第29話 雨の放課後
◇メインキャラクター◇
出町昇之介・・・東都高校2年。探偵クラブの創設者。天才的な推理力を持つが、天性のナマケモノでもある。
古野直翔・・・東都高校2年。探偵クラブのメンバー。出町の親友で、彼のサポートを務める。
森村まどか・・・東都高校2年。出町の幼馴染み。
***
若槻・・・東都高校校区で駄菓子屋を経営するおじいさん。
自分は何をしているんだろう、とふと考える。
6月も末のある日の放課後。帰路についていた古野直翔は、下校の時間を知っていたかのようにタイミング良く降り出した雨に打たれながら、軒のあるバス停に緊急避難していた。学生カバンを頭にかぶせていたので、ある程度の被害を防ぐことはできたものの、やはり夏服の肩などはかなり濡れていた。とりあえず、濡れた箇所をハンカチで軽く拭き、それから両手をズボンのポケットに突っこみ、雨のしとしとと降るのをぼんやりと眺めていた。
「ふうぅぅ……」
思わずため息が漏れた。
まず考えたことは、なぜ傘を家に忘れてきてしまったのかということだ。梅雨明けはまだもう少し先で、今朝の天気予報でも「突然の雨にご注意ください」と、顔馴染み(?)の若手気象予報士に言われていたというのに。
そして、ついでにスマホも忘れてきたのだった。つまり古野に残された道は、このまま雨が止むまでバス停の軒下に突っ立ったままでいるか、勇ましく雨の帰路を全力で走り抜けていくかのどちらかしか無いと言っていい。古野としては、わざわざ雨の中に出ていくつもりはなく、ひとまず雨の止むのを待とうということで軒下に収まっていたのだった。
目の前の通りはそれほど交通量の多い道ではないが、それでも車はある程度走っている。時折、運転手が物珍しそうな視線をちらりと自分に向けてくることに居心地の悪さを感じていた古野は、目線を雨の路面に移して腕を組み、時が過ぎるのを待っていた。
気にするほどのことではないが、やはり一人きりでの雨宿りは退屈でつらいものだった。
「おーい、古野ー!」
路面に弾ける雨粒の音に混じって、遠くから聞き慣れた声が近づいてきていた。驚いて顔を上げると、傘もささずに雨の中を突っ走ってくる出町昇之介の姿があった。それだけではない。その後ろにもう一人、出町の幼馴染みで同級生の森村まどかが、ビニール傘をさしながらゆっくりと歩いていた。
「よ、よお。出町、お前も傘を忘れたクチか?」
おどけた口調でそう言いながらも、古野は内心では「助かった」という思いだった。このままたった一人で晴れるのを待っているのは到底無理そうだと思い始めていたところだったのだ。
一方の出町は、息を切らしながら古野の問いに答える。
「……いや、違うんだ。傘を忘れたのは、まどかの方なんだ」
そう言われ、古野はまどかへと視線を向ける。傘をさしながら雨の街を優雅に歩いてくる光景はなかなか絵になるものだった。
「でも、傘さしてるぜ?」
「いや、これには深い事情があってだな……」
出町があわてて説明しようとした時、ちょうどまどかが軒下に入ってきて傘を閉じた。気配を感じたのか恐る恐る振り返った出町は、まどかの存在に気づいて大げさに驚いていた。
「おうっ!? ま、まどかか……。びっくりさせんなよー」
「ふふーん。昇ちゃんてば、びっくりしすぎだよ」
勝ち誇ったような顔のまどかに対し、出町はぐぐっと唇を噛んで悔しさをにじませた。
「……相変わらずだなぁ。それで? いったいどんな事情があるっていうんだ?」
思わずにやけそうになるのを必死にこらえながら、古野は出町に説明を促した。
「ああ。実は俺、今日日直でさ。放課後、教室の整理をさせられてたんだ」
出町は濡れた髪をハンカチで軽く拭きながら、ため息混じりに話し出す。
「面倒だし、適当にやってとっとと帰ろうと思ったんだ。そしたら、まどかが来て『わたしも手伝うよ』って言われてさ……」
「うん、それで?」
「それが終わって帰ろうかな、と思った矢先に雨が降り出したんだ。そしたら、今度はまどかが『わたし、傘忘れちゃったんだ。昇ちゃんのを貸してよ』って言って俺の傘を持ってったんだよ。『日直の仕事、手伝ったんだからいいじゃん』という理由でさ……」
