第3話 消えた睡眠薬
「くそっ」
通報を終えた渡さんが、いらだたしそうに拳を握った。
「警察は何と?」
出町が恐る恐る尋ねる。
「一応、状況は説明したんだが、この雪で村へ続く道がふさがってしまったらしい。それにこの暗さだ。警察が来るのは明日の朝になるんだそうだ」
「そ、そんな! じゃあ、このまま夜を越せっていうの?」
水穂さんが悲痛な声を上げたが、それに答えを返そうとする人は誰もいなかった。道がふさがってしまった以上、警察がすぐに来ることができないというのはどうしようもない。食堂に場所を移していたが、凄惨な死体を二つも見たせいか、一同は慰め合うことさえできなかった。
「で、でもまあ、じいちゃんを殺した山原先生が池に身投げして自殺した。そう考えていいよね?」
たかしさんが言う。
たしかにもっともな意見だ。山原氏が池に落ちる水音を聞いたとき、俺達は全員、部屋の外にいたんだ。それは出町も確認したはず。それなら誰にも山原氏を殺すなんてことはできなかったはずだ。
「確かに。あの状況を普通に考えれば山原氏が紀夫さんを殺してから自殺したことになるでしょう」
出町がしゃしゃり出てくる。お前の出る幕はないんじゃないのか?
「……ですが、俺は自殺だとは思っていません。山原氏は何者かによって殺されたと考えています」
!!
一同に衝撃が走った。
そんなバカな……。あれをどう解釈すれば他殺になるんだ? というか、俺だけじゃなくて皆もそう思ってるはず。出町はいったい何を考えてるんだ?
「あの時のことをよく思い出してください」
一同の困惑をよそに、出町はジェスチャーを交えながら説明を加えていく。
「山原氏が池に落ちた水音の後、バタバタともがくような激しい水音が聞こえていましたよね? あれはつまり、池に落ちた山原氏が水の中でもがいていたことを示しているんです」
「ちょ、ちょっと待って出町くん」
さおりが口を挟む。出町の言わんとしていることを悟ったらしい。
「自殺する人間は池の中でもがくことはない……つまり、山原先生は自殺じゃなくて……」
そこで、出町がパチンと指を鳴らす。
「そう! 山原氏は自殺に見せかけて殺されたんです。ここにいる誰かの手によって」
***
降る雪はその激しさを増し、風も出てきて吹雪のようになりながら夜は更けていった。出町に、犯人がこの中にいると言われてから食堂に漂う空気は重くなっていた。
この中に犯人が……。
「さてと」
暢気な声を出したのは出町だった。人が死んだってのによくそんな調子でいられるな……。こういうとき、ナマケモノがうらやましく思える。
「俺の記憶が正しければ、紀夫さんが最後に目撃されたのは、昼食が終わった1時半頃。それ以降紀夫さんを目撃された方はいますか?」
一同はあわてて首を横に振る。つられて俺も首を振った。
「水穂さんが紀夫さんの死体を発見したのが午後6時過ぎ。間違いありませんね、水穂さん」
「ええ……。夕食の準備ができたからお父様を呼んできてほしいと安藤さんに頼まれて」
「それについては間違いありませんか、安藤さん」
「はい。間違いありません」
「つまり紀夫さんが殺されたのは午後1時半から6時過ぎの間ということになりますね」
出町があっさりと殺害時刻を割り出していく。ナマケモノだが、探偵としてのスキルはやっぱり本物だ。
「では、その間の皆さんのアリバイを簡単に聞かせていただきますか?まずは……渡さんから」
ご指名を受けた渡さんは、ひとつ咳払いをしてからしゃべり始めた。
「水穂といっしょにテレビを観ていたよ。途中、5分ほどトイレにたったが、それ以外はずっと水穂といっしょにいた。私も水穂もアリバイ成立だな」
「なるほど。ところで、渡さんはどういう仕事をされてるんですか?」
「うん?ああ、県庁で観光振興をしているよ。それと事件と何か関係が?」
「ああ、いえ。個人的興味です。では次は安藤さん、お願いします」
事件のせいでかなり参っていた様子の安藤さんだったが、家政婦としてある程度の気丈さを保ちたかったのか、意外にもしっかりとした口調で話し始める。
「私は昼食の片付けを済ませてから、自室の掃除をしておりました。ですのでアリバイはありません……」
「掃除と言うと具体的に何をなさったんですか」
「掃除機をかけて、雑巾がけをして……。特に何か変わったことはしておりません」
「掃除用具はどちらにしまってあるんですか?」
「台所です。掃除用具はすべてそこのロッカーにしまっております」
「もしかして合鍵も台所に?」
出町が突拍子もないことを尋ねる。
「ええ。ロッカーの横にかけてありますが」
「誰でも持ち出せますか」
「まあ、持ち出そうと思えば」
「……なるほど。どうもありがとうございます。えー、では次はたかしさん」
「散歩に行ってたよ。2時頃に出て、戻ってきたのが3時半くらいだったかな。それからはずっと自室にこもってたよ」
「この雪の中を散歩に? ああ、そう言えば古野がそんなこと言ってたっけ」
そうそう。俺はさおりから聞いただけだけど。
「どうして散歩に行かれたんです?」
「体を動かしたくてね。ちょうど睡眠薬を失くしたとこだったし」
睡眠薬?
