第28話 猫を愛した二人【解答編】
◇事件関係者◇
豆島悠一・・・今回の事件の被害者。夢見公園の池のほとりで死んでいた。コンビニでアルバイトをしており、六条とは親しかったという。
六条道也・・・豆島の友人。彼と同じコンビニでバイトをしていた。遺体の第一発見者。
森沼孝治・・・ペットショップ「モコ」の店長。
瀬内真弓・・・ペットショップ「モコ」の店員。
青田鴇子・・・青葉の近所に住む老婆。ロシアンブルーの「王子」を飼っている。
王子・・・鴇子の飼うロシアンブルー。おとなしい性格だが、突如として失踪した。
「ここに住んでるばあさんが犯人だと!?」
青田邸に駆けつけた佐々原の第一声は驚愕に満ちていた。あまりに大きな声だったので、隣にいた古野は思わず耳をふさいでしまった。
「はい。公園で死んでいたという豆島さんを殺したのは、この家の主である青田鴇子さんです。……俺の推理が正しければ」
出町が無表情のままそう言い放つのを聞きながら、古野は鴇子の気品あふれる顔を思い浮かべていた。殺人とは縁のなさそうな平和な顔を。
「先輩……それは、本当なんですか」
青葉が泣きそうな声で尋ねる。
「……あくまで推理の段階だ。本当かどうかは、今から本人に告白してもらうしかないな」
出町は佐々原と本多に「ここで待機していてください」と言い残すと、古野と青葉を連れて青田邸へと入っていく。出町は鴇子に自首させたいのだな、と古野は考えていた。
***
広いリビングには相変わらず夜想曲がかかっていた。出町を先頭に三人が入っていくと、ソファーに座りながら紅茶を飲んでいた鴇子は弱々しい笑みを浮かべ、手招きをした。
「あら、皆さん。今度は何かしら」
鴇子の手招きに出町は応じず、そのままリビングをぐるぐると歩き出した。
「鴇子さん、あなた豆島さんを殺しましたね?」
唐突な言葉だったが、鴇子はにこにこと微笑んだまま何も答えない。
「そして、王子を誘拐したのもあなただ」
隣で青葉がかすかに声を上げたのが分かった。古野は、豆島の部屋で見つけた写真のことを思い出し、やっぱりそうかとため息をつく。
「いや、誘拐という表現は適切ではありませんね。そもそも王子は誘拐なんてされてないんですから」
鴇子が何の反応も示さないままだったので、出町の独演はますます調子づいてきている。そこに、青葉から待ったがかかる。
「先輩、王子が誘拐されてないって、どういうことですか」
「王子は今もこの家の中にいるんだ。つまり、鴇子さんがどこかの部屋に隠した」
信じられない、という表情の青葉の横を出町がゆっくりと通り抜けていく。そのまま、先ほどから熱心に働き続けているオーディオ機器の前で歩を止めた。
鴇子の顔にわずかな曇りが見えた。
「このリビングに入ったときから妙だと思ってたんですよ、この曲。愛猫がどこかに消えて落胆する老女を慰める曲としては、明らかに音量が大きすぎます」
そう言うと、出町はオーディオの停止ボタンを押した。途端、リビングに耐えがたい静寂が訪れる。
「……鴇子さん。この曲は、王子の鳴き声が聞こえないようにするためにかけていたんですね?」
出町の問いにはやはり答えず、鴇子は目を伏せて立ち上がった。そのままよろよろと歩き、リビングを出ていった。それを見届けた出町は頭をかいて、ようやくソファーに腰を下ろした。古野と青葉もそれにならう。
時間の経つのが妙に遅く感じられた。どのくらい待っただろう。鴇子が戻ってきた。両手に毛並みの美しいロシアンブルーを抱えながら。
「王子っ!」
ほとんど悲鳴に近い声を上げながら、青葉が王子の元へと走っていく。鴇子から王子を慎重に受け取ると、顔をぱあっと明るくさせて王子の体に顔を埋めた。
その様子を悲しい目で見ていた鴇子は、また元のソファーに座り、出町を正面からしっかりと見据えた。
「でも先輩、どうして王子が家の中にいるって分かったんですか?」
王子を優しく撫でながら青葉が不思議そうに出町に尋ねた。
