランニングをしていたが、その他の部活はほとんどが休みのようで、特に、校舎のはずれに位置する探偵クラブの部室・書庫の周辺は閑散としていた。

 職員室に立ち寄り、顧問の沖津博美から書庫の鍵を受け取る。古野一人だけで来たのが珍しかったのか、沖津はコーヒーを飲みながら微かに笑みを浮かべていた。

 その足ですぐに書庫に行き、デスクにカバンと鍵を放り出して窓を開け放った。冷房をつけようかどうか迷ったが、それほど暑くはないし、相変わらず部屋の空気が少し湿っぽいので換気も兼ねて窓を開けることにしたのだった。2つしかない窓は時々風を運んでくるぐらいだったが、デスクに向かって黙々と勉強をする分にはちょうどよかった。

 勉強は思いの外はかどった。随分と寂しくなってきた蝉の声を聞きながら、わずかにやり残していた数学と英文法の問題集を終わらせ、読書感想文を仕上げる頃にはいつの間にか正午を過ぎていた。古野は、朝コンビニで買ったおにぎりで昼食を簡単に済ませると、勉強道具一式をひとまず片付け、今度は、出町がいつも昼寝で使っているソファーにごろりと寝そべってみた。端から見ていても安眠に相応しいとは言い難い、古い合成皮革のソファーで案の定寝心地は悪い。下手に動けば床に転がり落ちてしまいそうである。出町はよくこんなに危なっかしいところで眠れるものだよなと妙なところに感心し、耐えきれなくなって体を起こすと、目の前に並ぶ見慣れた本棚が目に入った。図書室の本棚のように本は整然と並んではいない。作者も年代もジャンルもバラバラだ。いや、かつては恐らくもっと綺麗に整頓されていたと思われるが、ここにある本は全て古くなったり傷ついたりしたものばかりなのだ。時が経ち、そうした本に気を配るような人もほとんどいなくなって、ただ雑然と詰めこまれるだけになったのだろう。

 よくよく見てみると、古野にも分かるような有名な本も数多い。古野はそのうちの2冊に視線を吸い寄せられた。


「雪国と異邦人……」


 川端康成の代表作『雪国』と、アルベール・カミュの『異邦人』である。仲良く並んで収まっていたこの異質な2冊を、古野は静かに引き抜いた。装丁は随分と傷んでいるが、中身はそれほどでもない。

 ただ古野は『雪国』の有名な冒頭を除いて詳しいあらすじを全く把握していなかったし、『異邦人』に至ってはほとんど何も知らなかった。だがこの2冊は、いずれも古野にとって思い出深い本なのだった。ちょうど勉強も一段落したところで、午後はこの本を読んで過ごそうと古野は思い立ち、両手に抱えてデスクに戻ろうとしたところ、入口の引き戸がガラガラと音を立てて開かれた。そこに立っていたのは、首からカメラを提げ、右手にメモ帳を持った佐伯青葉だった。


「あれ? 古野先輩、一人だけですか」


 拍子抜けしたような顔をしている。


「うん。そうだけど」


「出町先輩、お休みですかっ!」


「ああ、今朝、メールで『今日、部活休む』って言われたよ。まあ、あいつのことだから単にサボりたかっただけだろうけど。夏休みじゃ、依頼なんてめったに来ないしなあ」


「なーんだ、そうなんですか。残念……」


 青葉は一度がっくりとうなだれたが、すぐに元気を取り戻し、「じゃあ!」と言って顔を上げた。


「古野先輩、ちょっと取材させてくださいっ」


「え。しゅ、取材? 俺を!?」


 青葉は満面の笑みを浮かべ、何度もうなずいている。


「そうです。いいですよね? 先輩」


 ペンとメモ帳を手に迫られると、どうにも断りづらい。


「まあ、別に断る理由なんてないけど……。でも、どうしてまた俺なんかに取材を?」


 そう言いつつ、手招きで青葉を来客用(一応)のソファーに座らせ、自分も向かいの元いたソファーに腰を下ろした。大事に持っていた2冊をテーブルに置くと、青葉はちらりとそれを見てから先ほどの質問に答えた。


「本当は出町先輩に話を聞くつもりだったんですけど……。今日はいないということなので」


「ああ、それで俺にってことか」


「はい」


 それから青葉は、ぐっと声を小さくして続けた。


「実は……。この探偵クラブがどうやってできたのか、それについて知りたいと思いまして」


 その言葉に、古野は思わず「えっ」と声を漏らしてしまった。タイミングがあまりに良すぎたからだ。ついさっき本棚で見つけたばかりの2冊の本は、ちょうど探偵クラブ創設のきっかけとなった“ある事件”と重要な結びつきを持っているのである。