まどかがすぐ後ろに立っているにも関わらずぼやき続ける出町を見て、古野は苦笑せざるを得なかった。前から思っていたことだが、出町はまどかに対して無警戒すぎる気がする。幼馴染みとはいえ、出町はまどかに振り回されることを嬉々として甘受しているようにすら感じられるのだ(こういうことは本人の前では言えないが)。
そう考えているうちに、出町とまどかが言い合いを始めていた。
「そもそも、昇ちゃんが日直の仕事サボろうとするのが悪いんでしょ」
「確かにサボろうとはしてたけどさ、別にまどかに手伝ってもらわなくても俺一人で充分にできた仕事だ。それに、お礼に傘を貸すなんて一言も言ってないし」
出町が珍しくムキになって言い返している。
「はあ……昔の昇ちゃんなら、もっとすんなり貸してくれたんだけどなあ」
「むっ……」
まどかが「昔」という言葉を発した時、出町は言い返そうと開いた口をあわてて閉じ、低いうめき声のようなものを代わりに出した。以前、傘についてまどかと何かあったのだろうか。古野としては知るよしもないが、あれこれ詮索するのは止めにした。
一方、出町が押し黙ったことに満足した様子のまどかは古野に視線を向けてくる。
「それで? 古野くんは一人で雨宿りしてたの?」
改めて考えると、雨の中こんなバス停で一人佇んでいるという状況はひどく悲しいものに思えた。
「ま、まあね。俺も傘、忘れたんで」
「ふーん、そうだったんだね」
そう言って何度かうなずいていたまどかは、突然何かを思いついたように人差し指をピンと立てた。
「そうだ! 昇ちゃん、古野くん。こうしてても退屈だし、何かゲームでもしようよ」
「ゲーム?」
未だにハンカチで濡れた箇所を拭いていた出町が顔を上げた。ずっと退屈していた古野も「よし、やろう」と同調する。
「……で? 何する?」
待ってましたとばかりに、まどかがニッと笑って挙手する。
「わたし、しりとりがいいなっ!」
なぜか、一瞬の沈黙。
「……しりとりか」
口を開いたのは出町だった。妙に気の重そうな声だ。それを見てまどかはニコニコしている。
「ん? どうしたんだ、出町」
「ああ、いや。まどかは昔からしりとりが強かったからね」
すっかりやる気の失せたような表情でつぶやく出町を見て、古野とまどかは逆にノリノリになっていた。
「じゃー、わたしからね。……えーと、りんご!」
本当にやるのかよ、とでも言いたげな出町を無視して古野がまどかの後を継ぐ。
「ご、ご……ゴミ」
言ってから古野は、もっと他に何か無かったのかと後悔した。もっとも、出町は「ゴミ」には突っこまず、「み、み、み……」と割と真剣に考えていた。
「み……。分かった、密室」
苦し紛れに答えた出町をよそに、余裕の表情のまどかは即座に「ツキノワグマ」と続け、突如として始まったしりとりは二周目に入った。
「マニア」
「うーん……あ、アリバイ」
「椅子」
「スイカ」
「……完全犯罪」
こうして、大して盛り上がるわけでもないしりとりは意外にも長続きし、開始から10分ほど経った頃には、だんだんと混沌の様相を呈してきていた。
「ヒマラヤ山脈!」
ここまで来ても自信満々に即答するまどかは、確かに出町の言う通りの強者だった。ただ、今は感心している場合ではないと思い直し、古野は「く」で始まる言葉を考え始める。
「そうだなあ。……クリケット」
ルールもまともに知らない競技名を出し、それからちらりと出町の様子をうかがった。最初は最もしりとりに乗り気ではなかったはずだが、今や出町は、制服を拭いていたハンカチを右手に握りしめたまま思考の海に沈んでいる。余裕の笑顔をたたえるまどかや、気負うこともなく淡々としりとりを楽しむ古野に比べ、どう考えてもいちばん真剣に参加しているのが出町だろう。
「と、取り調べ!」
出町がようやく言葉を絞り出す。それを見て意外そうに目を丸くしたまどかが、小さく笑いながら秒速で言葉を紡ぎ出した。
「フフ。勉強」
「う……ウール」
「うーん……。る、る、る……」
圧倒的に候補の少ない「る」を前に、再び出町の苦悩が始まった。とは言うものの、古野の思いつく限りでも「ルビー」や「ルーレット」などはまだ出ていないはずなので、はっきり言って答えに窮するような場面ではないのだが。
「る、る……」
悩みに悩んだ末に出町が下した決断は古野の想像を上回るものだった。
「ダメだ……。ギブアップ」
古野は思わず我が耳を疑った。
「ギブって……ウソだろ、出町!」