「……窓ガラスが割られた部屋があったろ? 青葉ちゃんは犯人がそこから侵入したんじゃないかって言ってたけど、俺はあの窓を見て、王子が連れ出されていないことを確信したんだ」
「どういうことですか?」
「あの窓は鍵がちゃんとかかっていた。鴇子さんは、寝る前に施錠してから一度も鍵には触ってないって言ってたから、侵入者が窓を割って外からクレセント錠を開けた後、王子を回収して脱出するときに再び鍵をかけていったことになる。でも、一刻も早く逃げたいはずの犯人が、わざわざ鍵をかけ直すとは考えにくい。それで、あの割られたガラスは、鴇子さんの自作自演だと結論づけたんだ。ただ、ガラスを割っただけで、鍵を開けておくことを忘れてしまったみたいだけどね」
出町の話を最後まで聞いていた鴇子が深々とため息をついた。
「じゃあ出町、どうして鴇子さんは王子を隠す必要があったんだよ? 公園の殺人事件と関係があるのか?」
「……古野。殺人事件の被害者である豆島さんの所持品から、アパートの鍵が消えてただろ? そしてもう一つ。死体はあの公園に別の場所から運びこまれた。時間は恐らく、昨夜遅くだろう」
出町はちらりと鴇子の様子をうかがいながら話を続ける。
「彼を殺したのも鴇子さんだ。そして、現場は恐らくこのリビング」
現場がリビングだと聞いて古野は思わず辺りを見回した。青葉も王子を抱えたままきょろきょろと首を振っている。昨夜、ここで凶行があったのだろうか。
「昨日の20時頃、豆島さんはある理由でこの家を訪れた。そこで恐らく鴇子さんと口論になり、鴇子さんは手近にあった置物か何かで豆島さんを撲殺してしまったんだ。そしてその時、彼の持っていたアパートの鍵が、床に落ちてしまった。ちょうどこんな風にね」
出町はポケットの中から自宅の鍵を出し、それを床に放り投げた。
「問題はここから。犯行があった時、リビングには王子がいた。それで、豆島さんの鍵が床に落ちた時、王子は誤ってそれを飲みこんでしまったんだ」
「……! そんなことあり得るのか?」
猫に関する知識に疎い古野は青葉に尋ねてみる。
「誤嚥ですね。何かで遊んでる途中にそのままそれを飲み込んじゃうってことはよくあるそうですよ」
「とにかく、可能性はゼロじゃないわけだ」
青葉の言葉に出町は満足そうにうなずいた。
「でも、どうして王子を隠さなきゃいけないんだよ。鍵を飲み込んだだけなら、別にそのままでも良いんじゃないか?」
「ダメなんですよ、先輩。そのままにしておくと、病気で死んじゃうこともあるくらいなんですから」
青葉が少し強い語調でたしなめてくる。古野は、青葉に抱かれた王子をまじまじと見ていた。あのお腹の中に鍵が……。
「でも待てよ。それなら獣医に頼んで鍵を取り出してもらえば済む話じゃないか。どうしてわざわざ王子を隠す必要があるんだ?」
その言葉を待っていたかのように、出町は人差し指をピンと立てた。
「そう。そこが問題だった。鴇子さんとしても、動物病院で鍵を取り出せるならそうしたかったはず。でも、それではマズいということに気づいたんだよ」
「何か問題でも?」
出町は、先ほど放り投げたばかりの自宅の鍵を拾い上げながら答える。
「警部の話では、豆島さんは、持ち物の一つひとつに名前を書いたシールを貼ってたそうだ。ということは、アパートの鍵にも同じようにシールが貼られていたはず。まあ、飲み込んだお腹の中で文字が消える可能性もあるけど、もし鍵を取り出して、そこに書かれていた名前が、殺人事件の被害者だったら……。それが決定的証拠になってしまうと鴇子さんは考えたんだ。だから王子を隠して、自然に鍵を排泄してくれるのを待つことにしたんだろう」
出町は、拾い上げたばかりの鍵を弄びながら頻繁に鴇子に視線を送っている。その仕草は、自分の推理に間違いがあれば遠慮なく指摘してほしいということなのだろうが、鴇子はただソファーに行儀良く座って、出町の話に耳を傾けるばかりだった。
「先輩。ということは、王子自身が殺人の証拠になってしまうから、鴇子さんは王子が失踪したように偽装したってことですか」