「……なるほどね」


 瞬間、古野は自分の過去について思いを巡らした。できれば人には話したくないようなことが山ほどあるのだが、それらには触れないようにして話すとなると、どうすればいいだろう。


「やっぱり、ダメですか?」


 青葉の悲しそうな声がして、古野は下手な小細工をやめて洗いざらい話してしまおうと決めた。それにしても女子はずるい、と思う。それほど悲しい声を出されると、どうにも申し訳ないような気持ちになってしまう。古野は頭をかいて、できるだけ柔らかい笑顔を選んで答えた。


「いやいや、大丈夫。ただ、探偵クラブがつくられた経緯について話すためには、俺と出町の出会いについても話す必要があるし、個人的に少し恥ずかしい告白もしなきゃいけないんだよ」


 要するに話が長くなりそうだと伝えると、青葉から「気にしないでください!」と元気の良い答えが返ってきた。ここまで来てはもう逃げられそうもない。古野は男らしく覚悟を決めることにした――。ただ、今まで自分の過去について人に話したことなどなく、改めて話してほしいと頼まれるとやはり気恥ずかしいものがあることは確かだ。落ち着くためにとりあえず深呼吸を何度か繰り返し、背筋を伸ばす。


「青葉ちゃん、本当に時間は大丈夫?」


「はいっ。大丈夫です」


 青葉はペンとメモ帳を握りしめ、ぐっと身を乗り出して古野の話を待っている。

 開け放した窓から入ってくる心地の良い風が、1年前の記憶を少しずつ呼び覚まし始めていた。


「さて、それじゃあどこから話そうか」



*** 1年前 ***



 広い公園に蝉の声だけが響いている。

 1学期の成績不振者を対象とした、夏休みの特別学習会からようやく解放され、昼過ぎに駅前の若森公園のベンチに寝そべっていた俺は、特に何をするでもなくただ時間が過ぎていくのを感じていた。俺の他には誰もいない。公園の外を多くの人々が流れていくが、誰一人として俺に気づくものはいなかった。

 父の仕事の影響で、今年の春に山梨から東京へと引っ越し、東都高校に入学した。だが、新天地になかなか馴染めず、友人もほとんどできないままいつの間にか夏休みになっていた。勉強にも出遅れ、特別学習会には3度の出席を求められた。中学まで続けていたバドミントンも、高校に入って断念し、部活には結局所属しないままだ。要するに、「文武両道・質実剛健」が校風の東都高校に、俺は全くと言っていいほど適応できていなかった。

 そんな自分のふがいなさにすっかり嫌気がさしたこの夏の日に、俺はある人物と出会った。今から思えば、この人物との出会いがなければ、自分は高校生活から脱線していたと確信をもって言えるし、その後、出町昇之介という最高の探偵と出会って探偵クラブに入り、自分がワトスンとなることも間違いなくなかっただろう。言うなれば、この人物の登場によって俺の人生は、俺ですら想像できなかった方向へと押し流されていくことになったわけである。

 ベンチに仰向けになり、右腕で視界をふさいでいた俺に向かって、その人物は短い言葉を投げかけてきた。


「君」


 それがあまりに突然だったのと、あまりに優しい声だったので、俺は思わず顔を上げてしまった。

 目の前にあったのは、髪の長い見知らぬ女の子の顔だった。制服姿であることを考えると、学校帰りなのだろうか。俺のように特別学習会に呼び出されたという雰囲気では少なくともない。とすれば、部活が終わって帰るところなのかもしれない。それによく見ると、東都高校の生徒ではなかった。東都高校の制服はブレザーだが、その人が着ていたのは、今時珍しいセーラー服である。ということは、都立若森高校の生徒なのだろう。若森高校は、東都高校と校区を接しているためか、学業でも部活でもよく比較されていた。

 いずれにせよ、名前も知らず高校さえ違う女子生徒に突然話しかけられたことで、俺は少なからず警戒していた。「君」という短い言葉に、俺に対する敵意や軽蔑のようなものは感じられなかったが、その人の顔があまりに無表情だったので不安になっていたのだ。難しい顔をして、俺のことを値踏みしているようにも思えた。


「君だよ、君」


 今度は少し厳しい声だった。俺がなかなか返事をしないので、自分の声が聞こえなかったのではないかと思ったのかもしれない。なぜ話しかけられなければならないのかまだ釈然としなかったのだが、このまま黙っていてもどうしようもないのでひとまず「何ですか」と返事をして重い体を起こした。


