第30話 雨上がり【解答編】
◇メインキャラクター◇
出町昇之介・・・東都高校2年。探偵クラブの創設者。天才的な推理力をもつが、天性のナマケモノでもある。
古野直翔・・・東都高校2年。探偵クラブのメンバー。出町の親友であり、事件では彼のサポートを務める。
森村まどか・・・東都高校2年。出町の幼馴染み。思わせぶりな言動で出町を翻弄している。
***
若槻・・・東都高校校区で駄菓子屋を経営するおじいさん。
思考を妨げるロードノイズ。
通りを走り抜けていく車のドライバーが好奇の視線を向けてくる。それも無理はないだろう。バス停の軒下に、3人の高校生と老人が集まり、難しい顔で考えこんでいるのだから。ただ、これなら一人で雨宿りしていたほうがまだマシだったのではないか、と古野は考える。
「ねー、昇ちゃん、まだ解けないのー?」
クイズには全く興味がないらしいまどかは退屈したのか、彫像のように固まって思考に沈む出町を横から揺すっていた。その出町はというと、時折何かをつぶやいたり、指折りで何かを数えるような仕草をしたりしていたが、なかなか答えが出る気配はない。
「ふぉふぉ。苦労しとるようじゃの」
若槻は、そんな出町の様子を見て満足そうに顔を綻ばせた。笑うと、恵比寿様のような顔になるのだな、とどうでもいいことを古野は思った。気を取り直して伝言板を見る。出町だけに任せておくわけにはいかない。正直なところ、駄菓子がもらえることなどどうでもいいのだが、出町が謎を解けないという事態だけは避けなければ、と助手として古野は決意を新たにする。
それにしても謎めいた問題だ。相合い傘の片側に竹田佳子と名前が書かれ、傘の外には佐藤大樹、吉田博一、鈴木学、藤井雄助という4人の男子の名前。この中に、竹田佳子の隣に入るのにふさわしい者がいるという。それはいったい誰なのか?
「なるほど」
ようやく出町が口を開いた。その表情に、先ほどまでの険しさはない。
「どうした、出町。もしかして分かったのかっ?」
喜び勇んで古野は尋ねた。
「ああ、意外と簡単だったな。これくらいならお前でも解けると思うぞ、古野」
「俺でも……?」
出町の「これくらい」発言により、場がわずかに動いた。若槻は余裕の表情から一転、少し不機嫌そうな顔になり、明らかに興味をもっていなかったまどかは、俄然やる気になったらしく伝言板に視線を向けた。
「じゃあ古野、一つだけヒントをあげよう」
答えが分かってすっかり楽しそうになった出町が、若槻の反応をうかがいつつ古野に話しかけてきた。
「若槻さんはその相合い傘に入ることはできない。でも、俺と古野は、傘に入る資格を持ってるんだぜ」
自信満々にそう言うと、出町はおもむろに新聞を取り出して読み始めた。これ以上は聞き出せそうにないと判断したのか、まどかが妙に真面目な顔で古野のほうにやって来る。
「古野くん。わたし、ちょっと考えたんだけどね」
「何?」
「昇ちゃんて、昔から推理は得意だけど、こういうなぞなぞみたいなのはあんまり相性がよくなかったの。でも、今回は簡単に解いたでしょ? てことは、きっと何かヒントになるような物があったのよ!」
そういえば、と古野は思い返す。出町は以前、パズル系の問題は得意ではないと言っていた。それが、今回に限ってあっさり解いたというのは、確かに不自然だ。
「ヒントになるようなものねぇ……」
雨宿りの最中のやりとりを思い出してみる。と言ってもそれほど多くはない。しりとり、新聞、東都フォレストパーク。
「うん……?」
新聞、東都フォレストパークと出たところで古野は妙な引っかかりを感じた。確か、新聞の一面トップは遊園地の記事ではなかったはず。
「あ、そうか……」
思わず声が漏れた。まどかが「お、古野くん解けたの?」と嬉しそうにしている。