青葉の言葉に、出町は満足そうに首肯する。
「そういうこと。鴇子さんにしてみれば、青葉ちゃんが遅かれ早かれ家に遊びに来ることは分かっていた。その時に、鍵を飲みこんでしまった王子の様子に異変があれば、青葉ちゃんにいらぬ疑いを持たれることになるからね」
出町はそこまで一気に言うと、青葉の抱える王子に近づいて、その頭を優しく撫でた。王子は出町をじっと見つめていたが、警戒を解いたのかやがて小さく鳴いて、目を反らす。その様子だけを見れば、とても鍵を飲みこんでしまったとは思えなかった。
出町はそうしてしばらく王子と戯れていたが、自分の役割を思い出したのか、真顔に戻って再びソファーに腰を下ろし、話を再開する。
「ええと、もう一度整理しておくと、昨夜、豆島さんを撲殺した鴇子さんは、まず犯行の形跡を隠滅した後、窓ガラスの偽装工作をしてから王子をどこかの部屋に隠し、それから死体を車に乗せて夢見公園まで運び、遺棄したんだ。本当はもっと遠くまで運びたかっただろうけど、体力的にも厳しいだろうし、このところの雨で路面の状態は悪かっただろうから断念したってとこだろうね」
出町がそこまで言い切ったところで、再びリビングに沈黙が訪れた。古野は目を閉じて雨の音に耳をすましてみる。幾分、雨の勢いは弱まっているようだ。それから古野は、大事なことを思い出してカッと目を見開く。
「そうだ、出町。まだ話は終わってないぞ」
出町が、何だろうという表情で古野のほうを向く。
「まだ何かあったっけ?」
「さっきのお前の話によると、被害者がこの家に来て口論になって殺してしまったってことになるけどさ、何で被害者はこの家に来たんだよ? 鴇子さんと面識があったわけでもなさそうだし」
そう言うと、青葉も「確かにそうですね」と同調してくる。一方の出町はしばらく鴇子の様子をうかがっていたが、やがて大きな息を一つ吐き、のそりと立ち上がった。
「確かに、豆島さんと鴇子さんとの間に面識は無かった。犯行は、本当に突発的なものだったんだよ。……古野、例の写真を見せてくれ」
出町に促され、古野は豆島のアパートで見つけ、ハンカチに包んでポケットに入れておいた写真を出町に渡す。CDラックの隙間に挟まっていたものだ。かなり昔に撮られた写真らしく、よれよれになってはいたが、映っているものは十分に判別できた。
「えっ、ちょっと待ってください……!」
出町に写真を渡すのを横から見ていた青葉がにわかに驚きの声を上げた。王子を優しく抱き抱えたまま、出町の横から写真を覗きこんだ。
「これって……王子?」
写真に映っていたのは、まだ幼いロシアンブルーだった。それはちょうど、青葉が書庫に依頼に来た時に見せてくれた王子の写真とそっくりだったのである。古野が豆島の部屋でこれを見つけて驚愕したのはそのためであり、今、青葉が目を丸くしているのもそれが理由だろう。なぜ、豆島がロシアンブルーの写真を持っているのか。
出町は写真を一瞥した後、久しぶりにあくびを一つしてから話を始めた。
「ここからは佐々原警部に聞いた話なんだけど、被害者の豆島さんは2年前に、飼っていた猫を亡くしてるんだ。そのショックで、勤めていたペットショップ『モコ』も辞めてしまったらしい」
古野は写真に視線を戻した。机の上で丸くなっているロシアンブルー。これが、豆島が2年前に亡くしたという猫なのか。そしてその猫も実はロシアンブルーだったのだ。
「一方、同じく2年前。ペットショップ『モコ』の店長、森沼さんは鴇子さんに知り合いの誼みで一匹の子猫を譲った。それが王子であり、王子もまたロシアンブルーだった。鴇子さん、間違いありませんね?」
いつの間にか目に涙を浮かべ、ハンカチを固く握りしめていた鴇子は、出町の問いに小さくうなずく。
「もちろん、この2匹のロシアンブルーは、血縁上は全くの無関係だ。だけど、愛猫を失った豆島さんは自堕落な生活の中で、2年前に森沼店長が誰かに譲った猫が、自分の飼っていたのと同じロシアンブルーだったことを思い出した。そこで豆島さんは、再び『モコ』を訪れた……」
