第24話 決着の湖畔【解答編】
◇あらすじ◇
ゴールデンウィークを利用し、山梨県竜宮湖畔で行われる謎解きゲーム「レイクサイド」に参加した出町と古野。しかし、そこで殺人事件が発生。さらに殺人未遂も起きる。一連の事件の犯人は誰なのか……?
◇事件関係者◇
魚原真吾・・・ジャーナリスト。元々は皇族の歴史についてまとめていた熱心な人物だったが、今では専らゴシップ記事担当。2日目の朝、ボート乗り場で殺されているのが見つかる。
弓丘いずみ・・・話題のクイズ女王。特に文学と歴史を得意とする。部屋で何者かに頭部を殴打されるが、一命は取り留めた。
浦島光治・・・竜宮湖畔リゾートホテルのオーナー。「レイクサイド」の企画、運営を行う。
鳥羽明夫・・・歴史学者。地元の大学で、竜宮湖一帯の歴史について研究している。
新藤雪彦・・・鳥羽の助手。第一の事件でのアリバイがないため、疑われる。
八重崎岳・・・気鋭の推理作家。代表作は『湖畔に死す』。
園真沙美・・・少女漫画家。代表作は『センチメンタル・レイクサイド』。
※浦島以外は「レイクサイド」の参加者。
夜の湖畔に冷たい風が一つ吹き抜けた。
ボートに乗った犯人も、出町を先頭とした集団も、しばらくの間全く言葉を発さなかった。それはまるで、戦国時代、敵対する両軍が東西に分かれて睨み合っているかのような緊張感である。どちらが先に仕掛けるか、はたまたそれをどうかわすか。緊迫した心理戦は、出町の後方から上がった声で終止符を打たれた。
「ま、まさか……あなたが犯人だったとは……」
八重崎だ。月の光で辛うじて確認できる、ボートに乗った犯人を見て困惑とも拍子抜けともとれない複雑な表情を浮かべている。
「信じられない。どうして……?」
「まったくでございます。どうしてお客様が……」
動揺は連鎖する。園と浦島も口々に疑問を口にした。
「先生……」
体を小刻みに震わせているのは新藤だ。その後ろには、腕を組んで成り行きを冷静に見守る古野と不動警部が立っている。
「皆さん、これが真実です!」
最後に、再び出町が声を張り上げた。一瞬薄い雲に覆われてぼんやりとしていた月の光が湖面を照らし、犯人の顔がはっきりと見えた。
「魚原氏を殺し、弓丘さんを襲撃した犯人、それはあなたです!」
***
「犯人は鳥羽先生、あなたです」
月の光に照らし出されたのは、鳥羽の、心底申し訳ないというような顔だった。
「その通りです。私が魚原くんを殺し、弓丘さんを襲った犯人です」
「どうして……? どうしてなんです、先生!」
新藤が、今にも鳥羽に飛びかかろうかという語気で詰め寄った。新藤としては、第一の事件でのアリバイがないということで不動警部に疑われたということが許せないのだろう。
「すまん、新藤くん。君を陥れるつもりはなかったんだ。許してくれ」
鳥羽はボートの上ですっかりうなだれてしまっている。
「でも出町くん。結局、第一の事件でのアリバイはどう説明するんだい? 鳥羽先生は君たちと一緒にいたはずだろ?」
不動警部が当然の疑問を口にすると、出町は振り返って答えた。
「初歩的なトリックです。魚原氏は、八重崎さんが電話を受けた20時30分の時点で既に殺されていたんですよ」
「そんなバカな!? そんなこと……」
そこまで言いかけて警部が何かに気づいたように口をつぐむ。
「そう。鳥羽先生は、魚原氏のボイスレコーダーを使ったんです」
出町はちらりと鳥羽を見てから話を続ける。
「恐らく先生が魚原氏をボート乗り場に呼び出して殺害したのは夕食の直後。そのときはまだ、玄関に設置してある防犯カメラは作動してませんから出入りに問題はありません」
「で、でも出町。どうやって鳥羽先生は魚原さんを呼び出したんだよ?」
どんどん話を先に進めようとする出町に、古野はたまらず疑問を口にする。話の腰を折られた出町は、それでも冷静に答えた。
「魚原氏は『レイクサイド』の被害者役に選ばれていた。鳥羽先生が犯人役だとしたら辻褄は合うんだ」
「そうか……。『レイクサイド』の打ち合わせとでも言えばいいということか」
不動警部のつぶやきに、出町はうんうんとうなずく。
「そして殺害の直前、先生はあることを魚原氏に頼んだんです」
「あること?」