「睡眠薬を、失くした?」
「ああ。俺、軽度の不眠症を患っててね。それで睡眠薬をいつも服用してるんだが……。今朝、起きたときにごっそり無くなってることに気づいたんだ」
いったいどういうことだろう。犯人が睡眠薬を盗んだんだろうか? それなら何のために? 俺にはさっぱり分からない。ところで出町は何か分かったんだろうか? そんな俺の考えは無視して出町の質問は続く。
「たかしさんは確か、東京の国立大学に通ってるんでしたよね? 何を学んでらっしゃるんですか」
「専門は機械工学さ。ロボットの研究をしてる」
「なるほど。どうもありがとうございました」
***
質問を終え、食堂をあとにした俺と出町は山原氏の部屋を再度訪れていた。あの中に犯人がいることを恐れたのか、さおりもついてきていた。
「なぁ、出町。何か分かったのかよ?」
出町は俺の言葉に全く反応しない。床に付着に血痕や開け放たれたままの窓をしきりに眺めて何かうなっている。ったく、こいつといっしょにいるとホームズに翻弄されるワトスン博士になった気分だよ(まぁ、シャーロック・ホームズなんて読んだことないけど)。
「やっぱり犯人はあたし達の中にいるのかな」
さおりが不安げに身を震わせた。単純に寒いのか、それとも恐怖におびえているのか。
「残念だけどそういうことになるだろうね」
窓から池を眺めていた出町が気の毒そうな声で応える。コノヤロウ、美女の問いかけには応じるのかよ!
「恐らく動機は、10年前に失踪したという、県議時代の紀夫さんの秘書、小田広成さんに関係しているんだと思う」
そういえば……。完全に忘れてた。小早川家の家族写真に収まってた人だよな? うん、待てよ。
「分かったぜ、出町!! 犯人の正体が!」
俺が突然大声をあげたからか、出町とさおりが少しびくついた。
「犯人が分かったって?」
「たかしさんだよ。彼には動機がある。失踪した小田さんと仲良かったそうじゃないか。恐らく小田さんの失踪は紀夫さんと山原氏が関係していて、それを知ったたかしさんが彼らを殺した……。そう思わないか?」
「ひどいわ!お兄ちゃんを疑うなんて」
「そうだぞ。第一、彼が犯人だという証拠は何もない」
「いやある。彼になら犯行は可能だ」
俺は窓に近寄る。
「彼には機械工学の専門知識がある。恐らく山原氏を睡眠薬で眠らせたあと、何らかの時限装置を用いて自動的に山原氏が落下するように仕向けたんだよ!」
「……。やれやれ、何を言い出すかと思えば。古野、そいつは短絡的な推理だよ。いいか? そんな大がかりな装置をどうやって処分したっていうんだ? 窓枠には何の痕跡も無いし、部屋にあるのは血痕くらい……!」
出町の動きが一旦停止する。床に付着した血痕に目が釘付けになっている。
「そうか……。この血痕にはそういう意味が……」
「お、おい、出町?」
またナマケモノモードに入ったのかと思ったがどうやら違うらしい。突然動きを取り戻すとさおりに詰め寄る。
「確か、村に来るときたくさん買い物をしてきてたよね!? あれはどうしたの!?」
突然の質問に、さおりは目をぱちくりさせる。
「え、えと……。食材とかは冷蔵庫に入れて、他のは古いのと入れかえておいたよ。いつもそうしてるの」
「それは何時頃?」
「お昼ご飯の前だけど……」
それを聞いた出町は、今度は俺のほうに詰め寄る。
「古野! 今すぐ見てきてほしいものがあるんだ!」
「え? お、おう。分かったよ、何だ?」
***
出町に言われて「あるもの」を見てきて帰ってみると「遅いぞ!!」と怒鳴られた。
「はぁ? 出町、お前の方こそ、さおりに変なことしてないだろうな!」
「そんなことするわけないだろ? で、どうだった!? 早く教えろ!」
「うん? ああ、新品だったけど」
それを聞くと出町は、そうでなければならないとでも言いたげな表情で答えた。
「やっぱり。思った通りだ。犯人はあの人しかいない」
犯人は誰か?
小早川さおり
小早川たかし
小早川渡
小早川水穂
安藤忍
次回、いよいよCASE:1の解決編です!!