第26話 使命
◇事件関係者◇
豆島悠一・・・被害者。夢見公園の池のほとりで死んでいた。コンビニでアルバイトをしており、六条とは親しかったという。
六条道也・・・豆島の友人。同じコンビニでバイトをしている。遺体の第一発見者。
森沼孝治・・・ペットショップ「モコ」の店長。
瀬内真弓・・・ペットショップ「モコ」の店員。
青田鴇子・・・青葉の近所に住む老婆。ロシアンブルーの「王子」を飼っている。
王子・・・鴇子が飼っているロシアンブルー。おとなしい性格だが、突如として失踪した。
軒先で、ビニール傘についた雨粒を乱暴に払う。
夢見公園での現場検証を早々に切り上げ、佐々原は本多を連れてペットショップ「モコ」に来ていた。「モコ」は、夢見公園を出て住宅街を抜けた先にひっそりと店を構えており、被害者の豆島が2年前までこの店で働いていたということも調査済みである。
「チッ。出町の野郎、『忙しいので要点だけメールしといてください』と抜かしやがった」
慣れない手つきでスマホを操作し、出町からの返信を読んだ佐々原は画面に向かって思わず悪態をついた。
「おかしいですね。警部の話では、事件と聞いたら飛んで駆けつけるような少年とのことでしたが」
隣で本多も首をかしげている。
「フン。あいつが忙しいわけあるか。どうせ、ただ眠いだけなんだろうよ」
佐々原はそう吐き捨てると、スマホを本多に渡した。それから、事件の要点をまとめたメールを出町に送っておくように伝えると、本多を残してとっとと店内に入っていく。平日の午後で雨降りということもあってか、客らしき姿はない。
「いらっしゃいませ」
グッズが並べられた棚をしげしげと見ていると、店の制服らしいエプロンを着た女性がいつの間にかそばに立っていた。
「どういったご用件でしょうか」
「ああ、いえ。私は客ではないんです」
「実は、こういう者でして」と、懐から警察手帳を取り出してみせる。女性はハッと口元を押さえた。
「刑事さん……ですか」
「そうです」
「あの、刑事さんがいったい何のご用件でしょうか」
女性が深刻そうな顔で尋ねてくるので、佐々原は笑いながら大した話ではないことを告げる。それから頭をかいて、少しずつ本題に入っていく。
「実はですね、先ほどこの近くの夢見公園で男性の遺体が見つかったんです」
「えっ」
「名前は豆島悠一。2年前までこの店で働いていたとのことなんですが」
豆島悠一、という名前を出した瞬間、女性の顔が強ばったのを佐々原は見逃さなかった。何かあるな、と直感的に感じる。
「えと……て、店長を呼んできますので、少々お待ちくださいっ」
早口でそう言い残すと、女性はあわてて店の奥へと引っこんでいった。仕方がないので佐々原は店内をぐるりと回ってみる。水槽の中にいたよく分からない魚と目が合い、あわてて視線をそらしていると、先ほどの女性が、恰幅のいい体に似合わないエプロンを着た店長らしき男を連れて戻ってきた。
「店長の森沼孝治です。豆島のことで話があるとのことですが」
森沼と名乗った店長はほとんど表情を変えずに佐々原を見据えた。豆島、と呼び捨てにしているところを見ると、どうやら豆島との間で何かトラブルがあったらしいと思われた。
「ええ。実は豆島さん、先ほど夢見公園で遺体となって発見されました」
「なるほど、それでこちらに……。ということは、豆島が2年前にこの店を辞めていったことももうお調べになっているんでしょうね」
「ええまあ。それでお聞きしたいんですが、豆島さんとは何かトラブルがあったんでしょうか」
いかにも実直そうな森沼が相手なので、佐々原は単刀直入に話を切り出した。
「……彼はもともと動物好きの愉快な青年でしたよ。それで3年前にこの店に来てもらったんですが、それから1年ほど経った頃、突然彼が店を辞めたいと言い出したんです」
「彼が自分から辞めたいと言ったんですか」
「ええ。理由を聞いてみると、飼っていた猫が死んでしまって精神的ショックを受けたからだというんです。引き止めましたが、無理でした。彼はそのまま店を辞めてしまい、どうやらそれがきっかけで自堕落な生活に走るようになったそうです」