「ボイスレコーダーに八重崎さんへの電話の音声を録音しておくことです。普通に考えれば不自然なことですが、『レイクサイド』のアリバイトリックのためだとでも言えば魚原氏は何の疑いももたなかったでしょう。まさか、自分を殺すためのアリバイ工作の手伝いをさせられているとも知らずにね」
確かにあらかじめ音声を録音しておくという初歩的なトリックではあるが、「レイクサイド」の犯人役と被害者役という特殊な関係だからこそ成立したトリックとも言えるかもしれない。古野は久々に聞く出町の推理に圧倒されていた。
「そして殺害の後、魚原氏の部屋の電話から八重崎さんの部屋に電話をかけ、録音しておいた魚原氏の声を聞かせれば、あたかもその時間まで彼が生きていたかのように偽装できるというわけです。あとは録音した音声を消去してレコーダーを処分し、20時30分過ぎに食堂で俺たちと合流するだけでいい」
出町はそこで一度言葉を切り、不動警部の反応を待っていた。警部はメモ帳に何かを書きこんでいたが、出町の視線に気づくとあわててメモ帳を閉じた。
「ごめんごめん。……アリバイトリックのほうは分かったよ。でも、あのダイイングメッセージはどうなる? 鳥羽先生が犯人だとしたら、あの『74』という数字は何を意味しているんだい?」
「そうだ、出町。あれは何を表してるっていうんだ?」
ダイイングメッセージの謎が最も気になっていた古野は、出町の口からその答えが出てくるのを待った。
「その謎を解くヒントは2つ。1つは弓丘さんが狙われたという事実です」
「どういうことだ?」
「皆さん思い出してください。弓丘さんは明らかに無計画に襲われた。ではなぜ、弓丘さんは狙われなければならなかったのか?」
「……分からないな。いったいなぜだっていうんだ?」
しばらく腕組みをしていた八重崎がギブアップの声を上げる。もちろん古野も、他の者も同じだった。
「ヒントはもう1つあります。メッセージを残した魚原氏は、もともと皇族の歴史を追っていた、まじめなジャーナリストだったそうです。大学での専攻は日本史だったそうで」
「……! そうか、天皇……」
不動警部のつぶやきに、出町は少しだけ笑みを浮かべた。ただ古野には、何のことかさっぱり分からない。
「鳥羽先生は途中で『74』の意味に気づいたんです。そこで、メッセージを解く可能性の高い、歴史の得意な弓丘さんを狙ったんでしょう。ただ、はっきりとした殺意はなかったせいか、殺害には及びませんでしたが……」
鳥羽がさらに深くうなだれた。
「あの数字は、日本の歴代天皇の74代目という意味だったんです。74代目は鳥羽天皇。つまり、鳥羽先生の名前を表していたということです」
淡々と推理を話す出町の周りで誰もが息をのんだ。ダイイングメッセージが解き明かされ、ついに鳥羽の犯行が明らかになったからだろうか。その場にいた全員の視線が鳥羽に向けられる。
「……見事な推理だ。出町くん」
ボートの上で座りっぱなしだった鳥羽は深いため息を一つつくと、細い目で出町を見つめ返した。
「……動機は奥さんの復讐ですね?」
出町が言うと、鳥羽は驚いたようにその目を見開いた。
「よく分かりましたね」
「初日の夜、先生が奥さんを亡くしたのが2年前だと聞きました。そして、魚原氏が事故の写真をとって注目を集めたのも2年前。その事故で女性が1人亡くなった……名前は鳥羽由子。先生の奥さんですね?」
「そう。私の妻だ。もっとも、私は若い頃から研究一筋で夫としての仕事は何もできなかったがね」
鳥羽の目に涙が浮かんだのが、古野の目にもはっきりと分かった。
「だから2年前。由子が事故で死んだとき、私の心は後悔と自責と虚無感だけだった。由子にとって、私は最低の夫のままだったわけですからな……。しかしそれから間もなく、魚原というジャーナリストがとった事故の写真が有名になり、彼がジャーナリストの賞を取ったという話も聞いたのです。私は疑問に思いました。彼なら、由子を助けられたのではないか? もしかしたら、もしかしたら助けられたのではないか? 疑問はやがて静かな怒りに変わり、私はそれを紛らすように竜宮湖の研究に力を入れていきました」
「ところが、『レイクサイド』の参加者の中に魚原という名前を見つけてしまった……。それが復讐のきっかけになったんでしょう」