出町がこれ見よがしに新聞を広げた意味が分かったのだ。一面トップの記事こそが、このなぞなぞのヒントになっている。
「答えが分かったー!」
拳を突き上げ、古野は高らかに宣言した。
***
「お? ついに解けたか、古野」
ゆっくりと新聞を畳みながら、出町がうきうきした表情で古野の次の言葉を待っている。古野は誇らしい気分になり、意気揚々としながらも、できるだけ真面目なトーンで話を始めた。
「そもそも、このなぞなぞを解いたきっかけは、『二度寝新聞』の朝刊の一面トップの記事にありました……!」
ちょうどいいタイミングで、出町が新聞を投げてよこしてくれた。まどかと若槻にも見えるように新聞を持ちかえ、話を再開する。
「そう、一面トップの記事は、内閣支持率の話題です。実はこれが、偶然にもこのなぞなぞのヒントになっているんです!」
古野としてはもう少し理知的に話を進めていきたいのだが、どうしても答えを見つけた喜びが大きく、うきうきとした口調になってしまう。
一方、ヒントがあると聞いて新聞を凝視していたまどかは、困惑した顔のまま小さく首をかしげている。
「古野くん、これのどこがヒントなの?」
「伝言板に書いてある名前をよーく見てみ」
再び伝言板を見るまどか。若槻は、先ほどからずっと渋い顔をしている。
「あっ!」
伝言板を見つめたまま、まどかが授業でやるようにまっすぐに挙手した。
「これってもしかして……総理大臣の名字ってこと……?」
「当たり!」
まどかが正解にたどり着いたのを知り、古野は改めて手元の新聞に感謝した。「内閣」というキーワードが出なければ、恐らく正解することはできなかっただろう。
「そう。ポイントになるのは、竹田佳子を含めた5人の名字なんだ。竹田という名字をもつ日本の首相はいないだろ? だから、4人いる男子のうち、名字が首相のものじゃない子を探せばいいんだ」
古野は伝言板を指さしながら丁寧に説明を加えていく。
「佐藤大樹の『佐藤』は、佐藤栄作首相の『佐藤』。吉田博一の『吉田』は、吉田茂の『吉田』だ。鈴木学の『鈴木』は……ええと……」
「『鈴木』は、鈴木貫太郎だな」
古野が言いよどんでいたところに、出町が助け船を出してくれた。
「おお、そうか」
「ちなみに、若槻さんの『若槻』は、若槻礼次郎首相の『若槻』。だから若槻さんも相合い傘には入れない」
なおも出町が補足をしてくれた。その後を継いで、古野はいよいよ大詰めに入る。
「つまり答えは、4人の中で唯一、名字に首相のものが含まれていない藤井雄助くんが仲間外れ、相合い傘に入る資格をもった人物ということになる……。これで合ってますよね、若槻さん」
若槻はしばらく難しい顔でうなっていたが、やがてあきらめたのか「その通りじゃ」と小さな声で答えた。
それから「雨が上がる前に正解すれば駄菓子をくれる」という約束の通り、一人ひとりにチューインガムを渡し、伝言板の前に立つ。
「それにしても寂しいのう……。今となっては、この伝言板に目を向ける者など誰もおらん」
消え入りそうな声でそう言われ、古野はもう一度伝言板をよく見てみる。確かに最近になって使われた形跡はない。だが遠い昔、この伝言板が盛んに使われていた時代の時間の層は、かすれて消えかかっている文字の一つひとつから充分に伝わってくる。
途端に古野は、問題を解いて上機嫌になっていた自分が、何だかとても恥ずかしい存在になってしまったような気がした。
「……若槻さん、今日はとても楽しかったです。ありがとうございました。お体に気をつけて」
そう言って出町が頭を下げた。つられてまどかと古野も礼を述べる。
「いやいや、こちらこそ楽しかった。ありがとう」
若槻はそれだけ言うと、使い古したビニール傘をさし、まだ雨の降る通りを遠ざかっていった。