ここで降参する理由などないはず。だが、出町は頭を抱えたままそれ以上何も語る気配がなかった。これまで出町の助手として様々な事件に立ち会い、彼の人となりを間近で見てきた古野だったが、さすがに今回ばかりは理解不能に近い状態だ。
それでも古野はあることに気がついていた。このしりとりにおいて、出町は最初「密室」に始まり、次が「アリバイ」、その後も「未必の故意」や「マイクロフト・ホームズ」など、通常のしりとりにはおよそ登場する機会の無いような単語ばかりを出町は答えていた。そして最後も「取り調べ」。これらを総合して考えた古野はあることに思い当たる。
「なあ、出町……」
おもむろに切り出すと、出町は悔しそうな顔のままゆっくりと古野に視線を合わせてきた。
「何?」
「お前……もしかして『推理小説によく出てくる単語縛り』とかしてたのか?」
***
5時を過ぎてなお、雨の止む気配はなかった。高校生たちは皆、家に収まりきったらしく人影は見当たらない。そんな中、三人の佇むバス停の軒下で、まどかが未だに笑い続けていた。原因は無論、しりとりで出町が自らに課した謎の縛りである。
「ハハハッ。いやー、まさかホントに『ミステリ縛り』してたとはねー」
案の定、出町は推理小説に出てきそうな単語のみを使ってしりとりをするという無理難題に自ら挑戦して撃沈していたのだった。それを聞いた途端にまどかに笑われ、出町はますます悔しそうに唇を噛みしめていた。
「しかも昇ちゃん。『る』でギブアップしてたけど、『る』で始まる言葉でミステリ関連のもの、あるんだよ?」
「え……?」
「ほら、ルミノール」
ルミノール、という単語を耳にした瞬間、出町の顔から表情が消えた。自分の迂闊さを心の底から悔いているようにも思えた。ルミノールは血痕鑑定に用いられる試薬の名で、推理小説などには頻出の言葉だ。
それにしてもまどかは本当にしりとりが強い。出町でさえ思いつかなかったルミノールを容易く出してみせたのだから。
「ふうぅぅぅ。どーする? もう一回しりとりする?」
さすがに疲れたのか、深いため息を一つついてからまどかがそう提案するも、出町の強い抗議により却下された。そうなると問題は、これから何をして暇をつぶすかだ。久しぶりに場に沈黙が訪れる。
「……新聞でも読むか」
ぼそっとつぶやき、出町がカバンから取り出したのはまさしく新聞だった。『二度寝新聞』の今朝の朝刊だ。まさか、学生カバンの中から新聞が出てくるとは思ってもみなかった古野とまどかは、唖然として出町の手元を見ていた。
「出町、お前何でそんなもん持ってんだよ?」
しりとりのショックをまだ引きずっているらしく、どうにもテンションの低い出町は新聞に視線を落としたまま古野の疑問に答える。
「青葉ちゃんに、新聞は毎日読んだほうがいいですよって言われたんだ」
古野は、人の良さそうな新聞クラブの少女の顔を思い浮かべた。ただ、わざわざ新聞を学校に持ってくる必要はないと思うのだが。それでも出町は、目を細めて朝刊の一面を凝視していた。
「……それで、何か注目の記事でも載ってるか?」
「一面トップは内閣支持率の話だな。でも俺、政治には興味ないしなあ……。お、東都フォレストパーク開園来月に迫る、とあるぞ」
東都フォレストパークは、都心に新設され、7月21日に開園する予定のテーマパークである。都市と自然の融合をコンセプトに、敷地内に森林エリアを設けることで子どもたちが自然と身近に触れ合うことができるとして注目を集めている。
この話題に食いついてきたのはまどかだった。
「あ、そうだ。昇ちゃん、そのフォレストパークができたら連れてってよね」
事もなげに言ってのけるまどかに対し、出町はあからさまに面倒そうな顔を返した。
「えー、嫌だよ。7月21日といえばただでさえ暑いのに、わざわざ人ごみの中へ出かけていくなんて自殺行為だよ。それに、女子と二人で遊園地に行ったなんて知られた日には……」
「あれ、昇ちゃん何か勘違いしてない? わたし、別に昇ちゃんと二人で行くなんて一言も言ってないよ」
「えっ?」
戸惑う出町を見て、まどかはニヤリと笑う。
「わたしの友達を五、六人連れてくから、昇ちゃん引率お願いね!」
さらりととんでもないことを言う。
「いや、ますます無理だ! そんな金も時間もないんだよ、俺には……」