「その通り。だが私は、無関係の弓丘さんまでも殺そうとしてしまった……。私は生きる資格のない人間です」
「!」
鳥羽は涙を拭うと、くるりと背を向け、湖の中央に向かって再びボートを漕ぎ始めた。古野はあわてて止めようとするが、既にボートとの距離は、飛び乗るには離れすぎていた。おまけに夜の湖は底までただの闇でしかなく、投げ出されれば命の危険もある。古野が足を止めると、その横を出町がゆっくりと通り抜けていった。出町は湖のへりで止まると、今までに出したこともないほどの大きな声で「鳥羽さん!」と呼びかけた。のろのろと動き始めていたボートがそれにつられて停止する。
「鳥羽さん、あなたにはまだやるべきことがあるでしょう?」
鳥羽がゆっくりと振り返った。
「弓丘さんへの謝罪ですよ。本当に後悔の念があるのなら、弓丘さんに会って謝罪すべきではありませんか」
「し、しかし私は……」
「それに、本当にここで死ぬつもりですか? あなたが生涯を研究に捧げてきた、この竜宮湖で? そんなことをすれば悲しむのは由子さんですよ」
「由子が……?」
「由子さんはあなたを最低の夫だとは思っていなかったと思いますよ。あなたと結婚したのは、あなたの研究者としての姿勢に心を打たれたからでは? そんな由子さんが、今のあなたを見たら何と言うでしょう?」
鳥羽のすすり泣きが湖の水音に混じって聞こえ始めた。そして古野は、初めて見る友人の真剣な姿に、呆気にとられていた。
「……鳥羽先生。戻ってきてください」
涼しい風がまた一つ吹き抜け、湖面が月光を浴びてささやくように揺れた。
***
「ウーン。やっぱり5月の風は気持ちいいわね」
事件から2週間。頭に受けた傷がすっかりよくなった弓丘を、出町と古野は竜宮湖に連れてきた。ただの見舞いのはずだったのだが、本人のたっての希望だった。
結局あの後、出町の説得を受けた鳥羽は無事に逮捕され、弓丘への謝罪も済ませた。負傷したクイズ女王は、何と笑いながら彼を許し、こうして竜宮湖畔殺人事件は一件落着となった。
「出町くん、一つ聞いていいかしら?」
「何でしょう?」
「もし、鳥羽先生が自白しなかったらどうするつもりだったの? ダイイングメッセージだけでは彼の犯行は立証できないと思うんだけど」
「……実は、ちゃんと証拠はあったんですよ?」
「どういうこと?」
「俺が魚原氏のポケットから勝手に拝借したボールペンです。実はあれ、録音機能がついてまして、犯行の瞬間が録音されてたんですよ」
「えぇ!?」
「魚原氏はボイスレコーダーを2つ持っていました。ところが事件後、それが2つとも消えてたんです。1つは鳥羽先生が処分したんだとして、もう1つはどこへいったのか……。それが、ボールペンだったんです。恐らく魚原氏はどこかでボールペン型ボイスレコーダーのスイッチを入れっぱなしにしてしまい、偶然にも犯行の瞬間が録音されてしまった、といったところでしょう」
「ふーん、なるほどね~」
「後で不動警部にボールペンを渡したら、ちょっとだけ注意されちゃいましたけどね」
出町はそう言って恥ずかしそうに笑った。
「でもよかったですね、弓丘さん。来週からまたクイズ番組に復帰できますよ」
古野が言うと、弓丘は少し悲しげに目を伏せた。
「ううん。私、しばらくクイズはお休みさせてもらうわ」
「えっ、どうしてですか」
「夫の仕事が忙しくなってきたのよ。それで、私もそろそろ主婦業に本腰を入れないとってとこね」
古野は無言でうなずいてから湖のほうを向いた。クイズ女王が、しばらくテレビから姿を消すのは寂しく感じられたが、それでも弓丘が無事に日常に戻ることができるのならばそれでよいとも思えた。
「それにしても出町。お前、鳥羽先生への説得はすごかったな。お前のこと見直した……ん?」
古野が久しぶりに出町を誉めようと顔を覗きこむと、出町は何と立ったまま穏やかに眠っていた。さっきまで起きていたはずなのだが。
「弓丘さん。出町の奴、立ったまま眠れるようになったみたいです」
「フフフ。おかしな探偵さんね」
五月晴れの空の下、柔らかな風が吹く湖畔に楽しげな笑い声が響いていた。
◇次回◇
CASE:8 消えた王子を探せ
新たな依頼は猫探し!? 新聞クラブの青葉ちゃんから持ちこまれた猫の失踪事件と、公園で起きた殺人事件との意外な関係とは!?