***
「ふう。雨止んだみたいだね」
軒下から細い手をひょいと出し、雨が当たらなくなったことを確認したまどかが言った。ひょっとしてこのまま雨は止まないのではないかと思っていた古野は、ひとまず大きく息を吐く。
「じゃあ、とっとと帰るか」
盛大なあくびを連発した出町が、まどかから傘を返してもらい、一足早く歩き出す。その後ろについて、まどかと古野も帰路につく。
「そうだ! せっかくだしさ、もう一回しりとりしない?」
人差し指をピンと立て、まどかが楽しそうに提案する。古野は喜んで賛同し、ただ歩くのも暇だということで出町も渋々参加を表明した。
「じゃー、わたしからね。……今年の梅雨は早めに明けるんだって! 次、昇ちゃん。『て』だよ」
妙に長い文とともに耳よりな情報をまどかが口にする。
「て……。天気がいいのが一番だ」
今度は会話でしりとりということらしい。暗黙の了解とともに「だ」を受け取った古野は思考を開始する。
「だ、かあ……。だ、誰でもいいから早く夏を連れてきてほしい」
「言ってなかったけどさー、昇ちゃん、わたし実は今日、傘持ってたんだ」
さらりとつなげつつ、まどかはカバンから濃紺の折り畳み傘を取り出してみせた。ということは、傘を忘れたから出町の傘を借りたという話は嘘だったのだろうか。
「だ、だまされた!」
「探偵失格だなぁ、出町は。それにしても森村、何で傘忘れたフリなんてしたんだ?」
すると、まどかはにっこりと笑って出町を見た。
「だからそれは……昇ちゃんと一緒に帰りたかったから、かな」
一瞬、まどかが何を言ったのか分からなかった。
一呼吸置いて意味を理解した古野は、にやけそうになるのをこらえながら出町に目をやった。
「な、な……!」
出町は耳まで赤くなりながら「な」で始まる文を探している。その様子を、まどかが楽しそうにじっと見つめていた。
「な、な、な……。ダメだ、何も出てこない」
赤くなったまま、出町はがくりとうなだれた。
「はい、昇ちゃんの負けねっ!」
そう言って、まどかは楽しげに笑っている。本気なのか、それともしりとりをつなぐための冗談だったのか。いずれにせよ出町がまどかに勝てないのも無理はないと古野は密かに納得する。
「というわけで昇ちゃん、遊園地連れてってね!」
「な、何っ!? 勘弁してくれよ、まどかー」
泣き出しそうな声で出町がまどかの後を追う。その様子をうらやましそうに見守りつつ、古野は出町が答えられなかった「な」で始まる文章を考えていた。
ふと空を見ると、すっかり雨の上がった空は、雲の灰色に夕焼けの黄金色が溶けて抽象絵画のように幻想的な光景を作り出している。そう言えば、先ほどのしりとりでまどかが「もうすぐ梅雨が明ける」というようなことを言っていた。
そうだ、と古野は思う。この時期に、この瞬間にぴったりの「な」から始まる言葉があるじゃないか。
――夏が、始まる。
本文中に「夏が、始まる」とありますけど、もうすぐ夏は終わってしまいますね。気がついたらかなり季節がずれこんじゃってましたね。すみません……。
さてさて、次回からはいよいよ大長編の始まりでございます。そこで一つご注意を。大長編があまりにも長くなりすぎたもので、こちらではなく、新作として新たに投稿したいと思います。タイトルは『明日もし晴れたら』です。
以下は大長編完結後、投稿予定のCASE:10の情報です。こちらもお楽しみに!
次回
CASE:10 【回想】探偵クラブ最初の事件
夏休みのある日の午後。探偵クラブの部室である書庫にて、古野は新聞クラブの後輩の青葉からインタビューを受けていた。その内容は、古野と出町がいかにして出会ったのか? 時は一年前にさかのぼり、探偵クラブ誕生の物語が明かされていく。