森沼はそこでいったん言葉を切った。
「豆島の代わりに雇うことになったのが彼女です」
森沼が言うと、先ほどの女性が「瀬内真弓です」と自己紹介をして頭を下げた。
「店を辞めた後、しばらくは豆島の顔を見ることはなかったんですが、あるときふらっと店に入ってきて瀬内くんにやたらと話しかけてきたんですよ。あまりにしつこいもので追い返してやったんですが、それからも何度か店に顔を出して瀬内くんに付きまとうようになりましてね」
話を手帳に書きたんでいた佐々原は顔を上げて思わず眉をひそめた。
「ストーキング、ということですか」
「そういうことです。まあ、店の外で付きまとわれるということはなかったようですが」
森沼の言葉を受けて佐々原が瀬内に確認をとると、彼女は力なくうなずいた。
「では瀬内さん、最後に豆島がこの店に来たのはいつですか」
「昨日のお昼頃……だったと思います。店に入ってくるなり『やっと会えたんだよ』とか何とか、よく分からないことをぶつぶつ言ってました。気持ち悪かったんで、すぐに帰ってもらいましたけど」
豆島の死亡推定時刻は昨日の20時から22時の間だと聞いている。昼に店を出てから殺されるまで、豆島はいったい何をしていたのだろうか。
「最後にひとつ、いいですか」
「何でしょう?」
「お二人は、昨夜20時から22時までの間、どこで何をしておられましたか」
露骨なアリバイ確認の質問に、森沼はフッと笑う。
「私は店の片付けをしていましたので、アリバイはありません」
「瀬内さんは?」
「家にいました。アリバイはないです」
「そうですか……。ありがとうございます。また伺うことがあると思いますので、そのときはよろしくお願いします」
最後に捜査協力に対する礼を述べてから佐々原は店を出た。軒先では、ちょうど本多が出町にメールを送ったところだった。店内で質問したことを一通り話してやると、本多は適宜リアクションをしながら終始丁寧に話を聞いていた。
「よし。本多、次はとりあえず豆島のアパートの鍵だな」
「ああ、例の消えた鍵ですか。分かりました。早速行きましょう」
ビニール傘をさしながら、佐々原と本多は雨の小路へと歩き出した。
***
消えた子猫「王子」の飼い主である青田鴇子の家は洋風の大きな邸宅だった。青葉の話によれば、鴇子の亡き夫である滋行が精密機械の開発で財をなした資産家だったのだという。この辺りはなかなかの高級住宅街のようだが、その中でも際立った大きさを誇る青田邸は、高齢女性が一人で住むにはいささか広すぎるようにも思われる。
「鴇子さんは、2年前に旦那さんを亡くされて、一人でこんな大きな家に住むのは寂しいってことで知り合いのペットショップの店長さんから子猫を一匹譲り受けたんです」
「それが王子なんだね」
古野が確認のために口を挟むと、青葉はこくりとうなずいた。
「ロシアンブルーは基本的におとなしい性格なので、お年寄りが一人で世話をするのにぴったりなんですよ」
そんな青葉の話を聞いているのかいないのか、出町は佐々原警部から送られてきた事件情報に関するメールに目を通していた。
「で? 出町、そっちの事件はどうなんだよ」
「……公園で男の死体が発見されたらしい。奇妙なことに、男の所持品からアパートの鍵が消えてるんだそうだ」
「へー」
自分から聞いておきながら気の抜けた反応をした古野は、青田邸のドアの隣についたインターホンを鳴らした。しばらく間があった後、ドアが遠慮がちに開いて女性が顔を出した。この人が青田鴇子らしい。
「あ、鴇子さん。青葉です」
「まあ、青葉ちゃん。いらっしゃい。……そちらはお友達?」
「高校の先輩です。眠そうな顔してるこちらが出町昇之介さん。こっちは古野直翔さんです」
青葉の紹介に続いて古野と出町はぺこりと頭を下げた。鴇子は「ようこそ、上がってちょうだい」と言って二人を歓迎してくれた。言葉の一つひとつに柔らかな印象を受けるが、心なしか悲しげな響きが混じっているように思えた。
◇◇◇