「君、東都高校の生徒だろう?」


 今度は少し低い声だった。これがこの人の地声なのだろうか。そして口調からも感じられたことだが、随分男っぽい人なんだなという印象だった。いや、男っぽいという表現はあまり適切ではないだろう。ボーイッシュというのも少し違う気がする。強いて言うならば、自分が女性であることで他人から女性として扱われることを面白くないと感じているように見えた。

 この時点で、俺は多少の気後れを感じていたのだが、持てる勇気の全てを費やして「人の素性を聞く前に、まず自分が名乗ったらどうだ」と、俺にしては少々強気な言葉で返そうとした。だが実際には、俺が答えるより前にその人は次の言葉を発していた。


「少し、ついてきてくれないか?」


 いよいよわけが分からない。見ず知らずの人間にいきなりついてこいだなんてどういうつもりなんだ?

 そこで、俺の頭の中をある考えがよぎった。これは新手の誘拐ではないか? この女子生徒は犯人に雇われていて、何か理由をつけて俺を連れ出し、そのまま連れ去ってしまおうという魂胆なのではないか。そう考えると、俺は思わず笑いだしたくなった。本当にこれが誘拐なのだとすれば、あまりに杜撰な手口だ。突然現れた初対面の人間に「ついてこい」と言われて、はいそうですか、とのこのこついていくほど俺は馬鹿ではない。

 これは何か言い返してやらないと、と固く決意し、俺はゆっくりと立ち上がった。ところが、そこへまたすかさず声が飛んできたのだった。


「ふうん。君は意外とチビなんだな」


 俺は最初、自分がいったい何を言われたのか理解できなかった。

 確かにその人は、俺より背が高かった。170cmはあるだろう。俺は160cmと少ししかないので、向かい合ってみると俺のほうが背が低いのは歴然だった。

 だが、いくらなんでもチビはないだろう。確かにクラスでは背は小さいほうだが、面と向かってチビと言われたことは今まで一度もない。そもそも、初対面の人間に対して言うべきことではないはずだ。

 もしかすると、俺が覚えていないだけで、俺はこの人と面識があるのではないだろうか。それなら全て納得できるのだが。

 チビと言われたことはひとまず置いておき、俺は思い切ってその人に聞いてみることにした。


「あ、あの……。あなたは、誰ですか」


 ずっと無表情のままだったその人の目が、少しだけ丸くなった。初めて顔に感情が表れたのである。


「うん? ああ、すまない。自己紹介がまだだったか。私は尾川おがわ。若森高校3年で、東都文学研究会の会長を務めている」


 尾川――。 

 やはり知らない人だった。それに、東都文学研究会などという団体は聞いたこともない。


「お、俺にいったい、何の、用ですか」


 相手は得体の知れない不審者なのだから、もっと強気に出てもいいのだと心の中では思っていても、いざ言葉に出すとどうしようもなく震えてしまう。俺はどこまでも弱い男だった。


「ううむ。実はね――」


 風になびく長い髪を押さえながら、尾川会長はようやく俺に接触してきた理由を語り始めた。


「そもそも、東都文学研究会とは、東都区に住む志高き文学少年・少女を集め、文学精神を涵養することを目的として10年前に創設された、地域団体である……」


 妙に芝居がかった口調だ。話がどうも長くなりそうなので、俺はさりげなくベンチに再び腰を下ろしたが、尾川会長は直立したまま、俺のほうは見ずに目をつぶり、演説するように話し続けていた。


「今では何かとライバル関係にある我らが若森高校と、君たちの東都高校であるが、文学研究会設立当初は両校の仲もよく、放課後に両校の生徒が文学論議に花を咲かせていて、会も盛況だった。しかし! 5年ほど前から文学研究会に所属する東都高校生はいなくなり、今では会員は、私を含めた5人の若森高校生だけとなってしまった……。しかも、悲劇的なことに全員が3年生なのである!」


 悲劇的、という表現が適切かどうかは分からないが、その会が崖っぷちに立たされているということは俺にも理解できた。今所属している3年生が引退したら、会の存続自体ができなくなるということだ。


「私も部長として、早急に新たな会員を確保しなければならないと常日頃から思っていたのだが、なかなか会の今後を任せるに相応しい若人が現れなくてね……。それで今日も、会員探しを兼ねて校区をぶらぶらと歩いていたんだが――。そこで出会ったのが、君!」