さすがに疲れたのか、出町はそこで一度言葉を切った。
「……豆島さんは、店にいた瀬内という女性店員にロシアンブルーについて尋ねた。相手にされなかったみたいだけど、その後も来る日も来る日も……ね」
「そうか……。豆島さんは、瀬内さんのストーカーじゃなくて……」
「それは瀬内さんの誤解だよ。第一、本当にストーカーだったのなら、店の外でも瀬内さんに付きまとうはずだけど、どうやらそんなことは無かったようだし」
古野には、豆島という男がだんだんと可哀想に思えてきていた。豆島はただ、王子に、自分の飼っていた猫の面影を見て、王子を探し続けていただけだったのだ。
「そして、昨日のお昼頃。豆島はいつものように『モコ』を訪れ、瀬内さんにこう言った。『やっと会えたんだよ』ってね」
もうその先は分かっていた。
「『やっと会えた』……。豆島さんは、偶然この家の前を通りがかった時、王子を見つけたんだ。それが『やっと会えた』という言葉の意味だろうね」
出町はもう一度鴇子をじっと見つめた。
「その夜、王子に一目だけでも会わせてほしいと豆島さんがこの家に来た。でも突然やってきた男に恐怖を覚えた鴇子さんは思わず男を撲殺してしまったんだ」
出町はそう話を締めくくり、鴇子の反応を待った。鴇子はまたしばらく泣いているようだったが、やがてハンカチをしまうと、丁寧な所作で立ち上がる。それから、青葉に向かって微笑みながら言葉を託した。気品に満ちた、柔らかい言葉だった。
「青葉ちゃん……。王子を、お願いしますね」
広すぎる豪邸が、最後の住人を失った。
***
結局、鴇子については出町が佐々原に頼んで自首という扱いをとることになった。佐々原はぶつぶつ文句を言っていたが、最後には本多と夕食の相談をしながら歩き去っていった。
「まさか鴇子さんが犯人だとは、思ってもみませんでした……」
雨はすっかり上がり、空に星が瞬き始めていたので青葉は王子を抱えたまま外に出てきていた。その後ろに、事件が解決して眠そうな出町が続き、最後尾を古野が歩いていた。
「豆島さんは、猫を愛しすぎたあまり、猫が死んでもなおその面影を追い続け……。鴇子さんは、王子を守りたい一心で豆島さんの頭に凶器を振り下ろした……。結果的に、猫を愛しすぎた二人の行為が招いた悲劇ってことか」
出町があくび混じりにつぶやいた。古野も青葉もそれに異論を挟まなかった。この事件は、それが全てである。
「青葉ちゃん。王子のこと、大切にしてくれよ」
王子の今後について、まだ少し不安だった古野が青葉に声をかけると、青葉はパッと振り返って元気いっぱいに答えた。
「任せてください、先輩!」
「まあ、まずは鍵を取り出してからだな」
落ち着いた様子で出町が口を挟むと、青葉はハッと口元に手を当てた。
「あ、そうでしたね。じゃあ今からでも行きますかっ!」
青葉は小走りになって先を行く。
「……古野。何の証拠もない推理を一つ言ってもいいか?」
「何だよ?」
「……青葉ちゃんなら、王子は大丈夫だと思う」
真顔でそんなことを言い出すので、古野は思わず吹き出してしまった。
「いや、それって推理じゃねーだろ」
「ま、それもそうか」
出町はまた一つあくびをしてから、なおも話を続けた。
「……それにしても古野。俺、お前を尊敬するよ」
突然の発言に、また吹き出しそうになる。
「はっ!? 何だよ、突然」
「王子を探しに、単身雨の中へ出ていったお前の姿勢に感動したんだよ。やっぱりお前は助手より探偵に向いてると思うなあ」
「よせよ。俺はずっとワトスンであり続けるつもりだ」
そう言いながら古野は走り出した。内心ではすっかり照れてしまっていたのだ。だいたいそんな風に褒められて、嬉しくないわけないじゃないか。
「あ、おい! 待てよ、古野!」
駆けていく足に爽やかな風を感じる。このまま家まで走って帰るのもたまにはいいかなと、古野は考えていた。
次回
CASE:9 雨宿りの楽しみ方
ある日の放課後。傘を忘れた三人の高校生が雨宿りを楽しむための方法を考える……。