通されたリビングがあまりに自分とは不釣り合いな空間で、古野はどうにも居心地が悪かった。20畳ほどの部屋に並べられた、元々が高級品らしい調度品の数々は丁寧に手入れがなされており、柔らかな照明の中で確かな存在感を放っている。部屋の片隅に置かれた一昔前のオーディオ機器からは、どこかで聞いたことのあるクラシックが聞こえてきていた。
「これ、何ていう曲だっけ」
「ショパンの『夜想曲第2番変ホ長調』ですよ」
ソファーの右隣に座っていた青葉が即答する。聞くところによると、鴇子が特に好きな曲だそうで、何度もこの家に通っているうちに曲名を覚えたのだという。
「ちょっと音が大きくないか?」
出された紅茶を飲みながら出町が顔をしかめている。
「何言ってんだ。クラシックの名曲だぞ、ちょっとは我慢しろよ」
と言いつつ、古野も少しうるさく感じていたのだが、さすがに文句を言うのは失礼だろうと思って黙っていることにした。
しばらくそうしているうちに、鴇子がリビングに入ってきた。こうして見てみると、ヨーロッパの貴婦人のような気品すら感じられる。
「皆、ありがとう。王子を探すお手伝いをしてくださるんですね」
礼を言われ、あわてて古野も頭を下げた。一方、遠慮なく紅茶を飲み干した出町は真剣な眼差しを鴇子に向けた。
「必ずや見つけ出してみせましょう」
「頼もしい限りです」
「……では、早速なんですが、王子を最後に見たのはいつですか」
「昨夜、眠りにつく前のことですから……22時の少し前だったと思います」
気丈に答えつつも鴇子の右手にはハンカチが握られており、時折それを目元に運んでいた。その姿を見て心を動かされた古野は、自分にも何かできることはないかと考え始めていた。
「そのとき、王子の様子に異変はありましたか」
「いいえ、なかったと思います」
「……そして、今朝起きてみたら王子はどこにもいなかった、と」
「その通りです」
「何時頃に起きられました?」
「6時30分ちょうどです。いつも同じ時間に目が覚めるものですから、間違いありません。それで、王子はいつもはベッドの足元に座っているのですが、今朝は姿が見えなかったんです」
出町は難しい表情でしきりにうなずいている。鴇子は、その様子を不安そうに見つめていた。
「なるほど。では昨日、どなたかこの家に来ませんでしたか」
「いいえ。昨日は誰も来ておりません」
「家の戸締まりは?」
「しっかりと鍵をかけていますし、王子が出ていくような出口は全て閉じてあります」
そうなると、王子が自分からこの家を出ていった可能性は低そうだ。
「これまでに王子が姿を消したということはありましたか」
「一度もありません。王子はおとなしい性格ですので、外に出ることも稀なんです」
「ご友人の中に、王子に興味を示しているという方はおられますか」
「そうですね……。知り合いに何人か心当たりはありますが」
「念のため、そちらをリストアップしておいてください」
「分かりました」
鴇子の答えを聞いた出町はあごに手をあてて深い思考に沈み出す。すっかり慣れているはずのその姿に、わずかないら立ちを古野は感じていた。
「なあ出町……」
あくまで静かに古野は話を切り出した。
「ん? どうした」
「俺、今から王子を探しにいくよ。ここでこうしててもしょうがないし」
出町はあごに手をやったまま目を丸くしている。青葉も意外そうな視線を向けてきた。だが今の古野にとっては、ここで単にじっとしているなど到底できないことだった。
「そうか……分かった。頼むよ、古野」
一瞬戸惑ったように見えた出町もすぐに笑顔になって古野の意思を汲み取ってくれた。
出町には推理はできても、実際に体を動かして何かを調べるという行為には滅法弱い。その弱点をカバーするには、出町の助手である自分が動く必要があるのだ。
「先輩、頑張ってください」
青葉も珍しく古野にエールを送ってくる。古野は、はにかみながらそれに応えると、なおも不安そうな鴇子に向かって自信たっぷりにうなずいてみせた。
「では、行ってまいります」
かしこまった口調で言い放つと、古野はたった一人でリビングを出ていった。正直に言って王子を探すあてはなかったが、自分がやらなければならないような使命感につき動かされていたのだった。