 気づくと尾川会長は、ビシッと俺を指さしていた。


「え、お、俺ですか?」


「そう、君だ」


 当たり前じゃないか、とでも言いたげに尾川会長はフンと鼻を鳴らした。


「えーと……。つまり、俺を会員にしたいってことですか?」


「単刀直入に言えば、そういうことだ」


 納得したような、できないような不思議な気分だった。

 尾川会長が、初めから俺を文学研究会に引き入れるために接触してきたということならば、先ほどから会長が繰り返していた奇妙な言動にも説明がつく。ただ、それは良いとしても、なぜ俺などを会員にしたいと思ったのか、さっぱりわけが分からない。それを尾川会長に伝えると、会長は初めて見せた屈託のない笑いとともに意外な答えを返してきた。


「それはね、君の佇まいだよ」


「た、佇まいですか?」


「そう。真夏の昼下がり、寂寥たる公園のベンチに横たわり、この世の儚さを憂う若き文学少年……そういう表現がぴったりだったからな」


「え、えーと。いろいろと誤解があるようなんですが……」


 別に俺はこの世の儚さを憂いていたわけではないし、文学少年ではないし、そもそも少年という言葉が適切な年齢ですらないかもしれない。尾川会長は、本当に俺を一目見てそう感じたというのだろうか。そして、文学愛好家というのは、普段からこういう回りくどい表現を好んで使うのだろうか。俺の中ではいつしか警戒心は薄れ、その代わりにだんだんと興味がわいてきていた。

 事実、嫌な感じはしなかった。警戒こそすれ、わざわざ俺に話しかけてくるような人間に興味があったのは確かだった。そして尾川会長は、久しく出会っていなかった、心から楽しく話ができる人間ではないかと思い始めていた。


「……まあ、いいですよ。ちょうど暇でしたし、その文学研究会というのがどういうところなのか、一応見てみたいですし……」


 そう言うと、尾川会長の顔一面に笑顔の花が咲き乱れた。


「おお、そうかそうか! 見にきてくれるか!」


 では早速ついてきてくれたまえ、と言って尾川会長はすたすたと歩き出していた。あわてて俺もその後を追う。

 この時、俺が尾川会長に、恋にも似た淡い感情を抱いていたのだと俺が気づくのは、もう少し後のことになる。


◇◇◇


 東都文学研究会の本部は、区役所から徒歩5分のところにある東都教育文化センターの一室に設けられていた。活動する際は、文化センターの受付で鍵を受け取り、活動を終えると再び鍵を返却しなければならないらしい。他にも活動時間や、センター内の規則なども守らなければならないのだと尾川会長は話し、意外にも不自由な活動を強いられているのだなと俺は少し驚いていた。

 この日は既に他の4人の会員が集まっているらしく、受付は素通りしてそのまま活動場所へ向かうことになった。一応、俺が受付の女性に会釈をすると、女性は俺が新顔だったからか意外そうに頭を下げていた。

 会長に連れられてたどり着いたのは、1階の廊下の中ほどにある小さな部屋だった。ドアに「東都文学研究会」と丁寧な字で書かれた手作りのプレートが貼ってあり、その下には「今日も元気に活動してます」と書かれていた。


「入るぞー!」


 元気な声を上げて尾川会長がドアを開ける。俺はその後ろから恐る恐る室内をのぞいてみた。

 部屋の広さは10畳ほど。ちょうど学校の理科準備室くらいの大きさである。物はほとんどなく、大きな本棚が1つと、その横にカラーボックス。隅には観葉植物が佇んでいる。文学研究会ということで、もっと乱雑な部屋なのかなと勝手な想像をしていたのだが、思っていたよりすっきりとした部屋だった(あくまで文化センターという公共施設の一室であるからということもあるだろうが)。

 中央には長机が一つあり、その周りにパイプ椅子に座った会員たちが囲んでいる。見たところ全員が男子である。つまり尾川会長は、この会の紅一点ということだ。


「おっ。会長のお帰りだ」


 長机の最奥に座っていた茶髪の男が陽気な声を上げると、他の会員たちもそれぞれが読んでいた本から顔を上げ、俺のほうを見てきた。ずっと会長の後ろに隠れていた俺は弾かれたように前に進み出て、とりあえず頭を下げた。


「はっ、初めまして! 東都高校1年の古野直翔と申します!」


 そのまましばらくじっと頭を下げていると、乾いた拍手と「よろしく」という小さな声が聞こえてきた。恐る恐る顔を上げてみるが、会長を除いた4人の男はいずれも無表情のままだった。俺は歓迎されているのだろうか……?