そう言って心なしか赤くなった顔を背けるように出町は後ろを向いた。そして、何かに気づいたように大きな声を上げた。
◇◇◇
出町が気づいたものとは、バス停の壁面に設置された伝言板だった。携帯電話のなかった時代に大活躍したらしいとしか古野は知らなかったが、意外なところに置いてあるものなのだな、と思った。
「へえ、伝言板だねー」
まどかも、出町の後ろから伝言板を覗きこんでいた。
伝言板には、チョークで書かれたメッセージの数々が今でも残されている。それらを見てみると、単に待ち合わせのためというより、雨宿りの暇つぶしに書かれたと思われる落書きが意外にも多かった。
「へへ、こんなのもあるんだな」
出町が笑って指した箇所に書かれていたのは相合い傘だった。右側に「竹田佳子」と名前が書かれ、その隣には名前は書かれていない。代わりに傘の外側に「佐藤大樹、吉田博一、鈴木学、藤井雄助」と拙い字で書かれた四人の男子の名が並んでいた。文字はかなりかすれていて、相当昔に書かれたものだと辛うじて分かる。
「……多分、これを書いたのは小学生だろうな。雨宿りの途中にね。この竹田佳子というのはクラスでいちばんかわいかった女の子……とか」
出町が簡単な推理(?)を披露する。古野もまどかもその意見には賛成だった。四人の男子がクラスのマドンナに最もふさわしいのは誰かという激論をここで交わしていたに違いない。その光景を想像すると、微笑ましいと同時に少し恥ずかしいような気持ちもあった。
「ふぉふぉふぉ」
伝言板に見入っていると、突然背後から不気味な笑い声が聞こえたので古野はビクッとなってしまった。
「やあやあ、高校生諸君。雨宿りは退屈かな?」
いつの間にか後ろに立っていたのは腰のやや曲がったおじいさんだった。正体不明の老人の登場に、古野たちは顔を見合わせて首をかしげる。
「うん? おお、すまんすまん。びっくりさせてしまったかな。心配せんでよろしい。わしは、すぐ近くで駄菓子屋を開いとる若槻という者じゃ」
若槻と名乗ったおじいさんは、また不気味な笑い声を上げると伝言板の前に進み出てきた。
「諸君は、この相合い傘を書いたのが小学生だと思っておるようじゃが……」
「え、違うんですか?」
出町が声を上げる。そんなはずはない、と言いたそうな表情だ。
「うむ。これを書いたのはわしじゃ」
突然の宣言に古野は固まってしまった。想像していた、小学生たちの微笑ましい光景を台無しにされたような複雑な気分だ。ただ、若槻はそんなことはお構いなしに話を続けている。
「これを書いたのは高校生の時分での。ちょうど一人で雨宿りをしておって、退屈だったもんだから、なぞなぞを作ってみたんじゃよ」
若槻の言葉を受け、古野はもう一度相合い傘を凝視した。これのどこがなぞなぞだというのか。
「そうじゃ、退屈ならこのなぞなぞを解いてみなさい。雨が上がるまでに正解を導き出すことができたら、駄菓子をあげよう。どうじゃ、やってみるかね?」
そう言い放ち、若槻はまた笑った。古野は出町を見る。駄菓子が欲しいわけではないが、ここで逃げるのはあまり良い気分ではない。やはり出町が「受けて立ちましょう」と挑戦を受けた。
「うむ、よかろう。では問題じゃ。この相合い傘は、竹田佳子という女の子の隣が空いておる。ここに入るのにふさわしい男子は誰かというのが問題じゃ」
若槻はしわの多い手で相合い傘を指しながら説明をしていた。つまり、傘の外に書かれた四人の男子の中に、答えがあるということか。
「これでは少々難しいじゃろうから、一つヒントをやろう。その四人の中には一人だけ仲間外れがおる。その子だけが傘に入る資格を持っておるぞ」
早速、出町が食い入るように伝言板を見つめている。一方、まどかはあまり興味がなさそうに自身のポニーテールをいじっていた。
「出町、ファイト!」
古野はとりあえず出町にエールを送りつつも、再度伝言板を見てみることにした。
佐藤大樹、吉田博一、鈴木学、藤井雄助。四人のうち、相合い傘に入るのに最もふさわしいのは誰なのか。
雨は、まだ止みそうにない。
◇今回の謎◇
Q.四人のうち、仲間外れなのは誰?
佐藤大樹
吉田博一
鈴木学
藤井雄助
発想のヒントとなるものは話の中にあります。四人の名前をよーく見ればすぐに仲間外れが誰か分かると思います。それでは、次回をお楽しみに! (これが終わればいよいよ大長編です)