「なるほど? 彼が、この会の後継者というわけですか」


 やれやれといった様子でおもむろに立ち上がったのは、最も手前に座っていた銀縁眼鏡の男だった。手に川端康成の『伊豆の踊子』を持っている。


「そうだよ、河上かわかみ君。彼こそ我らが崖っぷちの文学研究会に現れた救世主、というわけだ」


 会長が説明すると、河上と呼ばれた男は、眼鏡の奥の目を細めて俺をじっと見てくる。たまらず2,3歩後ずさりする。


「な、何でしょう……?」


 思わず声が震えた。それは河上さんの視線があまりに鋭かったからだけではなく、この人の背が極めて高かったからでもあった。優に180cmはあるのではないか。尾川会長も背が高いほうだったが、この人の場合はそれ以上だ。当然、圧力も会長の比ではない。


「――。僕は河上かわかみ誠司せいじ。若森高校3年で、一応この会の副会長をしている。……よろしく」


 何かと思えば、単なる自己紹介だった。さっと握手を求められたので俺もおずおずと手を差し出す。河上さんの手は男にしてはとても綺麗な手だった。

 この握手を皮切りとして、ようやく室内に歓迎ムードが流れ始めた。尾川会長が俺を席に案内してくれ、何とか椅子に腰かけて居場所を確保すると、会長が「さて、では我々も自己紹介といこうか」と声を張り上げた。これに最初に反応したのは、先ほど会長に声をかけた、一番奥に座る茶髪の陽気な男だった。


「どもども。俺の名前は芳田よしだ俊介しゅんすけ。若森高の3年。本にはあんまり興味ないけど、正直な話、会長があんまりにもかわいかったんで入会したんだ」


 芳田さんがおどけた様子でそう言うと、尾川会長は少しも動じることなく「馬鹿なことを言うな」と軽く彼の頭を叩いていた。恐らく芳田さんは普段からこのような調子なのだろう。叩かれた頭を撫でながらてへへと笑っている。

 次に立ち上がったのは、芳田さんの右隣に座っていた男だった。副会長の河上さんよりも背が高い。恐らく会員の中で最も背が高いのではないか。ただ、やや猫背ぎみでほんわかとした笑みを浮かべているせいか、威圧感は全く感じられない。


「アハハ……。自分は村神(むらかみ)広志(ひろし)。同じく若森高の3年だよ。よろしく……。ちなみに、好きな作家は村上春樹先生さ」


 そう言って、嬉しそうに机上の文庫本を手に取り、表紙をこちらに見せている。書名は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』とあるが、本の知識に乏しい古野にはよく分からなかった。名字が同じ「ムラカミ」なのは偶然だろう。

 村神さんが座るのを待って、今度はその隣にいた男がムスッとした顔で座ったまま自己紹介に移った。


「ボクの名前は宮元(みやもと)秀樹(ひでき)。村神のクラスメイトです。好きな本はミステリで、特に愛読してるのはコナン・ドイルです」


 その名前なら、古野にも聞き覚えがある。


「知ってます! シャーロック・ホームズでしょう? 俺も名前だけは聞いたことが……」


 そう言ってみると、宮元さんは俺を睨んで鼻を鳴らした。


「まあ、ホームズは世界的に有名な探偵だからね。それにしても君、一度くらいはホームズを読んでおいた方がいいと思うよ? 人生、後悔するかもね」


 宮元さんは不敵な笑みを浮かべていた。少しムッとしたが、大人しく「分かりました」と言っておいた。

 宮元さんは、村神さんとは対照的に座っていても分かるほどに背が低かった。下手をすれば俺より低く、160cmもないのではないだろうか。村神さんと宮元さんが並ぶと、まさに凸凹コンビといった感じで、何だかおかしな気分だった。


「まあ、新人くん。愛読書の一冊くらいはあったほうがいいだろうな」


 隣に座っていた尾川会長が俺の肩をポンと叩いてくる。


「あ、そうそう。私は尾川(おがわ)絢子(あやこ)。よろしくな!」


 尾川会長は無邪気に笑っている。やっぱり会長の笑顔を見ると、一番安心する気がした。


「さてと諸君。今夜はどこかに食べに行こうか。新人くんの歓迎も兼ねてね」


 会長が手を叩いてそう叫ぶと、芳田さんが「よっしゃっ!」とガッツポーズで同調する。他の3人も反応に多少の差はあれど、その提案に異論はないようだった。

 その中で、俺は一日の疲れを全て吐き出すように、椅子の背に体を預けて小さく息を吐いた。まだ半分夢を見ているような気分だった。


 実際、あれから1年が経った今でも、尾川会長と公園で出会ったところから夢だったのではないかという気が時々する。それほどに奇跡的な巡り合わせだったのだ。

 この時、夏休みがちょうど始まったばかり。時系列で言えば、俺はそれから2週間余りを文学研究会で過ごし、その後ある事件がきっかけで出町と出会うことになるのだが、その話はまた後にしよう。

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